第18話

「………………魔女さま、まさか………!!」

「そうなんだよぉ。ちょぉーっと訳ありでぇ、」

「誘拐してきてしまったのですか!?」


 悲鳴のような声をあげるノアに、魔女は心外だと言わんばかりにくちびるを尖らせる。


「殺されかけてたところを拾ってきたんだよぉ〜」

「殺されかける………、」


 ノアが自分と同じくらいの大きさの少女に視線を向けると、少女は怯えたようにビクッと身体を震わせ、魔女の後ろに入ってしまう。


 ———この国はこんな小さな女の子が殺されかける国にまで堕ちたのか………、いや、多分僕が知らなかっただけで、ずっとずっと昔からこの国にもあったんだ。でも、国や周囲の偉い人が全部綺麗に都合よく隠しちゃうから、ちゃんと声が届かなかった。たったそれだけのこと………、


 ぐっと小さくくちびるを噛み締めたノアは、王子教育で身につけた他人に取り入りやすい優しく穏やかな微笑みを顔に貼り付け、記憶の中にある侍従を真似て優雅な紳士を演じる。


「ただいまお風呂を沸かしてまいります。魔女さま、お嬢さま」

「………おじょう、さま………………、」


 唖然としたような声をこぼした少女にクスッと笑って、ノアは若葉の瞳を優しく細める。


「えぇ。“お嬢さま”、です」


 少女の表情がぐしゃっと小さく歪むのを見つめながら、ノアはもう1度柔らかく微笑む。これが正解だとも、これが正当だとも思っていない。

 けれど、ノアは彼女の前で“王子さま”を演じるという選択肢を選び抜いた。


「お風呂の後はご飯にいたしましょう。今日はほうれん草たっぷりのキッシュを焼いてみました。お嬢さまのお口に合うとよろしいのですが………、」


 ぎゅっとワンピース型のぼろ布の裾を握りしめた少女に、ノアは眉を下げる。

 少女の痛々しい裸足に視線を向けたのち、くるりと魔女と少女に背を向ける。


「お風呂は5分で湧きますので、少々お待ちくださいね」


 久方ぶりに向けられる種類の視線に背中を焦がされながら、ノアは足早にお風呂場へと向かうのだった。


▫︎◇▫︎


 颯爽と去ったノアの背中をじっと見つめる少女は、がじがじとボロボロになってしまった自らの親指の爪を噛む。


「………ずるい」


 小さな呟きは誰にも聞かれることなく溶けていく。


 それで良い。

 それで正解だと自らに言い聞かせるのに、心というものはわがままで、その醜い感情を暴露して、周囲になすりつけて、全部全部壊したくなってしまう。


「………………ノアール・フォン・アイゼン」


 鈴を転がしているかのように軽やかで美しい澄んだ声が、少女の口から発せられる。


「………わたくしのお父さまとお母さまを殺した冷酷無慈悲の極悪人」


 ザンバラに切り裂かれて薄汚れた髪から覗く、アクアマリンのような大きな瞳には深い深い影が落ちている。

 ぐるぐると漆黒のクレヨンで塗りつぶされたかのような瞳をノアの背中に向け、今にも泣きそうな表情になった少女は、歌うように声を紡ぐ。


「わたくしの敵」


 ぎゅっと眉間に皺を寄せると、魔女の漆黒のドレスに額を埋めた。


「早く、早く殺さなくては………!!」


 眠たそうにくあっと欠伸をこぼす魔女の背中に張り付いている少女は、壊れてしまったように歪な笑みを浮かべるのだった———。

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