第7話

▫︎◇▫︎


 ———あつい、


 うなされるノアは、カサカサに乾いたくちびるを動かし、譫言のように呟く。

 口の中にひんやりとしたものが流し込まれ、熱湯に侵されたような額に冷たいものが置かれた。


『触らないでッ!!』


 頭の中でぐわんぐわんと舞う母妃の声に、漆黒に包まれた虚空の中でぎゅっと身体を丸めたノアは、何度目か分からないほどに繰り返される悪夢に怯える。


『わ、我のかわ、変わりに、のあ、ノアール、を………!!』


 父王の絶叫と共に発せられるノアを殺せという声に、目尻に涙がたまった。


 ———僕は誰にも望まれない。


 ぽっきりと折れてしまった心の隙間に熱風が入り込み、またノアにあの日の、叛逆クーデターの日の夢を最初から見せる。


 まるで、否、この事件で両親が死んだのはノアのせいであると忘れさせないように、ノアの脳はノアに対して同じ場面を、あの日の両親のあげる絶叫を、何度も何度も聞かせる。


「うぅー、」


 泣いても、怖がっても、苦しんでも、誰もノアの事を助けてくれない。


 永遠にも感じられる悪夢はノアに言う。


『お前が殺した』


『お前は愛されない人間だ』


『お前は悪い子だ』


『お前に関わった人間は皆不幸になる』


 『違う』と言いたいのに、『僕のせいじゃない』と言いたいのに、でも、ノアは自分が見捨てなければ、もしかすると違う道がひらけていたかもしれないと傲慢にも思ってしまう。


「大丈夫だよぉ」


 耳に響く声に『ウソだ!』と呟きながら、ノアは自らを襲う灼熱にぶつぶつと文句を言い続ける。


「あははっ、子どもという生きものは元気なのねぇ」


 ———いたい、あつい、


「泣くと熱が上がるというのにぃ、なんで泣いちゃうんだろうねぇ」


 ———あつい、くるしい、


 口の中に何度も苦いものが流し込まれ、額に当てられるものが何度も何度も交換されるが、ノアの熱さは一向に終わりを迎えない。


 ———僕が悪い子だから、いっつもいっつもこんなに苦しい目に遭うのかな………、


 ぐるぐると襲ってきていた熱がだんだんと柔らかくなり、そして呼吸が落ち着いた。

 それはまるでノアには罰を受ける資格すらもないと言われているようで、ノアにはそれが無性に寂しかった。

 苦しいはずなのに、痛いはずなのに、ノアは家族を見殺しにした罰を受けることを望んでいた。自分を殺そうとした人間を見殺しにしただけにも関わらず、ノアは自分を許せない。民のためには傍若無人な両親を見殺しにすることこそが正しかったと理性は言うのに、血の繋がっている両親を救うべきだったと感情が叫ぶ。


「ごめん、なさい。………ごめん、な、」

「謝らない、謝らない」


 ふわりふわりと頭を撫でられたノアは、なれない感触に首を傾げながら目を覚ました。


「………?」

「おはよぉ」

「………おはよう、ございます」


 ごしごしと目元を擦ったノアは、あたりをくるっと見回した。

 そこは埃だらけの荒屋の中だった。ぎゅっと瞳を擦っていない方の手で布団を握り込むと、ごわっとした感触がした。見下ろしてみるとどこには毛羽だった布地は。どうやらノアは、そこそこ薄汚れた布を幾重にも重ねた場所で寝かされていたようだ。


 ノアのそばには1人の美しき魔女が座っていた。

 安堵しているかのような表情をした魔女は、ノアの額にそのひんやりとした手のひらを触れさせる。


「熱は完全に下がったねぇ」


 額を触れるために挙げられた前髪を手櫛で治されながら、ノアはぼーっとする頭でもう1度周囲を見回す。

 部屋の中はノアが清掃のためにものを全て出したためか何もなく、魔女の横には1つの桶と調薬の道具が並べられていた。


「マジョ、サマ………」


 喉が渇いているせいかガラガラとした声がこぼれ落ちる。


「あららぁ、お水足りていなかったかしらぁ?」


 ノアの身体を起こすために背中に手を入れた魔女は、ゆっくりと上半身をあげさせる。口元に差し出されたコップは優しく傾けられ、ノアの口の中にはひんやりとした甘みのある水が流し込まれる。


「!?」

「果実水よぉ。飲んだことないぃ?」


 うんうんと頷いたノアは、少し隈が薄くなった目元を輝かせ、こっくりこっくりと果実水を飲み干す。


 ———王妃殿下が好きだって言っていた果実水は、こんなにも美味しいものだったんだ………!!


 幼い頃、ノアは何度かメイドに果実水を飲んでみたいと頼んだことがあった。母妃の侍女が、母妃は果実水を好むというお話をしている場面を目にしたことがあったからだ。けれど、ノアの願いが叶えられることはなかった。


『こられは全て王妃殿下のために用意されたもの。王太子殿下のためのものは一口たりとも存在しておりません』


 いつも門前払いだったし、時には母妃に泥棒だと嘲笑われることもあった。

 でも、ノアはいつも母妃が望み、好きだと思うものを飲んでみたいと、そのおいしさに共感してみたいと願っていた。


 ぽろりとノアの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。


「あららぁ?美味しくなかったかしらぁ?」


 魔女の慌てたような言葉に、ノアは首をぶんぶん振る。


「美味しい、です」


 魔女に支えられて持っていたコップを幸せいっぱいに見つめたノアは、魔女と出会ってからの幸せを噛み締める。


 魔女はノアの欲しかったものを与えてくれる。

 何かを言ったわけでも、欲しがっているようなそぶりを見せたわけでもない。それなのに、魔女はノアが望むことをしてくれる。


 ———《魔女》だから、僕の欲しいものがわかるのかな?


 魔女にコップを傾けてもらいもう1口果実水を飲んだノアは、けれど次の瞬間はたっと気がつく。


「っ僕、どのぐらい寝ていましたか!?」

「んー、1週間ぐらいぃ?」


 ノアは頭からちがさぁっと抜けていくのを感じた。


 ———1週間眠っていた。つまり、1週間お部屋の中の荷物を雨晒しにしたということ………!!


 慌てたノアは起きあがろうとするが、失敗して床に崩れ落ちた。


「あらあらぁ、もう少し寝てなきゃダメよぉ」


 魔女によってお布団?の中に戻されたノアが無事に起き上がることができたのは、それから約3日後のことであった。

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