144 村からの脱出


※残酷な表現あり。





 ゾルカンが客たちに告げた。


「これから、ここを出るが……昨日も言った通り、ここを出た途端に何かやられて、血を出して、アリに襲われるかもしれん。


 だから、順番を変える。


 偵察の連中はもちろん最初に出すが、その次に、まずお前ら客を出す。


 俺たちのうち、戦いに強い連中がここに残って、何かやったらここのやつらをぶっ殺す。それを示すことでお前らの安全を確保する。


 お前らは、ここを出たら、ばらばらに散って、先の方で待ってるやつのところへ向かえ。できるだけ早くここから離れること。ただし……」


 ゾルカンはそこで、木を削った、串……というには太く短い、先の尖った円錐形のものをみなに見せた。

 それほど大きなものではないが――。

 華麗な花を咲かせる植物の、茎に生える鋭い「とげ」をカルナリアは思いだした。


「連中がよく使う手口だが、こういうものを草の中にこっそり置いておく。

 気づかず踏んで血を流したやつを、アリに食わせる。

 あるいは草を縛っておいて足を引っかけ、転んだところにこれが刺さるように、な。


 まだ期待のある、来る時には仕掛けねえ。何もよこさないまま出て行く俺らを引っかけてぶっ殺そうっていうやり口だ。


 もちろんガンダやギャオルたち獣人にはできるだけ探らせるが、昨日の雨でにおいが流れて、気づけないかもしれん。お前ら自身も、足元にはくれぐれも気をつけて移動してくれ。

 ここを出る時は急ぐ必要があるが、その後は慌てなくていい、慎重に。

 でまた新しいデコボコもできてる。転ばないようにな。


 お前らが出た後で、荷物班を出して、そいつらが安全だとわかってから、戦う連中が出るという順番だ」


「……まずいねえ。レンカちゃんが戻ってくるの、無理そう」


 ファラが言った。

「戦う連中」であるセルイのところに行ってしまった凄腕のレンカを、ゾルカンは戻さないだろう。

 つまり、先ほど何を感じ取り何を気にして師匠のところへ行ったのか、わからないまま。


「ファラ。来てくれ。お前さんは、この病人班についてくれ。荷物班と一緒だ」


 そしてファラも、命令で、カルナリアの側から離れることになってしまった。


 色々わからず不安なまま、村の出口へ誘導される。


 自分もどこかのタイミングで入浴したらしい、さっぱりしたエンフが女性班のところに来て、率先してフードを外した。


「さ、あんたら、今度は来る時とは逆だ。顔を出して、女だとわかるようにしな。あいつらは、女を失いたくはないからね。何かしてくるにしても、できるだけ女は狙わないから割と安全だ」


 カルナリアは、パストラとカルリトの母子を視界から外さないようにしつつ、エンフの側に寄った。

 身を守るにはそれしかない。



 自分たち女性班の後ろに、亜馬にまたがったゴーチェがいる。

 モンリークたち貴族班の面々もその傍らにいた。


「世話になった!」

「いやいやこちらこそ!」


 ゾルカンと、この村の代表らしい男が、笑顔で挨拶を交わす。


 お互いに必要なものは交換できて、取引としては満足いくものであったようだ。

 しかし、笑みの中に鋭い、悪いものが混じっているのはカルナリアにも見てとれた。


「こんなに沢山の、外の人が来るのは、本当に久しぶりだよ。嬉しかったよ」


「迷惑かけてすまなかったな。それじゃ、また、次の時に」


 表面だけの明るい挨拶を終えたゾルカンは、すぐ鋭い顔に戻って手で合図を出し――。


「行くよ。しっかりついてきな」


 エンフを含めた案内人たちの指示で、ひとかたまりにされた客たちは早足で村を出た。

 昨日足を洗った浅い水路を無数の足が蹴散らして、水しぶきがあがる。


 カルナリアも、フードを外して水を渡った。


 あ、なんだあいつ、おいすげえ、あんなのがいたのかよと、住人たちが自分を見てあげる声が背中を追ってきた。


 エンフの指示で女性たちは散らされた。


「それじゃ、みんな、ばらばらに! 向こうの、あの煙のところへ! 後でね! 慌てなくていいからね! 足元にはくれぐれも気をつけるんだよ!」


 草原の、先ほど石人が現れた北の方、かなり遠くに、棒の先に火をつけ煙をあげたものを持っている案内人がひとりいる。先行した偵察隊の者だろう。

 あれがとりあえずの目的地。


 カルナリアは、パストラとカルリトから危害を加えられないように全力で警戒し、足元にも気をつけつつ草を踏んで走った。


 煙の立つ方ではなく、ひとりで東の山肌に向かう。

 他の者たちから離れれば、フィンが近づいてきてくれるのではないかと思ったから。


 とりあえず、パストラが襲ってくるようなことはなかったし、自分を狙って何かが投げつけられるというようなこともなかった。


 ある程度離れたところで、一度身をかがめ、フードをしっかりかぶる。

 認識阻害の効果があるから、これでかなり安全になったはずだ。


 かがんだまま少し場所を変えて、周囲をうかがう。


 草原のあちこちに客たちが散っていた。


 すぐわかるのは、亜馬にまたがるゴーチェと、その周辺の貴族班。


 貴族が、従者を遠ざけ危険な場所をひとりで移動する、などという真似をする、結果的に固まって動いているので見分けやすい。


(……その『常識』があるからこそ、あの時、わたくしとレントとエリーだけで、しばらく逃げられたのですよね……)


 この逃避行の、最初の最初、本当にはじまりの一歩目を思い出す。


 貴族、それも王族が、徒歩で逃げる『わけがない』。


 平民兵士もそう思ったからこそ、馬車か屈強な騎士、あるいはただ者ではない従者を引き連れている者を探し、自分たちは幾度となく捜索の目を免れることができたのだ。


 あの時の、馬車を降りてどことも知れぬ森の土を踏んだところから、なんとまあ色々なことがあり、遠くまで来て、自分も変わったことだろう!


 今や、カラント国内どころか、恐るべき天竜山脈グライルのまっただ中で、本当に周囲に誰もいない、完全なひとりきり。


 前に詠嘆えいたんしていたファラではないが、あの日より前の、王宮で色々なことをわかっているつもりでいた幼い自分に、「あなたはこの後、親しい人たちをことごとく殺されながら奴隷の姿となって徒歩でひたすら逃げて、鞭打たれたりグライル山脈に踏みこんだり、他人の血みどろのお腹に手を突っこんだりこの世のものではない汚泥の上を突っ走ったり、誰よりも大切なひとができてひたすらその人と会いたいと思うようになったりします」と告げたところで、絶対に信じてもらえないだろう。




 ……さらに見回す。


 ほとんどの者はひとりずつばらばらになっているが、親子連れ、夫婦という見知った面々は見てとれた。


 近いところには誰もいないから、集合するまでは、何もされずにすみそうだ。


 どこかから悲鳴が上がるということもなく、それぞれ、煙の立つ方へ移動していっている。


 この分ならみな大丈夫だろう。


 残念ながら、今のところフィンの、あの恐怖の気配は感じ取れないが――自分が安全でさえいれば、この後いくらでも接触の機会はあるはず。


 そう思って、足元に気をつけつつ、自分もゆっくり北へ向かい始めた。


 客たちの様子を見て問題ないと判断したらしく、村から今度は、牛獣人たち、荷物満載の亜馬といった、荷駄隊が出てくる。


 それらは分散することなく、まとまって北へ向かっていった。


 病人班だろう、荷駄隊と一緒に足を運ぶ動きの鈍い客たちがいる。

 ファラがついている。ただの棒ではない魔導師用の杖を持っているし、こちらも身を隠すことをやめて、豊かな胸や黙ってさえいれば麗しい容姿を露出させているので、すぐそれとわかる。


 村の中には、住人たちを威嚇しているのだろう、戦闘担当の者たちが待機している。


 セルイがわかり、ゾルカンがわかった。レンカもそのあたりにいるのだろうか。


 ――その時だった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」


 ゾルカンの声が、草の上を走ってきた。


 腕を激しく振り回し、何らかの合図を送っていた。


 鋭い笛の音が響いた。

 全力で吹いている、切羽詰まった響きの、明らかに特別な合図だった。


 草原のあちこちで、案内人たちが立ち止まり、その場で激しく声を発し始めた。


「逃げろ!」


 と、まず聞こえた。


「山へ!」


 とも聞こえた。


「石人だ!」


 カルナリアから一番近くにいる案内人の声が聞こえてきた。


 それを耳にするとほぼ同時に、足の下から――先ほど感じた地響きが、新たに湧き起こった。


 先ほどよりずっと強かった。



!」



 ……草原のど真ん中で、カルナリアは見た。


 集結場所だった、案内人が立てている煙をあげる棒。

 それが大きく揺れ動いて、移動し始める――逃げ出し始めて。


 地響きはみるみる強くなって。


 その向こう、川の上流側から。


 石人が。


 先ほどの五体どころではなく。


 十、二十、三十…………数えきれないほど!


 しかも横に広がって、全てを踏みつぶしながらこちらに向かってくる!


(…………!)


 カルナリアの脳裏に、先ほどファラから聞いたことが雷鳴のようによみがえった。


 出くわしてしまったらどうしようもない、堅牢かつ剛力の、人では抗いようのない災厄。


 荷駄隊が向きを変えた。

 牛獣人たちが回れ右し、亜馬を猛烈に引っ張って村へ戻ってゆく。

 亜馬のいななきが響いてきた。


 ファラが、先行してひとりだけ、村へ駆けていった。ものすごい俊足。残された者たちはうろたえている。


 ……新しい、かすかな声が聞こえてきた。


 遠くに、豆粒のような、人の姿があらわれた。


 迫り来る石人の群れ、いや壁の、手前に。


 地べたを走る者たち。


 案内人でも客でもない、あの村の住人たちと同じような風体の、恐らくこの地に者。


 三人…………いや、四人。


 昨日、フィンと二人でファラを運んだように、三人でひとつの人体を運んでいた。


 ここへ向かっていた途中で出てしまった怪我人だろうか。


「たすけてくれええええええええええっ!」


 さえぎるものがないために、彼らのその必死の声は耳に届いてしまった。


 彼らは遠目にも死に物狂いに足を動かしている。


 だが、怪我人をかかえていてはどうしてもある程度以上は速く走れず――。


 地響きを立てて迫り来る石人の方がわずかに速く。


 距離が縮まり、すぐ背後に迫り。


「…………!」


 声は聞こえないが、悲痛な、悲痛すぎる気配をカルナリアは察した。


 彼らは、運んでいた者を――放り捨てた。


 その後は全力疾走。


 置いていかれた者が、声は聞こえなかったが、腕を上げて振り回した…………本当に小さくだが、それが見えてしまった。


 その体が、石人の波に飲みこまれた。


(……………………!)


 まず間違いなく、哀れな者は、石人に踏みつぶされる。


 血が大量にぶちまけられる!






 ………………が、起きた。






 その辺りの地面が、盛り上がった。


 黒いものが、波のように。


 先頭の石人の、足に、その黒い土が張りついて――違う、大きな黒いうねり、その『全て』が、虫だ!


 石人の脚がたちまち黒いものに覆い尽くされ、周囲はすべて黒い波となり、石人たちの胴体半ばまでもが埋まる。


 人の身長以上の、黒い盛り上がり。


「ひ…………!」


 想像を絶する速度と、量!


 しかし、人間ならばたちまち食らい尽くされるだろうが、石人は何ともないようで、真っ黒な波の中を、少しも変わらず歩み続ける。


 その足に、踏みつぶしただろう人体の残骸を付着させ続けたまま。


 ――ゾルカンからどう説明されたか。


 人の血肉を食らうと、群れ全体が、興奮する…………!


 石人が進み続けるにつれて、さらに広い範囲で草原が持ち上がり、鮮やかな緑が、湧き出てきたとてつもない量の黒いものに飲みこまれていった。


「ぎゃああああああああああああ!」


 悲鳴が聞こえてきた。


 草原に散っていた襲われ始めた絶叫だった。




【後書き】

最悪のタイミングで最悪の事態が。ついに死者が出る。それも大量に。次回、第145話「蟻津波」。残酷な表現多数。

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