166 登ってきた者


 吸血岩ガーム


 粘体生物スライムの一種と考えられている。


 動物の血肉をエサにして成長する。


 最初は胞子が、動物の死骸の上で発芽し、腐肉から栄養を摂り成長する。


 成長すると、球体になる。

 球体の中には、硬く重たい核と、貝柱のようにその核を支え動かす土台、それを包む液体の袋ができて。

 核を揺らし水袋の位置を変えることで勢いをつけ、転がって移動することができるようになる。


 球体の外部は硬質化し、粘着性の高い体液をにじませて、獲物をくっつけることができる。

 獲物を吸いつけると、今度は消化液を分泌して溶かし、食らう。


 無論、小さいうちは大した脅威ではなく、生きている動物ならすぐ引きはがしたり踏みつぶすことができる。

 小さいものの主食はもっぱら地べたを這う虫だ。


 だが、大きく成長することができたものは、積極的に動き、獲物を感知すると動き出し転がり落ち、進路を調節してぶつかってゆき、獲物をくっつけつつさらに転がり、潰れた獲物を食うようになってゆく。


 自ら動けるといってもさすがに坂を登ることはできず、ひたすら下り続けるだけの命だが、その過程で巻きこまれたものは悲惨である。


 下りきってそれ以上転がれなくなり、エサもとれない時期が続いて餓死寸前となると、きわめて軽く上昇気流に乗って高いところまで届く胞子を放って、次の世代に命をつなぐ。


 外殻の色を周囲に合わせて変えて隠れる能力もあるが、大抵の場合、よく整った球体なのと、外側に落葉やそれまでの獲物のひからびた死骸などがくっついているので、人間ならすぐ見抜ける。


 案内人たちにしてみれば、棒を地面に突いて防ぐだけで方向を変えられるし、持っていかれてもせいぜい棒だけというものなので、グライルの中では対処は割と楽な方……。


 ……というようなことを、事情を知ったエンフが教えてくれたが。


 犠牲になってしまった者たちにとっては、何の救いにもならない。


「運が悪かったよ。偵察の連中が通りすぎた後に、人の気配をかぎつけて転がってきたんだね。転がりやすい地形でもあった。

 もっと早く転がってくれば、あたしらしかいなかったから簡単によけられたし、もっと人が増えてからなら、寄り集まって防げたのに……」


 もちろんエンフは、アリタには聞こえないように言っている。


 アリタは、急斜面の縁にかがみこみ、下をのぞきこんで、動かない。

 落ちることのないようにその体にはロープが巻かれている。




 何とか登り切った客たちが次々と姿を見せる。


 ゴーチェが現れた。

 たいていの客は息も絶え絶えという状態だが、明確な目的のある彼は目に十分な力があり、見回して、カルナリアたちを見つけて急いで近づいてきた。


「何とか登り切りました、カルス様」


「よかったです」


 カルナリアは心からの笑みを浮かべたが――いやなことを聞かなければならない。


「……それで、みなさんは、どうでしたか?」


「それが……」


 何が起きたかは斜面の途中でもわかったのだろう。

 アリタをちらりと見やって、声をひそめた。


「上から、人と、ばらばらになった何かが降ってきて……シーロだったのですね。彼は、斜面を転がり落ちて、下の方で引っかかって止まりましたが……無理です。どう見ても、生きてはいません」


「……そう………………ですか…………」


「降ってきたものは、ひとつひとつはそれほど大きくもなく、それぞれ斜面でびちゃびちゃ潰れて、誰かにぶつかるということはなかったのですが……すぐ近くに落ちてきたことで慌てた、貴族班の者が――オン・アランバルリ様の従者がひとり、落ちてしまって……これも恐らく、もう……」


「………………」


「アランバルリ様はかなりご立腹の様子で、怒鳴り声が俺にも聞こえてきました。この責任は必ず取らせてやると……登ってきたら、ひと悶着もんちゃくあるかもしれません」


「困ったもんだねえ……」


 エンフがため息をつくと、起き上がり、アリタの方へ行った。

 ついてやり、かばうのだろう。


 カルナリアたちでは誰が行っても逆効果なので、何もできない。


「ばらばらになっていた、というのは?

 こちらでは丸いものが転がってきたのですが、それが、空中でばらばらになったのですか?」


「わかりません。上から飛び出してきたとき、もうそうなっていました」


「…………」


 カルナリアはレンカを見やった。

 転がってきたあれを、シーロを救うために、切り裂いた。だが間に合わなかった。そういうことだろうか。

 それともご主人さまが? 確かに剣を抜く時の構えをしていたが――。


「誰がやったかは、意味ねえよ」


 レンカは、ぶすっとして言った。


「斬る、殺すができても、あれは…………せめて、ファブリスとかジスランとか、あいつらぐらい、オレがでかけりゃな……」


 確かに、あの場面では、斬るのではなくのでなければ、シーロを助けることはできなかっただろう。


 そのファブリスが上に到達し、他の者たちを引っ張り上げる手伝いをし始める。

 たくましいその腕はぐいぐいとロープを引いて、何人もの登攀とうはんの助けとなった。

 カルナリアは初めて、男の体格と筋肉をうらやましいと思った。


 その後に姿を見せたセルイも、すぐその横で同じようにはたらき始めた。


 自分にとっては仇敵、許してはいけない相手である反乱軍の者たちではあるが――少なくとも彼らは、モンリークなどよりもよほど勤勉で、人に優しく、献身的である。そのことがまた複雑な感情を生む。


 最後にセルイのもうひとりの従者ジスランも上に来たのだが――。


 そこでなぜか、力のある彼らはロープを引くのをやめて、歩いて登ってくる者の手助けに回っていった。


 どうしたのだろうと思っていると。


「もっとゆっくり引け! こんなに苦労させられたのだぞ、乱暴にするやつがあるか! そもそも貴族の私よりも上に何人もいて見下ろしてくるということがおかしいのだ!」


 ロープの届く所に着いた途端に、もう足を動かさずに引っぱり上げられることを要求したのだろう、やかましい声が聞こえてきた。


 なるほど、セルイたちは、あのモンリークおよび貴族班の者たちのような連中の手助けはしたくないということのようだ。

 少しだけ気持ちが理解できてしまった。


「カルス様、お気をつけを」

「ありがとう……ございます、ゴーチェさん」


 自分の立場をあらためて思い出し、言葉を増やしてゴーチェに礼を言うと、カルナリアはフードを目深にかぶって、身を小さくした。


 案内人が他の者を引っ張り上げることに専念していて、エンフも側にいない今は、モンリークや色々な者に見つかるとよろしくないことになる。


 フィンは――カルナリアの無事を確認すると、またどこかへ消えてしまった。

 今度こそ案内人たちを助けに行ったのではないかと思うが、わからない。


「はぁ、はぁ、はぁ……おい! 水を持て!」


 モンリークが息も絶え絶えに上に姿を見せると、怒鳴った。


 だが従者たちは下の方にいて。

 もちろんゴーチェは動かない。


「……うるせえぞ、カラント人」


 客の誰かがぼそっと言った。


「何だと!? いま何と申した!?」


「うるせえって言ってんだ、カラントのクソ貴族」


 別なところからも声があがって。


 疲れきって、いら立った者たちの視線がモンリークに集中してきた。


「うっ…………ふんっ、礼儀を知らぬ無礼者どもめが!」


 モンリークはたじろぐと、斜面の下を向いて、従者たちに早く来いと急かし始めた。


「……あそこまでの小物じゃなく、ここで剣を抜いて暴れるくらいに腕に自信があるやつだったら、話は早かったんだけどな」


 レンカがカルナリアの隣で、不満げに言った。


「人を殺すのは、いけないことですよ」


「向こうは、お前のこと、平気で殺すだろうけどな。突き落とす、石を落とす、ものを投げつける……あんだけ怖い目にあってても、その場でふと思いついただけでやってくる。やっても後悔どころか正しいことをしたと勝ち誇る」


「わかってます。それでも、です」


「……なんでランバロの妹が、お前みたいなやつなんだか」


 レンカはぼそっと言うと、自分もフードを深くかぶって、顔を隠してしまった。






 バルカニア貴族が登ってきた。

 自分の足で。

 ミラモンテスと名乗っていたほうだ。


「貴族たるもの、楽に登れる手段は、弱っている者、疲れている者、怪我をした者に譲るのは当然でありますからなあ」


 明らかにモンリークを当てこすって声を張る。


 モンリークは、悔しげにうなったが、それ以外のことは何もできなかった。

 従者のアルバンとオラースも合流していたが、彼らも無言でうなだれるだけである。


 その後に、アランバルリというバルカニア貴族がこれも自分の足で登ってきたのだが――。


「我が従者に害を成したのは、そなたの夫ということで間違いないか」


 すぐに、見覚えのある従者を連れ、アリタに詰め寄っていった。


「そなたの夫のせいで、我が従者がひとり、命を落とした。きわめて痛ましいことである。我が旅路もより一層困難になった。オンたる我の従者が失われたことは、我の体を傷つけられたことに等しい。平民の女よ、このことについて申し開きがあるなら聞こう」


 アリタは目を向けることもせず、斜面の下を見つめ続けるだけだ。


「何言ってんだい」


 エンフが、なたに手をかけて割って入った。


「落ちてったのは吸血岩ガームだよ。文句はばらばらになったそいつに言いな。なくしたばかりの人にクソみたいないちゃもんつけるんなら、あたしも怒るよ」


「さがれ、下郎! 我はこの女に話をしているのだ! 客同士のことには口をはさまないはずではなかったのか!?」


「まだわかってないのかい。

 ここじゃあたしらが貴族、あんたらの方が下郎だよ。

 貴族が言うんだから、下郎は黙ってすっこんでろ!」


 エンフの声には本気の怒りがにじんでいた。


「なっ、なっ、貴様……!」


「黙ってすっこんでろって言ったんだが? 聞こえなかったか?」


「貴族に向かってそのような口をぶげっ」


 言葉の途中で、アランバルリの顔面に拳が叩きこまれた。


 相手が手を出してくることはないと確信していたアランバルリは、完全に無防備でくらい、吹っ飛んだ。


「ぐあっ! ぐっ、うあっ、ひっ、なっ、なにっ……!?」


「イバン様!」


 従者が慌てて駆け寄る。


 その前に、殴った拳を手でさするエンフが仁王立ちした。

 ぽき、ぽきと関節を鳴らす音がした。


「あたしらに頼って、あたしらが命がけで見つけた水場の水を飲み、あたしらが命がけで作った道を通らないと自分の国に帰れないやつが、偉そうにすんじゃない。わかったか」


「おっ、おおっ、お前っ、ゆるざんっ、ゆるざれぬぞっ! やってじまえ! わだじがゆるず!」


 従者は主人とエンフを交互に見つめ、周囲の雰囲気も見て、血の気を失い――。


「文句あるならお前自身でかかってきな。バルカニアの、お偉い貴族様なんだろう?」


 エンフはさらに挑発した。


 従者は、職務的に自分が動かねばならないと、短剣に手をかけたが――。


「血はいけませんよね?」


 セルイが動き、巨漢の従者ふたりが左右をはさんで動きを封じた。


 すでに力量を十分に示している偉丈夫たちに立ち向かう勇気は出ず、沈黙する。


「うおっ、おっ、おおおおっ!」


 アランバルリは助けが入らないことを理解し、叫んで起き上がった――いちおうは意地を示した……が。


 エンフは、この過酷なグライルに生きている者であった。


 男の体格、筋力をものともせずに、たちまち何発も拳を入れ、足を引っかけて転がし脇腹を蹴りつけ、動けなくさせた。


「わかったか? あたしらが貴族、お前は下郎だ。いいな」


「待てぇい!」


 もう一人のバルカニア貴族が来た。


「貴族への侮辱、聞き逃すわけにはいかぬ! バルカニア貴族の誇りにかけて、そなたを許すわけにはいかぬぞ!」


 こちらはすでに剣を抜き、その従者ふたりも短剣を抜いていた。






「…………さて、どうする?」


 レンカが愉快そうに言ってきた。


 ゴーチェも見つめてくる中、カルナリアは冷たい汗にまみれ――。





【後書き】

危険な場所を、死者も出しながら抜けたというのに、今度は乗り越えた者たちでいがみ合う。刃が抜かれ人死にが出そうな状況で、カルナリアはどうする。次回、第167話「残された者」。残酷な描写あり。



【解説】

「オン・アランバルリ」の「オン」は、バルカニアの貴族位階を示すものです。

カラントの貴族位階は七段階ですが、バルカニアは十二段階が設定されています。そのため両国が交流する際に、最上級や最下級はともかく、中間の貴族層がいつも、それぞれの位階は相手より上か下かで揉めます。カラントはバルカニアにもっと整理しろと言い、バルカニアはカラントにもっと分割しろと言うので、相手の言い分を受け入れたと見られるような真似をするわけにはいかず、長年にわたって両国とも固定されたままになってしまっています。

アランバルリとミラモンテスは、どちらも同じ「オン」なので、片方がもう片方をこき使うというようなことにはならずにすんでいます。第131話参照。

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