魔王を追って 1

 その日は別に変わったこと無く、普通に始まった。


 ベッドで起床して眠い目を擦りながら洗面所で顔を洗い、着替えてダイニングで朝食を食べる。中学三年生の妹はもう学校が終わっていたから、まだ寝てたな。


 学校指定のコートを着込んで学校まで行く。途中、磨上の家があるタワマンの前を通るけど、俺と磨上はまだ一度も待ち合わせて登校したことは無かった。駅前を抜けて坂道を上り、学校に着く。教室に入ってバッグを机の横に引っかけた。


 そこで気が付いた。


 隣の席に女生徒が座っている。それはいい。磨上は女だからな。しかしながら問題なのはその女生徒が磨上では無かった事だ。栗色の髪のセミロング。羽川さんだった。俺はそれを見て暫く考え込んだ。あれ? 席替えなんてあったかな?


 これまでに何度かあった席替えでは磨上が何らかの力を行使したものか、俺と磨上は必ず隣の席、しかも一番後ろの席になっていた。不正を疑う奴がいて、公開でのくじ引きになったのにそれでも結果が変わらなかった。あれほど俺には魔力による不正を戒めていたくせに、これに関しては磨上は涼しい顔で不正をして譲らなかった。


 それなのに、俺の隣の席が替わっている。あり得ない事だった。それに、やっぱり思い出すが席替えなどは昨日に行われていなかった筈だ。


 どういうことなのか? もしかして磨上が席を一時的に貸しているだけなのか? と、思ったのだが、朝のホームルームが始まっても羽川は動かない。というか、ずっと私の席はここですよ、というような顔をしている。そして、磨上が何処にもいない。空いている席も無い。


 俺の心臓はドクンと跳ねた。俺は羽川に尋ねる。


「羽川。その席は磨上の席じゃ無かったか?」


 羽川は不審そうに眉をしかめ、周囲の生徒に確認するような視線を向けながら言った。


「ここは私の席だよ。それに、磨上って誰?」


 あの学校の有名人である魔王をどうして忘れる事が出来るんだよ! と俺は混乱しながらも、羽川と彼女を囲むクラスメートの男女に、このクラスに転校してきた超美人で才女の皮を被った魔王である磨上 洋子の事を説明した。


 しかしながら羽川もクラスメートも、全員が首を横に振った。


「知らない。誰それ」


「聞いた事も無いわねー。そもそもこの一年、転校生なんていなかったじゃない」


「いいねぇ、美人の転校生か! ロマンだな!」


 ……一体どういう事なんだ。俺は極めて混乱して、クラスの全員、一人一人に磨上の事を聞いてみた。答えは――誰も知らない。一人として覚えていないどころか、そんな人居るわけ無い。浜路、頭がおかしくなったんと違うか? と言われる始末だ。


 おかしい。そんな筈は無い。だって磨上は昨日までこのクラスに居たじゃないか!


 俺は自分のスマートフォンを確認した。確か、神原が磨上に携帯の番号を聞いた時に、俺も磨上の番号を登録したはずだ。ついぞ掛けたことは無かったが。


 しかし、無い。磨上 洋子の名前が何処にもない。確かにあの時に登録した筈なのに……。


 俺は愕然とし、呆然とし、混乱した。


 放課後になると俺は久しぶりに一人で下校路を辿った。磨上のマンションの前に来たが、俺一人で彼女の部屋には行ったことが無い。部屋番号ぐらいは覚えているけど。入り口の管理人に言えば良いのか? と考えながら、結局マンションはスルーして、俺はそのまま帰宅した。


 リビングには妹と、母親が並んでソファーに座ってテレビを見ていた。


 俺は二人の前に駆け込んだ。「兄貴、テレビが見えない!」と妹が言ったが、無視する、俺は叫んだ。かなり俺にも余裕が失われていたからな。


「磨上 洋子を覚えているか!」


 昨日もこの家に来て晩飯を一緒に食べて、そのソファーで妹と磨上はじゃれ合っていたじゃないか。覚えていない筈はない。


 しかし、何としたことか。妹と母親は顔を見合わせた後、首を横に振った。


「「知らない」」


 俺は必死に、磨上はこの二ヶ月ほど毎日家に来て、晩飯を食べて帰っていた女生徒だと説明した。もの凄く美人である所とか、俺に勉強を教える事が出来るほど成績優秀だとか、声が綺麗だとか、食べる時の所作が美しいとか、胸が大きいとか。しかし、語れば語るほど二人の表情は曇っていった。妹は不審を極めた口調で言った。


「兄貴の彼女なの? それ。そんな凄い人が兄貴の彼女になんかなるわけないじゃん。イマジナリー彼女じゃなくて?」


 俺は思わず妹の頭にげんこつを落とした。うっかり本気でゴツンとやりそうになり、慌てて寸止めした。


「痛い! お母さん! 兄貴がぶった!」


「落ち着きなさいよ和樹。それでその娘がどうしたの?」


「……もういい」


 俺は諦めて自室に戻った。そしてドアを閉めると、自分の魔力を解放した。


「魔力探知!」


 索敵スキルの一種で、もっと広大な地域の魔力を感じ取ることが出来る。その代わり、微少な魔力は感じられなくなるのだが。磨上はこの能力で海外から俺の魔力を感知したと言っていたが、俺には流石にそんな事は無理で、精々この地方、半径百キロメートルくらいしか感じ取れない。


 それほど遠く無い所に大きな魔力反応があったが、これは色が金色に近いから恐らく神原だろう。磨上にしては魔力が小さすぎるし。俺は丹念に探れる範囲は魔力探知で探り、更にもっと大魔力を(魔王クラス)を感知出来る魔法も使って日本中を探してみたのだが、磨上の反応は感じ取れなかった。


 おかしい。いくら何でもおかしい。俺はベッドにフラフラと腰掛けて頭を抱えてしまった。あまりのおかしさに吐き気を催すほどだ。


 ……落ち着け。これまでの冒険でも、魔族の幻影魔法で混乱させられた事は何回もあったじゃないか。しかし、幻影魔法は所詮幻影。気持ちを強く持っていれば惑わされる事は無かった。基本は、自分を見失わないこと。おかしいと言う事にちゃんと気付くことだ。


 可能性を考えよう。


一、全てが俺の妄想で、磨上なんて女は始めからいなかった。


 却下だ。俺はそこまで妄想に溺れちゃいない。磨上がいないことを信じるなら、俺が異世界になんて行っていない事の方がまだしも信じられる。そしてさっき俺は魔法を使ったから、俺は確かに異世界に行っている。以上。


二、磨上が異世界に行ってしまった。


 それもおかしい。異世界召喚された場合は、帰還術で帰ってきた場合は一秒の狂いもなく元の時空に帰還出来る筈だ。帰還の時空がずれた事は無い。


三、磨上が異世界召喚された挙げ句、勇者か魔王に敗れて存在が消滅した。


 ……これが一番可能性が高そうだ。異世界で敗北して存在が消滅すれば、その人間は無かった事になるだろう。存在は消去され、人々の記憶からは消去され、無かった事になってしまう。有りそうなことだ。


 だが、この仮説にも一つ問題がある。


 俺が覚えているという事実だ。存在消滅のメカニズムは知らないけど、本当に磨上は根本的に完膚なきまでに消滅してしまったなら、俺が覚えているというようなバグが起こる筈がないだろう。なのでこれも否定出来る、としよう。


 となると、最後に考えられる仮説。


四、磨上がこの世界から自信の痕跡を消して、雲隠れしてしまった。


 という説だ。


 磨上はこの世界の事象を操る術を使う事が出来る。それを使えば、この世界に残る自分の痕跡を消去することは出来るだろう。だから恐らく、彼女はそれでクラスメートや俺の家族から自分の痕跡を消したのだ。


 しかし、その術は恐らく俺には効かなかったのだ。


 理由は俺と磨上のレベル差だ。事象を改変するなどという大魔法に制限が無いわけがない。俺には使えない術だから制限の内容は分からないけど、俺と磨上のレベル差では、俺の記憶を改ざんする事が出来ないという制限があったのだろう。それで、俺一人だけ磨上の記憶が残されたのではないか。


 そう考えればつじつまは合う。おそらくはこれが正解だ。だから磨上は間違い無く存在するのだ。


 問題は、磨上がなんだってそんな事をしでかしたか、なのだが……。


 俺は翌日の放課後、磨上の住んでいる筈のマンションに行った。意を決して、マンションの管理人に声を掛ける。俺は何度もここに来ていて、管理人には何度か挨拶をしている。顔見知りとは言えないけど、覚えていてもおかしくない。


 しかし、管理人は俺の顔を見て首を傾げていた。ここでも記憶が改ざんされているのではないかと思われる。


「二十二階の磨上さんに用があるのですが、取り次いで貰えませんか?」


「? 何の御用でしょう?」


「娘さんである、洋子さんの同級生です。今日登校してこなかったんで心配で……」


 管理人の困惑は深くなってしまったようだ。


「磨上さんのところに娘さんなんていませんが?」


 ……そこからか。そこから改ざんされているのか。俺は管理人に謝って仕方なくマンションを後にした。


 磨上が親子の縁を切ってまでこの世から消滅を企んでいるとは流石に予想外だった。だってあいつはこれまで、十七回異世界に行っても必ず帰ってきていた。この世界に愛着があるから帰ってきていたのだと思っていたのに。


 しかし、これでは磨上を追跡しようがないではないか。痕跡が、俺の記憶にしか無いのでは。そもそも磨上は一体何処に行ったのか。異世界か、それともこの世界の何処かになのか。


 俺は駅前のベンチに座って考え込んだ。しかし、幾ら考えても妙案は出て来ない。そもそも、磨上の手がかりが少な過ぎる。考えてみれば俺は磨上の事をよく知っているようで、驚くほど何も知らない。容姿、雰囲気、手触りはよく覚えているのに、磨上が何を考え、何をどう感じて生きている人間だったのか、俺は全然知らないのだ。


 沢山話をしたけど、ほとんどがたわいも無い無駄話だった。真面目な話をしたことはほとんど無い。磨上の心の深奥に触れるような、彼女の気持ちと重なるような話をしたことはほとんど無かったのだ。


 だから、どうして磨上が俺の前から消えてしまったのか。消えてしまう決断をしたのかがまるで分からない。あれほど一緒にいて、異世界でも共に旅をして、この世界では間違い無く磨上と一番近かった人間は俺だと思えるほど仲が良かった、彼氏彼女とまで言われた関係であるにも関わらず、俺には磨上の事が何も分からない。


 ゾッとする。磨上は孤独だったのではないかという可能性に。


 異世界に転移して勇者なり魔王なりをしている、なんて話はこの世界では誰にも言えることでは無い。それはそうだろう。頭がおかしいと思われるし、魔法など使ってみせようものなら周囲から異端者として迫害されかねない。これは俺がそうなら俺より強大な力を持つ磨上なら尚更だっただろう。


 誰にも言えない秘密を抱えているというのは孤独な事だ。俺は磨上と会って初めて隠すこと無く異世界の話が出来る相手を得た。俺がこの世界では気後れしてしまうほどの美人で優等生である磨上と気兼ねなく付き合えたのは、この共通の秘密を抱えているという事情が大きい。


 しかし、磨上はどうだったのだろうか。俺は磨上に、以前の冒険の思い出話を何度かしたが、そういえば磨上は過去の異世界転移での話はほとんどしなかったな。それは魔王なら勇者に言い難い事もあるだろうと思っていたのだが、考えてみればそれは磨上が、俺にも言えない事情を心の中に抱え込んでいたという事ではないか。


 誰にも言えない事情を抱え込んでいた磨上は、だからあれほど俺に拘ったのではないか。いつか、その内、俺には秘密を明かすことが出来ると期待していたのではないか。異世界の高レベルの勇者であるこの俺になら、抱え込んでいた事情を全て明かす事が出来ると期待していたのではないだろうか。


 しかし、俺は磨上を受け入れなかった。……いや、仲良くはなったけど、俺には魔王と勇者の関係であるという遠慮があったし、それに磨上のアピール、つまり肉体関係のお誘いには倫理観的に応じられなかったのだ。そのせいで、本当に俺たちが恋人関係、深い繋がりを持たなかったせいで、磨上は抱え込んでいたモノを俺に預けられなかったのかも知れない。

 

 磨上があの妖しい笑顔の下で何を考えていたのか。俺には何も分からなかった。いや、前回の異世界行きや、進路の話をした時など、磨上の仮面が剥がれそうになった時はあったのだ。優等生でそして大魔王であるという外面の下に、磨上の一人の人間としての姿が隠れていたのだ。なぜ、俺はそれを求めなかったのだろうか。それを知っていれば、分かってあげていれば、今この時に磨上の居場所が分かっただろうし、俺はこんな後悔を抱えずに済んだだろう。


 兎に角俺はもう一度、磨上に会いたい。会わなければいけない気がした。あの何時だって俺を翻弄する魔王に会って、俺は言うべき事を言ってやらねばならない。何を言うのか、それは磨上を目の前にしないと分からないけれど。


 しかしどうやって。どうやって磨上を見付けたらいいのか。俺は妙案が浮かばないまま、ベンチで頭を抱えて唸っていた。


 その時、俺の前を女子生徒の集団が通り過ぎようとした。その中の一人が俺を認めて声を掛けてきた。


「あれ? カズキじゃん。何してんの?」


 茶初のツインテールが揺れる。神原が俺の事をスティックアイスを舐めながら見下ろしていた。他の女生徒がざわつく。


「え? 知り合い? 彼氏?」


「違うわよ! えーっと、ちょっとバイト先の先輩。ただの!」


 異世界をバイト扱いとは言い得て妙だな。確かにバイト代わりにはなるけどな。


 ……ちょっと待て。


「神原。俺を覚えているのか?」


 神原は途端に俺を馬鹿にしたような目で見た。


「そりゃ覚えているでしょ?」


「……俺と何処でどうして出会ったのかは覚えているのか?」


 異世界で会ったとは言い難いだろうけど。


「まぁ、うん。バイト先で会ったわよね。先輩と、カズキと」


 俺は思わず立ち上がった。


「磨上を覚えているのか!」


 神原はドン引きし、周囲の女生徒は悲鳴を上げた。俺は構わず神原の肩を掴んで揺さぶる。


「磨上を覚えているんだな!」


「ちょっと! 誰よ! 磨上って! そんな人知らないわよ!」


「今、先輩って言っただろう! 俺以外に先輩がいたことは覚えているんだろう?」


 俺が大きな声で怒鳴ると、神原は目を丸くした。神原の友人達は「け、警察を呼んだ方が良いんじゃ無い?」とか言っているが構うものか。やっと見付けた磨上に繋がる僅かな手がかりなのだ。逃すことは出来ない。


「……先輩。うん。先輩……。あれ? 先輩の名前、え?」


 神原は混乱している。俺は神原に、ゆっくりと教え込むように言った。


「その先輩の名前は、磨上 洋子だ。俺とお前と磨上で旅をしたな? 思い出せるか?」


 神原は頭を抑えてううう、っと考え込んだ。神原もレベル11の勇者だ。磨上の現実改変が十分には行われなかったのかも知れない。


 しかし神原は首を横に振った。


「だめ、思い出せない。何でだろう……あ!」


 神原は慌てて自分のスマートフォンをバッグから取り出した。


「これに登録してある筈。先輩とはSMSでお話しているから!」


 神原は電話番号を磨上に聞いていた、俺の携帯からは消えてしまっていたが、神原のはどうか。神原はショートメールアプリを開いた。今時SNSを全くやっていない磨上と連絡を取るために神原はショートメールを使っていたようだ。


「あんまり返事は来なかったけどね。……あった! これだ!」


 神原が叫ぶ。俺は神原からスマートフォンを奪い取って画面を覗き込んだ。


『洋子せんぱい』


 と書いてある。……見付けた。間違い無く、磨上がこの世界にいた痕跡が、ここだけに残っていたのだ。俺は神原のスマートフォンを持った手が震えるのを止める事が出来なかった。

 

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