121 早朝の問答
目覚めると、横たわる自分の、頭の上に、ぼろ布がいた。
「………………」
そうするものとして、当たり前に、手を伸ばして、触れた。
「ん……」
かすかな声が、布越しに聞こえた。
そこにいる。
間違いなく、いる。
それだけでカルナリアは幸福に包まれて。
このひとの役に立たなければならない、お荷物になってはならないと、強く自分を鼓舞することができた。
まだ他の者は眠っている。
ファラも寝ている。
その顔のすぐ横に、ごくごく小さなものだが、灯りがある。魔法の光。ファラのものだろう。あの発熱サイコロの赤らみと大差ない程度の光しか発していないが、そのおかげで天幕内が十分に見渡せる。
メガネを外したファラの寝顔。仰向けなのに、掛け布があってもなお、その部分の存在感がすごい。
ぼんやりとだが、なぜかその中身の感触を直接知っていて、揉みしだき、いじり回したような記憶がある。どこでそんな楽しいことをしたのか思い出せないが、あれはとてもいいものだとなぜかこの手が知っている。
フィン、エンフ、ひとつ置いておっぱい、いやファラ。
レンカがいない。後番を引き受けると言っていたから、夜中に起こされ、フィンと交替したのだろう。
「!」
その時に、フィンと何かあったかもしれない。
あるいはまだ外にいるのなら、話が聞けるかもしれない。
寝起きの
確認しなければ。
他の者を起こさないように――特にフィンに心配をかけないように――静かに寝床を抜け出し、フィンの脇に慎重に足を置いて、そろりそろりと歩を運ぶ。
ファラを見やってから、天幕を出た。
外はまだ暗いが、東側が白々としてきている。
ずっと遠くで、キャーーーーと、鳥か獣かわからない甲高い声がした。
ここはグライル。人の土地ではない。
「おはよう……」
「っ、おはようございます、トニアさん」
後ろから声をかけられ、びくっとしてしまった。
ある意味「夜の姫」と同じような、明るい時間帯には姿を見ることができない相手。
「……すんすん……」
だが会話よりも先に、鼻をうごめかせた。
妙に煙くさい。
「ずっと…………お肉…………
案内人たちは、木の枝で組んだ小屋で、
香りの立つ木を使っているようで、煙とは言ってもそんなに悪いものではない。
「あれは……美味しい……これから……楽しみ……あなたのご主人様に、感謝…………」
「ありがとうございます…………それで、その、早く起きてしまった場合、どうすればいいですか?」
「ここの……水場は……小さいから……みんなが起きてくると行列に…………早めに、すませるなら、護衛つければ、女の子だけでも……」
「護衛……」
「ちっ」
レンカが舌打ちしつつ現れた。
「その子……しっかり……守ってくれた………………好き」
「馬鹿、なに言ってやがる!」
悪態をつくレンカに、カルナリアは挨拶した。
「おはようございます、レンカさん」
「お…………おはよう…………くそっ、なんで普通に言ってくるんだよ。偉そうにしてたらぶっ殺してやれたのに」
恐ろしいことを言われ、ぞっとする。
昨日のひどい姿は見たが、あくまでもフィンに対してだけであって、剣の腕は相変わらずで、カルナリアや他の者を斬るのにも
しかし、人の血を流すのは禁止されている。
バルカニアへ行きたい彼らが、あえてそれをすることはない――はずだ。
なので勇気を出した。
「水を汲みに行きたいのですけど、ご一緒していただけませんか?」
「……ついていって……あげて………………仲良く、ね」
トニアが許可を出した。
この場では、案内人たる彼女の指示に逆らうことはできない。
首輪をつけた、カラント人ならば奴隷の身分であるとしても。
薄暗く肌寒い中、二人、連れ立って移動する。
野営地に、動いている者はほとんどいない。丸木を組んだ燻製小屋から漏れる煙の方がずっと活発に揺れ動いている。
「偉そうにしてたらぶっ殺す、とおっしゃいましたけど」
寒々しい中を下りながらカルナリアは言った。
ぶっ殺すなどと言われたからには、言わずにはいられなかった。
前の時に、ひたすら怨みをぶつけられ、恐怖するしかできなかった。
だが今は。
あれから色々あり、色々考えた。
だから、この怖い相手にも言い返せる。
「今の私は奴隷です。あなたは平民です。それなら、あなたの方が偉いのですから、やればいいのではないのですか、貴族が平民にやるように?」
「うっ…………それは…………ぐっ、待てっ、ずるいぞっ……!」
「何がずるいのですか。平民のあなたは、奴隷の私をぶっ殺していいはずですよ。貴族が平民をぶっ殺すのと同じように。なぜやらないのですか」
「お前はっ、違うだろっ!」
ひたすら否定しようとするレンカに、カルナリアはやたらと腹立たしい思いを抱いた。
自分の内側から、自然と言葉があふれてくる。
「いえ、私は、奴隷です。あなたより下の身分です。あなたがぶっ殺しても一切罪にはならない者です。ムカついたなら、どうぞ遠慮なく、貴族がやるようにぶっ殺してください。していいんです。なぜしないのですか」
「違う! お前は! そうじゃないだろ! それは違う! そうじゃねえ!」
王女だろ、と漏らさないのは、レンカのきわめて高い自制心と、厳しく受けた訓練の成果を示していた。
カルナリアはそうと理解しつつ、さらに言う。止まらない。
「私は奴隷です。何の技も持っていません。簡単に殺せます。あなたの方が私よりずっと偉く、ずっと強いのですから、殺したいなら、好きにしていいのではないですか。罪にはなりませんよ。貴族は奴隷に何をしても罪にはなりません。同じように、あなたも、私に何をしても、罪にはなりません。さあどうぞ」
「ぐぅぅぅっ!」
レンカはうなり、悶えた。
「ふざけんな…………なんで、ランバロの妹のくせに、そんなこと言うんだ…………なんでランバロの妹が、そうなんだよ……!」
カチンときた。
頭の中で渦巻くものが、組み合わさり、はっきりした形になった。
肉親を殺された怒り。
ランバロのひどい所業への罪悪感。
レンカの境遇と憎悪。
そして…………間違った理屈!
「私は私です。ランバロ兄様の妹ですけど、違う人間です。あなたがひどいことをされた話は聞きましたけど、その妹だからという理由で私を殺すのは、無礼な者が住んでいた村だからと燃やした、兄様の部下の人たちと、何が違うのですか!?」
「!!!!」
言ってしまい、レンカの感情が炸裂したのを感じ取り――濃厚な殺気を浴びて。
あ、殺されると、心底感じた。
頭に一瞬ぼろ布の姿が浮かんだ。色々してもらったことも瞬時に連続して浮かんだ。
しかしまくしたてたことを、後悔はしなかった。
レンカたちのこれまでの所業を見てきて、過去を聞かされて、思ったこと、考えたこと、心に積もっていたことだったのだから。
「…………」
レンカの手が動きかけ。
止まった。
「……お前は…………殺さない…………殺したいけど…………いま、殺しても、勝った気分のままだ……それじゃ、意味ない……」
眉や頬をひくひくさせた、ものすごい形相で、言ってくる。
恐ろしい、だがとりあえず、生き延びたようだ。
息をついた。
「では、私が敗北を認め、悔しくてのたうち回るように――これからも、もっと色々、お話をしましょう」
「はぁ?」
「話していて気がついたのですが、あなたは家族を殺されつらい目に遭いましたが、私も家族を殺されつらい目に遭ったのです。ということは、今はもう、私たちはお互い様、同じ境遇ではありませんか?」
「なっ…………待て……違う……それは……!」
「それに、ずっと、聞きたかったのです。
あなたたちは、どうしたいのですか?
自分が新しい貴族になって、他人をしいたげたいのですか?
それとも他に、目指しているものがあるのですか?」
「…………!」
レンカは口をぱくぱくさせた。
考えたこともなかったのではないか。
「そこまで。みなが起きる。静かに」
いきなり、暗がりから声をかけられた。
薄闇の中に、男がいた。
認識阻害のマント。顔は出している――意図的だろう。
平凡な、一度見てもすぐ頭から消えてしまいそうな風貌。
だがカルナリアには見える、恐ろしいほどの才能!
名無し……レンカと同じ、あの七人のひとり…………勘だが、七人の頭目なのではないだろうか。
「直接お会いするのは初めてですな。グレンと申します」
声音は重厚だった。
だが恐らく、必要とあればどんな声でも出せるだろう。
「…………今は、カルスです」
「はい、承知しております」
グレンは、一切の感情を読みとらせない――中年男の、にこやかですらある表情で、レンカに向いた。
「こんな時間に騒ぐな。まずやるべきことを果たせ。その後で、考えろ。それもお前の任務だ。考え尽くせ。お前は何も考えない方が強いと思っているようだが、そうではない。時間はある。沢山、考えろ」
「はい……」
親子のような年齢差のある相手の落ちついた言葉に、実際に父親に言われたように、レンカはうなだれた。
「それで、カルス殿。失礼ながら、今のやりとり、大変興味深く聞かせていただきました。我が
「…………これまで、あなたたちが何をしてきたかを思い出してください。話はそれからです。今はいやです」
「わかりました。その気になられましたら、ぜひとも」
グレンはすぐに引き下がってゆき……。
体に何かつけられていないか、カルナリアはすぐに撫で回して確かめた。
「……何もしないよ」
レンカが小声で言い、それからはおとなしく、カルナリアを水場へ導いた。
何もない地面からこんこんと水が湧き出している、川の源流である泉。
その水は文字通り手が切れるように冷たいが、美味だった。
顔も、口の中も、さっぱりした。
顔を洗っている時に後ろから蹴られるくらいのことは覚悟していたが、本当にレンカは何もせず、カルナリアの次に自分も顔を洗い口をゆすいだ。
水場の近くに亜馬がまとめられていて、その番をしている案内人がこちらを見ている。
犬頭の獣人――バウワウだった。
小さく礼をされた。
女性班の天幕へ戻る間にも、東の空がどんどん明るくなってきていて、周囲がよりよく見えるようになってきた。
動き出した人影があちこちに。
水を汲みに来た案内人たちとすれ違った。
朝食か、不寝番をしていた者たちが先に食事をするのか、鍋を火にかけ料理を始めた者たちもいた。
「…………オレは…………貴族になりたいわけじゃない」
ゆるい斜面を登りながら、ぼそっとレンカが言った。
「なってたまるか。でも、確かに、ワタシより弱い者を斬って楽しんでいたのは、貴族どもと、何も変わらない……」
「私も、何も知りませんでしたから……何がしたいのか、どうするべきなのか、よくわかっていません。これからも考え続けます。一緒に考えましょう」
「変なやつだ、お前、本当に」
「……あのひとほどではないと思います」
天幕の入り口、トニアがいるのと反対側に、ぼろぼろが出てきていた。
恐らく、いや間違いなく、自分を心配して動いてくれたのだ。
「おはようございます」
「おはよう…………今日も移動か……めんどくさい」
カルナリアが近づくと、手を出して、頭から頬へ、撫でてくれた。
カルナリアは頬を押しつけて、幸せに浸った。
――この時のカルナリアはまだ、この日がどれほど過酷なものになるかを、まったく知らなかった。
【後書き】
初めて、反乱軍の者とまともに話すことができた。王女にして奴隷であるカルナリアは色々と学んでゆく。次回、第122話「第二日、朝」。
※目次を見た時にわかりやすくなるよう、これからも時々こういう「第○日」というタイトルが入ります。
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