167 残された者
――事態が後戻りできなくなる前に、まったく別なことが起きた。
轟音。
衝撃波。
黒煙。
急斜面の下の方で、すさまじい物音と共に、獣の咆哮が上がった。
羽ばたきの音もした。
あの巨大
笛の警報音、激しい声。
エンフ以外の案内人がいっせいに斜面の
「上げろ!」
「急げ!」
客たちを完全に放置して、垂らしたロープを全力で引っ張り上げ始める。
道の方からは、荒々しい鳴き声と共に、荷物を積んでいない亜馬たちが急かされて登ってきた。
その後から――ゾルカンが姿を見せる。
「おーーっし! 俺は無事だ! お前らよくやった!」
「みんな、無事かなーーー!? 伏せててねー!」
続いてファラの甲高い声が響き、姿が現れ、杖を振りかざし――そこから魔力が放たれて、下の方でまた轟音と獣の咆哮が響いた。
「ファブリス、ジスラン、弓で援護! 使い切ってかまいません!」
すぐにセルイが声をあげ、従者ふたりが弓を手にしてファラのところへ走った。
「助かる! ほい付与! あれ撃って!」
二人は次々と空間へ矢を放ち始めた。
何を射ているのかはカルナリアからはわからない。
「上げろ! 急げ!」
ゾルカンが叫び、荷物を積んだ亜馬が一頭上がってきて、案内人がこれも総出で引っ張りあげて上へやり、すぐ次を引き上げにかかる。
「引けぇぇぇぇ!」
合図で、垂らしていたロープが引かれて、これも亜馬が運んでいたのだろう大荷物が、ずりずりと持ち上がってきた。
……おおむね、それで終わった。
斜面の縁に陣取るファラや従者たち、案内人の中の弓手などがなおも幾度か矢を放ったが――。
それ以上、爆音や咆哮が聞こえることもなく。
上がってきた案内人たちが、ゾルカンも含めて、ようやく緊張を解いた。
エンフが、ぐったりしているアリタを背負ってカルナリアの所に来る。
自分、いやレンカの戦闘力をあてにしてだろう。それは当然なのでまったく文句はない。エンフが来なければこっちからレンカにお願いするつもりでいた。
「……何があったのですか?」
上の方にいて身を縮めていたので、カルナリアからは何も見えず、何もわからなかったので、エンフに訊ねた。
「ああ………………落ちた連中の、人の血の臭いに、魔獣が、次から次へとね……」
「!」
「ファラが、一頭やっつけて、大半はそっちに食いつかせたんだけど、それでもやっぱり人間を狙ってくるやつが出てね。火の玉をぶつけたり、なんか光るようにした矢を当てたり、すごい有様だったよ」
カルナリアが王宮で、お話として聞いた、大勢の魔導師が参戦する
「いやほんと、ファラがいてくれて助かったよ。毎回、ここで死人が出るのは当たり前、時には半分以上やられることもあったんだけど…………今回、あたしらにはほとんど被害なしだ。こんなのめったにないよ」
「…………他の方々は……?」
「これから数えるけど、多分、十人ぐらいは死んだ」
「………………」
カルナリアは全身が重たくなった…………が。
「この後、もうちょっと死ぬよ」
エンフが、先ほどもめた貴族たちに目を向け冷酷に言った。
「数えろーー!」
ゾルカンの大声が飛び、荷物の確認と、人間たちの点呼が行われた。
客が、さらに大きく数を減らしていた。
荷物なし班、荷物あり班、それぞれ何人も、朝には見ていた顔がいなくなっている。
アリタは、荷物あり班のはずだったが、事情が事情だけにそちらにはまとめられず、ライズ班ことカルナリアたちに混じっていた。
自分たちは、みな無事だ。
「いやあ、今回は足場がまずすぎるんでかなりやばかったっすけど、ここで死んだら鬼上司が追いかけてきてさらに殺されるって思ったらもう右に左に魔法ぶっ放しまくりってもんで!」
ひとりだけ違うところにいたファラは、上の方の出来事や雰囲気を知らずに高いテンションになっている。
「それに、あれも、すごい勢いで暴れてたっすーーー! 見られてないからって多分全力、ずんばらりんのずんばらりんのずんばらりんりんりん! いやもうほんと、あんなの見てきてなんてギリアちゃんごめんって言うしかーー! ゆるしてーーー!」
突然ギリアの名が出てきてカルナリアは面食らった。
意味がまったくわからない。
「…………と」
ファラがこちらを見て、いきなり真顔になると、唇を指ではさむ仕草をした。
朝にもやられた、これ以上何も言うつもりはないという意思表示。
これまた意味がまったくわからない。
「ファラ、怪我はありませんね? 消耗具合はどうですか?」
「はいっす、ないっす! 見た目は派手なの何発もぶちかましたけど、本当に大変なのは使わないように節約しましたんで、全然問題ないっす!」
「それならいいです。怪我をした者が寄ってくるでしょうから……ああ」
エンフに殴られたアランバルリという貴族が、顔面を腫らしたひどい顔で、よろめきながらこちらに近づいてきた。
ファラの顔が、セルイに媚びへつらう情けないものから、貴族を前にした冷笑へ変わっていった。
カルナリアは両者を見比べて緊張する――が。
両者が接触する前に、異変が起きた。
どよめき。
恐怖の声。
いつぞやの、岩屋根の下であがったような……。
「うわ……!」
ファラがそちらを向いてうめいた。
斜面の
円錐形のぼろ布が出現していた。
認識阻害の効果は発揮されない。
なぜなら――血みどろだったから。
血や、臓物か体液か、とにかく色々なひどいものを塗りたくられたような、凄絶な状態の円錐が、登ってきていた。
「!」
カルナリアでも硬直するほどにすさまじい状態。
それが――こちらへ動き出した。
人々が一気に道をあけた。
「ご主人さまっ!」
カルナリアは自分の頬を叩いてから飛び出した。
「うわああああ! あいつだ! あいつが来た! 殺しにきた! 殺される! みんな殺されるよ! 逃げろ! 逃げろぉぉぉぉ!」
パストラの常軌を逸した絶叫が上がったが。
ほとんど誰も動くことはなく。
「ファラ。洗ってくれ」
まぎれもないフィンの声が流れ――。
「ただちにっ!」
ファラの杖が向けられ、魔法の水、この天才が全力を発揮した洗浄と生命力付与の高い効力を持った水の球が生成されて、ぼろ布を上から下まで全て包みこんだ。
その中で、赤いもの、褐色のもの、どろりとしたものは、全て消えさっていって……。
カルナリアの目の前できれいになった、濡れたぼろ布は、あるものを背負っていた。
「!」
声にならない悲鳴がして、アリタが駆け寄ってきた。
「すまない。助けられなかった」
フィンに背負われていたものは――シーロの、遺骸だった。
今のファラの魔法で洗浄だけはなされて。
四肢がほとんど折れ曲がっているが、ぎりぎりで人体だったとはわかるぐらいには形を保ったもの。
フィンはそれを丁重に地面に下ろし、顔面だっただろう所に、ハンカチらしい布をかぶせた。
アリタがそこに、無言で、すがりついていった。
泣くこともなく、うめくことすらせず、ただ手を触れさせて、体を震わせて――。
と、突然アリタは身をひるがえした。
カルナリアやレンカ、ゴーチェたちが守っていた、自分とシーロの背負い荷に飛びつく。
中から、魔力を感じられるものを取り出した。
初日の「鑑定」の際に、中のものの鮮度を保つといっていた魔法具。
それを震える手で持って、またシーロの遺骸のところへ来て。
「く……薬師さま………………これは……重い病を、癒やす、魔法の、お薬だそうです…………これを使えば…………シーロを…………夫を…………治せますか……!?」
ぼろ布を見上げて、泣き笑いの顔で言った。
「…………すまない。それでは、どうしようもない」
悲しげに、フィンは言った。
アリタは即座に顔を巡らせ――ファラを見た。
「ごめんなさい。私でも、もう亡くなった人は、無理です……」
ファラも沈痛にうなだれた。
「あ…………」
初めて、アリタの瞳から涙があふれた。
誰も身動きできず、号泣をただ耳に受け止めるしかできなかった。
立ちつくすカルナリアの傍らにフィンが来た。
カルナリアは湿ったぼろ布に身をもたせかけ、自分も涙を流した。
【後書き】
ついさっき会話した人間が、もの言わぬ姿になるのはつらい。しかし、そんなことを気にしないやつらとのトラブルはまだ何一つ終わっていない。むしろこれから。次回、第168話「賭けの提案」。暴力描写あり。
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