122 第二日、朝
「起きろーーーーっ!」
空が完全に白くなり、案内人の声が飛んだ。
あちこちの天幕から人がぞろぞろ現れてきて、水場に行列を作る。
トニアの忠告をカルナリアはありがたく思い出した。
貴族の従者たちが、行列に横入りしようとして、案内人たちに制止されているのが見えた。何かわめいていたが、すぐ戦闘担当者たちが集まってきて大人しくなり、列につく。
「やれやれ。今日もうるさくなりそうだねえ」
エンフがしみじみと言うのに、カルナリアも同意した。
まずは点呼。
各天幕ごとに、班長たる案内人が、客たちの人数と体調、病人が出ていないかなどを確認し報告する。
女性班は問題なし。
「ふあ~~~」
起きてきたファラが大あくび。
どうも朝は弱いようだ。
(あ…………)
カルナリアの胸が変に弾んだ。
その力の抜けた顔つき、垂れた目などが…………きわめて危険だった。
油断しきっている胸元。
重たげにまぶたを落として、ぼんやり周囲を見回す目つきは、まるで誘惑する流し目のよう。
ふらふらと揺れる手も、妖しく招いているかのようで。
誘いこまれ、絡みつかれ、捕らえられてしまいそうな感覚にカルナリアは襲われる。
この巨乳魔導師は、頭をすっきりさせず黙っていれば、色香のかたまりだということが判明した。
「ほら、ちゃんとしな」
だが、レンカに顔を拭かれ、尻を叩かれ、自分で気合いを入れてメガネをかけて大きく瞬きすると――。
「よっしゃあ! 今日もファラちゃん、全力全開、がんばっちゃうぞー!」
悩ましいものが一切合切消え失せ、近づきたくない変態に変態してしまった。
あの眠り蜜を何とかして飲ませられないか、カルナリアは本気で考えた。
朝食は昨日ファラの言った通り、
元を知っていると薄気味悪くは感じたが、
根菜と、ぶつ切りにされたモツ。
口に入れると、歯ごたえがすごく、それでいて旨味は深く、実に面白い食感だ。
昨日に続いて、体にぐんぐんと力が満ちてゆくような心地がする。
そんなもの食えるかと怒鳴るモンリーク、バルカニアの貴族、裕福な商人らしい者たちは、それぞれが持参してきた食材を口にしている。
しかし、何日続くのだろうとカルナリアは他人事ながら心配になった。
彼らの食料が尽きることではなく、手持ちの食料が尽きた彼らがどういう行動に出るかという心配だ。
もちろん客であり、食事は案内人たちが用意することにはなっているので、飢えることはないはずだが、どうなることか。
「よーし、客ども、集まれーっ!」
ゾルカンが、昨日と同様に客全員を呼び集めた。
「昨日一日で、大体どういう風に進んでいくかわかっただろ。
今日は、午前に一回、昼、午後に一回休憩する。水場は、昼の休憩場所だけだ。それぞれ、水はしっかり持っておけ。
昨日、魔獣ってやつを見たな。だがあれは可愛いもんだ。このグライルは、奥へ行けば行くほど、より強く、危険なやつが出る。昨日は何とか全員無事ですんだが、これから先は、俺たちだってやられるやつがいくらでも出てくる。
だから、俺たちの指示には絶対に従うこと」
また、試験をされた。
今回は、かがむ、伏せる、頭を隠すなどの、恐らく実際にやることになるだろう動きを練習させられた。
魔獣に遭遇したこともあって、みなの真剣さが昨日とまったく違い、ほとんどの客がすぐ合格をもらえた。
今日はモンリークも無言でゾルカンの指示通りに動いていた。
女性班だけ、なぜか残された。
ファラ、レンカとフィンは抜きで、カルナリアとパストラ、カルリトの親子、人妻アリタ。すなわち一般人たち。
「しゃがめ。声を出すな」
ゾルカンが指示した後に――豹獣人ギャオルがやってきた。
「グォオォォォォ!」
いきなり牙をむき咆哮する。
「きゃっ!」
アリタが叫んでしまい――。
「バオッ!」
予想外に、背後からも強く吼えられた。
バウワウではないもう一人の、猛々しい犬獣人のガンダ。
「わあああああっ!」
「きゃああああ!」
カルリトが、次いでパストラも、悲鳴をあげ逃げようとして前に転がった。
「…………やり直し。女の声はよく響くからな。獣だけじゃねえ、くそったれどもも聞きつける。お前らにはくれぐれも、大声を出さないように気をつけてもらわなけりゃならん」
恐怖し驚きもしたが、ぐっと唇を引き締め押し黙ったままだったカルナリアには、賞賛のまなざしが向けられた。
「嬢ちゃん、あんたやるなあ」
「色々な目に、遭ってきましたから……」
守り手が殺され腕の中で死んでいった。怪人に対面させられた。崖を飛び上がった。獣との遭遇。間近での咆哮。知り合った相手が胸に槍を刺されて死んだ。飛んできた
それらに比べれば獣に吠えられる程度どうということもない。
……思い返すと、ひどすぎる。
女性班が訓練を受けている間に、男性客たちは、班を改編していた。
一日歩き通してみて、性格や体力、相性などから、当人が違う班を求めたものと、案内人が指示したものと、五人ほど移動した。
モンリークおよびバルカニア貴族の貴族班はそのままだ。
それから、今日の案内人の区別方法と、こちらがかける合い言葉も伝えられた。
今日は、話しかける案内人は胸を軽く叩く仕草をする、それをやらない相手が現れたら「水を分けてもらえませんか」と訊くというものだった。頭に叩きこむ。
天幕が片づけられ、燻製肉も包まれ亜馬に積まれ、出発準備が整った。
カルナリアは、フィンに声をかけてから、亜馬のところへ行った。
今日はどんな場所に踏みこみ、どんな景色を見て、どんな経験をするだろう。
どんな危険なことに遭うだろう……。
――後ろから、いやな気配、いや
貴族班。
亜馬を使わせろと言ってきた。
「そんな奴隷に使わせるのならば、この私が使うことにも問題はないはずだ!」
もちろん、ゾルカンは首を縦には振らない。
「こいつらは、俺たちのメシや、売り物を運ぶ、大事なものなんですわ。それを使わせるには、そんだけのものを、別に払ってもらわなけりゃ」
「金か! 卑しいやつらめ!」
「何も払わず使おうとする方がよっぽど卑しいですぜ、お客人」
「何だと! 無礼者!」
「やるかい。俺たち抜きでグライルを抜けられると思うんなら、好きにしな」
「……いくら払えばいい」
「金はいらんですよ。もうもらってますし、ここじゃ金貨あってもメシは食えないんでね」
「あの奴隷の主は、何をどれだけ出したんだ!?」
「持ち運びやすい、すげえいいもの採ってきてくれて、周りを警戒してくれて、昨日の魔獣ばらすのも手伝ってくれた。
あんたがどうしても歩きたくないってんなら、その三倍は色々やってもらわないとな。あんたは、この子の三倍ぐらいの重さはありそうだからなあ」
「ぬううう! ふっ、ふざけるな!」
「話は終わりだ。戻りな。もうじき出発だ。これから先は、あんたが動けなくなっても、助ける余裕がなくなる。そこんとこよく考えて振る舞ってくれ」
モンリークは追い払われたが、別なバルカニア貴族が大体同じようなことを言ってきて、同じように追い払われた。
「我が国に戻った時には、おぼえていろよ!」
「…………どうします、
聞こえるように戦闘担当の者が言い、バルカニア貴族は顔色をなくして引き下がっていった。
どちらも、カルナリアを激しくにらみつけてきたので、休憩時には気をつけようと自分に言い聞かせた。
「あの奴隷の主人を呼んでこい!」
モンリークが自分の班の案内人に怒鳴っている声が聞こえてきた。
「ゾルカン以上に無理な相手だと思うがな」
レンカが、側に来ていた。
「ライズ様から、こっちにつくよう言われた。あいつらが何かするかもしれないからって」
ライズは、セルイの偽名だ。
もちろんレンカは、ゾルカンに許可を取る。
「……そうだな、その子に何かあれば、ぼろが怒る。そいつはまずい。ただ、契約通り、必要な時には魔獣と戦ってもらうぞ」
「ああ、もちろん」
カルナリアもできる限り自分の足で歩くことにしたので、亜馬をはさんで、レンカと一緒に移動することになった。
太陽が山の向こうから顔を出す頃、出発する。
昨日と同じく、先行偵察組、牛獣人、荷物を積んだ亜馬、荷物なしの亜馬そしてカルナリアという順番で動き出した。
「……よろしいのですか? 私と一緒は、気分良くないのでは」
表現する言葉の見つからない複雑な関係の相手だが、モンリークたちと行くよりはずっとまし、それどころか面白そうとすら感じるのがカルナリアの正直な気分だったが――。
「良くない。でも、お前につくなら、オレが一番適任だ。あの連中と一緒の方がいいか?」
「いえ……よろしくお願いします」
「お前と、さっきみたいなおしゃべりは、しないからな」
レンカはわずかに頬をふくらませて言ってきた。
初めて、殺意や憎悪やフィンへの奇怪な感情抜きの、レンカという子そのものに触れた気がした。
【後書き】
二日目の始まり。この日、カルナリアは地獄を見る。次回、第123話「雨」。
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