ex03-2 星を目指した忍び(後編)



 そして、五年が経った。



 ダガルより強い者は『風』にいなくなった。

 カラント王国全体でも、果たして彼に匹敵する戦士はいるのかどうかと言われるほどに、心身の絶頂期を迎えていた。


 ガルディス王太子の元には、文でも武でも魔法でも、すばらしい才能を持つ者が群れつどっていた。


『風』にも、師匠が史上最強と認める面々がそろった。


 考えの古い者、変化を望まぬ者を追い出し、グレンが『1』となり、ダガルは『2』になっていた。


 師匠のライバルだった、まだ現役の『3』。

 中央軍にもこれ以上の弓使いはいない、すなわち国内最強の射手『4』。

 南方の出身で、恐ろしいほど魔法に長けた『5』。

 これに食いつかれたら絶対に逃げられないという異能の追跡者『6』。

 そして、幼いと言っていい年齢だが、貴族への激烈な怨みと持って生まれた才能とで、ダガルをもってしてもやられるかもしれないと危惧するほどの戦闘能力を発揮する天才の『7』。




 ガルディスはついに立ち上がった。

 この腐りきったカラント王国を一新するために。



 自分たち『風』の手引きにより、ガルディス軍は王宮を落とすことができた。

 門を開き要人たちの情報を伝え強力な守護者たちを討ち果たし、国王その人を討つことができた。


 ガルディスが新たな王になれるはずだった。

 新しい国ができるはずだった。




 だが――ただひとつ。


 唯一にして最悪の失敗が。




 国王の証たる至宝、『王のカランティス・ファーラ』。

 それを、第四王女、わずか十二歳のカルナリアに、持ち逃げされてしまったのだ。




『風』は全力でそれを追った。


 王宮攻めの後は兵を集めようとする各地の騎士たちを真正面から粉砕することで平民軍を勢いづかせる役目についていたダガルも、招集された。




 敵は――カルナリア王女の護衛についた、『剣聖』フィン・シャンドレン。


 強さを求め続けるダガルは当然、その名を知っていた。

 カラントの東、サイロニアと呼ばれる地域にいくつもある都市国家、そのひとつブルンタークの人物だという。

死神の剣ザグレス』という、あらゆるものを切断し死を与えるという魔法具、いや神剣を持ち諸国を流浪している女性。


 それと対になる『破壊神の剣ゼレグレス』を持つベルダという女性も東方にいると聞く――いずれにせよ今のカラントには関係ないと思っていたのだが、その『剣聖』が今この地に入っており、よりにもよって第四王女の護衛についたという。



 追跡を始めて、その途中で目の当たりにした『剣聖』の痕跡は、確かに、恐るべきものだった。


 人体も獣もあっさり切断する技量にぞっとした。

 何も知らないまま相対すれば、自分も同じようにあっさり切断されて終わっていただろう。


 勝てる確信が持てなかった。

 昔よりもはるかに強くなり、全盛期の師匠よりも腕が上がっているといつしか実感するようになって以来、久しぶりの感覚だった。


 だが、少年の頃ならともかく、今の自分は、まともに立ち向かう以外のやり方を沢山知っている。

 剣で勝てないなら、勝てるやり方でやればいい。

 剣の届かない場所から、飛び道具で。複数で同時にかかって。罠にはめて。毒。魔法。

 それをよしとする奸智もまた、年齢と共に身についていた。




 逃げ続ける相手に、ついにタランドンの街で追いつき、追いつめた。


 水路のほとりで、『4』の放った矢が、剣聖が身にまとう布を射貫き、壁に縫いつけた。

 好機。


 用意しておいた投げ槍を構え、慎重に近づく。


『4』も次の矢をつがえた。違う方向から同時に飛び道具を放てば、さしもの『剣聖』もどうすることもできないだろう。


 これで終わっていいのかとチラリと思ったが、長年つちかってきた、任務を優先する意識の方が上回った。


 だが、その前に、相手の布の中から何かが転げ落ちてきた。


 小さいかたまり――それが、爆発した。

 激しい音、一気に広がる煙。目くらましだ。自分たちも使う。


 構わず、相手がいるはずの場所へ槍を投げつけた。

 自分の投槍は、重甲冑の戦士をも貫く。

『4』も必殺の矢を放ったはずだ。


 閃光がはしった。

 何かが空間を流れた。

 煙が、円形いや球形に、ずれた。


 投げつけた槍が切断されたのを感じた。

 襲った矢も同時に切り落とされた。

 自分が立っている橋までも。


 思考より速く何かをおぼえてわずかに身を引いた、それによりダガルは生き残った。自分の爪先のところで橋がきれいに切断され、自分がいる側も重さに歪み、崩れ、水に落ちた。


 橋に続いて、建物も崩れ落ちてきた。水中の自分の隣に『4』が現れた。こちらは落下物から逃れるために水に飛びこんだもの。


 水から上がり、やられたことを分析する。


 相手が、剣を振るった。要するにそれだけだ。

 剣に衝撃波、あるいは何らかの魔法の効果を乗せて斬撃と共に放つ、魔法具でもある剣というものは存在する。そういうものは刃の長さ以上に攻撃を届かせる。従って相手が飛び道具を持っていなくても油断してはならない。戦士の常識だ。

 だが初めて直接見た『剣聖』の技は、これまでの知識、常識を超えた、すさまじいという言葉でも足りないほどの、超絶の斬撃だった。


 自分たちは運良く命を拾った。

『剣聖』が、これまでの痕跡通り、いやそれ以上の、女性の見た目にだまされてはいけない、恐るべき相手だということを肌で知った。


 あれを相手に生き延びただけでも上出来だ、と『1』はねぎらってくれた。

 その通りだと自分でも思った。


 あれは、強い。

 強い。

 あれに立ち向かい、打ち破ってこそ、本当の星をつかめる。






 自分たち『風』に対抗する、タランドン領の忍び組『うてな』の拠点である、ラーバイという歓楽街に目標が入りこんだ。


 王女および『王のカランティス・ファーラ』を確保し、同時に『うてな』も潰す作戦が計画され、実行された。


 自分の役割は、仲間が性欲増大魔法をかけ混乱が発生するだろうラーバイの路上で大暴れして、『うてな』どもの目を引きつけること。

 目標が屋内にいるので、それは正しい。巨体の自分は狭い屋内より屋外の方が向いている。


 客として歓楽街に入り、性欲増大魔法による昂ぶりのままに、好き放題に暴れた。

 それはそれで、たまらなく楽しいことだった。

 暴れ回り、向かってくる者を片端からぶん殴り、それにまぎれて次々と出てくる『うてな』の猛者もさを何人も何人も叩き殺した。激しく勃起した。暴力の快感に、任務を果たせている確信が重なり、最高の気分だった。

 あの女と戦えないことだけは残念だったが仕方ない。自分にしかできないことをやっているというこの満足感で十分だ。


 自分が暴れて目を引き、かつ戦闘に長けた敵を片づけている間に、『1』が、このラーバイという場所の根幹を成す重要な拠点を潰す。

『3』以下の面々が、全員で剣聖を攻撃し、王女と『王のカランティス・ファーラ』を手に入れる。

 任務は、それで終わるはずだった。

 この面々がそろっていて失敗するなどありえない。


 …………だが。


 暴れに暴れ、ラーバイの路面を死体で埋め尽くしたダガルに、『1』が撤退を指令する。

 発生し燃え広がる猛火にまぎれてダガルは拠点に引き上げた。


 そこで知らされた、作戦の結果は……。


『3』以下、最強だったはずの仲間たちの大半が『剣聖』によって討ち果たされたという悲報だった。




 カルナリア王女は確保できていた。

 だがその体を運んできた『5』は、剣聖によって右腕を切断されていた。死神の剣ザグレスで斬られたために治癒魔法が通じず、血液を動かす魔法で無理矢理つなげる以外に方法がないという惨憺さんたんたるありさま。愛する男である『4』も、彼女の目の前で両断されたという。


 その上でなお、肝心の『王のカランティス・ファーラ』の確保には失敗した。




 作戦を根本から立て直すことになった。




 タランドンに滞在していたガルディスの懐刀ふところがたなたる参謀セルイは、確保したカルナリア王女の身柄をエサにして剣聖を釣り上げる計画を立てた。


 タランドン侯爵をはじめとする貴族連中を同席させた場に、王女を連れ出し、鞭打つ。それにより剣聖の出頭を命じる。


 鞭を操るのは、復讐に燃える、いや憎悪に狂った『5』。


 生き残っていた『7』もその側にひそんで、剣聖が現れた時に加勢する。


『1』は、この街にいる『風』の者たちを率いて、広く剣聖を捕らえるための網を張る。『うてな』の者たちとの暗闘が想定されるので彼が指揮を執らなければならない。


 そしてダガルは、王女を鞭打つ場に同席すると目立ちすぎるので、バルコニーに面した広場に配置され、集まる民衆の中から剣聖が現れた場合に対処する役目となった。


 もし剣聖がこちらに現れた場合、周囲に仲間はいない。


 自分一人であの猛威に立ち向かわなければならない。




(おおおおおおおおおおおおっ!!)


 ダガルはえた。

 忍びとして声には出さないが、心の中で、雄叫びを上げた。


 だ。

 ここが、自分の命の使いどころ、全てを懸けるところ。


 俺の、戦場。


 俺だけの。


 星を宿すかどうかが決まる場所。




 魔法具を使った。

 一度しか使えない、貴重な、そして強いもの。


「取り寄せ」の魔法具。


 遠方にあるものを目の前に持ってくるという、きわめて利用価値が高く、それゆえに恐ろしいほど高価なもの。


 それで「取り寄せ」たのは――甲冑と大剣だった。


 彼の体格に合わせて名工に作らせ、ガルディスの知識院で開発された新しい技術も取り入れられている、美麗で重厚な、磨き上げられた、一軍を率いる武将にふさわしいもの。


 忍びばたらきで得た報酬をほとんど使わず、ひたすら貯めて、長い時間をかけて買いそろえた。

 彼の夢そのもの。

 星がこれに宿ることを夢見て、磨き、あるいは装着しての動きを訓練し続けてきた。


『風』の者に手伝わせて装着する。


 目立たぬよう、巨体を隠すマントをつけて、広場に立った。


 しかしわかる者にはわかり、いずこの家中のお方かと騎士たちが何度もかしこまって聞いてきた。


 貴族どもである騎士が、自分の偉容に圧倒され、へりくだってくる。

 すばらしい。





 陽が沈んだ。


 いよいよ、



 バルコニーの上で、奴隷に化けさせられた王女が、鞭打たれる態勢に。

『5』の殺気ははるか遠いダガルのところまで伝わってきた。


 打たれる寸前に、下の広場、人々の間からフィン・シャンドレンが現れる。

 あの水路のほとりで見たのと同じ、ぼろ布をかぶった姿。


(……違うな)


 一瞬でダガルにはわかった。

 同じ布をまとってこそいるが、中身は別人だ。

 あの恐るべき武威のかけらも感じない。

 素人だ。


 あれはおとり

 派手な口上と動きをする道化どうけにまとわせ注目させた隙に、本物がどこかからバルコニーへ飛び上がるか、あるいは城の中から飛び出してくるのだろう。

 どこにいる。どう動く。


 もちろん上にいる『5』も、自分以上に警戒している。

 準備段階からずっと呪文を唱え続けて、自分の身に何重にも防御魔法を施し、攻撃された場合にカウンターが発動するような魔法や、王女にも呪いが飛ぶようにして攻撃を控えさせる呪法を執拗に施し続けていた。


 最終的にどれほどのものになったのかは想像もできない。自分でも突破できる自信が持てない。見た目こそ肌の露出の多い淫猥な格好だが、実際は城塞も同然の防御力を備えていることに疑いの余地はなかった。


 その『5』が、ついに、本当に、王女を打った。


 鞭打たれた幼い絶叫は、拡声の魔法によって大きく響きわたった。


 痛ましい。

 だがダガルは心を動かすことなく、ひたすらに戦意を練り上げる。


 来るはずだ。





 直感する。




 ――来た。




 肌があわ立った。




「フィン・シャンドレン、見参」



 低い女の声は、肌が粟立った後に流れた。



 しかし、広場ではなかった。


 バルコニーの上にいた。

 貴賓きひん席に。

 貴族どもにまぎれて。


 ダガルは焦る。

 高速移動の魔法具『流星』で飛びこんでも、間に合うかどうか。


 あのバルコニーには当然ながら、高速で入りこんでくるものを排斥する投擲とうてき防御の魔法が施されている。突破は可能だが一手間かかる。その遅延が致命的だ。


 自分の手の届かない遠い所で、美女たちが対峙する。


 淫らな服装だが防御を固めた『5』と、上品な服装だがとてつもない攻撃力を秘めた剣聖と。


 剣聖の手に、抜き身の剣が握られている。

 金属光沢こそ帯びているものの、似たものをただのひとつも見たことのない、反りを帯びた細い、漆黒の刃。


 あれこそが『死神の剣ザグレス』。


 それが振るわれる――ことはなかった。


 剣聖は剣を抜いただけで、すぐ鞘に収め、『5』に背を向けた。


 愚弄されたと思ったのだろう『5』が、怒りの叫びをあげながら鞭を振り上げた……その両腕が落ちた。


 続いて、『5』の首も落ちた。


 すでに振るった後だったのだ。


 広場は静まり返った。


 ダガルも、総身が凍りつく思いにとらわれた。


 あれほどの用意が、防御が、目にも止まらぬ抜き打ちの一閃で、切り裂かれた。


 何という剣技、何という斬撃。


 あれでは恐らく『7』も…………姿を見せないということはすでに……。




 だが、首と腕を失った『5』は倒れなかった。


 切断されたところから噴き出た鮮血が、濃密な灰色の煙のようなものに変わって。


 宙に大きく広がり、人の顔のようになった。


『5』の体がみるみる形を失い、腐り落ちて、骨があらわれ、それすらも崩れ落ちて、衣装だけが後に残った。

 煙は逆に、肉のような色を備えて、歪んだ人面のすがたをはっきりさせて、甲高くおぞましい声を張り上げた。


 死霊だ、と誰かが叫んだ。


 死者の怨念が実体を備えたもの。この世のものとは違うことわりにより存在する怪異。


『5』ことギリアは、それほどの怨みを。


 人々の恐怖の声がうなりとなった。


 あちこちで、神官や魔導師たちが悲鳴をあげ、頭をかかえて苦しみ出す。鼻血を流し、あるいは吐血する者も出る。


 バルコニーの上も騒然となった。


 魔法の光がいくつも輝く。盾を並べる騎士たち。だが腐爛ふらんした肉を思わせるおぞましい色合いの死霊には何も通じない。逆によろめき、苦しみ、次々と倒れてゆく。貴賓席の貴族たちが逃げ出す。無様に転がる者もいる。


 剣聖が振り向いた。


 迫り来る死霊を真っ向から見据え――。


 縦に、割れた。

 死霊が。

 ギリアが。


 真下からふたつに割られた死霊は、切り上げた漆黒の剣を高々とかかげる剣聖の前で、腐肉の色を失い、黒っぽい色合いが渦巻くだけのただの煙となって、形をなくし、薄れ、消えていった。


 いくらかは『死神の剣』に吸いとられたように見えたが、よくわからない。




 人の世に戻ったバルコニーの上で、剣聖は、立ちつくすタランドン侯爵に黒い剣の切っ先を突きつけた。


 私のものを返してもらう。拡声の魔法具がまだ作動し続けているのか、その声ははっきり聞こえてきた。


 私のものを奪い、傷つけたことは、誰であろうと許しはしない。我が剣死神の剣ザグレスはあらゆるの命を絶つ。


 黒剣がわずかに振られた。

 遠方の旗竿が切断され、布がひらめきながら落下した。


 死霊に生気を吸いとられ気絶寸前ながらもなお任務を果たさんと、前に出て盾をかまえる必死の騎士たち、その盾が次から次へとばらばらになってゆく。

 尻餅をつき気死した者たちには一瞥いちべつもくれず、剣聖は侯爵だけを見据えて言う。


 ただ、お前には悔恨が見える。すでに深く罰を受けている。それゆえに斬ることはしない。

 おぼえておけ。。誰にも渡さない。


 わかった。ゆけ。その子を頼む。侯爵の声もわずかに聞こえてきた。


 誰も動かず、動けぬ中、剣聖が剣を鞘に収め、ぐったりしたままの王女を腕にかかえる。


 足首を『流星』で赤く輝かせ、髪を長くたなびかせて、バルコニーから広場に飛び降りてきた。


 広場は英雄の凱旋がいせんを迎えるような大騒ぎとなり――。


 無数の、タランドン家の騎士、街の衛兵たちは、完全にのまれて、突っ立つだけのと化していた。





(………………行くぞ、みんな)


 ダガルは呼びかけた。




 総大将たる『1』ことグレンを除いて、みな、討たれた。

 王女は奪い返された。

王のカランティス・ファーラ』は手に入らなかった。

 負けた。

 完敗だ。

 任務は失敗に終わった。




 だが自分がいる。




 俺が、まだ、ここにいる。




(すまぬ、グレン。俺は行く。『風』としては間違っている。誰よりも俺がよくわかっている。だが行かねばならん。仲間たちの思いのために。俺が俺であるために。友よ、ガルディス様を頼んだぞ)




 戦士は、戦場へ向かっていった。


 一歩ごとに、自分の背後に、討たれた仲間が現れ、続いてくるのを感じた。




 王女をあのぼろぼろの認識阻害の布で包んで人目から隠し、ベールをつけ直して顔を隠しているとはいえ、美麗きわまりない素顔をチラチラさらしつつ歩を運んでくる剣聖。


 をもって、その前に立ちはだかった。




 美貌は、以前に他人の記憶で見たことがある。


 本物はそれ以上の衝撃をもってダガルに絡みついてくる。長い髪を含めた麗しい全身を前にし、その神秘的な瞳を目の当たりにすると、吸いこまれるような心地に陥る。

 実物のみが持つ、布一枚程度では隠しきれない、危険すぎる美しさ。


 だがそれゆえに、戦意がごうごうと燃えあがる。

 この美しさも含めての脅威だ。これに飲まれないことも戦いのうちだ。

 自分の全てをかけて挑み、打ち勝つに値する、恐るべき敵。


 心は静かに張り詰め、体はすでに燃えるよう。

 これまでの鍛錬、経験、思い、夢、その全てが自分の中にち満ちている。




「……


 フィン・シャンドレンが足を止め、向こうから訊ねてきた。


 それだけでもう、ダガルは快感に包まれた。


 あれほどの剣技を誇る絶対の強者が、自分を無視せず、剣の一閃で片づけることもしなかったのだ。




「我が名は、ダガル」


 名乗った。

『2』ではなく、自分の名を。


 最初は静かに。


「主なく、家名なく、ただここにある者。ひとりの男、ただの戦士、ダガル!」


 大剣の鞘を体の前に突き、高らかに名乗った。


「見事なる剣技、恐るべき神剣! いとけなき者を救わんとする意志、そのために危地に身を投じる崇高さ、我は全てを賞賛する! 

 されど男の意地として、仲間を討たれた者として、尊きあるじ御為おんために、新たな我らの世のために、このまま帰すわけにはゆかぬ! 勝負だ、フィン・シャンドレン!」


 大剣を抜いた。

 構えた。


 初めて、敵に向かって、これを構えた。


「お前は…………。逃げるわけにはいかないか」


 美しき女剣士も、こちらが『5』の仲間、ひいては自分が討ち果たしてきた者の仲間だと理解したのだろう。

 戦闘では邪魔になる顔を隠すベールを引きむしり、粗布を巻きつけた鞘に収められた一見みすぼらしい、しかし中身はすでに見たあの恐るべきものである神剣の柄に手をかけ、腰を落として身構えた。


「おう、相手してくれるか! 感謝する!」


 ダガルは笑顔を浮かべると――笑顔のまま、全速で踏みこんだ。


 すでに恐るべき威力を見ている。相手に攻撃させてはいけない。

 こちらから攻める。攻め続ける。勝機はそこにしかない。


 重厚な甲冑だが、動きが鈍るということはない。


 これを身につけての鍛錬をたっぷり重ねているのはもちろん――。


(魔法防御。衝撃反射。軽量化。硬質化)


『風』には王宮警護の任務もある。

 その過程で知った、国王その人を守る親衛騎士たちが自分の装備に施している上級魔法の数々。

 それを、仲間の魔導師に頼んで、自分のこの鎧にも施してもらっていた。


 剣にも、威力増大はもちろん、隠し技を色々と仕込んである。


 ――初撃の突きは避けられた。


 相手は軽やかに横へ移動してかわした。


 すでに知っていたことだ。この相手は神剣の威力だけで戦っているわけではない。その身ごなしをはじめ、判断力、瞬発力など、戦闘技量そのものがきわめて高い。神剣なしでも恐るべき剣技を発揮するだろう。


 腕を伸ばしきる前に大剣を真横に振った。腰狙い。かがんでかわすには無理がある。自分にだけ可能な、細剣のような速さ。でかいから遅いだろう、初撃をかわしたから次はこちらの番、などと油断した相手を何人も両断してきた技。


 だが相手は飛んだ。

 長身の女体が高々と宙に舞い、その下を自分の剣閃が通過した。


 空中にあるその女身の、なんという美しさ、麗しさ。


 だが、ダガルは魅入られつつも、動くことができた。

 それができることもまた、これまで積み重ねてきたものの成果だった。


 剣を振るった勢いも利用しての回し蹴りを放つ。

 格闘士並の猛蹴もうしゅう

 肉厚、防御優先と見える甲冑でのこれは意表を突いただろう。


 空中にいる相手にめりこむ。


 いや、受けられていた。

 感触は軽い。女剣士の体が折れ曲がって遠くへ飛んだが、華麗に着地されてしまった。


 蹴った脚の防具に切れ目。やられた。


 だが肉には届いていない。

 無理のある態勢だったせいでこの程度にしか斬れていない。

 すなわち、神剣とはいえ、常に防御不可能の斬撃を放つということはできないのだ。


 ダガルは全身がふくれ上がるような心地をおぼえた。

 これなら、勝ち目はある。


 しかもフィンは、受けたといっても女の細身に巨体の蹴りだ、ダメージはくらったようで、万全の立ち姿にはなっていない。


 それでも距離が空いているので、抜いた剣を腰にやり、前かがみの、神速の斬撃を放つ姿勢に。


 ダガルはまだ遠い所から、大剣をまっすぐに突き出した。


 届くはずのない突き。しかし衝撃波が放たれる。

 剣に仕込んでおいた魔法。


 射出するなり身を投げ出す。地に低く伏せる。

 伏せた頭上を、魔法の衝撃波を切り裂いて、疾風が通過した。


 敵対する者を容赦なく切断する一閃。

 橋の上で経験した、刃の延長線上のあらゆるものを切り裂く神剣の力。

 知らなかったら、突っ立ったまま両断されていただろう。


 手首を返して、あるものを投げる。

 フィンが使ったのと同じ、煙玉。

 炸裂。一気に白い煙が広がる。


 白い中に別なものを投げこむ。湾曲した十文字型の特殊な投げナイフ。

 強く回転させながら放つそれは、直線ではなく曲線を描いて目標へ向かう。『風』の、忍びが使う武器と技。

 縦に、横に、地面と水平に、連続していくつも様々な軌道で放つ。


 打ち落とされる金属音が連続する。だがひとつ、手応え。どれかが当たった。


 、ダガルは煙の下を剣聖に向かう。

 幼い日、習いおぼえたミルパの動き。剣を握ったまま巨体が地面を這う。あの修練の日々は、この日、この時のためにあったのだ。


 これまでと違う気配と、血の臭い。

 剣聖が、血を流している!


 感覚のすべてが経験したことがないほど鋭敏になっている。

 今のダガルは目を潰されたとしても何も変わらず戦い続けられるだろう。


 いた。

 先ほどのものがひとつ刺さった相手。


 女剣士の、足。

 左手でつかんだ。即座に握りつぶした。骨を砕いた。


 その腕が防具ごと切断された。

 かまわない。


 それにより相手の動きは封じられた。刃は下を向いている。


 血が一気に噴き出すのを心地良くすら感じる。左腕、切断面を上へ振る。飛び散る血が相手に降り注ぐ。相手の姿が浮き上がる。


 下半身だけで起き上がる。握った剣を突き出す。


 かわされた。片足に重りがついたはずなのに、半身になって。


 これほど動けるのかと驚愕しつつもさらに突進。

 剣のつばが相手の顔を削った。美貌に赤い筋がはしる。歪む。


 だがその時にはもう、自分の体に熱いものが入りこんでいた。

 回転して逃れつつ下から超絶の刃を振るったのだ。

 分厚い装甲を切り裂いて、肉に、臓物に、神剣『死神の剣ザグレス』が。


 吸われる。

 命が、死神ザグルに吸われてゆく。

 吸われた先に、同じく吸われた仲間たちの命があるのもわかる。


(…………まだだ!)


 ダガルは踏みとどまった。

 まだ行けない。

 まだ自分は生きている。

 まだ戦い尽くしていない!


 剣聖は、回転しそのまま倒れた。


 自分の足元に倒れる美麗な女剣士。

 かろうじて背中をつけたが、その美貌は苦痛に歪んでいる。


 大剣を振り上げる。


 切っ先がきらめく。


 星が宿る。


 星だ。


 本当の星。


 あれが、今、ここにある!


 無数の人々の目。

 自分に見入る視線。

 周囲の人々、遠くの者たち、城にいる貴族たちまで、すべての者が今、自分を見ている、このきらめきに見入っている!


「おおおおおおおおおおおお!」


(見ろ! これが! 俺の! 星!)


 あの日、いつくばっていた大地から見上げたもの、はるかな高い所に輝いていたもの、心からあこがれたものを、ついに手に入れた。


 少年は、星を宿した剣を、最強の敵に叩きつけた。






          ※






「…………お見事です、剣聖どの」


 フィン・シャンドレンの、美貌のすぐ横に大剣がめりこんでいた。


 フィンが地べたから突き出した『死神の剣ザグレス』は、先に切断した相手の左手があっただろう空間を貫き、相手のあごに突き刺さり、そこから脳天を神剣の力で貫いていた。


 巨体はなお、フィンの上に影を落としたままだった。


 立ったまま、こときれていた。


「強かった。強かった。両腕があったらやられていた。治療を頼んでいいか」


「はい、すぐに! うわっ、血が! 足も! ひどい、医師を、いえ魔導師を!」


「この者を、丁重に葬ってやってくれ。すばらしい戦士だった」






          ※






 戦士ダガル。


 あるいは騎士ダガル。

 ダガル将軍。


 家名も称号も、他国の武将であったとも、娘を伴っていた傭兵だとも、『剣聖』の夫であるとも父親であるとも、様々な経歴や伝承が伝えられているが、本当のところはまったくわかっていない。


 タランドン侯爵家に仕えた騎士だという話が最も広く伝わっているが、史実では、当時のタランドン家はもちろん、タランドン領全体でも、ダガルという名の者が仕官しあるいは所属していたという記録はどこにもない。


 しかしその実在は、多くの者が目撃し記録に残しているため、疑う余地はない。


 正体は今に到るも判明していないが、タランドン領においては、『剣聖』に対して意地を示した見事な騎士、真の戦士、男の中の男、勇武の象徴として崇拝の対象となっている。


 実際、記録に残る限りにおいて、『剣聖』と互角以上に戦い、手傷を負わせた者は、このダガルただ一人である。


『剣聖』との凄まじい決闘の場所は聖地となり、強さを求める者たちが参拝する社が建てられ、奉納品が絶えない。


 また、絵画でも彫像でも、無数の形でダガルの姿が残されているが、全てに共通しているのは、剣を振り下ろした立ち姿、もしくは立像であることだ。

 これは『剣聖』との決闘において、立ったまま息絶えたダガルの姿であるという。


 そして、その顔は、必ず笑っているものとされている。

 これもまた、ダガルが息絶えた時、その顔にたたえられていた表情であると伝えられている。





【後書き】

ここまであまり出番のなかった『2』の物語でした。動物好きというところは時々出ていたのですが、逃げるカルナリア追う七人という中ではそれほど強調して描く場面を与えられなかったのが残念です。


あと、煙幕の向こうに投げこんだものを「十字手裏剣」と表記するかどうか迷い、その表現は使わないことにしました。異世界ものの難しいところです。ちなみに四本放って、一本だけ当たりました。どこに当たったかはいずれ。視界もないのに三本防げるフィンの方がおかしい。


物語はまたカルナリアに戻ります。次回、第98話「再起」。

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