164 九十九折り

※タイトルは「つづら折り」と読みます。「つくも」ではありません。

※やや残酷な描写あり。





「ここ、毎回、いやなんだよなあ」


 案内人がを見上げ、うんざりとした顔で言った。


 ずっと上の方まで続く急斜面である。


 そこ以外はほぼ垂直の岩壁で、亜馬を連れ荷物を背負って通過できるのはここしかない。


 ほとんど木の生えていない、草と岩だらけのその斜面も、壁と言われれば納得してしまえるくらいには角度があった。


 そこに道が作られている。

 まず斜面の根元から斜めに登っていって、斜面の端で向きを変えて、また斜めに登っていく……それを何度も何度も繰り返す、いわゆる九十九つづら折りの道なのだった。


 案内人たちが、苦労して切り開いてきたのだという。


「傾斜はゆるやかなんだが、人ひとり、ロバ一頭ぐらいの幅しかなくて、ずっと一列のままでいるしかなくて、誰かが止まれば後ろもずっと止まっているしかなくなり、腰を下ろして休める場所はない、魔獣が出た時は大変なことになる……」


「出るのですか!?」


「この斜面を駆け回れる敏捷なやつや、鳥系の魔獣がよく襲ってくる。この地形だから、隠れる場所はないし、戦闘担当の者も駆けつけられない。人数がどれだけいても、守り切れないことが多いんだ」


「…………」


 急斜面を見上げて、背筋が寒くなった。


「集合!」


 ゾルカンの指示が飛び、案内人が言ったのと同じようなことが説明された。


「というわけで、客人たち、いつもみたいに、周囲を警戒し、守ってやるということが、ここじゃできねえ。何かあったら、自分で自分を守るしかねえ。覚悟していけ。

 いいか、まずいと思ったら、とにかく山側に体を寄せて、山肌にくっつけ。落っこちると、他のやつまで巻き添えにして、しかもほとんど助からん。いいか、とにかく山側だぞ!

 それから、あまり前のやつに近づくな。落ちそうになった時、近くのやつをつかみ、つかまれ、一緒に落ちる馬鹿は毎回出る。誰かが落ちてきた時に、かたまってると全員まとめて巻き添えになる。

 かといって離れすぎると、今度は遠くから狙ってる魔獣が、一匹だけでいる獲物を狙ってくる。それぞれ離れつつも、適度に大きな群れと見えるような距離を保つんだ。腕を伸ばして届かないぐらいを心がけろ」


「…………カルちゃん」


 ファラが小声で、真剣に言ってきた。


「カルちゃんが落ちても、誰が落ちても、いくら頼まれても、『流星』は使わないからね。

 今までと違って、ここで使ったら確実に全員に見られる。それはまずすぎるの。ゾルカンも期待してる気配たっぷりだから。見せたら、最悪、今後ここを越えるために使える、譲ってくれ、売ってくれ、よこせって迫ってくる。譲るまでは先へ進まない、なんてことになるかも」


「……はい」


 落ちる者、『流星』なら助けられる者……そういう状況が発生しないことを祈るしかない。





 いよいよ、登り始めた。


 自分たちが休憩している間に、先行偵察隊が踏みこんで、道が途中で崩れていないか、ちゃんと上までつながっているかを確かめている。


 ずっと上の方から、棒の先につけた布が振られ、それが問題なしという合図なのだろう、いよいよ本隊が登り始めた。


 だがその順番は、これまでとまったく違うものにされた。


「嬢ちゃんと、ちっこいの。お前たちが最初だ」


 カルナリアとレンカ。


 体が小さく軽いので、道を崩す心配が最も少ないからという理由だった。


 ゾルカンは、人間関係も配慮してそうしてくれたようだ。


 自分たちが先ならば、モンリークやパストラが道を折り返して真上に来たところで、事故に見せかけて石を落としてくるような真似を警戒せずにすむ。


 ありがたく受け入れ、先頭として出発した。


 確かに、急斜面を横断するように刻まれた細い道は、傾斜はゆるく、歩くだけなら問題はない。


 問題は、自分とレンカという最も小柄な二人ですら横に並べない、道幅の狭さだ。

 大柄な者たちは、歩くだけでも難儀するのではないか。まして大荷物を背負わせた亜馬は。


 自分とレンカの後ろには、人妻アリタが続いてきた。

 夫のシーロもその後ろにいる。


 そこにエンフがつけられる。女性たちの面倒を見る役目なのでそれも当然。


 子供のカルリトと母親のパストラは、夫および貴族たちと離れるつもりはないようで、後に回るようだ。


 自分たちの後にも、客が続いてきた。


 ぞろぞろと登ってくるのは、客だけである。

 今までのように、班長にあたる案内人がついていない。


 ふもとで待機している隊列を見下ろすと、理由がわかった。


 亜馬や荷かつぎの案内人たちが後ろに回っている。

 大半の案内人は客ではなくそちらについていた。


 彼らにとっては、客よりも荷物の方が大事なのだから、ここで亜馬および荷を失うことのないように、総出で面倒を見つつ登ってゆく、ということのようだ。


「あの、牛さんのお二人は、どうするのですか?」


 最後尾に巨体がふたつ見えたので、エンフに訊ねた。


「あいつらは、この道はとても通れないので、全員が登った後で、へばりついてまっすぐ登ってくるんだよ。できるだけ気をつけてはくれるんだけど、それでも道が壊れちまうので、毎回直すのが大変なんだよね。しるしはつけてあるけど、崩れて危ないところあちこちにあるから、できるだけ斜面側を踏んで進むように」


「はい……」


 三度、四度と折れ曲がり、さらに折れ曲がり、登り続けて……。


 ほぼ全員が、九十九折りに踏みこんできた。


 先頭にいるカルナリアには、その全景を見下ろすことができた。


「うわあ………………!」


 誰がどこにいるのか、全て見える。


 ゴーチェがいた。見慣れた上に、カルナリアを守るためということで、山歩き用ではなく案内人から譲り受けた護身にも使える長い棒を持っているからすぐわかる。

 速めに移動して、前をゆく者に追いついて、抜かそうとしていた。カルナリアに追いつきたいのだろうという気持ちはわかるのだが、ここではあまり良くないことのはずで、ひやひやする。


 モンリークたちが、ゴーチェよりかなり後ろの方にいた。

 これもゾルカンの配慮だろう。モンリークが上になる瞬間があると、ゴーチェが何をされるかわからないから。


 セルイと部下二人は、客たちの間に分散して置かれていた。

 戦闘をこなせるので、万が一の時はその場で前後の者を守る役目を期待されているのだろうし、積極的に案内人の代わりもやっているようで、密集することのないように声をかけ、客たちを誘導している。


 バルカニアの貴族たちとパストラ一家の貴族班は、密集しないで登るようにという指示を無視して、かなりくっついた状態になっていた。

 親子が密着するのはまだしも、貴族たちも、従者を離して自分だけで登るという考えを受け入れられないようだ。

 あの草原で、自分ひとりで身をひそめていた時に考えたことを思い出す。

 貴族が、従者をひとりも連れずに行動することなど「ありえない」。


「……わたくし、貴族らしくないのでしょうか?」


 同じところを見ていたらしいレンカにこっそり訊ねた。


「それらしいところの方こそ、見たことねえよ」


 あきれたように言われて、傷ついた。





 客たちの後から、案内人たちが九十九折りに踏みこんでくる。


 ファラはその中に、ゾルカンおよび槍を持った戦闘担当者たちと共にいた。


 今や最重要人物なので、隊のかしらと共にまとめて守り、またかしらを守ることも期待されてのその位置だろう。

 犬獣人のバウワウも、最後尾ではなくそこにいる。


 荷物を積んでいない亜馬を、三頭ずつつないだものがふたつ、それぞれに案内人がついて登ってくる。犠牲が出たこともあって、一頭にひとりつけるには人数が足りないようだ。


 大荷物を積んだ亜馬には、前後に案内人がついて、慎重に登らせていた。


 ……それらを見下ろしつつ、カルナリアはさらに登り続ける。


(ご主人さまは、どこに…………あのグレンという者も、見当たりませんね……)


 どこかで、二人はお互いの位置を探り合い狙い合う、恐ろしい駆け引きを繰り広げているのかもしれなかった。


 見当たらないといえば、トニアも、いま見えているのがこの隊の全員であるはずなのに、女性らしい案内人がどこにも見えない。


 先行隊に加わってすでに登っているのだろうか。





 延々と、急斜面を這って、うねって、登り続ける。


 徐々に遠くが見えるようになってきた。


 とはいえ見えてきたのは東側、後ろ側で、この先の光景ではないから、白銀の峰はなく、ひたすら緑から青へ変わりに埋もれてゆく、無数の山の重なりばかり。


 今まで通ってきた場所はどこかわからず、あの湖も見えない。


 カルナリアはもうあまり感動することもなく、レンカと共に黙々と足を動かした。


 どのくらい登ってきたのか、上の方に、先ほど振られた、長い木の棒の先に使い道のないぼろ布を巻きつけた、旗竿のようなものが突き出されたままになっているのが見えた。

 そこがこの道の終わりだ。

 ゴールがわかって、少しだけ気持ちが楽になった。

 まだ何度も何度も折り返さなければならないが。


「待ちな。……あんたら、少し休んでな」


 エンフが言い、戻っていった。


 アリタの後ろの、夫のシーロが遅れ始めている。


 疲労と心労から体調を崩しかけているという話だったし、フィンが薬を渡したはずだが、それでも万全には動けないとは、よほど悪いのか。


「密集してるのはまずいけど、離れすぎると今度は獣に狙われるからね。つかずはなれずの加減が毎回難しいんだ。離れた時はくれぐれも気をつけるんだよ。特に道の端、折り返すところ。来るならそっちからだ」


 エンフは、岩肌にへばりつかせたアリタの背中を慎重に越えて、シーロの所へ行った。


 恐らく体調を聞いたのだろう、何か話し、歩かせ、アリタと一緒にさせる。


「手を引かせるのは無理だけど、近くにいさせるだけでも、少しは違うだろ…………そのくらいしかしてやれないんだよ、ここじゃ」


 戻ってきたエンフは重たくそう言った。


 見下ろせば、他のところでも、渋滞や、分散状態が発生していた。


 ずっと崖っぷちを歩き続けるようなものなので、高いところが苦手な者が動けなくなってしまったり、ついつい足を速めて先の者に追いついてしまったりで、密集して動かないところや、前後に誰もいない状態でひとりだけで移動している者などがあちこちに現れていた。


「数が多いから仕方ないけど、良くないね、こりゃ……足元が見えないとまずいから、ここを通る時は、登るも下るも、昼前にするようにしてるんだが…………明るいってことは、人を狙うものからもよく見えるってことで……」


 エンフの言葉が呼び寄せたかのように、空中に、黒い点が現れた。


 見下ろしていたカルナリアは、視線より上から現れたそれに気づくのが遅れた。


 鋭い笛の音が響いた。


「襲撃! 伏せろ!」


 ヒュウッ、という風斬り音と、重たい羽ばたきが鳴った。


 重たいのは、巨大だから。


 鳥だ。

 猛禽もうきん


 カルナリアがこれまで見てきた、王宮の剥製はくせい、あるいは献上された生きている「大きな鳥」は、大人が両手を広げたほどというのが最大だった。

 フィンと山越えしてタランドン領へ入った時、バールの死骸目当てで集まってきていたのも大体それくらい。


 だがこれは、余裕でその倍はあった。

 近くにいる人々との対比でそれがよくわかった。


 軽々と人間を持ち上げられる巨大な猛禽が、急斜面にはりつく無防備な人間エサを狙ってきたのだった。


 広げられはばたく羽根の下で、悲鳴、狭い道を逃げ惑う者、転げ落ちてゆく者、絶叫が聞こえてくる。


 カルナリアは山肌にへばりついて小さくなりつつ、心臓を氷の手で握られたような心地でいたが――。


 銀光がほとばしり、巨大猛禽が激しく鳴いて、勢いよく羽ばたいて斜面から離れていった。


 その後に血がしたたった。


 離れた後の道の上に、剣のきらめきが見えた。


 ファブリスかジスランか、この距離ではわからないがセルイの従者のどちらかが近くにいたようだ。

 その剣で、巨大猛禽の足を切った。


「助かったよ、あたしらはあまり剣ってのは持ち歩かないからねえ」


 エンフもなたを手にしていたが、それであのように魔獣を切断するのは無理だろう。


 人々は、混乱し、何人かは道から落ちていたが、斜面の途中にへばりついたり、下の道に引っかかったりで、即死した、あるいは誰かをさらに巻きこんで落ちていったという者はいないようだった。


 とりあえずカルナリアは胸をなで下ろしつつ身を起こす。


「伏せろ!」


 レンカの命令が背後から飛んできた。

 反射的に従う。伏せて丸まり頭を両腕で覆う。


 ぞっとする感覚に包まれたあと、何かが突っこんできて、レンカが動いてビュッと音がして、大きな塊が落ちていった。


「落ちたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 エンフが即座に大声を発する。


 落ちていったものは――四つ脚の、獣だった。

 細長く、しなやかな体。

 だがレンカに斬られていたようで、血を撒き散らしている。


 岩とよく似た色合いのその獣は、斜面の途中で弾んで宙に飛び出すと、ちょうど荷物を乗せた亜馬の真上に落下――。


 その寸前で、別な風切り音がして。

 先ほどのものとは違う巨大猛禽が、それを文字通り鷲づかみにして、飛び去っていった。


 爪を食いこませられたらしい獣の、断末魔の叫びが遠ざかっていった。


「ひ…………!」


「あの辺にひそんで、こっちを狙ってた」


 今進んでいる斜めの道が斜面の端に達して、向きを変えるところ。


「多分、背中を向けたところで後ろから襲うつもりだったんだろうが、今ので全員が下に注意を向けたから、隙ありと思って飛び出してきたんだ」


「すみません……ありがとうございます……っ!」


 礼を言いつつ、歯が鳴るのを止められなかった。

 レンカが警告してくれなければ、あれに噛みつかれ、肉を大きく引きちぎられていたのだ。


「いや、こっちも気づいてなかった。教えてもらえなかったらヤバかった」


「教えて?」


あのひとフィン様、少し上のところにいるぞ」


「!」


 巨大猛禽の羽ばたき、飛翔音、悲鳴などの様々な音と恐怖の中で、カルナリアにはまったくわからなかったが、戦いの専門家であるレンカにだけは届く何らかの合図を送ってきたのか。


 自分にではなくレンカに、というところにわずかにモヤッとしたが――そんなことを悠長に考えていられる状況ではない。


 フィンが上にいて、自分を気にして、周囲を警戒してくれているというのなら、戦えない自分は、とにかく登って、この危険な場所を通りすぎるべきだった。

 それこそがフィンのためになること、すなわち最優先事項。

 カルナリアは猛然と足を動かした。


 背後のシーロも、今のことで必死になったか、それまでよりは足が動くようになってきた。


 エンフは、今のことでレンカと自分は大丈夫と見たのか、シーロのさらに後ろに回って、他の客に声をかけ、様子を見て、励ましたり、分散しつつゆっくり登ってくるようにという指示を出してゆく。


 できる限り他の人たちを導き、一人でも多くを無事に登らせようとし続けるその力強いふるまいは――。


「かっこいいな」

「ええ……」


 幼い二人は、ひたすら他の者たちを導くしっかりした女性の姿に見入った。


 その時はカルナリアの頭から、自分が王女であるということはまったく消えていた。

 エンフがどういう身分なのかということも、ひとかけらも頭に浮かぶことはなく、ただただ賞賛の念だけになった。


 すばらしい人は、すばらしいのだ。





【後書き】

手すりもロープも何もなし。隠れられない、助けられない、助けてもらえない。危険すぎる場所はできるだけ早く通りすぎてしまいたいが、はたして。次回、第165話「吸血岩」。残酷な描写あり。


【余談】

今話の場所は、南米ペルー、マチュピチュ遺跡へ登る「ハイラム・ビンガム・ロード」をイメージしながら書きました。あとイタリア、アルプス山脈に登る「ステルヴィオ峠」も。

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