勇者と魔王帰還する 3

 そりゃあ、また遊びに来いとは言ったさ。


 磨上に。俺だって何時でも家に遊びに来れば良いとは思っていた。それは本当だ。


 でも毎日入り浸るようになるとは思っていなかったよ。ちょっと待ってくれ。


 そう。あれから磨上は毎日のように俺の家にやってきて上がり込み、夕食まで一緒に食べるようになったのだ。なぜだ。どうしてそうなった。


 磨上はあれ以来、当たり前のような顔をして俺と帰宅して、俺の家に乗り込んで来るようになったのだ。そして、リビングで母親と妹と楽しく話し込むか、俺の部屋で勉強会をするかして、夕食を俺の家族と一緒に摂り(親父が帰宅すれば親父も一緒に)、そして食後にもひとしきり談笑した後、俺がマンションまで送って帰って行く。


 ……母親曰く、磨上の両親は帰りが遅く、または帰って来ない日も多いため、夕食は一人で宅配かインスタント食品を食べているのだそうだ。なるほど。下校途中に買い食いをしたがった理由がよく分かった。確かに、俺の家で食事を一緒に摂るようになってからは買い食いをしなくなったからな。


 そんなの可哀想だ! と義憤に駆られた母親が、磨上に毎日家で食事をするように勧めたらしい。……そういう事情では余計な事をするなとも言い難いよな。


 実際、磨上は家で食事をする時は楽しそうで、母親の食事の支度や後片付けを手伝う様はまるで新妻のよう、って、アホか。何を考えてるんだ。兎に角、表情も魔王とは思えないほど柔らかくて、家の家族とも馴染んでいた。


 そういう状況を見てしまえば俺は怒ることも出来ないんだけど、全て計画通り、という顔でニマニマと笑う磨上の顔が気に障るんだよ。


「流石は其方の家族だな。お人好しじゃ」


「お人好しで悪いのかよ?」


「勿論、悪くなど無いとも。お陰で我は助かっておるからの。カズキの家族らしくて良いではないか」


 家の家族達はすっかり磨上を信用しているけど、こいつの本質は魔王だからな。基本的にこいつは人間の事をなんとも思っていない。自分の障害になると感じれば、何のためらいも無く消滅させることだろう。


 同時に、磨上は義理堅くもある。前回の異世界転移の時、明らかに気乗りがしなそうだったのに、彼女は勇者として戦った。アレは俺や神原という仲間への義理からだったのだろう。一人で転移していたら簡単に魔の方へと寝返っていたに違いない。そして世界をあっさり滅ぼしただろう。


 そういう意味で磨上は一宿一飯の義理を無碍に出来るタイプではないので、こうして夕食を与えていれば、例え磨上がこの世界を滅ぼす気になっても家の家族だけは無事になる可能性は高い。まぁ、そんな世界に残されてどうするんだ、という話ではあるけど。


「無事に両親とも仲良くなった事だし、そろそろ良いのでは無いか? ん?」


 と俺の部屋で身体を擦り付けてくる磨上。……出来るか。こんな所で。というか、迂闊な事を言うな。隣で妹が、階下で母親が、この部屋の物音に耳を澄ましているに決まってるんだからな。俺が、その、うっかり磨上に手を出そう物なら妹がこの部屋に突撃してきて俺は縛られて、今晩は家族会議だろう。磨上を最初に連れてきた日の晩だって追求が酷かったんだからな。何処で出会ったのか? いつから付き合ってるのか? とか。まさか異世界で出会って滅ぼされました、とは言えないからもの凄く困った。


「ご両親は我と其方がねんごろになる事については、何の異存も無さそうであったぞ?」


「それはそうかも知れんけど、常識の範疇内なら、という話だろうよ」


「最近の高校生は進んでいると聞くがな?」


「親の常識はそこまで進んでないだろうよ」


 そうは言いながら磨上は俺の家ではそれ以上の誘惑行為には及んで来ないのだから彼女なりに節度を弁えているのだろう。あんまり淫らな行為に及んで家への出入りを禁止されたら困ると思っているのかも知れない。


 ……親や妹が「早く洋子さんを完全に捕まえてしまいなさい!」「洋子さんを逃したら承知しないわよ!」「洋子さんはもう家の嫁なんですからね! あんただけじゃなく!」と暗に関係を深めるようにけしかけてきているのは内緒にしておこう。


 磨上のお陰で定期試験は結構良い成績も取れて、その意味では俺は磨上に非常に感謝していた。というより、俺はすっかり磨上に慣れてしまい、同級生として、そして非常に仲が良い相手として、磨上の存在を好ましく思っていた。魔王であるという恐ろしさを除けば、磨上は超美人で性格も良い優等生だからな。一緒にいて話をすれば楽しいし、家で一緒にワイワイ食事をすればもう何となく家族じみた距離の近さまで感じていたのだ。


 男女関係としては……。どうなのか。俺にはまだよく分からなかった。俺だって好きになった女性はこの世界、異世界を問わず何人かいたけど、彼氏彼女として付き合った事はなかった。だから深い意味が無い範疇では、磨上の事は好きなんじゃないかなと思う。軽々に好きだなんて言ったら怖い相手ではあるけども。少なくとも一緒にいて居心地の良い相手であり、頼りになる家庭教師であり、異世界で一緒に戦った仲間なのだから嫌いな筈は無い。


 男女関係に踏み込むのは、勇者と魔王の関係上、怖いけどな。いつ異世界で対決する関係になるか分からんのだもの。出来ればそんな事は起こって欲しくはないけど。だが、もしも勇者と魔王で分かれて召喚されたなら戦いを避ける気は無いし、次は絶対に俺が勝って世界を救ってみせるとも。そんな覚悟をしていればどうしても磨上の誘惑に乗って一線を越え、彼氏彼女の関係になる事はためらわれたのだ。ヘタレと言わば言え。


 つまり、今の関係が俺には心地良かったのだ。このまま、ずっとこのままなら良い。と俺は思うようになっていた。


  ◇◇◇


 兆しは、思えば随分前からあったのだ。磨上が家に来るようになる前からだな。


 三年生になる前という事で、進路指導の時期になり、親を呼ばれて三者面談というのが行われた事がある。俺も母親と担任と面談した。俺の成績は磨上のお陰で結構上がっていたので、中堅クラスの大学には入れそうという話だったな。母親は息子の成績上昇を喜んで、もう少し上の一流私立か地方の国立大学を目指せと俺を激励していた。無茶振りだ。


 この時、磨上の親は来なかったようだ。まぁ、次期社長の磨上の父とその補佐をしているという母親は非常に忙しく、磨上と会うタイミングもあまり無いという事だったからな。それで磨上一人で面談に及んだものらしい。磨上くらいしっかりしていれば大丈夫だろうと俺は気にも留めなかったのだが、翌日、困った顔の担任から俺は相談を受けた。


「浜路くん、あなた、磨上さんと親しいのよね? ちょっと磨上さんと話してもらえる?」


 担任にまで公認される男女関係というのはどうなんだろうか。磨上は交友関係自体は広いのだが、親しいと言えるのは俺だけのようなのだ。そういえば、磨上と学校外で遊んだり出掛けたりした、という話は他の女生徒からは聞かないな。休日に街中まで出掛けようと熱心に誘われても、磨上は必ず断っていた。


 ちなみに俺は休日に磨上に呼び出されて買い物に付き合わされたり、家まで呼ばれたりしていた。それが知れ渡って「そりゃ、彼氏と出かける方が良いよね」と磨上が誘われる事は無くなったようだ。俺は上手い盾に使われたというわけだな。


「なんですか?」


「うん……。あんまり他の生徒に言う事じゃ無いんだけど」


 担任曰く、面談に来た磨上は全く白紙の希望進路書類を出したらしい。担任は驚いて意図を確認したらしいのだが、磨上は「特に今は希望が無いんです。その時になったら考えます」などと言っていたらしい。


「そりゃ、磨上さんの成績なら、一流国立大学でも余裕で行けると思うのよ? でもそれならそれでそう希望して貰わないと……」


 生徒全員の希望進路を把握して、学校として管理したいのだろう。それによって指導方針が変わってくるからな。一流国立大学に行く筈の磨上がある日突然「家から近いからそこの私立大学が良い」などと言い出すと、そこに推薦するはずだった生徒が一人行き場を失う事にもなりかねない。そういう事を防ぐには、生徒全員の進路を早期に把握して、調整する必要があるのだ。


「どうも事情がありそうだったんだけど、言ってくれないのよ。彼氏のあなたなら聞き出せるんじゃない? お願い出来る?」


 彼氏じゃないし、磨上が本気で隠したら無理に引き出すことなど出来ようもない。韜晦の巧さは長年魔王をしている磨上の方が遙かに上だろうからな。それを俺が見抜けるとは思えない。


 しかし、女性教諭である担任があまりに困っているのを見て、俺は承知するしかなかった。俺は勇者だからな。困った人は見過ごせない。


 俺は磨上に担任が困っている旨を伝えて、事情を聞いてみた。磨上はハンバーガーショップでポテトを囓りながら嫌そうな顔をしていたな。


「なんで我が其方にそんな事を言わねばならぬ?」


「俺だって聞きたくはないけど、担任が困っていたからな。一応でいいから一流国立大学に行く、とでも言っておけば良いんじゃないか?」


 磨上は不機嫌そうにストローでズズズっとコーラを吸い上げ、暫くなにやら考えていたが、やがて俺に辛うじて聞こえるくらいの声量でポツリと言った。


「意味がなかろう」


 暗い声だったな。俺は驚いたけど、黙っていた。


「仮初めの世界。仮初めの人生。仮初めの戦い。そんな世界で将来を語ることに何の意味があろうか。先の事など、考えたくも無い」


 ずっしっとした、重みを感じる声だった。なんだろうな、この重みは。人生の重み? そんな声だった。


 俺も異世界で何年も戦っているから、精神年齢はもう三十歳は軽く超えていると思う。それに勇者である俺は結構濃密な人生を送ってきているから、この世界で普通に生きている人間とは比較にならない人生経験を積んでいると言える。


 その俺でも把握出来ないくらい、磨上の言葉は重かったな。軽々に返事が出来ないほど。俺は思わず、どこか遠くを眺めているような磨上の美貌をジッと見詰めてしまっていた。その視線に気が付いた磨上は嫌そうに目を細めると、吐き捨てるように言った。


「担任には適当に言っておくが良い。其方の提案通りで構わぬ」


 それから直ぐに俺の家に磨上が入り浸る事になったのだが、ある時、リビングで談笑中に母親が磨上に尋ねたのだった。


「洋子さんは何処の大学に行くの? 洋子さんの成績なら一流国立でも普通に入れるでしょう」


 その瞬間、ピリッと場の空気が凍った。口に出した母親が驚くほどの変化だった。磨上の顔が不自然に固まり、すぐには返事がない。同じソファーの直ぐ横に座っていた俺は慌てて磨上の背中を軽く叩いた。魔力でも漏らされたらえらいことだ。


「そ、そうだよな? たしかそうだって言ってた」


「そ、そうなのね。凄いわね、おほほほほ……」


 母親も慌てて話を無かった事にした。どうやら磨上に進路の話は鬼門だと気が付いたようだ。磨上は誤魔化す俺と母親を見ながら沈黙していたが、やがて固い口調で言った。


「……外国へ行く事になるかも知れません」


「外国?」


「親は、外国の大学に行って欲しいようなので」


 そりゃ、スケールがでかい。国際的だ。でも考えてみれば、磨上は最近まで外国で生活していたのだから、別におかしな選択でもない。磨上の成績なら、アメリカの一流大学でもイギリスの伝統校でもいくらでも選び放題だろう。


「そ、それは凄いわね! で、でも洋子さんがいなくなったら寂しいわ。私は日本にいて欲しいかな? 勿論、洋子さんの希望が第一だけど」


 母親の言葉に、磨上は曖昧に笑っていただけだった。どう見ても外国の大学に行くことに対して乗り気ではなさそうだ。うーん。俺は外国には行ったことが無いし(異世界には行ったことがあるのにな)外国の大学がどんな所かなど知らない。だから行けば良いとも悪いとも言い難い。


 その日の帰り道、磨上なにやら考え込んでいた。いつも自信満々な微笑みの磨上が、どうも頼りない風なのだ。珍しい事もあるものだ。そう思いながら横目で見ていると、磨上が俺をギロっと睨みながら言った。


「カズキは、どうすればいいと思う?」


 何の話かと俺は考えて、どうやら進路の話だと思い至った。


「外国の大学に行くかどうかという話か?」


「そうじゃ」


 ……そんな事を俺に聞かれてもな。暗い夜道で立ち止まって、俺は腕を組んで考え込んだ。う、うーん。


 磨上にとって国内の大学に行くのが良いのか、それとも外国の大学に行くのが良いのか。なんて事は分からん。無理だ。情報が足りな過ぎる。俺はそもそも、国内の大学に進学したとして、そこで何をするかも知らんのだもの。外国のそれなど想像を絶している。どっちに行った方が磨上に有益だなんてアドバイスは出来よう筈も無い。


 そうだな。磨上にとってどうだという話は俺には出来ない。だから、俺はどう思うかという話しか出来ないな。磨上が外国の大学に行ったら俺はどうなんだ? そうしたら容易には会えなくなるよな。そうしたら……。


「磨上が外国に行ったら寂しいな」


 ポロッと出てしまった。言ってから俺はちょっと慌てた。誤魔化すように付け加える。


「そ、それと、外国に行っちまったら、お前が何をしでかすか分からないし、それに俺の成績も下がってしまうだろうし、えーっと、それとだな……」


 あたふたと言い募る俺を磨上はニンマリ笑って、魔王スマイルで見ていた。そして俺の脇腹を指でブスブスと刺した。


「そうかそうか。我がいなくなったら寂しいか。ん? カズキよ。なんだかんだ言って我を必要としておるのじゃな? 其方も。嬉しいぞ」


「そ、そりゃ、家庭教師としても仲間としても、必要は必要だとも! あ、当たり前だろう?」


 開き直って言い放った俺の言葉に、磨上は妙に嬉しそうに何度も頷いていた。


 その日以来、磨上の進路についての話を聞くことは一切無かったな。磨上にとって話題にしたくない話である事は明白で、そして進路とは往々にして本人では無くて親が決める。必ずしも磨上の希望通りになるとは限らないだろう。本人の意図と違う結果になる可能性もある。もしもそんな結果になっていたら話したくはないだろうと思うと俺も話題にし辛かったのだ。


 そして俺も多分、内心で恐れていたのだ。磨上が外国に行ってしまう事を。容易には会えなくなってしまう事を。だから磨上に進路の話を聞かず、磨上がいなくなってしまうかも知れない可能性から目を背けていたのだ。


 そして、三月になりもう少しで俺たちは三年生になるというそのタイミングで。


 磨上はこの世界から消え失せたのだった。

 

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