097 演出家たちの話

※視点、シーン、登場人物、色々と変わります。





 円錐形のぼろ布が、廊下に滑り出てくる。


 飲み物がぶっかけられたので、濡れていて、認識阻害の効果は発揮されない。誰が見てもそこに、貴族の邸宅には似つかわしくない妙なものがあるとわかる。


 扉の向こうからは、泣きわめく声が聞こえてくる。


「……よろしいのですか。、あのような話にしてしまって…………あれほどにがっかりさせて」


 扉のすぐ脇に、四人の『若魚』のうちの一人が控えており、ぼろ布の表面を拭き始めた。


 他の三人と共に盛り上がっていた時とも、カルナリアに無理矢理給仕してきた時とも、雰囲気がまったく違う。

 気配が鋭い。


 他の三人も、オティリーもマノンも知らないことだが、彼女は忍び組織『うてな』の一員だった。


「あれでいい。私のしたことは、誇るようなものではなく、いくつもの命を奪い、いくつもの思いを踏みにじり、より強い怨みをかっただけだからな。子供を巻きこむ必要はないさ」


「全てを見ていた身としては、歯がゆくてなりません。あなた様があの方のためにをなさったのか…………あなた様がどれほど危険なところに立ち、どれほど激しく戦い、どれほどのかに一切気づかないまま、勝手に失望しあのようにわめき散らす幼いお姿を見ていると…………真実を教えてさしあげたくてたまらなくなります」


「絶対に言うなよ。

 子供は子供のままでいい。感情豊かなようでいて、本当の気持ちは強く抑えこんでいる子だからな。時にはあのくらい爆発した方が心にいい」


「実際の戦いぶりや負われた傷のこととは申しませんが、本当に口になさったことのひとつでも伝えるだけで、あなた様へ向ける視線がずいぶん変わるでしょうに」


「本気で怒った、あれでいいんだ。ご主人様に失望し、だめな人だと思っていてくれる方が、積極的に動いて、成長してくれる。

 私のことを詳しく知り、何かあった時にすぐ私に頼るどころか、ご主人様が斬り殺してくれると期待する人間になどしてしまうわけにはいかん」


「大事になされておられるのですね。嫉妬してよろしいですか」


「頭の中でなら、好きにしろ。あの子は私のものだということだけは忘れるなよ」


「手を出したら、制裁されるのですね。あなた様の本気の怒りを浴びてみたくもありますが。その時は私ものようになるのでしょうか」


「そういう趣味につきあう気はないぞ。めんどくさい」


「下着の替えはちゃんと用意しておきます」


「最初からそのつもりでは、ただの愉しみだ。その性根のままでは何もしてやる気になれない。工夫しろ」


「はい。あなた様に本気で愛していただけるよう、精進いたします」


 少女はぼろぼろを先導し、館の奥の方へ連れていった。

 ただ歩いているだけでは絶対にたどりつけないようにされている場所。


 そこには老人がふたり待っていた。


「この格好のまま失礼する。食事はすばらしかった。あの子も腹がふくれるまで食べた。心から感謝する」


「それはよかった。光栄だわい。晩めしも期待してくれ」


 老人の片方は、情報屋の元締め「ひとつ星」のロルホだった。


「しかし……本当に、申し訳ない」


 もう一人の老人が言った。


「あれほどのことをしていただいた恩人に、その程度にしか報いることができぬとは、『うてな』のおさとして、ただただ恥じ入るばかり」


 彼は、そういう存在であった。

うてな』の本拠地はラーバイだが、そもそも侯爵家に仕える忍び組であるので、長および幹部の大半は城にいたのだ。


「構わない。あの子を取り戻す手助けをしてくれて、体を治してくれて、たくさん食べさせてくれて、ゆっくり休ませてくれた。このあとも、装備を調達し、頼んだことをやってくれるのなら、それで十分だ」


「我が殿は、あの後、あなた方を捕らえるよう命令を出された。自らの居城にて、外の者に好き勝手されたのだ。タランドン家の面子にかけて、命じざるを得ない。

 代々タランドン侯爵に従うのが使命である我ら『うてな』としては、それに逆らうわけにはいかぬ。

 だが、ラーバイを落とされ多くの腕利きを失った今、その命令が行き渡らないのも仕方のないこと。混乱しているうちにあなた方を逃がし――我らは、ひそかにあなたへの恩義を語りつぎ、今後とも可能な限りあなたに報いることを誓う」


「わかった。必要な時には、頼む」


「今回の結果で、殿も方針を変えるかもしれぬ。あなたがいてくだされば、大きく変わるかもしれないのだが」


「利用されるのは好きではない。また、私がいると、あなた方の争いとはまったく関係ない、本当にめんどくさい連中が寄ってくる。そこはあきらめてもらおう」



 さらにいくつかのことを話し合った後、ぼろぼろは忍びの少女に導かれて退出してゆき――。


「はぁぁぁぁ…………」


 残された老人ふたりは、そろって息をついた。

 元から曲がっていた背中がさらに深々と曲がった。


が、本物のフィン・シャンドレン、『剣聖』か」

「お伝えした通りであったでしょう」

「聞きしに勝る、とはまさにあれよ。何と凄まじい。我らの敵を斬ってくださったが、我らの味方についてくださったわけではない。自分のものを奪われたこの地には、好意どころか敵意すら抱きかけていた。対応を間違えていたら、ラーバイに襲いかかっていたのはあの方だったのかもしれぬ。うまく運んでくれて心より感謝する、ロルホ」


「ありがとうございます。直感に従い、じかに出向いて正解でした。

 ……しかし、私が本当に、下町側の長となってよろしいのですか。情報屋ならばともかく、今後はとの激しい戦いが予想される情勢で、私のような、戦闘は不得手な者が……」


「それでも、もはや、お主以外に適任者がおらぬのだ。

 それほどの損失をこうむった」


「…………」


「腕利きはまだ領内のあちこちに残っておるが、ラーバイを失ったのが痛すぎる。

 我らに必要なのは戦うわざだけではない。それを身につけさせるのに歓楽街は最適であった。

 戦闘技術のみの者に、人の営みの中に埋没するすべを学ばせ、若く美しく技量の高い女を見出し養成し、立ち寄る者たちから無数の情報を得る……その全てができなくなってしまった。

 新たな場所を用意し若者を一から育てねばならぬが、次世代の空白にどれほどつけこまれるか、わかったものではない。

 わしの命ある間には立て直せまい。


 ……しかし、それでも、まだ光はある。

 あの方がやつらをほふってくださらなかったら本当におしまいであった。

『風』の最精鋭、『数つき』の者どもが、あれほどであったとは。

 ラーバイがわずか七人に落とされるとは。

 やつらが丸ごと残っていたならば、今後、ラーバイどころか城の中にも食いこんできたことであろう。我らにはそれを防ぐことは難しかった。

 その『数つき』をあの方のはたらきは、どれほどのことをもってしても、報いるのにとても足りぬのだ」


「はい。私も、引き続き、あの方を賞賛する話を市中に流し、その中にやつらがいかに卑劣かということを混ぜこみ、『風』どもの浸透を防ぎます」



 ――タランドン城前での大騒ぎは、彼ら『うてな』が仕組んだものであった。


 ラーバイで大量の血が流れた後、火災が発生した。

 火元は、場末の小さな店――だが、その地下にはラーバイ全体を魔法的に守る、『まなこの間』と呼ばれる重要な施設があった。

 あらゆる者が異様な性欲に襲われまともに働けなくなったところで、そこを何者かに襲われた。まず間違いなく『風』の手の者の仕業だろう。

 それにより、詰めていた魔導師たちが全滅。

 各所への連絡はもちろん、消火も、下手人を見つけ出すことも、何一つできなくなってしまった。

 今後のラーバイはもう、侵入者を防ぐ要塞たり得ない。


 事情を知った長やロルホたちは、もちろん激怒し、『風』への報復を誓った。


 しかし、主たるタランドン侯爵から、動かぬよう命じられてしまった。


 政治的な判断によるものであろう。

 主たる侯爵の言いつけに逆らうことは忍びとして許されない。


 城にはどこまでも侯爵に忠実な『うてな』の者が何人もいる。彼らと争うことになっては、『風』およびガルディス派の者が喜ぶだけである。

 ゆえに、耐え忍ぶ以外にない。


 多くの仲間を一方的に殺され、根拠地を蹂躙じゅうりんされたというのに、はらわたがねじれるこの屈辱に…………耐えるしか……!


 そこで彼らは、フィンに話を持ちかけた。


 さらわれたフィンの奴隷を取り戻す手伝いをする、と。


 火災に巻きこまれた流れの剣士に衣装を融通することも、仕官を求めて城へ行こうとする剣士にしかるべき紹介状を用意することも、別に命令違反でも何でもない。


 市中に奇妙な噂が流れ、可憐な王女様をお助けしろという空気が醸成されたのは、本当に王女様が城にいたわけのに、実に不思議なことである。


 城の守りにつく者たちが、その空気による不穏な状況に対応する方に集中して、全然関係ない土地から来たをほとんど調べもせず城へ入れてしまったのは仕方のないこと。


 民衆が集まった広場には、生き残ったラーバイの者が多数まぎれていたが、これもまた忍びとしてごく普通の活動で、何の問題もないことである。彼らがどういう声をあげどういう雰囲気を作り出したかは


 目の前で王女を奪われてしまうことになるタランドン侯爵には屈辱の事態となるだろうが、王女を守れという命令は出ていない上に、『うてな』はここでも命令を忠実に守り『風』の者と敵対していないのだから、罰することはできない。


 だが…………彼らの立場上、そうするしかなかったのは、フィンを城へ送りこむことだった。


うてな』の者をつければ、必ず城にいる者が見とがめる。主に背く不忠となってしまう。長みずからが悪い前例を作るわけにはいかない。


 ゆえに、段取りを整えはしたが、肝心かんじんかなめのところはフィン個人にまかせるしかなかったのだ。


 無論、失敗しても彼らに損失はない。

 フィンが捕らえられどれほど厳しく訊問されたとしても、彼らにたどりつくことはできない。フィンに告げた名前は本当のものではないし、顔や声音、仕草も変えているからである。


 しかし、それでは彼らの屈辱が晴らされることにはならない。


 思いのありったけをフィン・シャンドレンの一身に託し、彼らは事の推移を見守った。


 ――『剣聖』フィンは、彼らの期待に見事に応えて、意趣返しを成しとげてくれた。


 いや、期待以上のことをしてくれた。


 衆目しゅうもくにさらした容姿は、貴族令嬢と言われて誰もが信じる、いやそれ以上の、すばらしい美しさ。


 披露ひろうした剣技は、街に流れた噂以上に華麗にして苛烈かれつ


 姿を現し剣を振るった彼女に、誰もが見とれ、飲まれ、魅了され――。


『風』の者である鞭を振るう女と、一瞬ではあるが凄まじい戦いを繰り広げ――決着がついたと思ったその次にことになったが、それも見事に斬り払ってみせて。


 侯爵をはじめ居並ぶ高貴な方々をその一身のみで完全に圧倒し、この子は私のものだ誰にも渡さぬと宣言した後に、「ルナ」を抱き上げて広場に飛び降りてきた時には、感動と興奮のあまりに気絶する女性がぞろぞろ出た。


 広場の騎士たち、衛兵たちも、完全に固まっていた。

 彼女はそのまま悠然と立ち去ることができるはずだった。ラーバイの者たちが彼女をかくまう準備を整えていた。


 だが――ひとり、立ちふさがった。


 それはまったく彼らの台本にはなかった。


 ダガルと名乗ったその者は、あり得ないほどに強かった。これほどの者がなぜ城ではなく下にいるのか。タランドン家がかかえる勇士の誰よりも凄まじい武威を放つ豪傑がフィンに挑みかかった。


 まったく空気を読まないやつによって、こちらの目論見が台無しにされてしまう危機であった。


 鞭の女の仲間であったと、フィンから後で聞かされた。推測するに、『風』の『数つき』、武力最強と言われる『2』番の者であろう。『うてな』はもちろん正規の騎士ですら及ぶ者がいないと言われる恐るべき戦士。


 それを、彼女は……。


「ああ…………」


 遠くからとはいえその決闘を直接見ていた老人ふたりは、思い出し、そろって賛美の吐息を漏らした。


 後世まで語りぐさになる、これも短いが激烈な死闘であった。

 美しい結末であった。


 民は今や、こぞってフィン・シャンドレンを賞賛し、盛り上がっている。

 タランドンの戦士の意地を示したダガルという男の名も熱く語られている。


 侯爵個人の威信は低下したが、タランドンの街はひとつにまとまり、領が揺らぐことはないだろう。


『風』どもの目論見は完全に台無しになった。


 なのに、それほどのことをしてくれた相手は、治療や食事や身の回りの品など、功績の巨大さに比べてごくわずかな報酬だけで満足し、立ち去ろうとしている。

 敵から手に入れ、彼女のものとしていいはずの数々の品も、自分たちには不要だからと譲ってくれた。

 国が管理する貴重な魔法具『流星』すらも、ふたつも。


「何というお方であろう」

「まさに、『剣聖』」

「この年まで生きて、まさかこのような、伝説が生まれる場に立ち会うことができようとはな」


 老人ふたりは、感動に身を浸しつつ、自分たちの仕事をするために立ち上がった。






         ※






 喜びに浸る者がいれば、悲嘆にくれる者もいる。


「…………完敗です」


 優美な青年が、静かに告げた。


「完全に、やられたっす」


 メガネの巨乳魔導師が、重たい声で続けた。


「あんなところにいたなんて。

 うちらを目に入れたくないからと貴族どもが先に席についた、その中に顔出してまぎれこんでるなんて完全に想定外っす。

 このメガネでも、貴族が魔法具持ってるのは当然なんで、見てもわからなかったっす。

 あの目立つ兄ちゃんのおっきな体の陰に隠れてたんで、直接見ても気がつけなかったし、あの兄ちゃんが先に動いたんで、ギリアちゃんも私も気を取られて、反応遅れたっす……」


「向こうは向こうで、陰の者たちが動いて、手引きしたのでしょうね。街に情報を流して盛り上げたのもその者たちでしょう。

 しかし……いくらひそかな手助けを受けたところで、侯爵本人が敵に回り、城の者たちと我々が待ち受けていたのですから、どうにもならなかったはずなのですが………………まさか、とは」


「全部、食い破られたっすね…………あんなの、反則っす。無理っす。『死神の剣ザグレス』も、使い手も、すごすぎっす。

 ギリアちゃん、あそこまで準備してたのに――私も手伝ったし、自分がやられたらルナちゃんが死ぬように呪いもかけてたのに…………にまでなったってのに…………全部…………ダガルのおっちゃんも…………。

 ……うちらも、知られてないから見逃されただけで、ルナちゃんいじめたって知られてたら、あの時まとめて…………ううっ、怖いっすーーー!」


「失礼します。報告に参りました」


「どうぞ」


「言葉は飾りません。我々の完敗です」


「こちらも、同じ結論に達して、ぶざまに嘆いていたところですよ」


「生き残ったのは、後方にいた『1』たる私のみです。

『2』、ダガルは――剣聖に一騎討ちを挑み、死亡。個人所有の鎧や武具はともかく、我々の装備は無事。

『3』、ディラス――死亡。装備は奪われたものと推測されます。

『4』、バンディル――死亡。同じく、装備は奪われたかと。

『5』、ギリア――」

「言わなくていいっす。すぐ目の前で見てたっすから」

「はい。では関連して。ギリアの死霊化に際して、タランドン侯爵付きの魔導師を始め、あの場にいて防御魔法を展開した魔導師全員が衰弱し倒れております。騎士にも精神に変調をきたした者が多数」

「敵意向けたせいっすね。あれは、生き物と同じように対応しちゃいけないものっすから…………なのに、あの剣は…………ギリアちゃん、バンディルくんの仇も討てずにあんな終わり方…………ぐすっ、ごめん、続けて」

「『6』、ディルゲ――死亡。装備は奪われたかと。

『7』のレンカは…………生きてはおりますが、もう忍びとしては終わっています。ファラ殿、のちほど治療をお願いいたします」

「わかったっす…………あれは、仕方ないっす……むしろ、生き残った方がすごいっすよ、レンカちゃん……」


「以上、『流星』三つ喪失。三人分の装備も失いました。王女ならびに『板』は、所在不明のまま。侯爵は捜索を命令しておりますが、今の所発見できておりません。『うてな』の一部の者がかくまっているものと推察されます。今は街中がやつらの味方です」


「ファラ。『検索』か何か、魔法で見つける方法はありませんか?」


「無理っす。死ねというならやるっすけど。どんな方法であれ探りを入れたら、次の瞬間、気づかれて、あいつが『流星』使って飛んでくるかもしれないっす。その時はここにいる全員が首飛ばされて終わるっす。ただの自殺っす。その可能性があるってだけでも、やっちゃいけないっす」


「そうでしょうね。我々はまだ死ぬわけにはいきません。仕方ありません、王女も『板』も、ここは、あきらめましょう」


「え!? マジっすか!? いいんすか!?」


「完敗とはそういうことですよ。もう我々にはできることがありません。完全に、負けたのです」


「悔しいっす……! ああもう、悔しいっ……!」


「……セルイ様、何を企んでおられますか?」


「わかりますか、『1』」


「グレンとお呼び下さい。すでに『数つき』は壊滅し、番号で呼ぶ意味はなくなっております」


「そうですか。ではグレン。どうしてそう思ったのですか?」


「本当に負けた気配を発しておりません」


「それを読まれてしまうようでは、私もまだまだですね」


「なんかあるんすか!?」


「ええ、詳しいことは言えませんが――この城では完敗、仲間も沢山失ってしまいましたが…………我々は、まだ終わったわけではないのです。『剣聖』も王女も気づいていないでしょう。彼女たちは、勝ったと思いこみ……罠の中に自分から入りこんでゆくのですよ」


「ほんとっすか?」


「さて。私のことですから、嘘かもしれませんよ」


「そういうとこがネチネチ野郎って言われる原因なんすよね…………って、ここで制裁されてももう見てくれるひといないから寂しいっすとりあえず手を離してほしいっす指が指が指が食いこむ頭が割れるぅぅぅぅ!」


「さあ、この城を出ますよ。敗者はみじめに逃げるのです。支度を急ぎなさい」


「ひゃい……やっぱし、おしおきも弱いっすね。……ルナちゃんも剣聖さんも、今頃勝ったお祝いで浮かれてるんでしょうねー。うらやましいっす……………………………………






       ※






「そろそろ機嫌を直せ」

「いやです! 弱虫でなまけ者のご主人さまなんてきらいです!」

「また膝の上で食べさせてやろうか」

「そういうずるいことしてくるところがいやなんです! こっちこないでください! なでなでしようとしてもダメです!」

「フィン様、湯浴みの支度ができました」

「わかった。じゃあお前は後で洗ってもらえ」

「! なっ! まっ!」

「はい、ルナ様、ゆっくりお休みくださいねー」

「具合がよろしくないのでしょう? 奴隷なのにご主人様にわめきちらすくらいですもんねー」

「ああああああああ!」




「ああ…………素敵でした……フィン様のお体……おぐし……何もかも……!」

「湯上がりの、あの色づいたお肌と甘いまなざし…………もう、私、無理…………腰が、抜けて…………!」

「あら、どうなさいました、ルナさま? そんなにほっぺたを丸くなされて」

「あなたたち…………私を、誰だと……!」

「どなたなのですか?」

「う……」

「いい風呂だった。お前も、しっかり洗ってもらってこい」

「ううううう…………!」




「ルナ様は、このままこちらでお休みください。フィン様はお隣のお部屋にどうぞ。寝台の支度はととのえてあります」

「待ちなさい! 私はご主人さまのものなのですよ! 一緒が当然でしょう!?」

「そんな、まさか、大切な方を、他人と一緒の部屋になんてできませんわ」

「いえ! 最も大切なのが私でしょう!? ご主人さまのものなのは私だけなのですよ!?」

「うるさいぞ。せっかく寝床を用意してくれたのに悪いが、私は夜の間にやっておくことがある。ルナは先にゆっくり休め。治してもらったといえ、まだ病み上がりだ、無理はするな」

「えっ、待ってください! 私もご一緒します!」

「お前がいても何にもならん。知らない方がいいこともある。お前たち、ルナのことはまかせた。では」

「そんな!」






「フィン様、どちらへ?」

「城だ。ルナに色々やってくれたやつらがまだ他にいた。やり返してくる」




「セルイ・ラダーローンおよびその従者どもは、昼のうちに大急ぎで城を立ち去ったとのことです。船で東へ向かったと」

「…………逃げられたか」

「侯爵様に面会なさってゆかれますか? 今でしたら、どのような要求も受け入れていただけると思いますが。それこそバルカニア行きでも」

「必要ない。今はよくても後にたたる。貴族に関わるととにかくめんどくさい。帰る」






 王宮を逃れ出て以来最も快適な状態と寝床を与えられたというのに、最も寂しい気持ちになって、泣きながら眠ったカルナリアは――。

 目を覚ますと寝台の上にがいて、驚きながらしがみつくことになった。


「私、決めました!

 強くなって、しっかりします!

 そうでないと、ご主人さまは、いつまでもはったりに頼って生きるだけの、弱虫の、ダメ人間のままですから!」


「そうか。じゃあ。頑張って、私に楽をさせてくれ」


 麗しい手が、少女の頬を優しくなでた。






【後書き】

これまで守られるばかりだったカルナリアが、いま初めて、自分のやるべきことを決めた。元王女にして奴隷の少女の行く先ははたして。

次回は番外編です。長くなったので分割しました。番外編03話「星を目指した忍び 前編」。



※今話の補足いくつか

・実は忍びだった少女 第74話参照。名前はマルガです。

・『風』の七人 やっと全員の名前が出たと思ったら退場者多数。男性陣はどうなったのかは、のちの答え合わせ回にて。

・『台』の長 ラーバイを七人に落とされたと言っています。ファラの関与には気づいていません。

・『流星』 フィンが「ふたつも」譲ってくれたことで長は感激していますが、セルイへの報告では「三つ喪失」……おいぼろぼろ、何か言うことはないか。

・フィン、夜に城へ 桃色の靄についてはギリアの仕業と思っています。カルナリアが語っていないのでファラの存在をまだ知りませんが、ギリアを従えていた者がいたと『台』から伝えられて制裁に出向きました。

・「あの方を賞賛する話を市中に流し、その中にやつらがいかに卑劣かということを混ぜこみ」……「エリーレアの冒険」で悪役三人の名前や外見、技能が正確に伝わっている理由はこれでした。

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