第4話
▫︎◇▫︎
深い深い森の中を魔女と手を繋いで歩きながら、ノアは心の奥底から悩んでいた。
———本当に、これでよかったのかな………?
先程、ノアは魔女にこう言った。
『僕はもうお家には帰らない』と。
魔女はこう言った。
『ならぁ、わたしの巣においでぇ』と。
もしかしたらこの先には最悪が待ち受けているかもしれないのに、ノアはこの魔女の後をほいほいと追っている。
森はだんだんと深さを増し、薄い緑から鮮やかな緑に、そして今はとても深い緑の森を歩いている。
ガサガサと木々が立てている音が怖くないと言えば嘘になるし、本当は今この瞬間も全てが怖い。自分のことでさえも、ノアは怖いと思っている。
———でも、僕にはもう道なんてない。
ノアに残されている道はこの森の中で野垂れ死ぬか、この森の中で魔女と共に生きるかだ。
ノアたち王族を守って誇り高く死んだ騎士はノアに言った。
『にげろ』と。
つまり、彼はノアに『生き残れ』と言ったのだ。
ノアは逃げて生き延びた王族として、国の繁栄のために密かに力を蓄えていかねばらない。
国家を簒奪した叔父から時期を見て王位を取り戻すために、ひっそりと息を殺して、ありとあらゆる力を身につけなければならない。
———そのためには、人智を超えた力を持つ《魔女》の力が必要になる。
ノアは人間の信用に足りないところを多く見てきた。
だからこそ、“嘘をつくことができない”という欠陥を持つ魔女を味方につけることが、1番信用に値すると思った。
———魔女の伝説がどこまで当てになるのかなんて分からない。でも、僕の直感は魔女を味方につけた先の未来に希望を見出している。
今回叔父に、新国王に寝返った人間なんて信用ならない。
そうなると、ノアには味方が一切いないのだ。
何故ならば、叔父に意見をした貴族はどんなに些細なことでも皆殺されているから。
今、貴族は大商人で叔父のことを表立って支持していない家は、辺境に領地を持ち、そちらで暮らしている貴族や1代限りの男爵家、そして世界中に拠点を持つ大商会が多い。
つまり、味方につけたとしてそこまで役に立たない一族ばかりなのだ。
足場の悪い獣道をふらふらとしながら歩くノアは、道が唐突に歩きやすくなったことを感じながら、若葉色の瞳が映した光景に目を見開いた。
「???」
ノアの視線の先にあるのは、見たことのないような恐ろしい家、否、家とも言えぬ粗末な建物。
漆黒ので赤錆まみれの家は多分、王宮のノアの部屋の大きさにも満たない。
———犬小屋?
ぱちぱちと瞬きをしたノアは、そう自分に言い聞かせることにして再び周囲を見回した。
けれど、目の前にある犬小屋のような大きさの建物以外には、一切の建物が存在していない。
呆然としているノアの隣から、魔女にころころと笑う声が聞こえた。
———………やっぱり世間知らずをバカにされてたんだ。
バカにされてほんの僅かに抱いた反骨心も、今にも崩れ落ちてしまいそうな家に住まなくて済むということへの安堵で消え去った。
小さく吐息をこぼしたノアに、艶やかに笑った魔女は言った。
「ほぉうら、今日からここがお前のお家だよぉ」
「………………、」
無表情でピシリと固まったノアの頭上には、呆けた顔をして白目を剥いている白く透けたノアの上半身が風に吹かれるようにして浮かんでいた。
「あれれぇ?ノアぁ?」
魔女の呑気な声が聞こえた次の瞬間、ノアの顔の前で魔女の手がぶんぶんと振られる。
ノアは、数秒ののちに意識を取り戻した。
「え、………コレが、お家………?」
教育係に教えられた物や人を指差してはいけませんということを完璧に無視したノアは、驚愕を顔面に貼り付け、震える指で家とも言えないような荒屋を指差した。
「そうだよぉ」
特段何かを気にすることもなく、魔女は何事もなかったかのように荒屋の中に入っていく。
扉を開けた瞬間になったグギギギュルギーっという扉の悲鳴に目を見開き、扉を完璧に開け放った瞬間に鼻腔をくすぐったこの世の臭いもの全てを詰め込んで煮詰めて発酵させたかのような匂いに微笑みが崩れ、若葉色の瞳が写す世界にどよんとした空気の流れるゴミ屋敷が映り込んだ瞬間に、ノアは苦渋に満ちた表情となってしまう。
———僕、選択を間違えた気がする。
ヒクヒクと震える口角を気にする余裕もなく、あまりの臭さと目への攻撃力から流れ出始めた涙と鼻水をパジャマの袖で拭いながら、ノアは時がすでに遅かったことを悟る。
「さあさあ入ってぇ〜」
魔女に背中を優しく押される。
腐臭がぶわっと鼻の中に広がり、目の中いっぱいに埃が入り込む。吸った息は砂っぽくて口の中がしゃりしゃりする。
———僕、生き残れるかな?
ノアの心の中からは先程までの苦しみや迷いが抜け、ただただ純粋なる心配に包まれていた。
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