159 前進



 色々あった湖畔の村跡から、今度こそ出立する。


「荷物をなくした客人たち、お前らには同情するが、手ぶらで歩かせるわけにはいかねえ。それぞれ、俺たちの荷物を持ってもらう」


「それは、契約違反では?」


 モンリークではない、別な客が言ったが、ゾルカンは相手にしなかった。


「お前たちに俺たちの手伝いをさせることはない、なんて決まってたわけじゃねえ。文句あんなら、これから先、俺たちが運ぶ食い物も寝床も、一切使うんじゃねえぞ。自分で手に入れな。

 いいか、お前たちのために俺たちがいるんじゃねえ、俺たちが、自分たちのもの運ぶついでにお前たちを連れてってやってるだけだ。そこんとこ忘れんな」


 荷物をなくした者たちには、急ごしらえの背負い袋が配られた。分解した天幕の一部、死人の衣服をつめたものなど。

 ひとりにつき一種類だけなので、勝手に漁ったところで大したことにはならないようにしてあるらしい。

 他人のものを盗もうとした者たちは、天幕の支柱や棒の束、水袋など、重たいものを背負わされた。


 また食糧は誰にも持たせなかったようだ。

 におい消しを兼ねてだろう、食糧を運んでいる亜馬や荷運びの案内人は、もうもうと魔物よけの煙を焚いていた。





 もう警戒の必要はないので、整然と動き出す。


 偵察班が散らばって先行。


 牛獣人たち。

 荷物を積んだ亜馬。

 最初の時より荷物は小さくなっている。


 今日は、その後ろにまず荷物なしの客班。

 第一、第二、第三班と分かれる。モンリークは第二班。第三班に親子連れがいた。


 荷物あり客の、第四班。アリタがここにいる。エンフもついていた。

 貴族班である第五班。


 そしてライズ班となった。


 亜馬を連れたカルナリアとゴーチェ。同じく亜馬を許可されたファラ。レンカ、後ろにセルイと従者ふたりという順番になった。

 フィンはともかく、グレンという男も相変わらずどこにいるのかわからない。時々は見かけるので、いっそう不気味だ。


 カルナリアに与えられた亜馬は、昨日ゴーチェに使わせたものではなかった。

 昨日の経験で、それまでレンカやゾルカンが言っていたことが骨身に染みてわかった。あの蟻の海のような状況では、亜馬を食わせてでも自分が逃げなければならない。愛着を持つと、見捨てられなくなる……。


 今日の子も、耳のぴこぴこする動きは可愛かったが、名前をつけようという考えが浮かぶことはなかった。



 ――動き出すのを待っている間に、カルナリアはぎょっとした。


 フィンがいたのだ。

 妙なところに。

 前方の第四班、荷物あり客の班のかたわらに。


 エンフに、何か話しかけているようだ。

 いや、アリタにか。

 アリタが明らかにフィンを視認し、戸惑っている。


「……!?」


 カルナリアは目をむいた。


 アリタの手がぼろ布へ伸び、触れるような仕草をしたのだ。


 凝視するカルナリアの、すさまじく強化された視力ではっきり見えた。


 ほんのわずかだが、ぼろ布の中から、麗しい手の先、美しい爪のついた指先があらわれたのを……!


「……今度はあの人妻さんっすか。子供好きかと思ったら年上もいけるんすね。見境なしっすねえ」


 ファラの声が耳に流れこんできた。


 カルナリアは激怒し――はしなかった。


(目的があるはず、必ず、あるはず……!)


 アリタとエンフが移動し始める。


 フィンは、その場にたたずんだままだった。

 動かなければ、枯草のよう。


 貴族班の者たちが、これまではあれほど恐怖していたぼろ布を、認識しないまま通りすぎてゆく。


 カルナリアが、そこに達した。


 ぼろぼろは一緒に動き出した。


「……ご主人さま」


「今日も、気をつけろ。ひたすら登りだ、体力と、上から落ちてくるものに警戒すること」


「はい………………ところで、今、アリタさんと、?」


 声にどす黒いものを混ぜないようにして、平然を装って、訊ねた。


「夫のシーロが、かなり体調が悪そうだったので、薬を渡してきた」


「…………」


「お前と違って、気づいてくれなかったので、私の方から渡した」


「……………………」


 考える。


 いきなり物だけを出されても反応できない者はけっこういるのだ。

 思えばゴーチェもそうだった。アリタもそうなのだろう。


(……それがむしろ普通の人の反応で、初めてですぐにを引っ張り出した私がおかしいのでしょうか?)


 もはや遠い昔にすら思える「釣り竿」と発熱サイコロのことを思い出し、今更ながら自分の振るまいの危うさに気づいたが――。


 それはともあれ、その理由ならフィンが指を出すのも仕方のないことか。納得。許可。どす黒いものは去った。


 では、薬を渡す目的は。


 足を痛めたゴーチェに薬を渡したのは、カルナリアの意志を尊重してくれてのことであり、また薬代としてモンリークから自分を守ることを従者たちに要求する狙いもあった。


 それと同じように、何かを目論んでいるとしたら。


 ここまででわかっている限り、あの夫婦に特殊技能はない。

 特別な貴族なり誰かなりとのつながりもない。

 彼らだけでバルカニアへ、この危険すぎる方法を使って戻ろうとしている、ただの夫婦だ。


 もちろん、具合が悪い者を助けることには何の文句もないが。


 ひたすら足を動かし、帰国しようとしているだけの、儚げな人妻とその夫に、フィンは何を見て、何を考えているのか。


 アリタを魅了しようとしているのでは……。


 いや、彼女を魅了して何の意味があるのか。


 ファラの言葉は頭から追い出す。あれは自分をからかっているだけだ。そうに違いない。


(こういうことを、聞かずに、読み取れるようにならなければ……そう、これは、宿題のようなものです!)


 直接質問をぶつけたい気持ちをぐっとこらえて、カルナリアは考え続けた。


 そしてもちろん、それはそれとして、フィンが一緒に歩いてくれるということに、心からの喜びをおぼえた。


 すぐ後ろに、敵であるセルイたちがいるので、フィンの気配は冷え冷えとしたままだが。


 それでも、グライルに踏みこんでからはほとんど、姿を隠され離れたままでいたし、昨日に到ってはほぼ一日離ればなれだったので、こうして居場所がわかる状態で一緒に行動できるというのは、たまらなく気持ちが弾んだ。


「…………!?」


 いきなり、頭に手を置かれた。


 なでなでされた。


「!?」


 背後でいくつも、息を飲む気配。

 ファラやセルイたちが愕然としている。


「な、なんですか」


「いや、いいところにあったから」


 振り仰いだ時は、もう手はぼろ布の中に引っこんでいた。


 レンカのじっとりした視線を感じた。


 多分、おねだりしても、もうやってくれないだろう――が。


 なでられた頭は、これからずっと、温かいままだ。





 虫にひどい目にあった者たちは黒い絨毯じゅうたんを恐れたが、先行する案内人と亜馬が平気で踏みこんでゆくので、どうにか足を動かすことができた。


「やああああ! ワンちゃんいないとやああああ! やだあああああああ!」


 前方から泣き声が聞こえてきた。

 子供の声。カルリトだ。


 昨日、凄惨なものを見てしまい、何にも反応しなくなってしまっていたのだが。


 バウワウが近づき、自分のふさふさした頭を撫でさせ続けるうちに、何とか自分を取り戻した。


 しかし、再び恐怖そのものの黒い絨毯を前に、歩けなくなってしまったようだ。


 泣きわめく声は延々と続き、いら立った者から怒鳴り声が浴びせられ、さらに泣き声が大きくなった。幼児返りもしているらしい。


 父親のライネリオがやってきた。


 カルナリアたちを通りすぎ、さらに後方へ。


 最後尾にいるバウワウのところへ行き、どうやら息子のために前へ来てくれと頼んでいるようだ。


「任務が、優先」


 渋い声が聞こえてきた。


「代わりに、においをかぎ、まわりを警戒すること、お前に、できるのか。できないなら、ここを、離れるわけにはいかない」


 憤然としたライネリオが前へ戻ってゆき――少しして、子供の泣き声と大人たちの怒声、パストラの甲高い悲鳴が聞こえてきて……。


 隊列が動き出した。


 どうやら、それならカルリトをバウワウのところへ連れていこうとしたようだが、案内人が許さず、怒鳴り合ったあげく、何らかの制裁が加えられたようだった。


 その上で容赦なく前進させられた。

 カルリトを、父か母かが抱きかかえ、つまり著しい負担をかけながら進むことになったのではないか。


「とばっちり、こっちに来るかもな。くれぐれも気をつけろよ。斜面で、上から石を落としてくるぐらい普通にやってくるぞ」


 レンカに言われて、カルナリアはまた重たい息をついた。






 フィンと一緒に歩きつつ、虫の死骸の上から、あの黒土の範囲に。


 まだ直接見ていないセルイたちが、戸惑っていた。


 同じ黒い大地でも、全然違う。

 カルナリアはまた足の下から豊かなものを感じたし、ファラも亜馬から降りて自分の足で踏みしめ、セルイの前でなければまた転げ回りそうな様子になっている。

 先を行く亜馬や獣人たちも、どこかうっとりした様子。


「ふむ」


 フィンもまた、興味深げにしていた。


「これは、何なのですか?」


「豊かな土だが…………それ以上はわからないな」


「もう怖い虫がいないのなら、畑にできないのでしょうか」


「…………その前に、流されるだろう」


 フィンの言葉に呼ばれたかのように、足元が、水に浸り始めた。


「ひゃ!?」


「石人たちに踏まれて、上流の川岸が崩れたんだろうね」


 とファラが残念そうに言う。


「この土、だんだんと虫の死骸を覆っていって、強い雨でも降ったら、この辺全部、水浸しになって……雪解けあたりで、一気に押し流されて、あの村、完全になくなるだろうねえ」


 カルナリアは村の跡地を振り向いた。


 純白の雲がいくつか浮かぶ澄んだ空と、白い川、深い青の湖面。


 色々なことがあった家や建物はすでにほとんど残っていないが。

 土台から何から、全て消え去ってしまうと思うと、切ないものが胸に広がった。


「そういうのが何度も何度も繰り返されて、この平地ができたんだし、何だかんだあっても、またあの辺に人は集まって、何かができてるよ。そのしぶとさもまた、人間ってものだからね」


「…………はい」


 カルナリアはうなずき、前を向いた。


 自分は、フィンと共に、先へ。






 川がゆっくり右へ曲がる。


 村から見えていたぎりぎりのところ、あの石人の本隊が見えてきたあたりで、浅くなっているところに踏みこみ、川を越えた。


 さらにもう少し川沿いに進んだが、谷間は徐々に曲がっていって、ついに湖が見えなくなった。

 平地ともお別れだ。


 一面緑の、山の中に入りこむ。


 これもまた、案内人がいなければ、こんなところに西へ進む道があるとはまったくわからない、細い登り口だった。


「じゃあ、私は先に行く。気にしないで登ってこい」


 言うなりフィンの気配が希薄になり、その姿が山にまぎれて、わからなくなってしまった。


 周囲の様子がわかりやすい平地なら、セルイたちに攻撃されても事前に察知できるから、一緒にいてくれたということか。


 ここからはまた、お互いの位置や状況を常に気にし合う、暗闘状態に。


 カルナリアはファラや背後の面々を忌々しげに見てから、前を向き、登り始めた。





【後書き】

出発した。今のところは平穏。今のところは。久しぶりにフィンとも歩けた。これがずっと続けばいいのに。だがグライルはそんなに甘いところではない。次回、第160話「強者たち」。



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