二国の婚姻 -4


 国王一家が集まる夕食は、意外なほど何事もなく済んだ。

 シェリエンは内心、付け焼き刃の作法を見咎められるのではと終始ハラハラしていた。だが、食卓に彼女がいることなど誰も気に留めていないようだった。


 残された仕事は、夫との初夜。



 初夜についてはガイレアの王宮で学んでいた。姫としての立ち振る舞いの講師であった女官から、さも当然という風情ふぜいで淡々と説明がなされた。

 一応理解はしたはずが、彼女には正直想像もつかないことで。


 ――夫婦となるには必要なことらしいけれど……。よくわからないままに、怖いとは思う。しかも相手は先ほど初めて顔を合わせた人物。


 無事に夕食を終えて一旦は胸をで下ろしたシェリエンだったが、こうして次の予定を思えば再び身体が固くこわばるのを感じる。




 食後の休憩の後、シェリエンは侍女たちに隅々すみずみまで洗い上げられた。夜着の上にガウンを着せられ、寝室で待つよう言われる。

 夜着はさらりとした手触りの、おそらく上質な生地でできている。薄手ではあるが肌の露出が多いものではないことに、彼女は僅かばかりの安心を覚えた。


 寝室に足を踏み入れた瞬間、奥に鎮座する大きなベッドが目に入る。その存在感に気圧けおされ、思わず目をそらしながら、シェリエンは部屋の中央に置かれたソファーにそっと腰掛けた。



 室内はぼやっと薄暗い。部屋の数か所に置かれたランプには、炎に代わり、だいだい色に光る石が込められている。昼間に太陽の光を吸収して輝く、耀光石ようこうせきというものだ。

 こういった照明器具を使えるのは上流階級の人間だけ。シェリエンはこれを、ガイレアでの花嫁修行中に初めて目にした。


 落ち着かない気を紛らわせるため、彼女はその石の光をじっと見つめた。

 ゆらゆら揺らめいて、まるで本物の炎を閉じ込めたような。太陽の光というよりは、石が燃えるかのごとく不思議な輝きを湛えている。



 一心に気持ちを整えようとするうち――どのくらいの時間が経っただろうか。

 扉が開く音がして、シェリエンは慌てて立ち上がった。


 部屋に入ってきたのはリオレティウスだ。同じく、夜着にガウンという出で立ち。きちんと揃えられた前合わせの部分から、厚い胸板が少しのぞいている。


 昼間の彼は、硬い生地でできた黒っぽい騎士服を纏っていた。そのかっちりした服装に比べてはるかに薄い夜着は、しなやかに鍛えられた彼の体軀たいくをより鮮明に浮き立たせる。


 目の前までやってきた彼の気配に、シェリエンはぴくりと肩を震わせた。

 身長差は頭二つ分くらい。自らがとてもちっぽけに思え、心細さが込み上げる。



「ふむ……」


 昼間初めて会ったときと同じ澄んだ青の瞳で、リオレティウスはシェリエンを上から眺めた。


「そんなにおびえなくても……、まあ無理な話か」


 にべなく言うと、彼はシェリエンを通り越してベッドへと向かった。なんでもない様子で布団に手をかけ、バサッとめくる。


「ん」

 短く言いつつ、彼はこちらを振り返った。ベッドに入れということか。



 シェリエンはおずおずと足を踏み出し、なんとか辿り着いたその上にちょこんと正座をした。


 リオレティウスはガウンを脱ぎ、そばにあった椅子に置いている。次にその手がシェリエンに差し出された。おそらく、脱げということ。

 震える手でガウンを脱いで渡すと、彼はそれも同じように椅子に置いた。


 彼が上がってくる体の重みで、ベッドは音を立ててきしんだ。

 その音にまたも小さく身を震わすシェリエン。恐怖を堪えるように、ぎゅっと手を握り締める。


 ほんの僅かな時間。しかし彼女にとっては永遠のようにも感じられて。



 しばらくそうしているうち――


 けれども不意に、頭上でぷっと小さく吹き出す声が聞こえた。



 状況が飲み込めず、シェリエンは咄嗟に顔を上げる。

 そこには困ったように、片眉をひそめて笑うリオレティウスがいた。


「悪い。今から食い殺される小動物にしか見えなくて……」


 彼は捲った布団を再びバサっと戻しながら、シェリエンに横になるよう促した。


「疲れただろう、ゆっくり休め。俺には小動物をいたぶる趣味はない」


 そうして彼は、シェリエンと逆の方向を向いてごろんと横になった。

 彼が枕元のスイッチを押すと、耀光石は微かな明かりだけを残し、部屋はほとんど暗くなる。




 ――何もしない……? 

 シェリエンはぽかんと、ただ目の前の大きな背中を見つめた。

 しばらくして、すやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。


 彼女はそうっと身体を起こし、様子を窺った。そこにはなんとも安らかな、自分の夫となるはずの王子の寝顔。



 ……とりあえず、今夜はこれ以上何も起こらないらしい。

 心の中で安堵の溜息を吐き、シェリエンは静かに身を横たえた。


 しかし、胸の鼓動はまだ大きく脈打っている。今日は色々ありすぎた。というよりこの半年、想像の及ばないことばかりで。


 普通の村娘として暮らしてきたのに、姫と称され花嫁修行をし、元敵国へと嫁ぐことになった。

 隣には、昼間会ったばかりの王子が眠っている。



 こんな状況で眠れるのだろうか。シェリエンは思ったが、半年間慣れない環境で溜まった疲れは相当なもの。

 その疲れはずっしりとした眠気に変換され、程なくして彼女を夢の世界へといざなった――。

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