179 目覚め
その日はもう移動はせず、そこで野営することになった。
前方に山賊が出現する可能性があるということで、偵察を多く出し、慎重に進むことにしたのである。
「まだ、移動し続けてますね」
生かして逃がした山賊たちが、止まる気配を見せない。
ファラの腕で、針は少しずつ動き続けている。
しかもその角度が変わってきた。
水平より上へ。
つまり今自分たちがいるここよりも、標高の高い場所へ移動している。
「『峠』を、越えようとしてやがるな」
「峠?」
「本当ならその手前で休んで、明日一日かけて通過する予定だった、一番高いところだ」
「ということは、こちら側には、山賊はいないということですか?」
「そうなるな。それがわかるのはありがたいぜ、ほんと」
「お役に立てて何よりです」
……ゾルカン相手なのでふざけることはせず、真面目に話しているファラが何だか不思議な感じで、カルナリアはフィンに寄りかかりながらずっと見つめていた。
「あいつらの持ち物だと、そう長いことうろつくことはできねえ。ねぐらから寄り道せずこっちまで来て、同じくまっしぐらに戻るのがぎりぎりだろう。最初からその予定でこっち側に出向いてきてたってことだ」
「ゾルカンさんたちを待ち受けていた、ということでしょうか」
「ああ。あいつらもそう言っていた。そのこと自体には何の不思議もねえ。いつもあることだ。
問題は、なわばりからずっと離れた、この辺にいたってことなんだ」
「それについては何も言っていなかったですよね」
「そうなんだよな。ガザードから、できる限り急いで東へ行って、俺たちを見つけたらこれもできるだけ早く戻ってこいと、それしか言われてねえ。だからあいつらにも理由はわかってねえ」
「早く見つけて、沢山罠を仕掛けるとか?」
「峠といっても、道は一本だけじゃないんだ。ある山の北側を越えるか、南側を越えるかみたいな感じで、何本も道はある。早く見つけて待ち構えても、俺たちが道を変えたら苦労が無駄になるだけだ。待ち受けるなら、高いところは木がなくて俺たちの姿が丸見えになるから、峠の向こう側で見張ってるだけで十分間に合うんだ。わざわざこっち側に出てくる理由がわからん」
「不思議ですねえ……これは、もうちょっと糸をつけておくべきだったかな。でも魔法の使いすぎはまずいんですよねえ?」
予定外の野営となったが、飲める水は確保できているし、することに普段と違いはない。むしろ時間に余裕ができた分、案内人たちも気をゆるめた様子で天幕を設置していっている。
「女用のを用意したよ。ぼろ、カルス、あんたらも休んでいいよ」
エンフが教えてくれたので、ファラを見物するのを中断し、移動した。
ここは昨日のように崖に守られていないので、ライズ班の女性陣も全体の中央寄りの天幕でまとまって休むということにされた。
これまで同様、レンカとフィンは夜の番もすることになっている。ならば休めるうちに休んでおくのはむしろ義務だ。
レンカ、カルナリア、フィンの順番で入っていく。
ゴーチェは外で、入り口の守りについた。
中には、アリタがすでに入り、腰を下ろしていた。
「おつかれさまです」
「ありがとうございます……」
アリタは、自分も山賊に襲われた直後にカルリトをなだめながら手当てし、アランバルリの様子も見てと働きづめで、さすがに疲れた様子でほぉっと息をついている。
その様がやはり妙になまめかしい。
カルナリアも荷物を下ろし座りこんだ。
フィンは根を生やし、レンカは横になりすぐ寝息を立て始めた。
したがって、事実上、アリタと二人きりも同然。
思えば、同じ天幕内や家の中で眠ったことはあったが、この女性とちゃんと話したことはなかった。
しかし今となっては、話せることは、ひとつしかなく。
そのひとつの――シーロが転がってゆくあの音は、今もカルナリアの脳裏によみがえり、責めさいなんでくる。
「シーロさんは…………お悔やみ、申し上げます……」
「ありがとう」
目を伏せたまま、アリタは静かに言った。
「もう、一日、経ったのですね……あのひとがいなくなってから……」
「大丈夫ですか?」
「ええ。悲しいですけど……彼が、隣にも、どこにも、いないというのは……寂しくて、どうにもできないですけど……私は、彼に救われたのだから……必ず、生きて、国へ帰らなければなりません。泣いたり、倒れたりしている場合じゃないんです……」
「うかがってもいいですか。アリタさんたちは、どうして、カラントにいたのですか?」
「シーロと私は、レイ――カラントでいう、三位ぐらいの高位貴族の方のお屋敷で、当主様のお母様にお仕えしておりました。
その方は、もう社交界からも引退なさって穏やかに余生を過ごしておられましたが、とてもお優しい方で、誰もが尊敬し、もちろん私たちも深く敬愛しておりました。
でも、その方が、病に倒れられてしまい……苦しむ日々が、長く続いて……。
当主様は国中の医師にあたられましたが、治す方法はないと言われてしまい――そんな中で、商人から聞いたのです。カラントの、タランドンという街に、その病気を治せる魔法のお薬を作れる者がいると。
カラントに頼るなどバルカニアの恥であると、他の貴族様たちに攻撃される口実を作ってしまうために、当主様は表だって動くことができません。
そこで、シーロと私がこっそりカラントへ出向き、そのお薬を手に入れてくることになりました。
伝手をたどり、お願いして、どうにかそのお薬を買うことはできたのですが――その時にはもう、グラルダン城塞が封鎖され、バルカニアへ戻れなくなってしまっていて……何としてでも、帰らなければならないと……知り合いのバルカニア人の方に、グライルを越える方法を教えていただき、紹介してもらって……その方は、あの虫のところで亡くなってしまわれましたが……」
「………………」
カルナリアも目を伏せ、死んでいった者たちにあらためて祈りを捧げた。
「がんばって、山を越えて、戻りましょう」
「はい」
アリタはうなずくと、少しだけ口元をゆるめてカルナリアに言ってきた。
「あなたは、とてもすごいことを、沢山していますね。
刺された人を助けようとしたり、虫の中に飛びこんでいったり、あんなに痛い目に遭わされながらミラモンテス様を助けようとしたり。
私は自分ひとりのことで精一杯なのに、大人なのに、恥ずかしいです。
あなたが懸命に人助けをしようとしている姿に、私たちみんなが、励まされて……いえ、救われ、生きる気力を与えられていますよ。ありがとう」
「…………それは…………」
フィンに心情を語った時にはこらえていた涙が、あふれそうになった。
「ですから、無理はしないで……どんな人でも助けようとはしないで……つらい時には、話を聞くことはできますから、言ってくださいね」
「はいっ…………!」
鼻をすするだけで何とか耐えて、カルナリアはうなずいた。
「えええっ!? なんじゃこりゃぁ!?」
外からファラの、素っ頓狂な声が聞こえてきて、気恥ずかしくなっていたカルナリアはこれ幸いと天幕を出た。
危険はないはずだ。フィンもレンカも動いていない。危ういものを察知したならこの二人は反応するはず。
ゴーチェがついてきてくれ――ファラとゾルカンたちのところへ様子を見に行った。
「どうしたのですか? 今の声は?」
「いやあ、それがさあ……」
ファラは両腕の、『人差し針』を示した。
先ほどはここより上を向いていた針が、下がっている。
それだけなら、耳にしていた、峠を越えたということなのだろうが……。
徐々に、明るさを増してもきていた。
つまり。
「戻ってきてるんだよ。意味わかんない!」
「峠の、上の方に本隊がいて、それと合流して、私たちのところへ案内させられているということでしょうか?」
「いや、ねえな」
ゾルカンが言った。
「それなら、逆にこっちからそいつらの姿が見える。上の方には木がなくて、丸見えなんだ。つけさせてるガンダや他の連中が見つけて、知らせてくる」
「あっ!」
ファラが声をあげた。
ふたつある『人差し針』の片方が、突然激しく動いたかと思うと、光を完全に失い、針が垂直に上を向いた。
「死んだ…………転がり落ちたかな。それとも……」
仲間に、あるいは他に合流した誰かに、殺された。
カルナリアは寒気をおぼえた。
慄然としている中で、さらにもう片方も、同じようになった。
「ふたりとも、死んじゃったかあ……」
「何があったにせよ、今すぐここがどうにかなるってことはねえ。客のお前らは、とにかく休んどけ」
ゾルカンの指示はもっともで、カルナリアはそれ以上好奇心だけで様子見するのは
「何があった」
珍しく、フィンに問われた。
「……なるほど。峠を越えようとして、逃げ戻ってきて、転げ落ちて死んだ、か…………」
「山賊という人たちの、お頭の人は、とても残忍だと聞きました。その人にまた私たちの様子を探ってくるよう厳しく命令されて……でしょうか」
「腕を折られているのだろう? それなら、少しは離れても、踏みとどまって、助けてくれ治してくれと懇願するだろう。一応は共に暮らしている仲間が相手なのだからな」
「……では、どういうことなのでしょう」
「よほど怖いものでも見たのかな」
「怖いもの、ですか?」
「来る時にはなかったもの。何とかしてねぐらへ戻る方法を探るどころではなく、明確な敵である私たちのいるこっち側へでも構わず、転げ落ちて死ぬほどの勢いで逃げなければならないもの」
ごくり、とカルナリアの喉が鳴った。
「また、何かすごい魔獣が出たのでしょうか……」
案内人から色々聞かされた、グライルにいる様々な恐ろしいものたち。
あの血吸蟻の大群や、石人の本隊のような、抗いようのないものかも。
「落ちつけ。今の所、地響きや、大きなものが近づいてくる感じはない。ゾルカンが正しい。今は、レンカを見習い、休んでおけ」
「はい……」
カルナリアは大人しく、レンカの隣に横になった。
「……そういえば、ご主人さまの
アリタがいるので、花のことは直接は言わない。バルカニア貴族に伝えられて、手に入れようとする者たちが押し寄せてくるのは、案内人たちにとって面白いことではないだろう。
「まあ順当に、険しい道を通って、朝と同じ場所に。案内人が一株抜いて、持ってきた」
サンプル入手。
それを元にあちこちで探すのだろう。
自分たちは山賊に襲われたが、フィンは何もなかったというのなら、それはいいことだ。
昨日と同じく、フィンに見守られながら、カルナリアは目を閉じ体を休めた。
眠りこみはしなかったが、体は徐々にゆるみ、疲れが取れてくるのが自分でよくわかった。
これもまた、自分が身につけるべき技術、自分にもできること。
――その傍らのぼろ布が。
す、す、すと、音を立てずに移動してゆき。
「アリタ。私は体を揉んで、疲れを癒やすのが得意だ。少ししてやろう。足を出せ」
「………………!」
カルナリアは飛び起きた。
仰向けの態勢から、ほとんど水平を保ったまま全身を跳ね上げて、空中で身を丸めて着地した。
「あ…………!」
鼻にかかった、悩ましい声。
素足を出したアリタ、その足を麗しい手が包みこんでいる……!
「なっ………………何っ…………をっ…………!」
飛び出すほどに目をむいたカルナリアの目の前で。
目覚め、これも愕然としているレンカの前で。
「少し、痛むぞ」
「んっ! くぅっ………………ん…………あぁ…………はぁ、ん……きもち、いいです……」
回し、こきこき音を立てさせ、指を食いこませ――少し痛がらせて、しかしその後に心地よさそうな、たまらなく悩ましい吐息やわずかな声を漏らす状態にさせる。
気がつけば、ファラも天幕内に入ってきていて、まばたきせずに見つめていた。
「うつ伏せになれ。揉むぞ」
服の上からではあるが、指示に従った未亡人の、ふくらはぎやふとももに、手を食いこませ、揉みしだいてゆく。
「ん、ん……あ……ん…………はぁ……あっ……んっ、あっ……」
異様に胸がかき回される、アリタの切なげな吐息。
しかも、最初のうちはまだ戸惑いや抵抗があったものの、徐々にそれが失われてゆく変化が、はっきりわかる。
「ああ…………」
抵抗する気持ちを失った甘い声は、もうどうしようもない耳の毒、心の毒だ。
「少し、痺れるぞ……声はこらえてくれ」
フィンの指が未亡人の、お尻を越えた、腰の一点――
「んっ………………はぁっ………………あぁぁぁぁぁっ!」
あのアリタが、こちらの下腹部に刺さるような声を張り上げ、その腕が、足が、張り詰めて、ブルブル震え――。
フィンの指が離れても、震えは続き、お尻も幾度となく波打って、裸足の足指が折れ曲がったり、開いたりして……。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………ぁ…………」
徐々に震えが落ちつき、かすかな吐息を最後に、ぐったりして、動かなくなった。
「終わりだ。落ちついたら起き上がってみてくれ。かなり楽になっているはずだ」
「は…………はい…………はぁ……はぁ……」
アリタは、肌を強く火照らせ、髪がひとすじ額にほつれ、目を深く
「みなさん……どうなさったんですか?」
周囲に気づいて、ぎょっとした。
カルナリアは、昨夜自分が何をやられたのか理解し、背中からのあのものすごい痺れを追体験してびくびく震え。
レンカもまた、ぐにゃぐにゃになってへたりこんでいた。
まばたきを忘れたファラの目は限界まで充血してものすごい有様。
「しっかりしろ」
フィンに軽く頭を叩かれて、カルナリアは自分を取り戻した。
そして即座に。
「ご主人さま。ちょっと、お外へ。人の来ないところで、お話など。ええ、少しだけです。ほんの少し。お話を。うかがいたく。ええ。ぜひとも」
ぼろ布をつかみ、逃がさず、引っ張っていった。
「ワタシも、ぜひとも、お話を、聞きたい」
レンカもついてきた。
自分たちは今、間違いなく、同じ顔をしていた。
「いや、本当に、疲れているようだったから、ほぐしただけで」
「今まで、そのようなことは、一度もなさらなかったのに、なぜなのでしょう? めんどくさいことではないのですね、今のは?」
「女の人が好きなのですか。それならワタシはこれから女であることにしますが」
「まあ待て。やましいことは何もない」
「何もないのでしたら、なぜ、急にあの方に優しくなされ始めたのか、理由をお聞かせいただけますよね?」
「いや、それは、今の時点では、まだ」
「まだということは、何かあるのですね。確実にあるのですね。あの方にあのように手を出される理由が」
「手を出すなどと、何か誤解していないか」
「いいええ、実際に手を出されて、それはもう嬉しそうに揉まれておられましたよねえ」
「嬉しそうにとは、そんなことは、別に、ないぞ、うん」
「……これは貴重な光景っすね。剣聖さんが守勢一方、ちびっ子二人にはさまれ攻められ、さあいかにしてこの場を逃れる?」
ファラが実に愉快そうに見物に出てきた。
「ぬうう」
「そもそもご主人さまは隠しごとが多すぎます。言葉も足りなさすぎます。先に説明してくださっていれば、こちらが悩んで、判断に困って、つらい思いをすることもなくすんだことが、これまで何度ありましたか」
「いや、ほとんどの場合、必要なことで、それに事前に言うべきではないことも色々と――」
「そういうことではありません」
カルナリアの腹の底から熱いものがこみあげ続けて、止まらない。
このひとに迷惑をかけず、心配させず、気にしなくても大丈夫と思われるようになりたいのに。
もっと色々なことを教えてもらって、しっかりした者になりたいのに。
このひとがこうでは、自分は、いつまで経っても……守られるだけの、子供……!
こみあげてきたものは、体の内側で渦巻き、沸騰し、口から、目から、言葉になって、感情になって、ぼろ布目がけて飛びかかってゆく。
「…………あれ? 待って、カルちゃん……それ……!」
ファラがハッとして、真顔になって杖を構えた。
魔導師の、それも天才魔導師の顔で、カルナリアに向けて何かを――。
その時だった。
「…………!!」
案内人の声が。
叫び声が。
ひとり、叫びながら、駆け戻ってきた。
ものすごい声音。
警報。
ゾルカンが動き。
案内人たち、ほとんど全員が動き出し。
知らせを伝えてきた者を見る。
駆け戻ってきた案内人、一行のうちでは最も能力が高く経験も豊富であろう偵察隊のひとりが、叫んでいる。
必死の声で。
恐怖の顔で。
一言だけを、繰り返し。
客たちは、それを耳にしても、きょとんとするばかり。
だが案内人たちが、立ちつくし、蒼白になってゆく。
ゾルカンがあんぐりと口を開き、エンフが、あの女傑が、血の気を失ってよろめいた。
案内人たちを凍りつかせたのは、ただ一言。
「グンダルフォルム!」
――グライル最強の魔獣、災厄の巨蛇の名だった。
【後書き】
目覚めた。カルナリアではなく。案内人たちをもってしても死を覚悟するしかない、グライル最強の存在が、ついに。次回、第180話「最後の晩餐」。
【解説】
気づいていませんがカルナリア、フィンのぼろ布をつかみ捕まえることに成功。第一日目の113話、114話では簡単に逃げられてしまいましたがここでは逃がさず詰め寄ることができています。実はひそかにレベルアップ。
フィンがアリタを気にかける理由はちゃんとあります。実はカルナリアもヒントは与えられているのですが、お姫様なので気づけません。そのあたりはいずれ。
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