160 強者たち



 先日の雨の影響で表土は湿ってこそいるが、滑るほどではなく、それほど苦労せず踏んでゆくことができる。


 少し登ると、先を行く者たちから、うめき声のようなものが数多く漏れ聞こえてきた。


 彼らが振り向いているので、カルナリアも後ろを見た。


「ああ……」


 自分も声を漏らした。


 高い所からだと、石人本隊の通過跡が、はっきりとわかるのだった。

 村および湖のある平地の、半分ほどが凄まじいそれに塗りつぶされていた。


 踏んだ場所とそうでない場所が、明確にわかる。

 通ったところは、それまであったもの全てが形を失い、新しいものにされてしまっていて。

 そこがまた風雨にさらされ草が生え、時には水に覆われ削られ、新しいかたちになっていくのだろう。


が、平らなとこだけ通っていってくれてるならいいけど、山を越えて、たとえばこの先から押し寄せてくること、あり得るんだよねえ……」


 ファラの言葉に、カルナリアも強く戦慄した。

 そうなったら逃れようもなく全滅である。

 思わず地響きがしないか全身を耳にしてしまった。


 背後、セルイたちのさらに後ろのバウワウを意識する。

 彼はまさにそれを経験してきたのだ。


 ちなみに、一緒に生還してきた案内人三人は、また東の山に戻っていった。

 彼らの任務は変わらず、新しい地形を確認し、道を見つけておくことである。


 彼らには、襲撃してきた山師たちの道具も与えられた。

 それこそ山師のように、石人たちが崩した山の中から何かを見つければ、掘り出して、自分たちのものにしていいそうだ。


 あの山師たちは、襲撃などせずに、穏やかにゾルカン隊と交流していれば、自分の手で掘り出すことができただろうに……そういうものなのだった。


 そして――カルナリアは、このグライル越えを始めたばかりの頃に、エンフが言っていたことを思い出す。


「あの石人……あんなものすごいものでも、ここでは、最も恐ろしいものではないという話でしたが……」


 ファラが答えてくれる。


「そうらしいねえ。だって、記録残ってるってことは、出くわしても生き残れた人がいるってことでしょ。私たちみたいに。

 本当に危ないものは、出くわしたら最後、全滅してて、誰も記録を残せてないってことだから」


「う…………」


 カルナリアはこの先の山道を見上げ、恐怖した。


「ああ、そうだ」


 ライズ班に同行している案内人が、会話を聞きつけ入ってきた。

 案内人は基本的に下界の人間と関わろうとしないが、ライズ班につけられた彼は、積極的に話しかけてくるタイプだった。


「石人は、止められないが、こちらを狙ってはこないからな。避ければいいので、それほどの脅威ではない。あのような大群はさすがに俺たちも初めてだったが」


「あの虫の方が、脅威としては上だよね」


「はい、あれは人を狙ってきますから」案内人の口調も態度も即座に変わる。「あれと石人が同時にという昨日の事態は、最悪でした。ファラ様が助けてくれなければみな今頃は…………我々はみな、に心より感謝しています」


「ぐっ」


 ファラは苦いものを飲みこんだような顔になった。


「うぐぐ……あ、ありがとね……うう、本当のこと言っても、信じてもらえないからなあ……乗るしかないんだよ……くそう、め……」


 ぶつぶつ言っているが、何のことかよくわからない。


「それでも、もっと恐ろしいものはいる」


 ファラの反応は気にせず案内人は続けた。


 カルナリアが純粋に驚きの顔を見せるので楽しいらしく、こちらに積極的に話しかけてくれる。


毒吹鯨イズエール

 木の根のように、地面の中でひたすら大きくなり、山ひとつほどにもなるものらしい。成長につれて土の中の毒をひたすら貯めこんで、限界を迎えて破裂するか、欲にまみれた人間が地面を掘り進んで袋を破ってしまうと、貯めこんだ毒の風を一気に撒き散らす。それに巻きこまれたら最後だ。風の届く範囲のものすべてが死に絶える。山の向こうからでも、風に乗ってきたら、で死ぬ」


「そんなものが……どうにかできないのですか!?」


「毒を吸いとって貯める分、周りの土がいいものになるため、森が豊かになるらしく、豊かな森は怪しいと聞く。俺たちが豊かだからとに住みつかないのはそれもある」


「…………」


 グライルには住めない。その理由がまたひとつ新たになった。


人狩兎人パオニー

 獣人の一種だ。だが人間を異様に嫌っていて、見つけるなり殺しに来る。小さく、俊敏で、しかもきわめて知能が高い。人の弱点を知り、道具も使って狙ってくる。真っ先に目を潰そうとしてくる。罠も仕掛ける。集団で襲う。男なら急所を狙い、首の血管を狙い、後ろから足の腱を狙う。夜営地までひたすら追跡してきて夜に襲ってくるのは当たり前だ。

 一度成功した攻撃方法をすぐ仲間や子孫に広める。群れをなし、お互いに情報をやりとりし、人間の後ろから、足元から、声を出さないように、何日も、何十日でも追いかけてきて殺し続ける。高いところから石を落としてきたりもする。小さな人間と思った方がいい。こいつらに張りつかれると、じわじわと殺され続けて、全滅することも珍しくない。

 生きていくのにある草が絶対に必要なので、それが生えている場所から離れられず、大体のなわばりはわかっているのが救いだ。近づかないようにするのが最良だ。俺たちもそこを避ける道を通ってる。ただどうもその草を栽培してなわばりを広げることを試してる気配もある。これからどうなるか見当もつかん。何とかして皆殺しにする方法がないものかと色々考えてる」


「うわあ……」


「怖いけどさあ、向こうから見れば、人間の方こそ、自分たちを殺しにくるとてつもない魔獣に見えてるかもしれないねえ。大きくて、強くて、武器も道具も毒も知恵も魔法も何でも使ってきて、執念深くて、何代にもわたって話を伝え続けて殺し方を洗練させ続けてくる生き物、だからねえ」


「おっしゃる通りです。

 しかし、その人狩兎人パオニーの群れが全滅するのが、最強茸バサカル


「そんなものがいるのですか!?」


「ああ。動物に寄生するキノコなんだが、そいつの胞子には、あらゆる動物に、とてつもない強さで、をかきたてる効果がある」


「勝利への欲、ですか?」


「競争心っていうのか、他人に勝ちたいって気分は誰にもあるだろ。それがものすごく強くなる。何がなんでも目の前のこいつに勝ちたい、勝たなければ、勝って自分の方が強いことを示したいって気分だけになる。勝った時の気持ちよさもものすごい。だから男も女も関係なく、同じ種族のやつにとにかく挑みかかり、殺し合う。そいつは、殺し合った結果生き残った、最も強いやつに深く寄生して、よその土地へ移動して、そっちで広がろうとするわけだ。

 そして、人間も含めた動物の場合、大抵はオスの方が強いから、最後に残った一人なり一匹なりもオスである可能性が高く、その後も生きている間は、ずっと同種の生き物に挑み続け、殺し続けて、子孫を残せず死んで、滅びる。

 ……俺たちの、やられた隊の、生き残ったやつが、新しく来たやつに襲いかかったんだが、何とか生きたまま捕まえることができてな。それで効果がわかった。それまでは、いきなり人の集落も獣の群れも殺し合って消滅することがある、グライルにはそうなってしまう病気があるらしいってだけだったが、そいつのしわざだったんだ。

 俺たちの中のひとりがそいつを吸ったら、気づく前に何人も殺されるだろう。戦闘担当のやつが吸ったら、大変なことになる。

 そしてファラ様、あなたがやられたら、次の瞬間俺たちに全力で魔法を放って皆殺しにしようとしてくるのです」


「そいつは、笑えないね……でも、吸ったらもっとヤバいやつがいるんだよねえ…………うわ鳥肌。がそうなるのって怖すぎる」


「あれって、どなたのことですか?」


「うん、まあ、ほら今みたいに山に登ってる時って、山の大きさはよくわからないよね? 近すぎるとわからないことってよくあるものだよ」


 カルナリアは比喩が理解できずに首をかしげた。


「他にもまだ危険なやつは色々いるんだが…………それら全ての上に立つ、グライルの頂点が………………グンダルフォルム」


「あ! エンフさんから聞きました! 災厄の大蛇、ですよね!? 討伐隊を出したけれど、二万人があっという間に……その、皆殺しにされたとか……!」


 自分からも話せるので、怖い話題なのだが、つい盛り上がってしまう。


「グンダルフォルム…………いや、私も、文献では読んでるけどね……世界中の、このグライルみたいな、巨大な山脈ごとに一匹ずつ住んでるっていう、生き物の頂点…………この世で最強の存在。見てみたいけど、出てきたら最後、終わりの獣」


「はい。人の寿命のひとめぐりの間に一度、目覚めるかどうかという存在ではありますが、目覚めた時には、あらゆる生き物はそのエサになるしかないと言われています。俺もまだ見たことはありませんが、古老が伝えるところによると、抗おうと考えること自体がおこがましい存在だとか」


「ものすごく大きくて、強くて、知恵もあると聞きました!」


「ああ。今まで言ったやつのどれも、グンダルフォルムには勝てない。パオニーバサカルも問題外。毒吹鯨イズエールの毒も、効かないどころか、地面の中から掘り出して食べてしまうらしい。その後はその毒を吹くようになる。グンダルフォルムにすればいわば珍味にすぎないとか。あの石人の群れも、人がほこりを払うように左右に吹っ飛ばされて簡単に片づけられるだけ」


「ひぃぃ…………!」


「その上で、知恵がある。人と同じくらい頭がいいんじゃないかって話だ。一度やられて少しでも傷ついた攻撃方法には必ず対処してくるし、受けた攻撃はすぐ自分でも使えるようになる。

 通りかかったところに山を崩して巨大な岩を落とし、百人がかりで引いた巨大弓の矢を口の中に撃ちこみ、その当時最大最強の魔導師が練りに練った死の魔法をぶつけた。……その結果、今では巨体を利用して山を崩して人を生き埋めにするやり方を使ってくるようになり、体に生える角を矢のように飛ばし、死の魔法を使うようになった。毒を吹けるようになったやつは、遠くの風上から撒き散らすこともやってくるそうだ」


「そいつは…………きついねえ…………」


「しばらく動き回った後に、長い眠りにつくので、その居場所を探し、近づいて退治しようとすることはもちろんやりましたが……近づいたら、目覚めたのです。むしろ通常目覚める時より激しく、しつこく人間を狙って長いこと暴れ回ったそうです」


「まあ、虫にたかられて目を覚ましたら、とにかくその虫叩き潰して回るよねえ。どうしようもないね」


「その通りです。なので、出現したら、とにかく身を潜め、食われないように祈り、隠れ続ける以外のことはしないと決まっています。活動するのはおおむね一月ほどなので、その時期をやり過ごせば生き残れますので」


 死の魔法も通用しないとは、つまりファラでもどうすることもできない相手。

 恐ろしすぎる。


 そんなもののいるグライルを、自分たちは通ろうとしているのか。


 確かに、一番最初にゾルカンが言っていた、自分たちはグライルのお目こぼしをいただいて足元をちょろちょろするだけの山ねずみだという、その意味が身に染みて理解できた。


(もしかして、風神の息吹ナオラルフューラの、自由国境地帯というのも…………そのために?)


 天竜山脈グライルに開いた、通行のたやすい地峡、風神の息吹ナオラルフューラ


 しかしそこは、カラント側のグラルダン城塞、バルカニア側の同じような城塞……それらが見える距離で向かい合っているわけではなく。

 その間に、通過に三日ほどかかる、自由国境地帯――どちらの国の領地でもないとされている部分が設定されている。


 それは、両国のいさかいを避けるための緩衝かんしょう地だと思っていたが。

 もしかすると、グンダルフォルムが山脈を移動し風神の息吹ナオラルフューラを通過する際に、被害を出さないようにするためなのかもしれない。

 どちらかの国の領土であれば、退治するために軍を出す義務が生じてしまうから……。


「…………ワタシは、小さいな…………」


 黙ってずっと話を聞いているだけだったレンカが、つぶやいた。


「どんなやつでも殺せると思っていたのに……」


「人の、強い、弱い、大きい、小さいなんて、ずっと上の者からすれば、全部同じにしか見えないのでしょうね……全部同じ、自分のエサ」


「偉いかどうかもな」


「はい、その通りです」


 王女の自分も、平民のレンカも、本当の奴隷身分のトニアだって、今聞かされた恐ろしい存在ものたちの前では、すべて、一律に、価値がない。

 みな完全に同じ、弱者でしかない。


 強者の一角、石人の本隊と血吸蟻を体験した後では、心からそう思えた。


 前にも、自分にそういう感覚を抱かせた捕食者よるのひめがいた。

 初日にゾルカンの言ったこととラーバイでオティリーに聞かされたことが共通していたように、こんなところでも、天竜山脈グライル色街ラーバイの共通点が見つかった。


 それが面白くなって、カルナリアはひそかに笑った。


「…………ほんと、変なやつ」


 レンカにあきれられた。





【後書き】

恐るべきグライル。ここは人の世界ではない。王女は、自分の血筋も立場も一切通用しない世界を、肌で知りながら進んでゆく。次回、第161話「熊退治」。タイトルでネタバレ。連載初期の強敵が再び、というあれ。


※余談

グライルのまだ見ぬ強敵たち、考えるのは楽しかったです。他にも致命的な場所や樹木などもありますが、案内人たちはそれを避けて通っているので出てくることはありません。グライル探検記を描く場合には、毒ガスが溜まっている谷間やら人を狂わせる花畑、粉末に触れるだけでも死ぬ毒の岩なども出てくるでしょう。

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