第6話

「おかえりぃ」


 魔女の呑気な言葉と一緒に迎え入れられたノアは、このままでは自らの命と尊厳を失ってしまう事を察し、緊張によってカチコチになった身体で魔女と向き合った。


 人間、やればなんでもできるはずだ。


「………このお家に僕が触ってはいけないものはありますか?」

「ないよぉ。ただ、危ないものは多いからぁ怪我しても保証はしないわぁ」

「分かりました」

「ここでは誰もお前のことを縛らないからぁ、ノアのやりたい事をやりたいようにやってぇ、好きに過ごすといいわぁ。わたしもお前がどう過ごそうがどうでもいいしぃ」


 魔女の言葉に頷いたノアは、先程抱いた緊張は何だったのかと言いたくなるほどの脱力感を覚えながら、魔女に背を向け部屋をぐるっと1周見渡す。

 見渡す限り本で溢れかえっている荒屋の中には、先程の地獄のような食事同様に旅人からもらったものだろうか多くの異国情緒あふれるもの、歴史的価値が高そうなものはもちろんのこと、純度の高そうな宝石たちが無造作に置かれている。

 その中から目ざとく掃除道具とノアでも着ることのできそうな服、そしてそこそこの大きさの布を見つけ出したノアは、それを手に取る。


 ———借りは借りたままにしない。


 ノアはぎゅっとくちびるを結び、服を着替える。


 ———大きい………、


 白いシャツは内側に深緑のチェックが入っていて、内布とお揃いの生地で仕立てられたスラックスには黒いサスペンダーがついていた。

 白いシャツの袖を捲り上げ、ズボンの裾を折り返したノアは、ぎゅっとサスペンダーを勢いよくあげる。

 様になっているとは言い難いが、先程の血だらけパジャマよりはマシだろう。


「………井戸はお手洗いの時に確認した。井戸水の汲み方は本で読んだことがある。お掃除の基本はまず物を捨てること」


 本の中の知識を復唱しながら、ノアはどこから手をつけるべきなのかにも見当がつかないくらいに汚れ切った荒屋の状況に僅かに途方に暮れた。


「………魔女さま、お掃除をします。捨ててはいけないものはありますか?」

「ん〜、本はその都度聞いて欲しいけどぉ、それ以外は基本いらないわよぉ」

「分かりました」


 たった2日、されど2日。

 王宮の外に出て約48時間でノアはだいぶ図太く、たくましくなったようだ。


 魔女の許しを得たノアは、一切の躊躇いなく絶対にいらないであろう物を荒屋の外へと出していった。


 腐ったパンや野菜、賞味期限切れの保存食を筆頭に、食べ物類は全て外に出した。

 ものすごい悪臭に襲われながらも、ノアは決してへこたれなかった。


 というか、ここでへこたれてしまうと自らがこれから住むお家がずっと臭いという地獄を味わうことになる。どうせ掃除することになるのであれば、一気にやってさっさと終わらせ、できうる限り早く人間としての生活が送れそうな空間を作り上げたい。


 次に、ノアは布の類を荒屋の外に出す。

 飛ばないように荒屋の本を全て出すついでに布の上に重ねていったノアは、まだ半分も片付けていないのにも関わらず、黄昏に染まった夕空に黒い鳥が羽ばたいていることに驚いた。


 ———これは夜通しになりそうだな。


 荒屋の外に興味深そうな顔をしてできた魔女がにこにこと笑ったまま、荒屋近くの切り株に座ってノアのやる事を眺めていることに気がついたノアは、ジト目を魔女に向けたのち、作業を再開した。


 いつの間にか置いてあった脚立や踏み台を利用して、本棚に入っている本や調薬の道具や材料、そして不穏な空気をぷんぷんとあげている変なものも含めてノアは荒屋の中にあったもの全てを外に出した。


 土人形が片手をあげて笑っている置き物の近くに座り込んだノアは、その緊張感のない且つ気楽そうな見た目にイラッとした。


 身体中が重たい。

 一昨日からずっとノンストップで動き続けて、気を張り続けているからか、ノアの身体はぽかぽかしているし、何よりもくたくただ。指の先さえも動かしたくない。


 くらっとした意識に身を任せたノアは、次の瞬間雑草が繁茂している荒屋の前で、意識を失ってしまった。


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