161 熊退治
――とてつもない強者たちの地であるグライルだが、か弱くちょろちょろするだけしかできない人間たちは人間たちで、それぞれの思惑を持ち、さまざまに行動していた。
前を行く者の後について、ひたすら登り続けている間に。
(…………え?)
見慣れた相手が、カルナリアの少し前に現れていた。
親子連れの夫婦。
パストラとカルリトの母子、夫のライネリオ。
彼らが、自分たちの前にいる、貴族班と一緒になっている。
ライネリオがしきりに、バルカニア貴族に話しかけている。
大きな商会の会頭という立場上、二人の貴族とは面識があり、取引もかなりあるようだ。むしろ貴族側がライネリオの商会に金を無心する立場らしい。
昨日はぎりぎりのところで命を拾い、放心し老けこんでいたライネリオだったが、一晩の間に生気を取り戻していた。荷物も失ってしまったことでもあるし、家族ごと生き延びるために貴族にすり寄っているのだろう。数少ない女性、そして子供連れというところで同情を引いているのかもしれない。そこはさすがに会頭をつとめるだけの人物であった。
そして、パストラは、子供の手を引いて夫に寄り添い歩き続けている。
手を引かれている子供のカルリトは、べそをかいてはいるが、どうにか自分の足で歩けるようにはなったようだ。
そのパストラが、ちらりとこちらを振り向いた。
「…………」
素人ゆえ、殺気は特に感じないが――その目つきは。
「ありゃ、ものすごく怨んでるな。自分が悪いくせに」
レンカの分析に、カルナリアも同意した。
足を滑らせることでもあれば支えようと後ろについていてくれたゴーチェが、カルナリアの前に出た。
山歩きのための杖をしっかり握る、その背中には、主を守る気合いが満ちていた。
延々と、一行は登り続けた。
会話は乏しくなり、息切れする者が増えてくる。
周囲も、木々また木々で、見通しは悪く、先がよくわからず精神的にもきつい。
少し木が減り、見通しが良くなるだけでもほっとする。
草原に降り立った時の解放感が恋しくなった。
「止まれ! 伏せろ!」
突然、案内人が鋭く言った。
前方の仲間のジェスチャーを見ての指示。
カルナリアも周囲の者も、即座に足を止めてしゃがみこんだ。
ゴーチェが事前に教えられた通りに亜馬の体を叩くと、亜馬もまた調教されている通りに足を折って斜面に横たわる。
横合いの山肌から、何かが突っこんでくる足音がした。
「動くな!」
指示が飛び、小さくなった人間たちの上を、大きなものが――動物が、俊敏な動きで、何頭も飛び越えていった。
「ひぃぃ……!」
前方の貴族たちが悲鳴をあげていた。
カルナリアはわずかに顔をあげて見てみたが、濃茶色の胴体と長い脚がいくつか見えただけで、全体像は視認することができなかった。
恐らく、木の少ないところは草食動物の通り道になっており、群れの通過に出くわしたのだろう。
だが、数十頭はいただろうそれらが駆け抜けていった後から。
「危険!」
最後尾のバウワウが、強く吠えた。
あの群れは追われていたから疾走したのであり――追うものがその後から現れることに不思議はなかった。
「
ゆるめの傾斜の上から、巨体が急接近してきた。
「ウガアアアアァァァァ!」
茶褐色の毛並みと人間たちを認めて放つ怒号に、カルナリアは恐怖より先に、懐かしさをおぼえた。
その声真似も、何度も耳にしたものだ。
「戦闘!」
指示が伝わってきた。相手によってはやり過ごすか逃げる指示が出ることもあったのだろう。
案内人たちが、棒の先に穂先を装着させた手槍や大鉈を手に集まってくる。
戦闘担当者ではない者もいた。若い者が多い。
「あのくらいのやつと渡り合えて、一人前だからな」
案内人が、いわば若者の成人儀式なのだと教えてくれた。
「血は、流してもいいのか?」
レンカが案内人に問うた。
「人の血はだめだが、この地の獣ならかまわない」
「オレも戦(や)っていいか?」
「……いいぞ」
レンカはどう見ても成人前だが、戦闘も担当することで通行料とした身であり、腕前もわかっているので、許可はすぐに出た。
「よし。まかせる!」
レンカは飛び出した。
まかせるとはゴーチェに言ったもので、ゴーチェはかがみこむカルナリアの横で、何かあればカルナリアを逃がし自分が盾になれる姿勢を取る。
「ヒャッハアアアアアアア!」
これも前に聞いた、甲高い絶叫をほとばしらせつつ、レンカは双剣を抜き、自分よりずっと大きな相手に突進していった。
斜面の下側にいる不利も関係ない、高速の疾走。
双剣をそろえて振り抜き、一剣は鼻を切り裂き、もう一剣は首から前脚、腹にかけてを切った。
鼻はともかく、体の方は、硬い毛並みと分厚い脂肪に阻まれ、ある程度切れはしたもののとても即死に到るようなものではない。
動きの止まったレンカに、頭上から何かが襲ってきた。
尾。
カルナリアが遭遇したものにはついていなかった、長く、自在に動き、そして先端に毒針を備えている、危険な武器。
「オラッ!」
しかしレンカはそれを、旋風のように回転して、かわすと同時に斬っていた。
血が飛び
そこへ周囲から、先を尖らせた棒、いや槍が次々と投げこまれ始めた。
案内人たちの、手慣れた
様々な方向から投げつけ、誰かが注意を引きつけると別な者が横合いから突き刺す。連携の取れた、戦闘というより狩猟の様相。
みるみる
「いい稽古になります、行ってきなさい」
セルイの声がして、従者の片方、ジスランという者が戦闘に参加した。
狂乱状態の
案内人たちの、優れた身体能力に頼った動きとはまるで違う、訓練を受けた優秀な職業戦士の体さばきと刺突。
剣は、見事にかつ深々と毛皮に食いこんだ。
しかし、
満身創痍の
そこへ、どすどすと重たい足音を立てて、牛獣人の巨体がふたつ、接近してゆく。
天幕の支柱を地面に打ちこむのに使う、大鎚を持っていた。
「ブホッ!」
片方が、刺さったままのジスランの剣を指さし、
もう片方が、大鎚を振るって、ジスランの剣の柄頭に正確に命中させた。
剣は一気に
「ギャオオオオオオ!」
断末魔の悲鳴を
「とどめ!」
もがき、暴れ、前脚を高々と振り上げたのをかいくぐって、小柄な姿が突っこんで――胸部の、骨の隙間に剣を突きこみ、心臓を貫いて、戦いを終わらせた。
動かなくなった
「よぐ……やっだ……」
人語の発声は苦手なのだろう、牛獣人がくぐもった声で言い、それぞれに武器を返却してくる。
「おつかれ。洗うよー」
ファラが登っていって、小さな水流を出して血みどろのそれらを洗い、みなの衣服もきれいにしていった。
「………………」
許可が出て、カルナリアは身を起こした。
終わった。
被害が出ることもなく片づいた。
前の時には、あれほどに恐ろしく、自分たちは逃げるしかなかった相手が、こんなにあっさりと。
「刺せば通る、囲めば殺せる。それならここじゃザコ」というエンフの言葉が腑に落ちた。
自分がそれ以下であることはともかく、確かに、今まで見てきたものと比べると、どうということもない……。
レンカたちが戻ってくる。
「やっぱりすごいねレンカちゃん」
「いや、全然だめだ。骨を通せなかった。あのひとのようにはいかないや」
「武器も刃渡りも全部違うんだから仕方ない。そもそもあの人外と比べちゃだめだよ」
最
誰と比べているのだろう。お師匠様というあのグレンか、あるいはレンカ以上の手練れがいるのか。
世界は広いと、あらためてカルナリアは思った。
【後書き】
脅威の獣があっさりと。集団で、連携し、急所についての知識を持ち、反撃されない距離から攻撃し続ける、これが人間の強さ。そしてカルナリアは、色々な目に遭いすぎて自分の基準が大きく変化していることに、あまり自覚がない。次回、第162話「解体」。
【解説】
レンカが参戦したのは、前回で自分の弱さを思い知ったことから、ストレス発散と向上心によるものです。常に努力を欠かさない、立派な子。――殺しの技、ですが。
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