銀色の兎姫

出 万璃玲

第一章『天地引き合う機にて』

二国の婚姻 -1



 昔、天の竜と地の竜、二つの竜がいた。

 竜たちはそれぞれ、国をつくった。

 自ら亡きあとも国を続けるため、竜たちは国に王を置いた。

 天の竜は、王には血統が必要だと考えた。

 自らの血を分け、王の身体にはその血筋を示すあざが浮かんだ。

 地の竜は、王には武力が必要だと考えた。

 自らの力を分け、王の身体にはその強さを示すすみを刻んだ。

 それらが、ウレノスとガイレア、二国の始まりだとわれている。




 第一章 ――天地引き合う機にて





 大陸の端にあり同程度の国力を持つ、ウレノスとガイレア。この二国間は昔から争いが絶えなかった。

 おそらく初めは、どこの世にもある領地や物資を巡ってのいさかいだった。それが続けばいがみ合うようになる。互いを敵と見做みなした両国は、あるときは戦い、あるときはにらみ合い、大した理由もなく小さないくさと停戦を繰り返してきた。


 しかし今、両国には束の間の休息がもたらされようとしている。ガイレアの姫がウレノスの王子に嫁ぐのだ。

 婚姻による停戦は歴史上に何例かあったが、ここしばらく、今生きる者たちが自らの目で見てきた間にはなかったこと。和平への微かな希望をいだく者、どうせ長くは続かないと悲観する者……両国における人々の見立ては様々だった。


 ガイレアの姫がウレノス王宮に到着したのは、冬が明けるか明けないか、未だ寒さの厳しい折であった。




 シェリエンは震えていた。震えにあわせ、細く長い銀色の睫毛まつげが小刻みに揺れている。

 白葡萄しろぶどうに似た淡い薄緑色の瞳には、見知らぬ地に一人で立つ不安と緊張が映る。白い肌は血色を失い、やや青ざめてすら見える。


 この婚姻が決まってから伸ばしはじめた銀の髪は、やっと肩ほどの長さまでになったところ。同行したガイレアの女官がこれを苦労してまとめ上げ、真珠の髪飾りで整えた。

 ドレスは花嫁らしい純白。長袖で首元は詰まった形になっており、一見素朴な作りだが、よく見れば生地全体に精巧な刺繍が施されている。小柄な彼女の体型にあわせて特別にあつらえられたもの。



 だだっ広い広間に通されたシェリエンは、急いで低く頭を下げた。ドレスの裾をつまみ膝を曲げてお辞儀をする、出国前に幾度となく練習した挨拶だ。

 周りには、異国の花嫁を値踏みするかのような視線。ウレノス国王と王妃、第一王子とその妃、少数の家臣、そして夫となる第二王子。


「シェリエンにございます。この度はお迎えいただき……」


 発音はおかしくないだろうか――必死で叩き込んだこの国の言葉での挨拶を、声が震えぬようなんとか並べる。


「……ふむ。では後のことは第二王子に任せる」


 花嫁の挨拶が終わると、国王は短く言って立ち上がった。そのまま悠然と扉へ向かい、広間を後にする。王妃、第一王子夫妻が続き、場には第二王子と家臣たちが残された。



 僅かな静寂ののち。

コツ、コツと、光沢のある石質の床に足音が響いた。それはゆっくり近づいてきて、シェリエンの前で止まった。頭上で声がする。


「これが俺の妻か」


 促されて顔を上げると、思ったより近くに相手の顔があった。青い瞳が二つ、真っ直ぐにこちらを向いている。晴れた空の、突き抜けるような青。

 一瞬、シェリエンは震えを忘れ、その青に吸い込まれるかの感覚にとらわれた。



 ――どのくらいの間、その瞳に見入っていただろうか。ハッと我に返り、急いで目を伏せる。高貴な人物をじろじろ見つめるなどと、無礼だととがめられてもおかしくない。


 瞳の持ち主は、上半身をかがめて覗き込むようにこちらを見ていた。


 背の中ほどまで伸びた豊かな黒髪に、王子というより武人と言われたほうがしっくりくる、鍛えられた分厚い身体。凛と涼やかな目元、通った鼻筋。

 服装は、騎士服というのだろうか。暗青色あんせいしょくの生地には重厚感があり、肩や袖口には銀のボタンや飾り紐が輝いて、これを纏う相手の姿は堂々として見えた。


 彼が夫となる、ウレノスの第二王子リオレティウスだ。年齢はシェリエンより五つ上、十八歳と聞いている。



「武を重んじる国の姫というからどんなかと思ったが……、小動物のようだな」


 花嫁の見定めが終わったらしい彼は、無表情に言い放った。それからさっと身を翻して後ろを向くと、家臣の一人を呼びつける。


「ティモン、あとは任せた」


 呼ばれた家臣にそう言い残し、彼はシェリエンを顧みることなく広間を出ていった。

 素っ気ない――というより、まるで興味がないといった感じだ。事務的に贈られた荷が届いたことを、一応は確認しておくかというような。




「シェリエン様、私はリオレティウス殿下の幼少よりお世話をしております、ティモンと申します。遠慮なくお申し付けください。私に言いづらいことであれば侍女に」

「はい……」


 ティモンと名乗った家臣は年配の男性で、シェリエンの祖父ほどの年齢に見えた。ふちの細い眼鏡をかけて、灰がかった髪はひたいを出すように後ろへき上げ丁寧に整えられている。落ち着いた物腰に、柔らかな話し方。


 ティモンに部屋へと案内され、ここでの過ごし方について一通り説明を受ける。彼は、異国の姫のウレノス語がまだ完璧ではないことに配慮してか、ゆっくり話してくれる。そうした気遣いを受けて、シェリエンはこわばった身体から少しだけ力が抜けるのを感じた。


 諸々の説明が終わり、与えられた部屋でしばし一人になる。大きなソファーの端へ背もたれを使わずに腰掛けると、シェリエンはほうっと息をいた。



 この婚姻において、婚儀のようなものは行われなかった。ガイレアの姫がウレノスの王宮へ無事届けられたことをもって、両国における婚姻及び和平の成立と見做された。


 旅に最適とは言えない季節に、路面等の状態を考慮しつつ慎重に進んだ行程は全部でひと月近く。彼女を乗せた馬車はガイレアを出てウレノスに入り、王都へと走った。様子を見に集まった人々は沿道から祝いの言葉を述べ、それがちょっとしたパレード代わりになった。

 なお、ガイレアから同行してきた従者や女官たちは、ウレノス王宮に花嫁を引き渡した足でさっさと帰っていった。


 決して輿入れではなかったが――思いのほかひどい扱いは受けなかったことに、シェリエンはホッとしていた。

 元敵国の姫に一体どんな嫌悪が向けられるのだろうかと、出発前は不安でたまらなかった。けれど、着いてみれば拍子抜けしそうなくらいで。


 ウレノスの国民には、馬車への反応を見る限り、およそ悪くは思われていないようだ。国王をはじめとする王族は、もはや無関心。

 婚姻で一応の和平が結ばれた事実が重要なのであって、故国でも取るに足らない姫である十三歳の少女のことなど、どうでもいいのだろう。

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