優等生魔王と平凡な勇者 1

 磨上 洋子はとりあえず俺のクラスで大人しく学生生活を送っていた。


 というか、あっという間にクラスの中心人物に成り上がっていた。


 そりゃそうだろう。あいつを誰だと思っているんだ。魔王だぞ? 魔物、魔族の頂点に君臨し支配し、意のままに操って世界を何度も滅ぼしてきた魔王なのだ。


 魔物なんて本能で生きている生き物なんだから、強い者にしか従わない。その魔物が俺を陥れた時のような、あんな繊細な命令に忠実に従っていたのだ。それだけでも磨上の恐ろしさが分かるだろう。単なる強さだけでは多分無理だと思う。おそらく磨上には魔物を従わせるだけの何かがあるのだ。


 その魔力の巨大さは、横の席にいる俺に居眠りを許さないほどだが、他の連中には感じ取れないだろうな。だが、その圧倒的なカリスマ性はダダ漏れだ。


 その美貌だけでもう凄いのだが、見ていると恐ろしく話術が上手い。相手と話して直ぐに相手の懐に滑り込み、自分のペースに巻き込み、共に盛り上がって最後には何となく磨上の支配下に置かれてしまう。そういうことが無意識に出来てしまうようなのだ。


 磨上のような美人に苦手意識を持つ、あるいはライバル心を持つ女子だっていただろうに、磨上はあっさりとこのクラスの女子を支配してしまった。あいつに言わせれば、爪も牙もない人間の女を籠絡するなど造作も無いことだと言うだろうね。


 そんな磨上だが、学園生活を楽しんで、俺のことなどすっかり忘れて……。


 は、くれなかった。いや、俺のことなんて放っておいてくれれば良いのだが。


 なぜか磨上は事ある毎に俺に絡んでくるのだ。例えば英語の時間、俺が先生に指名されて、教科書の英文の日本語訳をするように命じられた時のこと。


 こんなもん、翻訳の魔法を使えば簡単だ、俺は魔力を……、使おうとして恐るべきプレッシャーに気が付いた。


 隣の席の磨上が、俺の事を怖い顔で睨んでいたのだ。……え? 睨むだけでなく真っ黒な魔力が吹き付けてくる。そして小さく口が動いた。


『勇者ともあろうものが、そんなインチキをするつもりなのか? 見損なったぞ』


 うぐぐぐぐ。魔王に見損なったと言われるなぞ、勇者のプライドに関わる。俺は翻訳魔法を中止した。途端に、教科書の英文は全く俺には読めない謎の文字列に変わる。


 俺は仕方無く必死に辿々しく英文を読み、必死に翻訳するしかなかった。このところ英語だけはかなり出来る生徒になっていた俺の醜態に、クラスメートや先生から失笑が漏れた。


「ちゃんと予習をしておくように」


 先生に言われて俺は屈辱の中項垂れた。磨上は涼しい顔だ。


 ちなみに磨上は全ての教科で非常に優秀である所を見せつけており、特に英語に関しては海外生活が長かっただけに先生によりも発音が良く、更に言えばドイツ語もフランス語もなんなら中国語も喋れるという。


 数学も化学も国語も小テストの点数などを見れば全て満点。俺はあまりの完璧さに魔力でズルをしているのではないかと疑ったが、全く魔力が動いた形跡はなかった。どうやら根っからの秀才であるという事らしい。


 磨上がズルをしていないのなら、俺もズルする訳にはいかない。しかしながらちょっと待ってほしい。


 俺は異世界に召喚される度に、授業が受けられなくなるのだ。つまり異世界に行っている間は高校二年生の勉強など出来ないわけで、下手をすると何年ものブランクが生じるのである。帰ってきたら異世界に行く以前にしていた勉強など忘れている。魔物の倒し方や魔法の原理とかの方が詳しくなっているくらいなのだ。


 それなのに全く魔法を使わずに、正々堂々と授業やテストを受けろというのは、ちょっと酷いのではないだろうか。魔法で少しくらいはズルやカンニングして、人並みに成績を合わせるくらいは許されるべきなのではないだろうか? 俺は人類を救った勇者なのだから。


「何を愚かな事を言っておるのか。インチキなどして成績を取って何になる。学校の成績は本人の能力のバロメーターに過ぎぬ。実力を高めなければ意味がないではないか」


 磨上は俺の嘆きを正面から粉砕してのけた。


「勉強する暇は、異世界でいくらでもあるであろう? なぜアイテムボックスに元の世界の教科書や問題集を入れておかぬ? 毎日少しずつ勉強すれば、異世界では何年も勉強出来るではないか。そういうインチキなら我は咎めぬぞ」


 ……実は、アイテムボックスに教科書や問題集が入っていた事はあるのだ。異世界転移の時に学校鞄を持って行ってしまった事も多かったからな。


 しかし、異世界で学校の勉強しようなどとは、思った事もないな。ないない。異世界の良い所は勉強しないで良い所だ、とまで俺は思っていたから。


 そりゃ、天候が悪くて冒険の途中で足止めをくらい、宿で無為にゴロゴロしていた事なんていくらでもあったし、夜は魔物が強くなるので、俺たちは暗くなると直ぐに行動を停止した。その長い夜に勉強しようと思えば、まぁ出来ただろうよ。


 しかしなぁ。すぐに役立つ訳でもない、テストとて無い異世界で、真面目に学校の勉強をする奴なんて居ないだろうよ。少なくとも俺にはそんな発想はなかった。


「ならば貴様が何もかも悪いのであろうが。黙って苦労するが良い」


 と無慈悲な魔王様は仰った。


 ちなみに、この会話が交わされているのは下校中だ。


 俺と磨上は仲良く並んで一緒に下校しているのだ。


 ……どういう事なんだよ!


 と篠原辺りは叫んだのだが。それは俺のセリフだよ!


 なんで勇者である俺が魔王である磨上と仲良く下校しなきゃいけないんだよ! ていうか、こええよ! こいつは人間を何とも思っていない、時には遊びで人間を殺しさえする魔物たちを統率して、人類社会に仇為した魔王なんだぞ! しかも十六回も世界を滅ぼした!


 なにしろ自分で「我は負けた事など無いぞ」と言っていたからな。そんな極悪非道な魔王と一緒にいたら、何時こいつが気まぐれに人間を殺戮し始めるか分かったものではないし、その時は俺だって負けを承知で磨上に立ち向かうしかない。絶対に勝てないと分かっていても。


 しかしながら磨上は今のところそんな素振りは一回も見せたことはなかった。もうこいつが転校してから一ヶ月、何度も一緒に下校しているのだが。


 身長は俺とほぼ同じ。俺の身長は百七十五センチメートルは超えているので、磨上もそのくらいだろう。女性にしてはかなり背が高い。


 その長身で黒髪を靡かせ、堂々と歩く様は、街行く人が八割は振り返るくらい颯爽として、格好良かった。そしてあの美貌である。都市部郊外でなく、新宿とか渋谷とかに行けば、アイドル事務所その他のスカウトが取り囲んで放っておかないだろうね。魔王なんだが。


 その磨上と並んで歩かされる俺の身にもなって欲しい。あまりに落差があり過ぎて彼氏彼女と誤解される可能性が無いのが唯一の救いだ。あるいは女王と下僕に見えているかもしれないけど、その方がなんぼか気持ちが楽だ。


 魔王的には勇者である俺を監視しているのだろう。どうも彼女は転生者が魔力を使ってチートをするのが許せないらしい。高レベルの勇者である俺が魔力を使って悪さをしないか見張っているようなのだ。


 今までは人目がなければ飛んで家に帰ったり(隠蔽のスキルを使えばバレる心配は皆無だ)、テレポートで都市部中心にまで出掛けたりしていたのだが、磨上の目が光るようになってからは出来なくなってしまった。


 そのくらい良いじゃねぇか、と思うのだが、磨上は一切の例外無く魔力の使用を俺に認めなかった。自分も全く魔力を使っている気配が無い。


 それと、もう磨上が転校してきて一ヶ月になるのだが、磨上は一度も異世界転移をしていないようだ。一体どういう基準で異世界召喚が行われているのかはよく分からないが、磨上くらいの高レベル魔王ならもっと頻繁に喚ばれているのかと思っていたのだが。


「勇者よ、腹が減ったな」


 磨上がしれっとした顔で言った。見るとクレープ屋のキッチンカーをじっと見ている。またか。


 磨上はこうして下校中に何やら食い物屋を見付けると食べたがる。ハンバーガーだのコーヒーだのラーメンだのお好み焼きだの。


 そして必ず俺にたかる。何でだよ。磨上の家は金持ちだと俺は知っているぞ。なんで中流階級の俺が奢らなきゃいけないんだよ?


「ケチな事を言うな勇者よ。異世界から持ち出した貴金属を売って儲けておるのだろうに」


 ……何もかもお見通しのようだ。確かに、俺は異世界から持ち帰った金貨や宝石をちょくちょく換金して小遣いにしているから、それなりに懐は暖かい。


 俺は仕方無く承諾し、俺と磨上は公園のベンチに座ってクレープを喰った。磨上はニコニコとご機嫌な顔をしていたな。


「うむ、食い物に関してはどこの異世界もこの世界には敵わんな。そうであろう勇者よ」


「……まぁ、な」


 一体この女、何を考えているのやら。

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