239 ザグレス



 はらはらと、細い粗布が落ちてゆく。


 それをカルナリアは、レンカと唇を重ねながら、視界に入れる。


 見えてきたのは、黒い色。

 そして金色。


 剣と同じくゆるやかに湾曲した、一切の光沢のない、それ自体が闇としか見えない、異様な黒さの、暗黒の鞘……。


 それを、びっしりと、金色の――きらきらする、紋様とも文字ともつかないものが覆っていた。


「んぐっ!」


 セルイと唇を重ねながら、ファラが喉で強くうめいた。


 カルナリアも、レンカの唇を感じつつ、異様な感覚に襲われた。


 つながっておけ、というフィンの警告の意味が本能レベルで理解できた。


 ファラが暴走した時、岩屋根の下から飛び出して、死の感覚に襲われて、生きているレンカにしがみついた、あれと同じ。


 でなければ、引っ張られる――あの暗黒、『完全黒』の鞘の、あの黄金の紋様に、魔力が、心が、自分の中の大事な何かが、引きずられ、吸いこまれてしまう!


 ――粗布がすべてほどかれた。


 鞘の全貌が明らかになった。


 異様な黒さの、闇そのものの鞘。

 美麗に湾曲した、かなり長い、その全体が、輝く黄金の、きわめて精緻な紋様にびっしりと覆われている。

 紋様のおかげで、輪郭や全体の形状がかろうじてわかる。


 紋様は――多くが直線で構成されているが、文字と見るにはつながりが長すぎ、しかし装飾と見るには複雑にして規則性がなく、何らかの絵のように見える所もあり、ただの精密な縞模様にしか見えない所もあり、何らかの意味がありそうではあるがまったく似たものが思い浮かばず、つまりは何もわからない。


 美しくはある。

 見たことがないほどすばらしく、美しいものだというのは事実。


 だが――それが良くないもの、まずいものだということもまた、肌感覚ではっきりわかった。


 まずいもの、どころではない。

 この世にあってはいけないものだ。


 それに魅入られる。引きずりこまれる。夜、いや闇の奥へ、二度と戻れないところへ。永遠の暗がりへ。


「んもぉぉぉ!」


 ファラがうめいて、唇だけではなくセルイに全身でしがみついていった。

 そうしなければ耐えられず、魂を奪われてしまうからだと、カルナリアも悟った。


 だからレンカにしがみついた。


 しがみつき、唇を深く重ね、体も密着させて、そしてもちろん忘れずに治癒魔法も注ぎこんだ。

 それは自分の義務なのだから、やらないわけにはいかない。


「んむぅぅぅぅぅ……!」


 カルナリアではなくレンカがうめいた。

 その体に、唇から、いや重なり触れ合った部分の全てから自分の魔力が流れこんでゆき、傷ついたところを癒やしてゆく。


 レンカの体が猛烈に熱くなり、生命の力が増してゆく。

 そこにはまぎれもない「生」が、いのちがあって、それを感じることで自分の生命も強まって、あの剣の闇の吸引力から自分を守ってくれていた。


 人とつながること、生きているもの同士でつながって耐えることだけが、あれから逃れる唯一の方法だった。


 ――生きている者たちがそうやって、自らの「生」を保っている一方で。


 そうしてしまうものを持つ者は――。


「お前は、生きるために食らっているだけだ。そのようにるものゆえに、そのように食らう。それは何の罪でもない」


 フィンは、その鞘を左手で持ち、腰にあてた。


「そして、私も同じく、そのように在るものゆえに……………………お前を斬る」


 右手で、柄を握った。


 鞘の、黄金の装飾が、輝いた。


 とてつもなく美しく、そしてとてつもなくおぞましい、人間が見てはならない光だった。


 グンダルフォルムもまた輝いた。

 輝き、炸裂した。


 衝撃波を、炎を、死を、ぶちまけた。


 そのとてつもない巨体の全てをこめた、大魔導師バージルよりも天才のファラよりも、はるかに強く大きな魔力を、ちっぽけな豆粒ひとつに向けて解き放った。


 この砦どころか山そのもの、いやグライルすら跡形もなく吹っ飛んでしまうかもしれない威力の攻撃を前に、フィンは――。


 抜いた。


 一閃。


 漆黒の刃が、弧を描いた。


 流麗にして完璧なる円弧。


 ……それが、斬った。


 襲いかかってきたすべてを。


 魔力を。衝撃を。炎を。死を。


 何もかも、ただの一閃で斬り捨てた。


 斬られたものは一瞬で消滅し、残るのは剣閃の残像と、それを描いた死神の凄麗なる美身のみ。


「我が死神の剣ザグレスに、斬れぬものなし」


 宵闇の化身、妖しき美剣士が、漆黒の刃を高々と頭上に構えた。


 鞘は地に置かれたが、両手で握ったその黒剣の、長い刀身に、鞘と同じような黄金の紋様があらわれ、輝く。


 目に見えるものは何もないが、ものすごいもの、この世のものではない何か、この世にあってはならない力が渦巻き始めるのを、カルナリアはほとんど失神しながら感じとった。


 グンダルフォルムも、それを感じたようだった。


 最強の魔獣、強者どころか二万もの精鋭兵をあっという間に殺し尽くすことができ、いかなる攻撃も通じず、頭部を両断されても即座に治癒できる無限の回復能力を持つはずの終焉の巨蛇が――


 高い知能を持つその目に、獣の蛮勇や怒りではなく、人間にそっくりな、おびえが宿った。


 巨体がうねった。


 向きを変えた。


 逃げ出そうとしたのだった。


「フィン・シャンドレン――参る」


 宣告と共に。


 最上段から、漆黒の刃が振り下ろされ。


 ものすごいものが解き放たれ。


 必死の形相、必死の速度で向きを変えた巨蛇の、顔面より少し後方に、命中した。




「!!!!」




 剣は、振り下ろされた。




 振られきった。




 黒い輝き。黄金の紋様。その残像。一直線にはしった何か。




 振るい終えた美身。


 静止した、死神。






 麗しく、妖しく、美しく、恐ろしいそれが……。



「……依頼、達成」


 ひとことだけ言うと。


 振り下ろした刃の、その延長線上で。


 そこにあった、グンダルフォルムの体が。


 なまじな樹木よりもずっと太い、円柱状の体が。

 剛強なる精鋭たちの誰ひとりとして傷つけることのかなわなかった魔獣が。



 顔面、つまり首の、少しだけ後ろのところから。


 切れて。


 離れて。


 青いものが。

 あふれて。



 くっつくことはなく――治癒が発動することはなく。






 右と左、首と胴体とに、分かれていったのだった……!






【後書き】

決着。

最強の魔獣は、最強の剣士の前にたおれた。

ここからは、生き延びた者たちの物語。


次回、第240話「後始末の準備」。とてつもない美貌をさらしても、超絶の剣技を披露しても、この怪人のマイペースぶりには何の変わりもない。

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