勇者と魔王帰還する 2

 元の世界には色々良い所はある。


 飯が美味いのはそうだし、ベッドも異世界のそれとは寝心地が比較にならない。エアコンで暑さ寒さに悩まされる事もないし、シラミだとかノミだとかもいない(魔法で防御出来るようになるまでは結構大変だった)。


 もちろんだけど魔物がおらず、夜に安心して寝られるのも利点だ。異世界で魔物に怯えずに寝られるのは王都くらいなのが普通なのだ。


 なので俺は生まれた元の世界が好きだ。異世界で不便を感じてからはより好きになった。昔は良かったとか江戸時に戻るべきとか言っている奴は一回異世界の農村に叩き込んでやりたい。腹を壊さず飲める水と清潔なトイレがどれほどありがたいか、実感させてやりたい。


 反面、毎日早起きして学校に通い、そこで受けたくもない授業を受けて勉強し、あまつさえテストの点数で順位付けされるなんてのは、異世界には無い悪しき部分だと思う。


 学校の勉強など生きて行く上でそれほど使うアテも無いのであるから、そんなものはせずに大人になったらいきなり仕事に関する経験を積む事になるらしい異世界の方式の方が正しいんじゃないかな。


「また馬鹿な事を言っておるな。カズキは」


 俺がぼやいていたら、隣を歩く磨上が冷たい顔で俺を睨んだ。


「異世界の連中は、学びたくても学べないのだぞ? 子供は親の職業を継ぐのが義務じゃ。親が樽作り職人なら樽作り職人、牢獄の門番なら牢獄の門番になるしかない。其方はそんな未来が納得できるのか?」


 ……確かに、選択の余地がないのは嫌かなぁ。ある意味楽ではあるんだろうけど。


「其方は異世界では勇者として良い思いをしておるから、異世界を美化しているだけじゃ。異世界にこの世界よりも優っている部分など一つもあるものか」


 そりゃ随分極端な意見だな。あるよ。異世界にも良いところは。俺的には魔法やスキルを使い放題な所はいいと思う。この世界でそんな事をしたら大騒ぎになるし、磨上の話では魔力感知に引っ掛かり易くなって、すぐに異世界召喚されてしまう事になるらしいからな。


 俺がグズグズブーブー文句を言っているのは、定期テストが近いからだった。磨上との勉強会のおかげで俺の成績は上がってはいたが、それでもテストはテストで憂鬱であるのは間違い無い。年を越して俺たちはもうすぐ高校三年生。そうなると進学の事も色々決めなきゃいけないしな。


 磨上はぶっちぎりの優等生で、そろそろ行われる生徒会選挙で、生徒会長に推す動きもあるようだ。魔王としての統治経験豊富な磨上なら簡単にこなしてみせるだろうけど、うちの高校を魔界にされても困る。


 俺と磨上がこの世界で出会ってから、もうかれこれ四ヶ月。異世界で一緒に旅したのを含めれば付き合いは十ヶ月近い。いいかげん。おれは磨上に慣れ、周囲も俺と磨上の関係に慣れたようだ。いや、そっちは慣れられても困るのだが。


 つまりは、俺と磨上は理由はよく分からないがカップルであり、付き合っていて彼氏彼女の関係なのであり、全然お似合いではないけどもいつも一緒にいる関係なのだ、とクラスメートも学校の他の連中も認めたのである。


 うちの高校や地域のガラの悪い連中が、なぜか磨上と俺を恐れている、という噂も広まっているようだった。まぁ、いつもは我が物顔で駅前とかでたむろしているあいつらが、俺と磨上が通りかかると慌てて逃げて行く訳だからな。


 そんな感じで、俺と磨上は学校中の公認を受けた状態で、昼食は一緒に食べるし、毎日一緒に帰るという、客観的に見るとそれってリア充そのものですよね? という関係になっていたのだった。


「ふむ。そろそろ関係を進めても良いのではないかのう? カズキよ」


 磨上は俺の腕を抱いて豊満な胸を押し付けつつ、俺の尻に手を伸ばしてきた。尻を揉むな尻を! それでもこいつの倫理観の爛れっぷりからすると控えめなお誘いであるからすごい。異世界では何度か夜這いを喰らって組み伏せらたからな。


「この我の誘惑を跳ね除けられるなど、おかしいのではないか? 不能か? 其方」


 やめろ! 前はやめて! 危ないから! 不能じゃなくて危ないから! 暴発したらどうするんだ! 正直、磨上の甘い匂いを嗅ぎながらの、彼女の胸の感触はもう色々限界でやばいんだから!


 俺はなんとか磨上の手を防御して引き剥がした。磨上は異世界から帰って以来、こんな感じで俺をガンガン誘惑してくるのだ。人前でも結構お構いなしで。くくくっ……結構辛いのだ。若い健全な男子高校生としては。


 ただ、磨上の家で二人きりで勉強会をしていて、押し倒された事はないな。磨上の能力で本気で押し倒されたら、俺は抵抗出来ないと思うんだけど。


 してみると、やはり磨上は本気で俺に迫っているのではないんだろう。迂闊に俺がその気になった瞬間に態度が豹変して「我が其方などに懸想する筈がなかろう。思い上がるでない」と怒られるパターンだろうな。そしてその事を餌にして俺を魔界へと引き摺り込むつもりなのかも知れない。


 そ、その手には乗らないぜ、俺は勇者だからな!


「ふん。ヘタレ勇者め」


 磨上にはそう一刀両断にされるけどな。悪かったな! ヘタレで悪かったな!


 その日は駅近の磨上の住んでるタワマンまで来てお別れの筈だった。今日は家に親がいるからという事で勉強会は無しになったのだ。


「不安じゃのう。カズキは家に帰っても勉強せんのじゃろうからのう」


 失礼な。流石に定期テスト前の今はやってるよ。……多少は。心配なのは俺も心配ではある。一人で勉強するよりは磨上と勉強した方が覚えがいいのは間違いないからな。


 それと、ちょっと気になる点があった。磨上は勉強会をしない時、つまり今日のようにこのマンション前で別れる日は、結構あっさりと俺の腕から離れ「じゃあの」と言ってマンションの中に歩き去って行くのが普通なのだ。


 それが何だか今日はグズグズしている。帰りたくないという感じで俺の腕を掴んだ手がなかなか離れない。


 そういえば。俺は思い出すが、親がいるから、という理由で勉強会が無くなったのは初めてだったかもしれない。もしかして……。


「帰って親に会いたくないのか?」


 俺が当て推量で言うと、磨上が珍しくギクっと身体を震わせた。表情が少し強張っている。いつも余裕のある磨上がそんな顔をするのは本当に珍しい。


「……もしかして、あんまり親と話した事がない?」


「……本当に、余計なところでは勘が鋭いのう。お主は」


 磨上は俺をギロっと睨んだが、俺の言葉を否定はしなかった。


「いつも、親が帰ってくる頃には我は寝ておるからな。朝も親の方が早い。会話なぞ、ほとんどない」


 ……こんなタワマンに住むんだから、磨上の両親もお仕事大変なんだろうな、と思っていたけど想像以上だった。それが珍しく早い時間に帰宅しているので、親と顔を合わせなければならないので気詰まりらしいのだ。


 うーん。と俺は考え込む。普段会話が無いんだから、珍しい機会にしっかりと話をして親とコミュニケーションを取るべきではないか? と思うと同時に、珍しく弱みを見せた磨上がなんだか可哀想で、なんとかしてやりたいという気もする。何せ俺は勇者だから、弱い者に弱いのだ。


 散々考えた末にだが、俺はうっかりこう言ってしまった。


「帰りたく無いなら家に来るか?」


 その瞬間、磨上の目がギラっと輝いた。


「行く!」


 ……まずった。これは絶対にまずった。


  ◇◇◇

 

 一度言った事は撤回出来ず、俺は磨上を連れて磨上の家から十分ほど先の俺の自宅に帰るハメになった。どうしてこうなった。


 磨上は非常に機嫌が良かった。足取りが弾むように軽い。


「ようやく其方の家に行けるのじゃからな。楽しみじゃ」


 そんなに面白いところじゃないぞ、俺の家は。普通の郊外の一戸建てだ。磨上の自宅の高級タワマンの方がよほど凄い。


 二階建ての何の変哲もない住宅。庭なんて程んど無い。異世界の農家の方が三倍くらい大きい。しかし、磨上は「ほほう、立派な家ではないか」と褒めてくれた。


 ここまで連れて来ておいてなんだが、気が重い。俺の母親は今どき専業主婦だし、中学三年生の妹はこの間部活を引退したから家にいるはずだ。つまり、母親と妹がいる家に磨上を上らせなきゃいけない。


 これは気が重い。普通の同級生を連れ帰るのでもそうなるだろうに、ましてや相手は磨上だ。スーパー美人にして優等生の。何を言われる事やら。


 しかし期待に目を輝かせる磨上に「やっぱり帰ってくれ」とは言えんわな。俺は仕方無く自宅のドアを開いた。


「……ただいま……」


 そーっと玄関に入る。できれば母親と妹には遭遇せずに、このままこっそりと二階の自室に入り込む作戦である。それはそれで女の子を自室にこっそり連れ込むの図でかなりやばい絵面のような気もするけども。


 しかし、計画はいきなり頓挫した。ちょうど妹が台所からジュースのペットボトルを持ち、スナック菓子の袋を開けようとしながら出て来たところに鉢合わせてしまったのだ。妹が短いポニーテールを振って俺の方を見た。


「ああ、おかえり兄貴。おやつ、台所にあるから……」


 妹の言葉が不自然に切れる。その視線が俺の横を通過しているのが分かった。嗚呼……。


「お邪魔します。妹さん? カズキ君」


 他所行きの声色で磨上が言った。誰がカズキ君やねん。


 妹の目が限界まで見開かれ、唇が震えだす。そして遂に、妹の口から金切り声が放たれたのだった。


「お、お、お兄ちゃんが! 彼女連れてきたー!」


 ……三年ぶりくらいのお兄ちゃん呼びである。それはどうでも良いが、俺と磨上は叫び声を聞きつけて飛び出してきた母親によって即座にリビングに通された。な、なんでリビングに? 


「他所の家のお嬢さんと二人きりで密室に入れられるわけ無いでしょう! 何か間違いがあったらどうするの!」


 と母親に怒られた。誰が間違いを起こすもんか。起こされるならともかく。しかしながら母親は下にも置かぬ扱いで磨上をソファーに座らせ、ジュースを出し、そしてためつすがめつじっくり観察した後、クルリと振り向いて俺に言った。


「本当にあんたの彼女なの? 美人過ぎない? あんたには釣り合わないでしょう。人違いじゃないの?」


 それが我が息子に言うことか。俺はやさぐれたが、磨上は非の打ちどころのないお嬢様スマイルで言った。


「人違いなんかじゃありませんよ」


「あら、そう! へぇ! 和樹、あんたもなかなかやるわね!」


 そもそも問題として彼女でもないしな。


 しかしそんな事はお構いなしに母親と妹は磨上を質問攻めにしていたな。女ってのは遠慮が無いよな。俺は横で居心地悪く座っているしかなかった。


 だけどおかげで横で聞いていた俺にも、磨上の両親が会社経営をしている祖父の後継として数カ国を渡り歩いていて、磨上自身もそれに付いてこれまでほとんど外国暮らしであることが分かってしまったんだけどな。既に帰国子女とは聞いていたけど。


 そりゃ、両親も忙しいんだろう。大きくなるまではホームヘルパーに育てられたらしいので、両親とは精神的に縁遠いのもやむを得ないのかもしれない。


 ただ、それでも磨上はこれまで十七回も異世界に行って、ちゃんと帰って来ているわけだから、この世界に未練がないわけでもないんだろうけどな。


 しばらく話している内に、母親も妹もすっかり磨上の話術に巻き込まれてしまっていたな。そして磨上は俺の幼少期からの人生を聞き出しに掛かった。って、ちょっと待て!


 俺が止めるのも虚しく、母親と妹は磨上に嬉々として俺の小さい頃からの失敗談を語り始めたのだった。やめろ! 小学生の時に授業中に小便を漏らしたとか、側溝を飛び越えようとして足を引っ掛け、前歯をぶつけて折ってしまったとか、俺の黒歴史を磨上に教えるんじゃない!


 母親などはアルバムを何冊も出してきて磨上に見せていた。やめてー! もうやめてくれー! 俺のライフはとっくにゼロだぞ! 磨上はウフフっと悪い顔をしながらアルバムをめくっている。これは、後で俺を揶揄ってやろうと企んでいる顔だろう。


「……随分、怪我をしている写真が多いですね」


 磨上がアルバムを見ながら呟いた。確かに、子供の頃の俺は怪我をしていることが多かったみたいだな。写真に残っている。それを聞いて母親が困ったようなため息を吐いた。


「この子はねぇ、昔からトラブルに巻きこまれる性分でね。何かというと怪我をしていたのよ」


 磨上が不審そうな顔で俺の事を見上げた。俺は肩をすくめる。


「別に悪い事をしてたわけじゃない。轢かれそうになっていた猫を助けて車に跳ねられたり、犬に襲われそうになっていた女の子をかばったりしてただけだ」


 他にもお婆さんの手を引いて横断歩道を渡っていたら、信号無視の原付に跳ねられたり、ひったくりに遭遇して追い掛けたら車に引っ掛けられたりしたのだ。正義感だけは今と同じで強かったんだろうな。


「良く死ななかったね」


 揶揄うようにクスクスと笑いながら磨上は言った。そして副音声でこう言った。


『お人好しは昔からか。生粋の勇者なんじゃのう。カズキは』


 そうかもしれないな。異世界で勇者をやるようになってから、俺はなおさら正義のために生きようと心がけるようになったしな。


 ひとしきり母親と妹と話した後は、しっかり勉強会もやったぞ。母親は感動していたな。


「和樹の成績が上がっていたのは洋子さんのおかげだったのね! ありがとう!」


「あ、兄貴が勉強をしてる!」


 妹は驚愕していたな。おいおい。俺だって一応は勉強はしているぞ? 自分の部屋でな。


 母親も妹も「ぜひ食事をして行って!」と誘ったのだが、磨上は今日は親がいるからと断って帰宅した。母親の命令で一応はマンションの入り口まで送った。必要ないと思うんだけどな。


「良い母上と、妹君ではないか」


 母上と妹君ってガラじゃないけどな。


 もう真っ暗な路地を歩きながら、磨上の機嫌は良さそうだったが、何となく寂しそうにも見えた。俺に、磨上は親とうまく行っていないという先入観が出来てしまったせいかもしれないが。


 磨上はまず弱みなど見せない女なので、それが珍しく自分の家族関係に関しては動揺が見えるのが気になるところだった。魔王らしくない。


 マンションの前まで来ても、いつもみたいにあっさり離れず、グズグズしている。俺は磨上の背中をポンと叩いた。


「珍しく親と食事なんだろう? 頑張れ。うまくやれよ。また家に遊びに来ても良いからさ」


 磨上は頬を膨らませて俺を睨んだ。暗い中でも頬が赤いのが分かる。睨まれているのに恐ろしくはなかったな。磨上に本気で睨まれたら普通の人間なら生物的に死にかねないんだが。


「カズキのくせに生意気な。其方に励まされるとは我も堕ちたものじゃ」


「それは良かった」


 俺の返答に鼻息をフンと吹いて答えると、磨上は俺の背中をバチーんと叩いて、それから黒髪を靡かせてマンションのエントランスに向けて歩き去って行った。

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