163 安らぎのひととき
「よお」
前にいる貴族班の、バルカニア貴族の従者が、動き出すのが遅れて、こちらと一緒に移動するかたちになった。
ゴーチェとは途中まで同じ班で、従者として同じように苦労していたので意気投合していた相手だ。
「見てたけど、貴族さまに逆らうなんて、すごいな、お前」
「まあな」
モンリークほどではないが、バルカニア貴族たちも、決して仕えやすい主というわけではないようで。
しかしゴーチェたちと逆に、これから自国へ戻ってゆくので、途中で不興を買うと帰国した後が恐ろしくて逆らえないらしい。
それもあって、言いたいことを言い切って好きなようにしたゴーチェをうらやましがっている。
「こっちの班は、いいよなあ。みなさん、強いし」
ちらりとレンカやファラたちを見やる。
「実際、どうなんだ? 何か、してもらえたりするか?」
「……お前、わざと遅れて、それ聞いてこいって言われただろ」
「まあな。隠しても仕方ない。俺が話しかけてくる時点で予想できてるだろ?」
「ファラ様か」
「それはもちろんだ。疲れを癒やしたり、体を軽くしたりする魔法をかけてもらえないか、それにはどのような代価を払えばいいか、どのように接すれば受け入れてもらえるのかなど、色々うかがってこいというのと――」
振り向きはしないが、目でカルナリアを示した。
「その子を、気になさっておられる。聞いてこいって言われてるのはむしろそっちだ」
「へえ…………わかってるよな」
「ああ、もちろん。お前も、あの怖い子も、敵に回すつもりはないよ」
そもそもこう露骨に言ってくるということが、むしろこちらへの好意のあらわれである。
「ここまで見てきたが、ただの奴隷とは思えない。見た目も声も実に美しく、立ち居振る舞いに品があり、言葉づかいにかなりの知性と教養がうかがえる上に、ここぞという所で何度も見せた尋常ならざる勇気、他人を励まして回っていた時の慈愛に満ちた笑み――奴隷というのは仮の姿で、実は高貴な方ではないか、と……」
「…………」
一応は小声で話しているが、漏れ聞こえている――聞かせているので、カルナリアの耳にも入っていた。
(まずいです……!)
「だから言っただろ」
「言われたおぼえはありません。いつ言いましたか」
レンカにジト目で言われ、強がったが、実際は冷や汗たらたらである。
振り向くまでもなく、背後のファラが実にいい笑顔を浮かべているのは間違いない。
「うちのご主人様だけじゃない。あの子に声をかけてもらったり、助けてもらったり、あの子があんたの『元』ご主人様を助けようとしてたところを見ていた人がみんな、あの子は何者だって、気にしてる」
「………………」
「あのぼろ布の『ご主人様』って人が、得体が知れなさすぎて近づけないけど――
「むう……」
「ここで教えてくれとは言わないけどな、
「ありがとよ」
その従者は足を速めて、先を行く貴族班に追いついていった。
そしてファラがニヤニヤして言ってくる。
「面白いねえ。実に、面白い。自業自得、やりたいことをやった結果を、さあどうするのかな、カルちゃんや」
「…………」
からかいに、カルナリアは返す言葉を持たなかった。
「オレからも、気づいたこと言っておくぞ」
レンカが、こちらはゴーチェに聞かれないように小さく言ってきた。
「あいつはずっと誰かに仕える立場だったからまだ気づいてねえけど、お前、奴隷のはずなのに、他人に仕えられ、他人に指示するのに慣れすぎてる。当たり前のようにゴーチェを自分の従者として扱ってるぞ」
「う…………」
そう言われても、ここからいきなり、気弱におろおろしてゴーチェ様と呼び平民に奴隷の自分から声をかけるなど恐れ多いと言い出すのは無理がありすぎる。
そんな振る舞いを続けられる気もしなかった。
タランドンの街中を散策したような時とは、状況も、発生することがらも、違いすぎる。
突然、死が襲ってくるグライルのまっただ中。
脅威から逃れるために、強いことを言わなければならない事態は、これからも何度も発生するだろう。
そこでためらうことは、カルナリアにはできそうになかった。
「……このまま行きます。もうやってしまったことですし、何一つ後悔はしていません。疑われたら疑われたで、この前のファラ様を見習ってごまかしてゆきます。
それに……そもそも私自身が、ご主人さまのことを何も知らないのですから、同じようなものではないかと」
軽く笑って言ったことに、同意ではなく、おかしな反応をされた。
「あ~~~。そっすねえ。知らないんすよねえ」
「そうだったな。本当に何も知らないまま」
「待ってください。お二人は、ご存知なのですか?」
「許可なしじゃ、絶対に言えないっす。サイコロはいやっす」
「言ったら…………ああ、本当に、殺してもらえるんだろうな……っと、大丈夫、漏らしてないから。慣れてきた」
「それはそれである意味怖いんすけど」
「ご存知なのですね?」
「その返事もできないっす。知らない方がいいことって、世の中には沢山あるっすよー」
「あのひとがお前に教えたら、こっちも自分が見てきたことを教えてやる」
言うなり、ほぼ同時に、二人は自分の唇を指できゅっとはさむ仕草をした。
口を封じた、もう何も言うつもりがないということである。
「ううう…………!」
カルナリアは地団駄を踏んだが、それもまた愉快そうにニヤニヤ見られるだけで、悔しさがふくらむばかりだった。
――そこからしばらく、何も起きず、みながまた徐々に言葉を失っていって、ひたすら登るばかりになった後……。
「よーし、休憩! しばらく休むぞ!」
ある程度は平らで木も少ない、草地に出たところで、ゾルカンの声が飛んだ。
転がりこんだ客たちは、次から次へと座りこみ、あるいは足を放り出して横になる。
小川が流れており、案内人が設置した
太い筒で、中に様々な大きさの石や焚き火の後の灰などを詰めたものだ。
あの湖の水も、飲めるとされたのは、これを通した上でのもの。
カルナリアも、小さいが同じようなものを所持している。
もちろん、不純物を取り除くことはできるが、水そのものが鉱毒などの体に悪いものを含んでいた場合はどうしようもない。
「ふう…………」
腰を下ろし、水を飲み、さすがに疲労がたまった足を自分でほぐしていると。
ふわっとした風が来て、かたわらに、ぼろ布が現れた。
「!」
目をみはる。
洗い、においを飛ばしてきたのか、獣臭はまったくしない。
「この先のことを聞いてきた。かなりきつい道のりになるらしい。だから、ここで、しっかり休んでおけ」
「は、はい……」
レンカが近寄ってきて、うやうやしく身をかがめる。
ファラやセルイたちが見てきている。
「お前たちも、みな、しっかり休んでいい。その間、私が見ていてやる」
なんと、このぐうたら者が言い出した。
カルナリアは反射的にぼろ布の
「何をする」
「本当に、中身、ご主人さまですか!?」
手が出て、頬をつねられた。
「
「わかればいい」
つねったところを撫でてくれた。
「剣聖どのに見守られながら休めるとは、こんな機会はめったにありませんね。ファラ、あれをお願いしますよ」
「はぁい……」
セルイたちはフィンの言葉をまったく疑わず、起伏の少ない場所を選んで、背の高い男性三人が靴を脱ぎ並んで横たわった。
「眠りの魔法かけるっす。短いけど深く眠って、起きた時にはかなり回復するように……癒しの魔法より効果は大きいっす」
多分カルナリアへの説明として言ってくれた。
ずっと歩きだったレンカも同じようにする。
亜馬に乗っていたファラ自身は、そこまでしなくてもいいようだ。
「ゴーチェさん、あなたも、一緒に……同じようにしてください。ファラ様の魔法は、とても上手で、気持ちいいですよ」
「は、はい……」
緊張の面持ちでゴーチェも、セルイの従者ジスランの隣に横たわった。
一同にファラが杖を向け、ひとなでした。
それと共にわずかな魔力が降り注ぎ――。
セルイ、ファブリス、ジスラン、ゴーチェ、そしてレンカ。
横たわった裸足の五人は、みな瞬時に眠りに入りこんだ。
「…………こうしてると、ただの美形なんすけどねえ」
セルイの寝顔を見下ろし、ファラはしみじみと言った。
カルナリアも、レンカの寝顔を見て、足をばたばたさせ体をくねらせたいような、たまらない心地に襲われた。
また抱きかかえて、今度こそお姉さまと呼ばせてみたい。
「さて、それじゃ、剣聖さん、私と一緒に、みんなの守り、よろしくっす」
「ああ。…………ルナ、お前も休め」
「よろしいのですか?」
「この状態なら、何もできん」
居場所のわからないグレンのことを言っているのだろう。
雨中で聞いたレンカの言葉は心に刻みこまれている。
休戦とは言ったが、殺されてからでは文句は言えない。だからフィンは常に警戒している。
「はい、では……」
ファラの魔法をかけてもらえということかと思ったのだが。
「こう、だ」
ぐいっ、と。
腕を巻きつけられ、引き寄せられ。
両腕の上に、抱きかかえられた。
「……へ!? はい!?」
まさかの横抱き!
フィンは地面に座り、脚を組んでいる。
その脚の間にお尻を落として、膝下に手、肩に手、曲げた肘で後頭部を支えてくれて。
「それほど長い時間ではない。このまま、眠っていいぞ」
「…………どういう風の吹き回しですか……?」
「あれから色々考えたんだが、そういえばお前を、こういう風に持ち上げて話をしたことがなかったと気がついたからな」
「…………!」
あれ、というのは、湖畔の村でレンカを抱いて戻ってきたフィンに対してふくれっ面をした時だろう。
カルナリアは自分がどういう顔をしているかわからなくなった。
顔面が熱くなったことだけははっきりわかった。
「いやなら、やめるが」
「いいえ!」
カルナリアは即座に、体の全てをフィンに預けた。
「よし。じゃあ、そのまま――」
ふぁさっ。布ずれの音がして。
ぼろ布が、カルナリアの体にかけられた。
「!」
布の中。
フィンの腕。脚。体。胸。それらがわかる。
顔は見えないが――。
しっかり支えられ、包まれ、温かくなり、ゆったり揺すられた。
「お前が起きるまで、こうしている。少しの間だ、全力で休め」
「はい…………!」
カルナリアの頭からあらゆる
とてつもなく深い安らぎの世界に自分が溶けていったことだけは、かすかに知覚した。
――目覚めは、すばらしいものだった。
太陽はほとんど角度を変えていない。眠っていたのはほんのちょっとの間。
だがその間に、登り続けてだるくなってきていた体が、出発前のように回復していた。
何よりも、フィンが、眠る前と同じ姿勢のまま――自分を両腕で抱きかかえたまま、ずっとそこにいてくれたのだ。
「ご主人さま…………おはようございます」
ぼろ布に向かって言って、幸せに包まれた。
「おはよう。さ、起きろ」
「はい!」
地面に足をつけ、立ち上がり、体をほぐす。
すばらしく軽い。
気持ちも軽やかだ。今なら世界の果てまででも旅してみせる。
横になっていた者たちも、起き上がっていた。
ゴーチェも、何が起きたかわからないようで、ねぼけまなこできょろきょろしていたが、主君を認めてハッとした。
「カルス様っ、フィン様!」
「おはようございます。休みましたけど、どうですか?」
「はい……ああ、これは、すごく、楽になっております!」
「私もいっぱい休めました。さあ、これから先も、がんばりましょう!」
言うと、ゴーチェが顔を引きつらせた。
「どうしました?」
「い、いえ…………」
ゴーチェは目をそらし――赤くなった。
チラリとカルナリアを見ては来るものの、見ては即座に視線をそらしを繰り返し、激しく動揺している様子で、どうにも理解できない。
「?」
「今のその顔、あんまり人に見せちゃだめっすよ。幸せいっぱいで、つやつや、きらきらして、超きれいっすから」
ジト目気味のファラに言われて、理解して、慌てた。
急いでフードを深くかぶって、鼻と口も布で隠す。
自分がどういう顔を丸出しにしていたのかが恥ずかしくて、ゴーチェはもちろん、フィンの方をまったく見ることができなくなった。
そして、ゾルカンの声が飛んで休憩が終わり、隊列が動き出し、登り始めると……。
「うげぇ……」
真のなまけ者、ぐうたら者であるフィンが自ら動いて、見張りを引き受けみなを回復させた理由がわかった。
よくわかった。
カルナリアを助けてくれるだろう者たちを、できるだけ回復させて、自分がはたらかずにすむようにするためだった。
――フィンが言っていた通りの、いやそれ以上の、見ただけでうんざりするきつい道が、眼前に出現した。
【後書き】
ハードワークの途中、限界が来ても、その場でデスクに突っ伏して寝るよりも、数分でも完全に横になる方が回復ぶりが全然違う。ただ腰を下ろして休んでいた者たちよりもずっと回復した彼らは、難所でどのように動くことになるのか。次回、第164話「九十九折り」。
【挨拶】
2023年最後の更新となります。
ここまで読み続けてくださいましてありがとうございました。
全300話の完結目指して、来年も更新し続けます。よろしくお願いいたします。
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