232 究極の魔獣



「それ」は、飢えていた。


 長い眠りから目覚めたばかり。

 その間に消耗したものの補充を、心身すべてが要求していた。


 眠りにつく前にほとんどなくなってしまうほど沢山食べた様々なものは、いつも通り、きちんと復活している。

 喜んで口にした。


 まずはやわらかい、白い木。

 口に含むと、心地良い感触と、それ以上に心地良い力をもたらしてくれる。


 寝起き直後に口にするものとしては申し分ない。

 だがある程度かじって回ると、他のものが欲しくなってくる。


 逃げる四本脚のものを追いかけ、捕らえて、いくつか口にした。

 これはこれで美味いが、もっと美味いものを知っている。

 それが欲しくなる。


 ――


 割と近いところに、実に美味そうな気配を放つ、小さな生き物がいた。


「それ」は、その小さな生き物を好んでいた。

 小さいが、実に良い味わいをしている。

 一粒一粒ごとにかなりの味の違いがあって、その種類の豊富さも好ましい。


 前に大量に現れたことがあり、あれをむさぼり食ったのは至上の幸福だった。あの時は、次から次へと広がる心地良い味のおかげで体が倍にも伸びたものだ。

 また食える。そう思っただけで全身に活力がみなぎってくる。


 その生き物の所在を感じ取り、まっしぐらに襲いかかった。


 抵抗された。

「それ」を動かすものと同じ力をぶつけられた。


 単純なものではなく、様々に工夫したものを色々とやってきて、そのひとつひとつが実に興味深く、面白く、そして良い味をしていた。ぶつけられる力もまた「それ」にとっての食事であった。相手が放ってくるものを残さず吸収し、学んでいった。


 様々なやり方でひたすら逃げるそれを追いかけてゆくことで、頭が冴えてきて、さらに活力を満たすことができた。


 相手の繰り出してくるものを受け、対処し、では次にどうしようかとあれこれ考えることは、目覚めたばかりの「それ」にとってたまらない楽しみとなった。


 逃れ隠れた土の下を掘り進み、ついにそのものを捕らえて噛みつぶした時には、残念な気すらしたものだ。


 もっとも、口の中でもなお暴れて、色々な味をもたらしてくれたことは実に心地良かったが。


 それを念入りに噛みつぶし、小さな身に宿していた力をすべて吸収することで、自分の体はまたいくらか伸びた。


 もっと欲しかったが、残念ながらいたのはその一粒だけ。


 また白い木を口にしたが、一度美味を味わった後ではすぐ物足りなくなる。


 やはり、あの豆粒のようなものが欲しい。


「それ」は北に向かった。

 前に豆粒を大量にむさぼったのはそちらだったからだ。


 高山に登って、遠いところまで見回して、より早く美味いものを見つけようとした。冷たく尖った岩の峰も「それ」にとってはまったく問題にならない。雲を眼下に見下ろしながら周囲を探る。


 すると。


 いた。

 見つけた。


 北ではなく、自分が後にしてきた南の方向で。


 まず、先ほども味わった、豆粒ののにおいがした。

 地平の向こうに、ほんのわずかだが、感じ取った。


 注意を向け、さらに探るうちに。


 まさにその方向に、突然、大きな力が湧いた。


 即座に、全速力で逆戻りする。


 間違いなく、美味だった先ほどのものと同じか、それ以上のものがそこにいる。


 ほどなくして、より大きな、すばらしい美味を感じさせるものがあらわれた。

 地上と天界とをつなぐ、これまで味わったことがないものの気配。


「それ」の意識は、飢えに埋めつくされた。

 食いたい。

 それを食いたい!


 そちらへ向かうと、たまらないものが追加された。


 豆粒の中の汁のにおい。

 豆粒を噛みつぶした時にあふれる、豊潤なもの。

 きわめて新鮮なそれが、たっぷりと!


「それ」はもうたまらず、全力を出した。


 全身を白い光で包み、一本の矢となって、まっしぐらに飛んだ。


 すぐにそこに到着した。


 頂から煙を噴いている、草木のない山だった。


 その中腹あたりに、えも言われぬすばらしい気配が、たっぷりと巣くっている。


 そこを見つけた途端に、またしても美味であること間違いなしの、強い力が放たれた。


 ためらう理由は何一つなく、「それ」はそこに突進した。




 襲われた豆粒が叫んだ。


「グンダルフォルム!」


 豆粒が音を発することができるということは知っているが、その意味は「それ」にはわからない。

 どうでもいい。


 美味い豆粒をたっぷり食う、それだけだ。






        ※






 誰が叫んだのか。

 ゾルカンか、案内人の誰かか。


「それ」が現れた瞬間に、カルナリアの耳に、その一言が響いた。


 グンダルフォルム、と。


 最強の魔獣。


 災厄そのもの。


 おしまいの巨蛇。


 元から震え続けている山の中ゆえ、誰も接近に伴う震動に気づくことができないまま、襲来されてしまった。


 大きな獣を通さないための「迷路」も、魔物よけの煙も、一切通用しなかった。


 まず、砦の壁が吹っ飛んだ。


 急斜面の上に、ある程度の高さと厚さを備えて、これまで見てきた魔獣のどれが駆け上がってきたとしても阻めるだろう石組みが、いとも簡単に。


 岩、間を埋める漆喰、形を整えるための丸太、それら全てが一撃で粉砕された。


 轟音と共に吹っ飛んできたものが、次々と人間を直撃。


 あちこちで赤いものが飛び散るが、それに恐れおののくよりも先に、もっと恐ろしいものが乗りこんでくる。


 巨大なもの。

 長いもの。


 大きく、長い――とてつもなく長いもの!


 カルナリアはそれを見た。


 目をふさいでいた手が離れたために、見えるようになった。


 自分は仰向けに横たえられ、周囲の者たちもかがんでいたために、飛んできた瓦礫の直撃は浴びずにすんだ。

 いくつかのものがうなりを上げて直上を通過していったが。


 しかし、即死しなくても、大して違いはなかった。


「うあ…………!」


「それ」を目に入れた途端に、カルナリアは死んでいた。


 自分の「目」が、見てしまったものに対して、そういう判定を下した。


 死、そのものだった。


 無理。

 ぜったい無理。

 かなわない。


 大きい。

 とてつもなく大きい。

 二階建ての丸木組みの「館」、それより大きい。

 あの痕跡から推定した通りの、高く太いもの。


 それが、長い。

 頭部が砦に突っこんできてなお、体の大半はまだ外にある。

 太く大きなものが、はるか彼方まで続いている。


 その体は、きらきらしたものに包まれている。

 体毛だ。

 巨蛇と表現されたその通りに長々と伸びる胴体は、これも蛇のように細長い六角形を組み合わせたうろこ紋様に包まれているが、その上でなお、びっしりと体毛に覆われてもいた。

 半透明。一本一本が人の指くらいの太さがある、透ける長いものが、延々と続く巨胴から無数に生えている。


 その一本ごとに、カルナリアは魔力を感知した。

 剣が通らないと言われている半透明のそれは、どの一本をとっても、魔力を通し、あるいは吸収し、さらには放つこともするだろう、導魔素材でもあるのだ。


 それだけでももう気死しそうなのに。


 その巨体の、突入してきた先端部。

 すなわち――「顔」。


 それは、蛇というより、猿に似ていた。


 ふたつのまぶたのついた目があり、そこから鼻にあたる部位が長く伸びて、長い口がその下にあった。


 先に見た鰐蛇セルゲータ平蜥蜴バラニダエ、あるいは王宮で見たワニそのもの、さらには絵画で見た伝説のドラゴンと、ある程度は共通する形状。


 しかしそれらのどれとも違って、顔面の周囲が細く細かな毛で覆われていて、そのために「鼻面が前方に長く伸びた『猿』」と言った方がしっくり来るものとなっており。


 何よりも、その「目」が――。


 カルナリアは、そこに知恵を見た。


 獲物がいれば食らいつくというだけの、けだもののそれではない、複雑な思考と高度な知能が「見え」た。


 前に襲ってきた噛み猿ガウキーと同じような、いやそれ以上の――すなわち人間のように、相手を認識し選別し、攻撃方法を考えている目だった。


 それはまた、とてつもなくおぞましいものでもあった。


 高い知能があるのに、その知能、思考が、人間とはまったく相容あいいれない。

 特殊な「目」を持つカルナリアには、それがわかってしまう。


 この巨蛇は、こちらをただの獲物ではなく、人間という種族だときちんと認識している。

 その上で、喰おうとしている。


 こちらが、思考し、意志を持つ、知的存在だということはわかっているのに、その上でなお喰らう。

 いやむしろ、知能あるから喰らう。


 自分も高い知能を持っている、だからこそ知能あるものを美味と感じて喰らう。


 あまりの異質さに、脳髄がひねり潰される心地をおぼえた。


 長い顔面の上に、左右二本の、体毛よりずっと太い、たてがみというか触手というか、そういうものが長く伸びていて、そこにも高濃度の魔力を感じる。あれは魔力や様々なものを感知する機能がありそうだ。


 顔の下には、腕もついていた。

 巨体に比べれば細いものが、やはり左右から伸びている。

 肘と言っていい関節部がひとつあり、先端には鋭く尖った三本の指。手の平にあたるものはないが、ものをつまむことはできるだろう。


 ――それらを視認したのはほんの一瞬で。


 恐らく斜面を駆け上がってきたのだろう巨体は、城壁を爆砕して躍りこんでくるなり。


 まっしぐらに…………そう、魔獣は人間の魔力を狙ってくると、初日の角豚ゴルトン襲来の時に言われていた通りに。


 大魔導師、バージルに突っこんでいった。


 その口が開いて。


 ずらりと並んだ鋭い牙と。

 奥の方に、平べったい――ものを噛み砕くための臼歯きゅうしも見えて。


 突撃したそれが、バージルと、周囲を守る騎士、兵士たちと、その周辺の岩床さえもまとめて、かじりとって、飲みこんだ。


「………………!」


 悲鳴をあげるどころか、これが現実なのかどうかもわからず、誰ひとり、何ひとつ反応できないままに。


 ゴリッ、という音と共に、数人が地面ごと巨蛇の口に消えて。


 ボリッ、という音が口の中で鳴った。


 人の絶叫らしきものがかすかに聞こえて。


 カルナリアは、凄まじい魔力の噴出を感じた。


 口の中で、大魔導師が、反射的に全力で放った致命的な魔法。


 ――そのはずだった。


 しかし巨蛇は倒れることも、苦悶することも、それどころか何らかのダメージを受けた様子すら見せることはなく。


 口を閉じた状態で、あごにあたるのだろう部位をしきりに動かして、それは間違いなく咀嚼そしゃくしている動きで、さらにボリ、ボリという音がして。


 その頭部、顔面を覆う細かな体毛が――胴体に無数に伸びる半透明の剛毛が……。


 はるか後方、城壁の外に無限に続く胴体すべてが、輝きを帯びて、きらきらとした色合いに変化する。

 まるで内側から何かがあふれ出てきたような。

 カルナリアはそこに魔力を感じ……。


 ……それでおしまいだった。


 本能的に、何が起きたかを理解した。

 理解できてしまった。


 大魔導師バージルが放った、自らの命を守るための最強の魔法が。

 口の中という、大抵の生物にとって、もちろん巨大なものにとっても弱点であるはずの場所で放ったそれが。


 すべて吸収されて。

 一切、ダメージにはならず。


 そのまま、噛み砕かれてしまったのだ……。


 巨蛇の口まわりがもごもごと動いた。

 大きさからすればわずかな動きだが、ちっぽけな人間から見れば激しい上下動、蠕動ぜんどう……。

 それに続いて、喉だろう部位が動いて、恐らく、噛み砕いたものを、飲みこんだ……。


 次いで、巨蛇の口から、かたまりが吐き出された。

 勢いよく岩壁に激突した、粘液にべったりまみれたそれは、一緒に噛み砕いたのだろう岩と――血や肉や内臓にまみれた、ぐしゃぐしゃにされた護衛騎士たちの武器防具、そして粉々に折れ砕けたバージルの魔導師杖だった。


 そう、果物を口にして、果肉と果汁を飲みこんだ後に、種や皮をプッと吹き出すのと同じこと……!


「ひぃっ!」


 カルナリアは、巨蛇の目を再び見てしまった。


 それは、笑っていた。

 間違いなく、よろこびの感情がそこにあった。


 味わい深い珍味を口にした、喜悦。


 さらには、同じようなものが周囲に無数にある、この場所を――テーブルいっぱいに美食を並べられた人間とまったく同じように、心から、楽しんでいたのだった……!





【後書き】

ついに襲来。これまで遭遇したどの魔獣も、こいつの前では獲物でしかない。口の中からの攻撃すら通じない上に、知恵があり、獲物を選別し味わい方を考えることもするこの巨蛇から、どうすれば生き残ることができる。次回、第233話「豆粒」。残酷な表現多数。



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