優等生魔王と平凡な勇者 2

 今日、俺は何故か、磨上の家にお邪魔していた。


 ……磨上の家といえば魔王城じゃねぇか! 家主は親なんだろうけど。


 つまり悪の本拠地だ。そこに俺は乗り込んだ、訳なんだけど。


 別に史上最大の決戦が行われた訳でもなかった。俺が囚われて拷問を受けたわけでも無かった、何回めかの異世界では、魔王城に乗り込んだら罠に嵌ってしまい、抜け出すまでに数ヶ月掛かった事もあったけな。


 それどころか俺の前には暖かな紅茶と、ケーキと、それだけでなくスナック菓子がガラスのお皿に盛られていた。


 そして俺の隣の膝が触れ合う距離には磨上が身を寄せてご機嫌な表情を見せていた。……完全に勇者、魔王と馴れ合うの図だ。どうしてこうなった。


 し、仕方なかったんや! 今日の小テスト、英語と数学の小テストの俺の点数を見た磨上が嘆いたのだ。


「勇者として恥ずかしく無いのか。その点数は。それでも世界を何度か救った事があるのだろうに」


 異世界を救うのに高校生の学力は一切問われなかったんだから仕方ねぇじゃねえか! 俺はそう叫びたい所だったのだが、魔王である磨上は普通に満点を取っているのだから、勇者としては文句も言い難い。


 その結果。


「仕方がない。我が勉強を見てやろうぞ」


 と磨上が言い出し、俺は断りきれなかった、という訳だ。


 最初は俺の家で、という話だったのだが、とんでもないと俺が断った。俺の本拠に魔王を招いて実情を知られるなんて勇者としては無防備過ぎるだろう。


 それと俺が磨上を連れて家に帰ったら、専業主婦のお袋とまだ中学生の妹に何を言われるか分かったものではない。即座に家族会議が開かれる事案だ。


 その結果「ならば家に来るがよい」という事になって磨上の家で勉強会をする事になったのだった。


 磨上の家は駅にほど近いタワーマンションの、最上階に近い二十二階だった。明らかに新築。セレブの匂い漂う高級マンションだ。管理人のいる玄関を潜り、エレベーターを上がり、静かなホールを抜けて立派なドアを潜ると、そこが魔王城だった。


 大きな窓から光が降り注ぎ、二十畳は軽くあるリビングは非常に明るかった。中には階段があり、中二階へと続いていて俺のマンションの概念は軽く覆されたな。


 俺はリビングの応接セットに席を与えられ、おっかなびっくり本革のフカフカソファーに身を落とす。そこへセーターとチェックのスカートといった庶民的な格好に(きっとブランド物の良い服なんだろうけど)着替えた磨上がお茶とケーキとお菓子を持ってやってきた。


「お茶を淹れてやったぞ。ありがたく飲むがよい」


 と魔王は言うと、俺の前にお茶とケーキを置いて当たり前のように俺の真横に座ったのだった。俺は硬直する。


「な、なんで隣に座るんだよ!」


 俺は思わず叫んだ。すると磨上は呆れたような表情で言った。


「其方、今日の目的を忘れた訳ではあるまいな? 勉強を教えるのに向いに座ったのでは支障があるであろう」


 ……それは確かにそうかもしれないけども。


 肩や脚は触れたり触れなかったりする距離で、磨上の美貌は間近にあり、それに何だか良い匂いもするし……。それと。


「は、母親はいないのか? 挨拶をしないと……」


「何を言っておる。母は仕事じゃ。今はおらん」


 ……つまりお手伝いさんがいるとか言い出さなければ、今この家には俺と磨上しかいないって事じゃねぇか!


 俺はガクブルした。さ、誘い込まれた! これではここで俺が魔王に消されても誰にも分からないじゃないか! それと、えーっと、何というか、色々まずい。色々! 怖い! 助けてー!


 と思ったのは最初だけだったな。


 磨上は至極真面目に勉強を教えてくれて、これが実に分かり易くて上手かった。要点を絞って、実例や例題を用いて教えてくれるので実践的で、苦手な数学問題がスルスル解けるようになったものだ。


 しかしながら、同時に磨上は非常に熱心な先生であり、自分も集中していたけれど俺にも集中を強いた。三時間、一度も休憩を入れる(お茶のおかわりはティーポットから入れてくれたが)事なく勉強し続けたなんて俺は初めてだったよ。


 磨上一人の時でもこの集中力で勉強しているのなら、そりゃあ勉強が出来る訳だよ。慣れない俺はヘロヘロになった。大変だった。


「ふむ、今日はこんなもんじゃろう。筋は悪くないようだから、ちゃんと毎日勉強すれば良くなるぞ」


 褒めてもらえてありがたいけど、比較の対象が魔物じゃないことを祈るばかりだ。


 磨上は満足そうにお茶を飲んでいる。うむ、魔王のご機嫌が麗しい内に帰ろう。


「じゃ、じゃぁそろそろ、お暇を……」


「なんじゃ。何もせぬのか?」


 ギクっとなる。な、何って何ですかねぇ!


 あたふたする俺を尻目に、磨上は事更に身体を寄せてみせた。む、胸が、胸が俺の腕に! プニっとー!


 俺の頭はオーバーヒート寸前になる。な、なんだ! おのれ何を企んでいるこの魔王! この勇者たる俺を籠絡しようったってそうはいかないぞ! 俺は人類を護る勇者なんだからな! えーっと、そ、そんな色仕掛けには……!


「なんじゃ、其方、経験がないのか? 童貞か?」


 磨上が呆れたように直球の質問をくれた。ぎゃー!


「あ、当たり前だろう! 俺は高校生だぞ!」


「それはこの世界ではそうじゃろうが、異世界では十六、七歳なら普通に結婚しておろうが」


 ……確かに、それはその通りで、異世界に行くと俺は完全に結婚適齢期扱いなのだ。なので、何年か勇者として滞在すると、お見合いを普通に紹介される。というか、なんで結婚しないのか不思議がられる。


 それだけでなく、貴族の館に行き接待など受けると普通に女性が送り込まれる。泊まる部屋に女性が裸で待っているなど普通のことだった(丁重にお帰り願った)。


 他にも村を救うと、お礼代わりに村娘や若奥さんが提供されたり、助けてあげた少女が夜這いを掛けてきたりした。なんなら、仲間の美少女に誘惑されたことも一回二回ではない。


 ……が、俺はそういう話を全て断ってきた。断じて、一回も女性と夜を共にしたことはない。ええ。全く清い身体ですとも。


「男が純潔を守っていてもキモいだけで自慢にならんと思うがの」


「キモいって言うなー!」


 俺だって男だから、異世界で肉欲に溺れても良いんじゃないかと、勇者の役得なんだからという誘惑に駆られたことは何度もあるよ!


 だけど、どうにも踏ん切りが付かなかったのだ。だって俺は勇者だ。人類を救うために異世界から召喚された。


 勇者認定されると、俺は王国内部で最高レベルの扱いを受ける。貴族階級のトップである公爵なんかと同等の扱いを受けるのだ。


 それは俺が魔王を倒し得る唯一の存在だからだ。実際、転移者が持っている色んなスキルやレベルアップによって手に入れる事が出来る勇者の魔法やスキルがなければ、低レベルの魔王でも人類が倒すのは難しいだろう。


 その国王に匹敵するほどの敬意を払われている俺が。その立場を利用して女性を手に入れるなんて。それはなんというか、非常に卑劣な行為ではなかろうかと思うのだ。


 そりゃ、俺は偉いんだもの。任意の気に入った女性を誘えば、大体の女性は靡くと思う。身体を差し出すと思う。しかしその女性の本心はどうだろうか。多分、本当は嫌なんじゃないかと思うんだよ。


 そこまでして俺は女性と関係を持ちたいとも思わない。それに俺は魔王討伐が終われば帰還するのだ。俺が帰還してしまったら、女性は身体を差し出し損になってしまうだろう。


 そういう事を考えると、俺はどうも異世界の女性に手を出す気になれなかったのだ。


「なんじゃそれは。単にヘタレということではないのか?」


「ヘタレって言うなー!」


 内心自分でもそうじゃないかと思ってるんだよ! ちくしょう!


「そういうお前はどうなんだ!」


「我か? まぁ、魔族の中にはいい男もおったからの」


 ねっとりと艶っぽい表情で呟いた磨上を見て、俺はうぐっ! と生唾を飲み込んでしまう。魔物の中には人間に近い形態の奴らもいて(特に魔族と言う場合もある)、確かに中には腹が立つほどイケメンな奴も見た事がある。


 つまり磨上はそういうイケメン魔族と関係を持った事があるという事だろう。


「……その魔族はどうなったんだ?」


「ああ、魔族はどうしても上下関係にこだわる生き物じゃからの」


 磨上はそれ以上は言わなかったが、どうもそういう関係を持ったイケメン魔族は、磨上の上に立ちたがってしまい、磨上と戦って消されたという感じだ。お、恐ろしい。


 こいつは恋愛関係にあった相手を躊躇なく消せる相手なのだ。


「安心せよ。我も流石にこの世界では男と関係を持ったことはない。清い身体じゃ」


 磨上はニッと笑って俺の腕を抱きしめ、俺の頬に唇を寄せて来た。完全に誘惑する姿勢だ。ひ、ひえぇぇぇぇ!


「どうする? 試してみるか? 勇者よ?」


「え、遠慮します! 謹んでー!」


 俺は磨上の腕を振り解いて逃げ出した。玄関まで這って出て、靴を履いて玄関を飛び出る。ドアが閉まった所で磨上からの念話が届いた。


『ち、ヘタレ勇者め』


 ヘタレ結構! あんな恐ろしい魔王に手を出せるくらいなら、異世界でとっくに彼女作っとるわー!


 と心の中で叫びながら、怖くてエレベーターを待つ事が出来なかった俺は、二十二階分の階段を転がるようにして駆け降りたのだった。

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