心の奥底にあるもの

本格的な夏がやってきた頃にはネイルサロン『ロータス』の忙しさもだいぶ落ち着きを取り戻し、新規の客が、定着するか、エリカと望は担当した客について考察している。

 ネイルがやりたくて来ている客と、雑誌を見てミーハー気分でくる客、同業者など、今回の賞をとったことで、注目度が上がっている。

「昨日の来た新規のお客さんで、ネイルオフだけの人いたでしょ? あの人、同業者だと思う」

 エリカが担当した、付いているジェルネイルを取り外すだけという客との会話を思い出す。

 そのネイル自体『ロータス』で付けたわけじゃなく、しかも付けたばかりで、取るのが勿体ない仕上がりだった。

「ネイルのこと褒めたら、こうやってやるんだよ。ってレクチャーされちゃって……困っちゃった」

 今でこそ、笑い話になっているが、その時は相手の態度が悪く、嫌な緊張が流れたものだ。

 それを上手く対応して、やり過ごしたエリカには、技術だけではない自信が見える。

 ようやく忙しさが落ち着いたところで、今夜は、ネイルコンペティションの結果をお祝いすることができた。

 レストラン『雪月花』には、ファイナリスト入賞のエリカと優秀賞の蒼の為に、サービスのシャンパンが用意されていた。

 悠が、席までやってきて、「石田様からです」と三人に告げる。

 石田は、『ロータス』にも顔をよく出しては、スタッフに差し入れを欠かさない、イケメンのゲイだ。

 立花との関係が終わったときも、支えになってくれた蒼の数少ない友達で、悠と恋人になるきっかけを作ってくれた。

 悠と恋人になる前、『雪月花』で石田と蒼が食事をしていた時に、悠に嫉妬をさせる行動をしたり、蒼がカミングアウトするきっかけを作ったりと、お節介を焼いてくれたわけだが。

 のちに石田は、『俺はキューピットだよな』と図々しく言っていた。

 石田も今日のお祝いには声をかけたのだが、仕事の都合で行けないと断られていた。それが、このサプライズ。

「さすが、石田さんだわ」

 望が、苦笑いで言う。

「抜かりないわね」というエリカの言葉で、そこにいた全員が頷いた。

 

 今日のレストラン『雪月花』は、団体客が入っていて、いつもより忙しい。

 個室から、楽しそうな笑い声が漏れ聞こえる。

 その個室から、綺麗な女性が出てきて、悠と談笑している。

 悠の腕に触れるくらい近い距離で、悠も笑顔で返している。

 こういう現場を見るのは、慣れている。ここへ通うようになって、女性客に話かけられている姿は必ず目にする。

 格好良いのだからしょうがない。

 お互いを認め合って、抱き合っても、まだ足りない。どんどん欲張りになっていく。

 もっと見て欲しい、その人よりも俺を見て。

 左手のリングをさすり、もう消えてしまった手首の印を思い出す。

 ――あれは、あの時は、悠も不安だったのかな。

 とんでもない痴態をさらしたことを思い出して、顔を赤くしていると、エリカが話かけてきた。

「しかし、相変わらず悠さんてモテますね」

 個室から出てきた女性が、三人に増えて、悠は囲まれていた。

 その様子を見た、望も同意する。

「なんだか、最近色気も増している気がします」

「俺もそう思う」

「……えっ?」

「やだー、惚気じゃん」

 エリカと望が声に出して笑う。

 その笑い声に、こちらを見た悠と目が合った。

 微笑んだ顔に心臓が痛くなる。

 どうか、どうか、その優しい顔は、誰にも見せないで。

「お待たせしました」

 料理が運ばれてくる。

 運んできてくれた前田夢が、こっそり蒼に言った。

「あれは、蒼さんしか見えてないですね……」

 三人の女性に囲まれながらも、ちらちらと蒼の方を見ていることを教えてくれた。

 蒼を気遣ってのことなのか、そろそろ仕事やりなさいよということなのか、その後、悠の前をわざと通りすぎたり、話し掛けたりして仕事に戻らせた。

 悠が、戻った後、最初に個室から出ていた女性は、蒼と目が合うと会釈してきた。

 ――うちのお客さんではないよな。ここの常連さんかな。

 すぐに背中を向けられてしまったので、挨拶を返すこともできなかった。

 どこかで見たような面影があったが、でも、初めてのような気もする……。


 お祝い会から数日経ったある日、突然、NAOKIが店に現れた。

「やっほー。徳永さーん、元気してた?」

 突然の訪問に、その場に居合わせた全員の動きが止まり、NAOKIに視線が集まる。

「いやだ、そんなビックリしなくてもいいじゃない。店に行くって言ったでしょ」

 にっこりと微笑み、蒼にウインクして見せる。

 ちょうど蒼は客に付いておらず、別の作業をしていたので、手を止めることなく応じる。

「NAOKIさん、どうしたんですか? 急に……」

「えー。何か用がなきゃ、来ちゃダメなわけ?」

 エリカ、望とその客も、NAOKIを見つめ固まっている。

 蒼は、お客さんに「すみません」と声をかけ、パーテーションの先にNAOKIを招きいれた。

 そこでもネイルの施術ができるように、テーブルと向かい合うように椅子が置かれている。

 NAOKIを椅子に座らせ、怒った顔で言う。

「急に来られても、予約のお客さまもいるし、NAOKIさんを待たせてしまうことにもなりますから……前もって連絡ください」

「ごめーん」と沈むような声とは裏腹の笑顔を見せられ、呆れてしまう。

「本当は、彼氏を見に来たのよ。あの嫉妬深い彼。どうせ一緒に住んでるんでしょ? 居ないの?」

 NAOKIが来るほんの数分前に出かけたばかりだ。

「仕事に出掛けて居ませんよ。全く、嫉妬深いなんて……」

 縛られた時の事を思い出し顔を染める。――あながち間違ってはいないのかも……。

「せっかく来てくれたので、爪を少し磨いて、ハンドマッサージしますよ」

「あら、ありがとう」

 さすがモデルだけあって、手も綺麗だし、爪もそこそこ整っている。

 甘皮の処理をして、爪にやすりをかけて、表面を磨いていく。

「ねぇ? 彼氏の爪にもしてあげてるんでしょ?」

 施術されている爪に視線を落としながら、問われ、「ええ」と頷く。

 悠の爪をやすりで削る行為は、自分の体を奥まで触れていいと許しを与えているような気がして、いつも恥ずかしくなる。その姿を見て、悦に入った悠の顔を見ると、更に皮膚に熱を帯びてしまうのだ。

「……えっち」

 心を見透かされてような気がして、慌ててNAOKIを見ると、なんとも色っぽい目をして蒼を見据えた。

「……っ!」

「いいわね。私も、彼氏が欲しいわ。……ね、今の彼氏と別れたら、絶対私に連絡してよ。てか、しなさいよ。…………大切にするから」

 最後の一言は、一瞬どきりとするくらい真剣な眼差しだった。

「というのは、置いといて、今日は聞きたいことがあったの。立花っていうスタイリストのこと知ってる? 前の撮影の時にさ、徳永さんの名前が出てきたのよ。なにあれ? もしかして元彼?」

 感が鋭いっていうのは、こういう人の事をいうのか……立花の名前が出た途端に、一瞬手が止まったのを見ていたNAOKIは続けて話す。

「なんか、ちょっと気を付けたほうがいいかもね。やたら噂好きというか、人の悪口しか言わなかったわよ……徳永さんをに噛まれたみたいな言葉が聞こえて、やだ、なんのプレイよ……って、思ったんだけど……あ、そういう話じゃなかったわね。内容までは聞き取れなかったんだけどさ、嫌な感じがしたわけ。周りの新人スタイリストをはべらせて、偉そうにふんぞり返ってる感じだし、ああいう業界関係者? とか言っちゃう人がマスコミとかにあることないことしゃべるのよね。きっと。ああ、思い出しただけで、なんだかイライラしてきちゃった」

 ムスっとした顔のNAOKIにラベンダーの香りのハンドクリームでマッサージをする。

「あら、いい香り。さすが徳永さん、心休まる言葉よりも、こういう心遣いに惚れるわ」

 ふふっと鼻で笑って、NAOKIの言葉にはあえて触れずにいる。

 本気少し、冗談少し、いや本気が多いかな。好意を持たれているのは確かのようだ。

 でも、彼のように若くてスマートだと出会いも多いだろうし、いろいろ苦労しているのかもしれない。ここで少しでも楽しくリラックスできるならいいかな。

「ありがとうございました。NAOKIさんと話していると楽しいですよ。今度はちゃんと連絡してきてから来てくださいね。アポなしできたら追い返します」

「ええー、そんなこと言って、徳永さん優しいから、絶対追い返すなんてしないもん」

 帰り際に『皆さんでどうぞ』と有名洋菓子の限定焼き菓子を置いて行ったので、エリカと望から「またいつでも、いらっしゃってください」という言葉を背中にもらって帰って行った。

 

 ここ最近のNAOKIは、雑誌の表紙やテレビでもちょくちょく見かけるようになってきていた。テレビでは、おしゃべりでもなければ、オネエ言葉も使っていないので、クールでイケメンと人気を集めている。

 仕事の合間に『ロータス』に来ることもあるが、爪の手入れもせずに、お菓子を持って、おしゃべりするだけの時もある。

 お菓子やケーキは必ず持ってきて、時間があれば一緒に食べる。

 これが、彼の息抜きなのだと、最近ではなんとなくわかってきた。

 悠は、NAOKIが店に来ていることを知ると、悶々としているようで、『蒼を信用しているから言わない。何も言わないよ』とよく言う。

 そう話す顔が、たまらなく可愛いので、困っているという話をNAOKI にしたら、『うえっ』と苦い顔になって『惚気いらなーい。口直し』とケーキをお代わりして食べていた。

 昼の時間帯、客が途切れたところで、遊びにきたNAOKIから、思いがけない話がでてきた。

「あたしね、お菓子屋さんになるのが夢なのよ」

 ボケっとしているスタッフ一同に一瞥くれてから「パティシエになりたいの」と大きな声で言った。

 釣られて、望も大きな声で「マジで?」と返す。

 いつもなら言葉遣いを注意するところだったが、あまりにも想像のかけはなれたことを言われて呆然とする。

 威張ったように胸を張りながら「すごいでしょ」と言ったNAOKIが可愛らしく滑稽に見えて、笑ってしまった。

 冗談でもなく、本気で考えているようで、留学するための資金を貯めていると話していた。メディアの世界で生きていくのだとばかり考えていたが、まさかのパティシエ。

「あたしね、親が居ないんだけどさ、よく施設に美味しいお菓子をもってきてくれた人がいてさ……今思うと、その人が初恋なのかなー。でも、お菓子に釣られたのかなー。とにかく、皆で美味しいねって食べるあの雰囲気が好きで……そういうお菓子を提供したいなって、思ったわけ。もう二十二歳だし無理かもしれないけどね」

 視線を落としながら言う顔は、胸を張りながら声を上げたものとは違って、不安がうかがえる。

「大丈夫。年齢なんか関係ないわ。何かを始めるのに早い遅いはない!」

 めずらしくエリカの大きな声を聞いて、望も蒼も驚いた顔をした。

 その様子を見た、NAOKIが笑いだす。

「ああ、最高! 徳永さんのお店、最高だよ」

 お腹を抱えて、笑いながら言うその顔が、いつもの顔になっていて安心した。

 NAOKIが帰った後、何も言ってあげられなかった自分を恥じると同時に、テンポよく答えてくれるエリカと望の存在に感謝した。

 俺は、高校までは、存在を消すように生きていた。今は、こんな信頼できる仲間に支えられている。

 NAOKIにとっても、自分達が、心開ける存在であればいいなと思った。

 

 午後、最初の予約は、新規で蒼指名の女性客だ。

 店に入ってきて、すぐにわかった。

 ――あ、あの時の、会釈してきた子だ。

 お祝い会の時に、雪月花で、悠と親しく話していた女性だった。

「予約の北条です」

「いらっしゃいませ。担当します。徳永です」

 女性は、頬を上気させ、一礼した。

「あ、あの……北条悠の妹です。兄がお世話になっています」

 頭を深くさげている姿に、一同フリーズした。そして、小さく「マジか」と望が呟いたのだった。

 友達の結婚式があるので、ドレスに合わせたネイルをしてほしいとお願いされ、ドレスの写真を見せてもらう。

 シックな紺色のワンピースは、麗に良く似合う。

 面影が悠と似ていて、派手ではないが目を引く。

 友達の結婚式だし、ただでさえ目立つ存在だろうから、ネイルは控えめにでも品があるデザインにしよう。

 提案したものに快諾した笑顔は、女の子特有の柔らかさがあって、皆が好きになる雰囲気を持っている。

 ――ああ、悠の妹だ。

 悠が初めて店に来たときを思い出した。清潔感のある雰囲気。兄妹そろってハイスペックだ。

 ネイルが終わった後、 麗からは、悠が迷惑かけていないかが気がかりだったようで、それだけを心配していた。

 自分には、こんな風に心配する兄弟はいない。兄はいるけど……。

 自分の家族のことを思い出すことなんか滅多にないのに……父、母、兄は元気にしているだろうか。

 会いたいとか寂しいとかではなく、ちゃんと話していないことが気がかりだった。

 ――このままでいいのかな。

 カミングアウトしたら、やっぱり嫌だろうか。

 受け入れてもらえるとは思っていない。

 役所に勤める父は、勤勉で真面目。そのかいあって早々はやばやと出世した。地元のお偉いさんところに顔がくくらい頼られている。兄も地元で教職についていて、父と同じような性格だ。母は専業主婦で、いつも家族と周りの目を気にして生きている人だった。

 青森市内のはじの方で、その土地に住んでいる皆が家族のような閉鎖的な環境が、たまらなく嫌だった。いつも、息苦しさを感じていた。

 高校卒業して、『上京して美容系の学校に進みたい』と言った時も家族は何も言わずに送り出してくれた。

 おそらくゲイだと気付いていたから、何も言わないということで、俺を開放してくれたのだと勝手に思っていた……。

 たまに母と話す電話も、結婚や孫といったワードは出てこない。帰ってきて欲しいとも言われたことがない。

 ――だから言わないほうがいい。敢えて言う必要はない。

 兄想いの妹の存在が、ずしりと重く感じる。

 悠の家族が俺のことを知ったら……実家に帰れなくなるとかあるのではないか。

 仲の良い家族の話を聞いたことは、何回もある。

 それを壊したくない。

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