165 吸血岩



 さらに登りは続き――。


 旗竿はずいぶん近づいてきて、顔を出して様子を見ている案内人の顔も見えるようになってきた。

 カルナリアはもちろん、レンカも、かなりほっとした様子。


 だが――下の方では、苦闘や、悲劇が続いていた。


「うわああああああああああ!」


 悲鳴があがった。


 襲撃を受けて気がいたのか、足を踏み外してしまった者が落ちてゆく。


 狭く危険な道を歩み続けて眩暈めまいをおぼえ、落ちそうになった者が、近くにいる者をつかんで、振り払われそうになって、さらにしがみつき、争い――数人まとめて。


 ばらばらと落ちてゆく者たちのひとりが、荷物を積んだ亜馬の上に落ちかかって。


 突然、見えない拳にぶん殴られたように、横へ向きを変えて、何もないところに落ちていった。


 ファラが杖を伸ばしている姿が小さく見えた。風魔法で衝撃をぶつけて、荷を守ったのだろう――が、落ちた者は助かるまい。


 何が起きようとも、カルナリアにはどうすることもできない。

 恐怖と無力感に包まれながら、とにかく足を動かした。


「おーい、登れるなら使っていいぞ!」


 案内人の声がした。


 下からは見えていなかったが、ロープが上から垂らされていた。


 樹木か岩か、しっかりしたものにつないだ、ところどころに結び目もある、登攀とうはんに使いやすいもの。

 グライルに入る時に同じようなものを使い、崖を登った。


「行くか?」

「……はい!」


 カルナリアは、即座にショートカットたるロープに飛びつくような真似はせず、まず周囲を確認、猛禽もうきんのようなものがいないことを確かめてから、自分の装備、手足、握力を確認した。握って、少しだけ体を持ち上げてみる。問題なし。

 これも即席教育でギーに叩きこまれたこと。


 ロープを手にして、強く引いて、しっかり固定されていることを確認してから、いよいよきちんと握る。


「気をつけていけよ。オレはこのまま進む」


 エンフひとりにまかせるわけにはいかないと視線で示し、レンカは言った。


 こういうところで役に立てないのは悔しいが、だからこそ、さっさと登ってしまうべきだと気持ちを切り替える。


 その分レンカもエンフも他の人を助けられるのだし、上の方にフィンがいてくれるのなら何の心配もいらない。


「ではレンカ、お先に! 上で待っています!」


 カルナリアはロープを握りしめ、斜面をまっすぐに登り始めた。


 ずっと緊張し続けていた体は、事前の確認でいけると思ったよりも重たく、動きも鈍い。

 それでも、九十九折りの道部分にさしかかるたびに足を地面につけて休むことができるので、途中で動けなくなるようなことにはならずにすんだ。


 手も、滑ることもなく、どうにか――。


「よし、がんばった!」


 案内人が伸ばしてくれる手をつかみ、引っ張り上げられて、ついに急斜面を登り切ったのだった。





 ――上は、木を切り開いて人為的に作ったらしい、それなりに広い、なだらかな空き地になっていた。

 下る時にはここで待機して、順番に降りてゆくのだろう。


 あちこちに切り株の残るそこには、案内人が二人いた。トニアではなくどちらも男性。

 それ以外の者は、さらに先の偵察に出ているらしい。


 ここから上にも斜面は続いているが、そちらもまたゆるやかで、あそこを行くのだろうなとカルナリアでもわかる道のようなものがはっきり見えていた。


 カルナリアは急斜面へ転げ落ちる心配のない所まで進んでから、腰を落とし、座りこんで息をついた。

 しばらく立ち上がれる気がしなかった。


 水を飲み、携帯食料の中の、甘い干し果実を口に運ぶ。

 登ってくる途中でも一度口にしたものだが、緊張が解けたせいか、甘みが全身に熱となって広がって、たまらなかった。


「頑張ったな」


 背後から、フィンの声がした。

 声の位置から、自分に合わせてかがみこんでくれているのがわかった。

 振り向くこともせず、カルナリアは上体をそちらへ傾ける。

 ぼろ布に受け止められた。このまま横たわってしまいたい。


 だが、気を抜いていられたのはそこまでだった。


「おーい!」


 下からエンフの声がして、こちら側の案内人も何か言い返す。


「ひとり、ひっぱり上げるぞ!」


 案内人ふたりがロープに手をかけた。

 恐らく、弱っているシーロだろう。


「手伝います!」


 案内人たちの後ろで、自分もロープを握った。


 ほんの少しでも、助けになれるなら。

 フィンに見守られ、レンカに助けられるばかりだった自分にもできることがあるのなら。


 掛け声に合わせて足を踏ん張り力をこめる。


「んぎぎぎぎ…………!」


 カルナリアは全力を出した。


 ぐい、ぐいとロープが引かれ、ほどなくして、案内人が下へ手をさしのべ、引き上げられてきた男性の姿が現れた。

 もちろんシーロだ。


「すまない……」

「気にするな。次だ」


 危険な状況を共に何度も乗り越え、案内人と客の間にも、交流のようなものは生まれている。


 この先行隊は客と話さない立場のはずだったが、とがめる者は誰もおらず、カルナリアも合い言葉をかける気にはなれなかった。


「シーロさん、こちらへ!」


 とりあえず横になれそうな場所へ誘導する。

 その体はかなり熱かった。


「すまない……薬をもらって……熱は、下がってはきたんだが……」


 そうでなければ、動けなくなっていたかもしれない。

 その場合……あの村に置いていかれて……案内人に仲間を殺された者たちの中に、妻のアリタと残されることに……何日生きていられたか、いや自分たちが出立した直後にすらもう……。


「アリタさんもすぐ来ます! 休んでください!」


 元気づけ、水を飲ませ、できるだけ楽にさせた。


 薬師といえばフィンだ。また薬をあげてほしいとは言えないが、容態を見て、何か助言ぐらいはしてくれるかもしれない。

 縄を引くのを手伝ってくれないのは最初からわかっていて、期待はしていなかったけれども、そのくらいなら――と見回したが。


 見当たらなかった。

 気配が見つからない。


「……あのひとなら、降りていったぞ」


 上がってきたレンカが、教えてくれた。


「他の連中を、こっそり、助けに行っている」


「…………!」


 自分を迎えた後は何もしないだろう、と決めつけていた自分をカルナリアは恥じた。


 きっと、荷物を上まで無事に運ばせないとこの先の食事や寝床に困るから、という理由だろう。

 あのご主人さまは、ぐうたらするためにとにかく頑張るのだから。

 つらそうなシーロには悪いが、少しだけ笑った。


 アリタの姿が上に現れた。

 すぐシーロに寄り添い、声をかけ手を握る。


 さらに他の者も現れ始める。


「私たちも、お手伝いした方が……」

「大人が増えてくるから、ちょろちょろするとかえって危ないぞ」

「じゃあ……後から来る人たちのために、場所を整えましょう」


 誘導係なら、邪魔になることなく、役に立てるのではないかとカルナリアは考えた。


「アリタさん、シーロさん、すみません、もう少しだけ、上の方へ……この後、たくさん、来ますから……」


「そうですね。あなた、ちょっとだけ、頑張って」


 アリタはシーロを助け起こし、シーロも何とか自力で身を起こし立ち上がり――カルナリアもその体を支えて。


「この辺でどうだ」


 レンカが先に行って確かめた、苔が生えてやわらかいところへ足を運んだ。


 そこへ。


「ガァァァァァァァァァァァァァァム!」


 上の方から、ものすごい声がした。

 笛の音。獣人ギャオルの叫び声。


 ロープを引く案内人たちが、下へ向かって同じように「ガーム!」と大声で叫んだ。


 このあと自分たちが進むのだろうとカルナリアが見た「道」の先に、何かが現れた。


 岩――のようだが、石人の頭になっていたようなごつごつしたものではなく、丸かった。


 ほぼだった。


 自然の中で、整った形というのはきわめて不自然である。

 その不自然なものである球体――山肌にまぎれる枯草色の、もしかしたら植物のかたまりかもしれないものが。


 こちらへ、転がってきた!


「かわせ!」


 フィンの声。切迫した叫び。

 急斜面から戻ってきた。だがカルナリアとは距離がある。


「触るな! ぞ!」


 案内人が悲鳴のように叫び、体の前に棒を突いて斜めに構えた。


 球体は――かなり大きい、大人の背丈ほどもあるそれは……ごろごろごろごろと、重力に引かれて転がってくる――だけではなかった。


 途中で不自然に、進路を変えた。


 地形からすればぶつかることはないはずだったのに、カルナリアたちの方へ!


 カルナリアは瞬時にしゃがみ、身を丸めた。

 レンカは一度は剣を抜こうとしたが、抜かず、カルナリアに覆いかぶさる。


 アリタとシーロは――。


「!」


 シーロがアリタを突き飛ばし。


 球体は、シーロの背中をかすめて通過した――はずだったのだが。


 シーロの体が一瞬で宙に持ち上がり、消えた。


 球体と共に消えた。


「!」


 殺気、閃光――。

 身を丸めたカルナリアには何が起きたかわからなかったが、ごろんごろんとそれまでと違う不規則な転がる音が、下へ行って、急斜面から落ちていったのかフッと消えて……。


 顔をあげると、ぼろ布が目の前にあって、自分とレンカをかばって背を向けていて、低くなったその後方すなわち自分の目の前に長剣の鞘が突き出ていて――すぐに、布を巻きつけたそれはぼろ布の中に戻っていって、消えた。


「え…………」


 理解が一切追いつかないまま、身を起こす。


 レンカも立ち上がり、周囲を警戒する。


 アリタは――尻餅をついたまま、呆然としていて。


「………………シーロは?」


 きょとんと、あどけないほどの声で、訊ねて。


「……


 案内人が沈痛に首を振った。


「もってかれた。吸血岩ガームだ。あれは、触れたものをくっつけちまう。あいつは、あれにくっつけられて、一緒に転がって、落ちていった。もう助からん」


「………………え?」


 アリタは、また、妙に明るく聞こえる声をあげた。


 先に意味が理解できてしまったカルナリアの、全身の体温が失われていった。

 あの、ごろん、ごろんと不規則に聞こえた転がる音は――球体に、人体がくっついて回転し、それで立てた音で……。


 レンカも、案内人たちも、恐らくフィンも、立ちつくすだけだった。


「え…………シーロ…………ここに、いたのに…………」


 アリタは、ふらふらと首を巡らせ、周囲を見回し……。


 急斜面の下の方から、悲鳴が上がり、騒ぐ声も聞こえてきて。


 いきなりそちらへ駆けだした。


 レンカが飛びつき、カルナリアも腰に抱きついて止めた。


「いやあああああああああああああ!」


 甲高い、悲痛な絶叫をアリタは放った。







【後書き】

危険なところを抜けたと思った途端にグライルは牙を剥いてきた。ここまで何とか生き延びたのに。次回、第166話「登ってきた者」。暴力描写あり。


【解説】

「吸血岩」は、「コスタリカの石球」で画像検索してもらえるとイメージしやすいと思います。山の中に突然こんなものが現れて、気にしない「人間」はいないでしょう。

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