第19話

▫︎◇▫︎


 お風呂を沸かし、救急箱をお風呂場に置いたノアは、物置へと足を運んでいた。


 ———アレは、憎悪のこもった瞳だった。


 布や服の束を漁りながら、ノアは小さくため息を吐く。

 脳裏を過ぎるのはアクアマリンを連想する空とも海とも違うきらきらとした、美しい瞳。


 ノアは、否、ノアールは知っている。

 あの憎悪に満ちた羨望のこもった瞳を。


 ノアールは知っている。

 あの嫉妬に塗れた苛立ちのこもった瞳を。


 ノアールは知っている。

 あぁなってしまった人間は、大抵の場合、もう戻れないのだと。


「………旧王家に恨みのある人間ってところかな」


 水色の布地を見つけたノアは、それと白い布地、レースやフリル、裁縫道具、そして白いワンピースを持って魔女のいる場所へと戻る。


「お風呂の用意が整いました。服はこれをお使いください」

「はぁ〜い。じゃあ、行ってくるねぇ」

「行ってらっしゃいませ」


 魔女と魔女の背中で怯えるように丸くなっている少女を見送ったノアは、裁縫道具から裁ちばさみを取り出し、なんとなくで布地を切り裂く。部屋の端に置いてある足踏みミシンの方に布を持っていき、ががーっと縫い付けると、そこには白襟が可愛らしい水色の半袖ワンピースが出来上がっていた。


「………裾にフリルをつけて、腰にベルト風のリボンをつけたらもっと愛らしいか」


 ぶつぶつと呟きながら、ノアは1度縫いあげたワンピースや道具の類をしまう。


「あがったよぉ〜。見て見てぇ、ノアぁ。この娘ものすっごく掘り出し物ぉ」


 くるりと魔女の方を振り返ったノアは、ぴくりと固まった。


 白金の美しいストレートな髪は肩上で乱雑に切り裂かれながらも、その美しさを損なうことなくさらさらと揺れていて、髪から僅かに覗くアクアマリンの瞳も宝石のようだ。

 血の通った人間を久方ぶりに見るノアにとって、陶器のように滑らかな頬が恥ずかしげに薔薇色に染まっているのもまた刺激的だった。


「えっと、あの、………あ、ありがとう。ノアくん」


 はにかむように魔女の後ろからノアに話しかける少女に、ノアは僅かに身体を緊張させて微笑む。


「———いえ、どういたしまして」

「あれあれぇ、ノアって面食いぃ?」


 いじるようにノアの頬を突っついてにたにたと笑う魔女に、ノアはブスッと頬を膨らませる。


「………魔女さまは一旦黙ってもらって良いですか?」

「えぇー、扱い酷くなぁい?」

「ひどくありません」


 おろおろとしている少女に優しく微笑みかけたノアは、彼女を怯えさせないように殊更優しく話しかける。


 ———穏やかに、ゆっくりと、ていねいに、


「僕の名前は“ノア”と言います。あなたのお名前をお伺いしても?」

「………………ら、」

「?」

「………ちあら、」


 もじもじと言葉を発する少女に、ノアは確認のために一応名前を口に出す。


「チアラお嬢さまですか?」


 ノアの言葉に、少女はぶんぶんと首を横に振った。


「てぃ、ティアラ………、」


 宝石を散りばめた高貴な女性の髪飾りを由来とする名前は、とても少女に似合っていた。


「ティアラお嬢さま………、素敵なお名前ですね」

「っ、」


 また魔女の後ろに隠れてしまったティアラに苦笑したノアは、キッチンに向かい食事を再び温め始める。


「ティアラお嬢さまはアレルギーはありますか?」


 ふるふると首を振るティアラに、ノアは頷き温め終えた食事を手にテーブルに戻った。


「ひとまずは腹ごしらえをしてから休みましょう。ご飯はとっても大事なので、好き嫌いなく食べるのですよ。どこぞの魔女さまは毎度毎度、『にんじんを食べたくない、食べたくない』と喚き立てますが、良い子なティアラお嬢さまはちゃんと食べられますよね?」


 にっこりと笑ったノアにこくこくと首振り人形のように首を縦に振ったティアラは、その後ノアの作った料理を恐々と口にし、あまりの美味しさに表情を輝かせ、そしてご飯を食べながら疲れ切って寝落ちしてしまったのだった………。


▫︎◇▫︎


「ティアラ、」

「おとーさま?」

「ティアラ、」

「おかーさま?」


 真っ暗な空間でひとりぼっちのティアラは、いろいろなところからわらわらと耳に響く父と母の声に、ぎゅうっと両手を握り込む。

 丁寧に梳かれた長い白金の髪は三つ編みでカチューシャが作られ、ピンクのふわふわしたフリルたっぷりのドレスは両親を探してティアラが1歩踏み出そうとするたびに、くらげのように揺れ動く。

 微かに聞こえる大好きな声を求めてアクアマリンの瞳に涙を溜めながら動くティアラは、やがてその視界に大好きで愛おしくて仕方のない背中を発見する。


「おとーさまっ!!」


 ててっと走り寄った瞬間、大きくて大好きであったかい背中がゆっくりと振り返り———、


「ディアギャァアアアアアアアアアっ!!」


 血に塗れて首がぽっきりと折れた父が襲ってきた。


 飛びかかるように身体を押さえつけられ、首を締め付けられ、ジタバタと必死にもがくのに、何も進歩が起こらない。


「おと、さ、ま………、」

「コロセッ!コロセッ!コロセエエエエェェェェェ!!」


 大きくて丸い瞳が溶けてしまいそうなぐらいにたくさんの涙をぼろぼろと流すティアラは、やがてゆっくりとその瞳を閉じた。

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