177 ろくでなしども
「大丈夫ですか。どこかやられたのですか!?」
問われた相手の男は、
「いや、別に何ともないぜ。なんでそんなこと聞く?」
カルナリアの心臓はバクバク言っているが、フードと濃霧のおかげで顔色を見抜かれずにすむことはありがたい。
「……怪我したのかなって。後ろの女のひとは、薬師さまですから」
一瞬で考え、言ってみた。
「ほう。そりゃいいや」
男は露骨にそちらに興味を示した。
案内人なら、話しかけてこない者であっても、ファラのこと、ファラが魔導師であることはよく知っているはず。
つまりこの男は……もう間違いなく……!
カルナリアから離れて後方へ――その手は、服の中に入っている……。
ろくでなしどもは、気づかれるとすぐ刃物を振り回す……!
「敵襲! ゴーチェさん、気をつけて!」
カルナリアは叫んだ。
案内人たちを真似して警告を発した。
叫んですぐ、その場にかがみこんで身を守る。
レンカだろう気配が急接近して、頭に手を置き確認し、傍らに立ってくれた。
鳥の声のような、ピーッという高い音が鳴った。
背後、すぐのところ。今の男が放ったらしい。
それに続いて、白霧の向こうから何かが出てきて、争う気配、男の苦鳴、硬い物がぶつかりあう音……!
前の方からも争いの気配がした。
悲鳴――女性の声――パストラだ!
「はい、ドーン!」
ファラの声がして、魔力を感じて――。
振動、轟音、そして霧が渦巻き暴れた。
周囲が見えるようになった。
まわりはまだ白い壁も同然だが、自分たちのいる近辺の霧が吹き飛ばされて、視界を得られた。
木々が立ち並ぶ登り斜面。
何も見えないから自分たちは一列になっていたが、歩ける場所はもっと幅広い。
かがんでいる自分、その前で身構えているレンカ、後ろの亜馬とファラ……多分風魔法で吹っ飛ばされたのだろう毛皮服の男が、立木に背中から激突して崩れ落ちており――。
亜馬の足元に、もうひとり毛皮服の男が倒れていて、その傍らには棒を構えたゴーチェ――だがその腕から血がしたたり落ちていた。
毛皮服の男はさらにもうひとりいたが、そちらは巨漢のファブリスが腹に膝をぶちこんで悶絶させ制圧していた。もうひとりの護衛ジスランはセルイをかばい周囲を警戒。
そして前方の班では――。
「ひぃぃぃっ!」
悲鳴、泣き声、叫び声――地べたでカルリトを抱いたライネリオ、亜馬から引きずり下ろされ男に羽交い締めでさらわれかけているパストラ、同じくもう一人の男にしがみつかれているアリタの姿が。
「そこか!」
相手の姿を視認したエンフが、すかさず
「う、動くんじゃねえ、この女、殺すぞ!」
しかしアリタを捕らえた男が、刃物をそのあごに突きつけ、人質にした。
エンフはたたらを踏みうなる。
そこへ、吹き飛ばされた霧が、また押し寄せてきて、何も見えなくなり――。
「ぎゃっ!」
その男の悲鳴、動く気配、エンフの気合い、ゴツッという激突音――。
それで、静かになった。
「ゴーチェさん! 怪我が! 手当てを!」
「も、申し訳、ありません……またしても」
「いいから、腕を出してください」
こういう時のための、フィンの薬である。
傷の手当てのやり方はギーに教えられている。
上着を脱がせると、傷口より上のところに布を巻いて血流を止め、水をかけて洗い、薬を塗って、化膿止めの効果がある木の葉を揉んでからあてがい、それごとまとめて布を巻きつけ、最後に血止めの布をほどく……。
「ええと、こう……」
「代われ」
レンカが来て、カルナリアよりはるかに手際よく、きれいに、処理してくれた。
「慣れてるからな」
「すみません……」
ファラも様子を見にきてくれた。
「なんつーか、カルちゃんじゃないけど、せっかくつないであげたとこ、また傷つけられるのはムカつくねえ。腕は動くね? じゃあこっそり治してあげる」
ゴーチェの衣服や肌についている血も、ファラの魔法で洗浄された。
あの生命力たっぷりのものではなく、ただの水を出しただけだが、それでも充分ありがたい。
それらの処置の間に、班の案内人やセルイたちが、倒した男たち三人を縛り上げていた。
その場で動かず待つうちに、突然、霧が晴れた。
入りこんだ時と同じように、あっという間に白いものが去っていった。
雲から出たのだろう。
隊列すべてが見えるようになり――。
ゾルカンがやってきた。
地べたに転がされた、むさ苦しい毛皮服たちを検分する。
全部で五人。
ひとりには、首の周りに濃厚な刺青があった。カラントの犯罪奴隷だ。殺人の罪。追われて、グライルに逃げこんできた者だろう。
「くそったれどもだな」
「風下だった。霧も邪魔した。すまない」
後ろからバウワウも来て、においをかぎとれなかったことを渋い声で詫びた。
何が起きたのかはおおむね明らかになった。
人を襲って物資を奪う、山賊のような連中、いや山賊そのものが、霧の中で待ち受けていて。
通りすぎるのを待って後ろから襲うつもりだったのだろうが、呼び合う声や点呼で女の存在に気づき、忍び寄ってきたようだ。
自分たちの方に三人来て、ファラの居場所を確認した上で合図を出し、襲い、さらうつもりだったのが、阻まれた。
エンフ班の方には二人。
ひとりはアリタにしがみつき、もうひとりは木の上から飛びついてきて、亜馬にまたがるカルリトを父親の方へ蹴り飛ばしてから、パストラを引きずり落としてさらおうとしたのだった。
「あの村の連中よりも、もっと女に飢えてるからね。先にこちらに気づいて、襲う気で隠れてて、でもあたしたちの声がしたんで、我慢できなくなって動き出したってとこだろうさ」
縛られている五人を見下ろすエンフが、軽蔑を隠そうともせずに言った。
五人はみなそれぞれ、打撃で倒され、ほとんど血は出ていない。
ひとり、アリタを人質に取った男の、額と手の甲に赤い点のようなものがあることにカルナリアは気づいた。
「
レンカが小声で言った。
近くにいたのか。本当に謎の存在である。
「これで全員か?」
「他のにおいは、ない」
「だとしたら、少ねえな。待ち受けていたなら、俺たちの人数はわかってるんだから、たったこれだけってことはないはずだ」
「偵察隊かもねえ。うちのガンダたちみたいに」
「だったらこの先に、本隊がいるな」
五人はほとんど荷物を持たず、ごくわずかな食料を懐に入れていただけだった。それもまた、この者たちが偵察隊である可能性を高めていた。
「ここで止まって、ギャオルたちを待つかい? ぼろも、来てくれると戦力が一気に増えるけど」
「そうしてえが、ここは場所が悪い。また霧に包まれると厄介だ。この先の、ひらけたところに全員を集めよう」
「あの……この人たちはどうするのですか?」
カルナリアは、返答を予想しつつ、訊ねた。
「どこの者か聞き出してから、ぶっ殺す。いつものことだ」
予想通りの返事がゾルカンから返ってきた。
エンフが、他の客たちにも聞かせるように言った。
「あの村の連中とか、襲ってきた山師のやつら、あいつらはあれでもまだ、自分たちで何か集めてたり、狩りをしたり、いわゆる仕事を持ってる。だからあたしたちと取引ができる。
こいつらはそういうこともしない、他の者から何かを奪うことしかできないやつらなんだ。だから、下界でやっていけなくてグライルに逃げこんできて、そこでもさらに追い出され、逃げ出し、そういう連中同士で集まって、ちゃんとやってる連中を狙ってくる。
グライルの中には四つか五つ、こういうやつらの集団があってね。獣は狩れないけど人間相手なら強い、なんてやつがけっこういて、厄介な相手だよ。
道を完全にふさがれて、荷物をある程度置いていかないと通してくれない、なんてことも時々やられる。殺し合いはいつものこと。女をさらわれたこともある。
見逃したところで、結局他に食っていく技のない連中だ、反省なんかしないでまたこっちを狙ってくるだけ。だから見つけ次第処分するのが、あたしたちのやり方なんだよ」
文句は言わせないよ、とカルナリアを険しく見る。
「…………はい」
カルナリアは返事した。
そうするしかなかった。
これまでとはまったく違う。
この五人を助けたところで――感謝されないことはどうでもいいが、面倒を見ることがカルナリアにはできない。五人分の食糧や寝床を確保し、何か不祥事を起こした時にはカルナリア自身で処罰することができなければ、人を受け入れるなど不可能だ。
そもそも、ゴーチェを殺そうとしてきた相手だ。助命を乞うのは、彼の負傷をないがしろにするのも同然のこと。ゴーチェが自分に仕えるというのを認め、これまで色々守ってもらっているのだから、彼を傷つけた相手を助けたいと言い出すことすらしてはならない。
苦い思いを飲みこんで、命が失われるのを受け入れるしかなかった。
「あー、ちょっと、いいですか。二人ほど、生かしておいてもらえませんかねえ」
だが意外なところから声がかかった。
ファラ。
腕輪、いや手首に巻く帯のようなものを手にしていた。
帯に何か妙なものがついている。
「これ、髪とか血とか、体の一部を入れると、その相手の居場所をずっと指し示す道具なんです。これで、この連中の行き先を探れば、色々わかるんじゃないかと。
ひとりだけだと、どうしようもないんで私たちにくっついてくるでしょうけど、ふたりいれば、本隊とか本拠地に戻ろうとするかもしれません。
ずっと私たちについてくるだけなら、その時はレンカに片づけさせますから」
「ふむ。そんなもんがあるのか。そいつは……疑うようで悪いが、どのくらい離れたところまでわかるんだ?」
「髪だとこの山全体ぐらいですけど、血を使えば、山のずっと向こうまでわかりますよ。近いと明るく光りますから、大体の距離もつかめますし」
「わかった。あんたらのことはこいつらには知られてねえから、こっちに損はねえ、やってくれ。いつものように聞き出してから、片腕を折ったやつを二人残す。殺し損ねた感じにするんだ。他は片づけろ」
ファラと案内人たちが「作業」に取りかかり――。
「カルス様、あちらへ」
その様子を見せないようゴーチェに気を遣われた。
レンカも自分についてきた。
「あれを助ける意味はありません」
「わかっています。あなたを傷つけた相手です。殺す気で襲ってきた相手でもあります。あれは、当然の処置です……」
カルナリアは言い――自分が救った命である、道の上の方にいる者たちに目を向けた。
山賊に蹴り落とされたカルリトが、父親に支えられつつ、アリタに手当てされていた。
「いたいよぅ、いたい、いたいぃぃ……!」
「大丈夫ですよ。お母様を守った、名誉の傷です。これが治れば、前よりずっと格好いい男の子になっていますよ」
ぐずる子供に優しく言いながらアリタは、汚れを落とし、傷ついたところを自分の水で洗ってやり、化膿止めの草の葉を潰した汁を塗りつけてゆく。
自分も襲われ、怖い目に遭ったはずなのに、笑みを絶やすことのないそのたたずまいに、カルナリアは尊いものを感じた。
傷の手当てにもたつく今の自分では、フィンに安心してもらえる、しっかりした者にはまだ遠い。
(技術は必ず身につけるとしても、他にも何かできることがあれば……もっと、沢山の命を救えるように……)
そう思った瞬間、体の中で、何かが動いた。
「!?」
魔力……!
だが、もう一度やろうとしても、どうやってもできなかった。
「どうなさいました」
「いえ……」
ファラに言えば、何か教えたり、調べたりしてくれるだろうか。
だが――彼女は反乱軍の者。
打倒したい王族であるカルナリアが新しい才能に目覚めるということに、協力してくれるはずがなかった。
【後書き】
カルナリアは初めて人を見捨てた。苦く悲しいが、そうするしかなかった。その判断ができるのは彼女の強みであり悲しみでもある。見捨てずにどうにかできる力があれば。カルナリアは願い、成長し、変化してゆく。
次回、第178話「自分にできること」。
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