178 自分にできること



 湿った空気、灰色の世界の中で、移動再開の指示が出た。

 濃密ではないがまだ漂っているもやのおかげで、陰惨な行為の結果はカルナリアの目に入らなかった。


「ほら、こんな感じです」

「なるほどなあ、こいつぁ面白え」


 ファラがゾルカンに、腕に巻いたものを見せている。


 幅広の巻き帯に、握り拳より少し小さいくらいの透明な球体がついており、その中に針が浮いている。ファラがどのように腕の角度を変えても、浮いた針の向きは一定だ。

 針は、こちらの後方、やや下方を示し、そして光っていた。

 その輝きは徐々に弱くなっていく。こちらが移動し始めたから、遠ざかっているということだ。


「この光の強弱を、もっとわかりやすい目盛りか何かにできないかは、研究中なんですけどね」


 隊列は木々の合間を縫って登り続け――。

 割と平坦で、岩壁に二方向を守られるような状態になっているところで休止した。


 昼に長く休む予定だった場所ではないので、水場はなく、案内人たちも亜馬から荷を下ろすことはしない。


 主立った案内人が集められ――ライズ班も呼ばれた。


「みんな、聞け。さっき襲ってきた連中は、ガザードんとこのやつらだった」


 案内人たちに動揺がはしった。


「おかしいだろ、こんなとこにいるの!」


「全員、そう白状したし、ガザードの見た目についても正しいことを言った。他のやつらが化ける意味はねえ。どういうわけかは知らねえが、やつらがこっち側に来たんだと考えるべきだろう」


「……ガザードというのは?」

 カルナリアは小声でエンフに訊ねた。

「あのろくでなしどもの、親玉だよ。グライルの中に四つほど集団があるって言ったろ、そのひとつのかしらでね。一番悪知恵の回る、たちの悪いやつだ。

 ただ、縄張りはもっとバルカニア側――この先の一番高いところを超えた、向こう側だったはずなんだけどね……」


 ゾルカンや案内人たちも、険しい顔で言い合っている。


鎚矛犀ダリテウムもこっちに来てたし、先の方で何かが起きてるんじゃないんすか、おかしら?」

「わからん。少なくともさっきのやつらは、重大なことを隠してる様子じゃなかった。いずれにせよ俺たちは進むしかねえわけだが――ライズ」

「はい」

「昨日、魔獣相手にがんばってくれたのに悪いが、矢はあとどのくらいある?」

「それぞれ、10本ぐらいですね」

「俺たちの使う矢でもいけるかどうか、どこかで試してくれ。ろくでなしどもが襲ってきた場合、あんたらが勝負を決めることになる。あいつらは俺たちのことは大体知ってるが、あんたらのことは知らねえからな」

「切り札ですね。それは楽しい。存分にやらせていただきますよ」

「ガザードってやつは、手下を平気で囮に使ってくる。役に立たないやつらをけしかけてこちらの戦力をはかるぐらいのことは普通にやってくるやつだ。そのあたりも気をつけてくれ」

「はい」


 そういう話をしている間に……。


「動き出したっすよ」


 ファラが腕を伸ばした。

 その手首の球体、針が、ゆっくりと向きを変え始めていた。


「もうひとりも。一緒に、こっちの後を追ってきてるっすね」

「戻るつもりだな。どこかで俺たちを追い抜いて、仲間のところに逃げ帰って、治療してもらおうということだろう」


 合図を出していたのか、偵察隊が戻ってきた。

 ゾルカンは事情を説明し、逃げ戻るそいつらの後をつけるように言った。


 さらに待機すると――また濃い霧がやってきて。


「これにまぎれて、通りすぎるつもりっすね」


 岩陰でファラが楽しそうに言う。

 左右両方の針が、ほとんど真横を向き、かなり明るく光っている。すぐそこにいる。


 さすがに傷ついた身でこちらを襲ってくるつもりはないようで、先へ行った。


「行く」

 犬獣人ガンダが言うと、霧の向こうへ消えていった。


 霧が晴れ、また偵察を出し、さらに待ち――。


「この先には、本隊はいねえようだ。行くぞ」


 針が示す、逃げる者たちは、移動し続けていた。

 昼に休む予定だった場所に、山賊の集団が待ち受けているということはないようだ。





 本来の休憩所についた時には、正午をとうに過ぎていた。


 清流が流れ、小さな池がある、そのほとりである。

 空は灰色だが、きれぎれに青空が見えていた。雨には遭わずにすみそうだとのこと。


「罠!」


 警告の声が飛んだ。


 あの『棘』のような、もっと鋭い、金属の釘を立てたものが草の間に隠されていた。


「あいつらのにおい」


 バウワウがそう識別した。


「俺たちもやるからな。お互い様ってもんよ」


 ゾルカンは平然としていたが、カルナリアはぞっとした。

 人間が人間を狙う。様々な魔獣や危険な存在を見てきた後では、そのことがどうにも悲しく、やりきれない。


 火が焚かれ、食事の支度が始められた。


「待て! 毒だ!」


 亜馬が一頭、倒れ、痙攣けいれんし始めた。

 池の水を飲んで、少ししてのことである。


 鍋で沸かされかけていた池の水はすべて廃棄され、川の上流から汲み直された。


「やつら、投げこんでいきやがったのか?」


「いや、そんなもんは持ってなかったぞ」


「これ、だな…………まったく」


 突然、けだるげな声がした。


 ぼろ布がそこにいた。

 土の付いた草を持っているのでそうとわかった。


「ご主人さま!? お帰りなさい!」


 カルナリアは慌てて駆け寄る。


 豹獣人ギャオルが、フィンに続いてやってきた案内人たちの最後尾に現れ、大回りしてフィンを避けつつ仲間の元へ戻っていった。


「この紫色の花の、根には、強い毒がある。途中に引き抜いた跡があった。見つけて、抜いて、途中で折って毒がよく出るようにしてから、水に投げこんでいったのだろう」


「…………」


 フィンが追いついてきてくれてたまらなく嬉しいのに、知恵を巡らせてこちらを害しようとしてくる人間のやり口に寒気をおぼえて、喜びきれなかった。


「無事だな。よかった」

「はい。でも、山賊に襲われて、ゴーチェさんが、腕を切られました。それほど深くはなかったですけど……」

「途中にあったあれだな。後でほめておこう」


 その言い分は、山賊たちの死体を見たということ……。


 カルナリアは顔を歪めた。


「襲ってきたのを、打ち倒して、捕まえて……まだ生きていたんですけど、このあと殺されるというのを、どうすることもできませんでした。見捨ててしまいました……」


「……そうか」


 カルナリアは頭をぼろ布につけた。

 背中を軽く、あやすように叩かれた。

 そのせいでさらに言葉と感情があふれ出た。


「悪い人たちです。これまでにも人を殺しています。かばっても、何一ついいことはありません。助ける力も、その後のことに責任を取る力も、私にはありません。でも……」


 つらさのままに、ぼろ布をつかみ、うつむいた。


 その背中を撫でつつ、フィンが言う。


「自分にできないことまで、自分のせいのように思うんじゃない。そんなのはただの傲慢ごうまんだよ」


「傲慢……ですか、私」


「人が死に始めてから、傲慢になってきてるな。命を救おうとして、背伸びしすぎてる」


「………………」


「人が死ぬことに慣れろとか、助けようとするのをやめろとは言わないよ。その心はとても大事なものだ。なくしてはいけない」


 どこまでも優しく、撫でさすられた。


「……だが、目に入る限りの全員を助けようなんていうのは、お前の手に余ることだ。自分の身を守ることのできないお前が、すべてを助けられなかったと自分を責めるのは、傲慢そのものだよ」


「…………はい」


「お前のことは、私が必ず守る。お前の望みも、できるだけ私がかなえてやる。だが、すべてを助けることは私にも無理だ。だから、無茶も、無理も、できるだけ、するな」


「……ありがとうございます……」


 その言葉はたまらなく嬉しかったが、この人物であっても人の死を避けることはできないという事実が悲しく、鼻をすすった。


「よし、よし」


 また背中をさすられ、こみ上げるものをどうすることもできなくなった。




 その後フィンは、毒を受けた亜馬の様子を見て、薬を与え、回復させた。


 ここでも何もできない自分に、カルナリアは落ちこんだ。





【後書き】

悪辣あくらつなる――人間。ありとあらゆる手でこちらを害そうとしてくる厄介きわまりない存在。そんなものまで助ける必要があるのか。カルナリアはひたすら思い悩み、自分の無力を嘆く。

次回、第179話「目覚め」。



【解説】

ファラが出してきた探知魔法具は、第79話で登場しています。フィンとカルナリアの居場所を探るためにギリアにつけさせました。

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