096 がっかり
フィンはギリアの末路をそう表現したが――。
(用心棒の人たちが?)
『若魚』たちが言っていたこととまったく違う。
彼女たちは、どこまでもフィンひとりしかいなかったように語っていた。
ギリアに向かっていった男たちがいたなら、見ていないはずはないのだが……レンカも参戦しないはずがないだろうに……。
あるいは、見たいものしか見えないということか。主役しか目に入らず、周囲の脇役、モブは意識から抜け落ちる。ありそうなことではある…………が……。
「それで、その後、私は侯爵だろう、中心にいた偉そうな男にだな――」
「…………」
カルナリアは「じい」を思う。
苦い感情と、フィンがあの人物に実際は何を言ったのだろうという強い興味。
だがその話をする前に――ノックの音がした。
「失礼します。お食事の時間とのことですが……」
「もうそんな頃合いか。動けるか?」
「…………はい、何とか……」
ずっと横になり、フィンに撫でてもらっていたせいか、運びこまれてきた時よりは体が動くようになっていた。
体力を消耗し尽くしたせいか、普段より強い空腹感も湧いてきた。
フィンが声をかけ、カルナリアを起こして、テーブルへ導いてくれる。
『若魚』四人組がぞろぞろと、料理を載せたワゴンを押して入ってきた。
すばらしく魅惑的な匂いが流れてきて、カルナリアの腹がいい音を立てた。
「美味いものを知っている人と知り合いになったのでな。全てまかせた。私も楽しみだ」
カルナリアの前に、タランドン風だという料理が並べられ始めた。
食欲が一気に湧き起こってくる。
野菜と細かく刻んだチーズを混ぜて、酸味あるソースをかけたサラダと、魚介と根菜を丁寧に煮こんだらしい、琥珀色の具なしスープ。口に入れるとかえって空腹感が強まる、完璧な前菜だ。
卵料理。
二種類の
口に入れると、火はしっかり通っているがとろりとした食感がたまらなく、その後から広がってくる少し甘めの味つけと辛みのあるピリッとしたソースの組み合わせが絶品。
川魚を平たく、一口で食べられる大きさに切って、串に刺して焙ったものがずらりと。
屋台で売られていそうな、見た目だけなら単純なものだが、下処理から切り方から串の刺し方、焼き方、火の通し加減、味つけなど、あらゆるところに深い技巧をこらした料理なのは間違いなかった。
ぬめっとしたもの、すっきりしたもの、歯ごたえあるもの、やわらかいもの……直火で焼いたもの、炭火でじっくり熱を通したもの、蒸したもの……味つけも、塩だけ、黒ずんだソース、赤いソース、
……
もはや慣れた感すらある定番の包み焼き、小さめのものが五つ。しかし包む生地がこれまで食べてきた灰色のものと違ってクリーム色で、具は少なめ、生地の折りたたみ方が精緻、芸術的だ。
中身よりも生地そのものを楽しむようにされている料理なのだということが食べてみてわかった。口に入れるとまずもちっとした食感が心地良く、次いで生地の甘味と少しだけつけられた焦げ目の香ばしさが重なって押し寄せてきて、たまらない。
少しだけ入っている具は、シャクッとした野菜、皮がパリッと焼かれた鳥肉、味つけをしてじっくり煮こんだ川貝を細かく刻んだものなど、それぞれ違っていて、これもまた口を楽しませてくれる。
どれもこれもすばらしく美味く、きわめて疲れきっていた心身がたまらなく満たされ、幸福に包まれた…………
…………………………………………のだが。
(…………あら、そういえば、ご主人さまは?)
自分だけが食べる、自分が優先で食べる、給仕は背後について視界の中に誰もいない状態で食べる――王女としてそれが当然だったカルナリアは、気づくのが遅れた。
致命的に遅れた。
フィンは、テーブルについていなかった。
しかし運ばれてきた料理は、二人分たっぷりとあった。
どこで、どうやって食べているのか――。
「フィン様、はい、あーん♪」
背後で――寝台に腰を下ろしたぼろぼろが、こちらに背を向け、布の前を開いていた。
そこに少女たちが群がって、みな天にも昇る心地になっているのが明白な顔で、次から次へと、料理を運んでいる。
――動きたくない、できる限り何もしたくない、食事の方からこっちへ来てくれないかと心から願っているこのぐうたら者が、こんなに楽ができる機会を逃すはずはないのだった。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
完全に放置された第四『王女』カルナリアは、実兄のしでかしたひどいことを聞かされた時よりも、何もできない小娘だと思い知らされた時よりも、「じい」に裏切られた時ですらおぼえなかった、心の奥底、いやもっと深い、魂に刻みこまれるような、激烈な屈辱を味わった。
王女は激怒した。
必ず、かの奸智怠惰なご主人さまにまとわりつく小娘どもを除かねばならぬと決意した。
カルナリアにはまだ恋愛がわからぬ。しかしご主人さまに対しては、人一倍に敏感であった。
「……どうした」
そのご主人さまたるフィンが、少女たちを捨て置いて、滑るように移動してきた。
その顔は――隠されている。
「う……」
少女たちに飛びかかろうとしていた体が、静止した。
自分の食事を止めてこちらを気にしてくれた相手の前で、自分より年上だが小娘であるやつらを八つ裂きにするのはできかねた。
慈悲をもって見逃してやる。次はない。
「まだ食べられるなら、これも美味いぞ。ほら」
麗しい手が、焙った牛肉をフォークでひときれ持ってきて、口に近づけてきた。
布一枚、いや貼り合わせた二種類の布、それだけに隔てられている、自分だけが知らない素顔を見たいという焦燥感に身悶えしつつも――。
「あーん」というのを自分が、フィンにしてもらえるというのは、あの四人の連中には絶対に経験できないことで。
「……んあ…………ん……」
王女は、口を開いて待ち受けた。
そこに、フィンの手が、入れてきた。
フォーク越しだが、確かな絆をカルナリアは感じた。
もぐもぐ、と咀嚼して、最高の火加減と食感と肉の旨味と酸味あるソースのもたらす美味に陶酔し――それ以上に、布越しだが、これでいいのかと心配しながら見つめてきているフィンの視線を感じて、最高の満足感を得ることができた。
視界の端に、王女と知っているはずなのに毒々しい目つきを向けてきている者たちをとらえて、優越感はさらに深まった。
「ご主人さま…………もっと……」
おねだりすると、かなえられた。
いや、想像以上のものが――フィンのあの指が、デザートだろう、小さな黒ずんだ干し果物を直接つまんで、近づけてきた!
「あ…………!」
心臓が急激に高鳴り、異様な熱波がこみあげてきた。
あの美麗な手、秀麗な指につままれたものが、自分の口に近づいてきて、くちびるに触れながら、入れてくれる……!
この指を舐めたことがある、口に入ってきたこの指を舐めて、陶酔したことがある……その記憶もまたカルナリアの脳髄を燃やす。
唾液が猛烈にあふれ、腰を中心にした名状しがたい甘い感覚が突き上げてくる。
――その寸前で。
「フィン様、それよりこちらの方がよろしいと思いますけど」
少女たちの声が鋭く飛んだ。
口調はやわらかだが、刃のようなものがこめられていた。
「それは、最後に口にするといい、しめのもので」
「その前に、こちらを召し上がった方が」
「これも、まだですよね?」
善意だということを否定できない、まだカルナリアが口にしていない、野菜や羊肉や貝料理が次々と勧められた。
「ふむ。そうか」
カルナリアの唇に近づいていた指が、戻ってしまった。
少女たちが寄ってきて、自分たちの手で、カルナリアに料理を突きつけてきた。
「ほら、どうぞ」
「お姫さま、召し上がれ」
「おいしいですよ」
「ほら、ほら、ほら!」
ギリアやレンカが自分に向けていた殺意というものを、今なら自分でも発することができる。
「こら。私とは違う。押しつけるな」
フィンが彼女たちを追いはらってくれて――テーブルの、横の席についた。
「食べたいものを言え。食べさせてやる。助けるのが遅れて、痛い思いをさせた詫びだ。……どれがいい?」
――何もしないでいたいと常に望んでいるこのぐうたら者がそう言ってくるというのは、考え得る限り、最大の好意。
「……お膝の上に、乗せてもらえませんか……」
かなえられた。
その状態で、食べさせてもらった。
「………………♪」
いくらでも腹に入った。麗しい手で運ばれてくる料理は、あらゆるものが極上の美味だった。
ぎらつくような嫉妬の視線は、最高の調味料。
あの四人は、いずれ自分を狙う暗殺者になるだろう。
刺客、裏切り者というのは、こうして誕生するのだとよくわかった。
来るなら来いとカルナリアは闘志に燃えつつ、次のものを口に入れてもらうために「あ~ん」をした。
「――それで、だ。ええと」
食べ終えて、茶をぼろ布の中に吸いこみ、ゆったりしてから、フィンは先ほどまでの話の続きをし始めた。
「どこまで話したかな」
「ひゃい………………ぶふぅ…………」
ふくれあがった腹をかかえ、カルナリアは寝台に横になって午後の陽光を浴びていた。
王女としては絶対に許されない格好。
だが、このふくらみは、幸せが具現化したものだ。
苦しいが、後悔はしていない。
「……まともに食べる機会があまりなかったものな。主人たる私にも責任があることだから仕方ない。腹ごなしに、ゆっくり外を歩いてこい」
「いえ…………このまま……大丈夫、です……」
部屋の外には、あの四人がいる。
その誰かひとりであっても、今のカルナリアには危険すぎる存在。
ちょっと揺さぶられただけで、せっかくフィンの手から食べさせてもらった幸福がすべて台無しになる自覚は十分にあった。
「鞭の、女の人が、倒されたというところまでは聞きました……」
「ああ、そうか。では――」
バルコニー上での出来事が語られはじめた。
ギリアの片がついた後、フィンはタランドン侯爵に向いた。
「この者は私の奴隷である。この街に入った時に私がこの子を連れていたところを目撃した者が大勢いる。私のものを取り戻すことは罪ではないはずだ。逆に問う、私が、鞭打ち二十を受けるほどの、どのような罪を犯したというのだ。そういうことを訊ねた」
これまた、少女たちから聞いたこととかなり違う。
さすがに気になって、カルナリアから訊ねた。
「本当に、そうおっしゃったのですか? 騎士さまたちが、無礼者と怒って、捕まえられそうになったと聞きましたが」
「ああ。まあ、流れの剣士が侯爵に不作法な口をきいたということで、怒られてな。
だけど、貴族たちが怒ることは当然予想できていたので、ラーバイの者たちは、仕込みをしていた」
「仕込み?」
「あちこちに旗がたくさん立っていただろう。その旗竿の一本に切りこみを入れておいて、糸をつないで――私が剣を振るってみせた途端に、引っ張って、ずっと遠くの旗竿が切れたように見せかけた。
そのはったりで、私にどんなものでも斬る力があるのではないかと、侯爵たちは手控えてくれた」
「………………」
「味方についてくれる者も現れた。
立派な、なかなかいい男が、お前の手をほどいて、丸太を外してくれた。
その主も、こちらもかなり偉い貴族だろう、タランドン侯爵に対等な立場から言ってくれた。他人の奴隷を奪って鞭打つというのはあまりほめられた振る舞いではありませんな。法に照らしても、主人が自分のものの返還を求めることには何の問題もないことですし、たかが奴隷の子供ひとり、くれてやることこそ堂々たる貴族の振るまいというものではありませんか。そもそも、この方の犯した罪とはどのようなものなのですかな。
貴族の中には法務官を勤めたことがあるという者もいて、私のよく知らない理屈を持ち出して助太刀もしてくれた。
途中からは私がほとんど何を言う必要もなかった。楽ができてありがたかった」
「………………」
「そしてとうとう、侯爵が、連れていけと認めてくれてな。
悔しそうにしている三男を尻目に、お前を抱きかかえて、下へ降りた」
「…………ただ、飛び降りただけなのですか?」
それも訊ねた。少女たちによれば、その時、すごいことを言ってくれたはずなのだが。
「ああ……まあ……私も、かなり危ないところだったので、色々動転していてな…………何を言ったのか、実はよくおぼえていないんだ」
「……!」
「降りた後は――
お前のことは、子供たちと、あらかじめ待機していたラーバイの男たちにまかせて、私は衛兵たちの目を引きつけるために離れて逃げた。
――逃げようとしたんだが……」
「強そうな騎士さまが、立ちふさがったと」
「ああ、聞いてるのか。まあ、空気を読まないやつがひとり、意地を張って、役目を果たそうと――と言いたいところだが」
「え?」
「実は、それも仕込みがあってな。
ラーバイというのは遊ぶ場所だ、そこで遊びすぎて借金がふくらんでいた騎士がいてな。その騎士に話を持ちかけて――借金と引き替えに、演技してもらった。
鎧の内側に血のりを仕込んで、派手な立ち合いを繰り広げた後に、私が鎧の隙間を突く、血のり袋が破れて派手な出血、それで騎士は倒れて、場の空気はこちらの味方、騎士や衛兵たちも義務は果たしたということで気合いが抜ける…………すべてうまくいった」
「………………」
カルナリアは、腹のきつさも忘れて、ものすごく考えこんだ。
聞かされた話を要約すると……。
(このひとは……座って、顔役さんを探し、接触して、話をして……段取りをつけてもらって、お店に入れてもらって、戦いは用心棒さんたちがやって、じっとしてお化粧してもらい服を貸してもらい、お城へ連れていってもらって、隠れて待っていて……)
(姿を見せて目を引きつけ、ギリアはこれも用心棒さんたちがどうにかして、剣を振ってはったりをきかせて、話だけして、私を抱き上げて飛び降りた――その後に私を運んだのは別な人たち、立ちはだかった騎士は事前の仕込みすなわちお芝居……)
(では、このひと自身は、何をしてくれたのですか!?)
カルナリアの頬がふくらんだ。
それはもう、猛烈に、ふくらんだ。
「…………結局のところ…………ほとんど、他人まかせで…………ご自分は、飛び降りたぐらいのことしか、なされなかったのですね………………?」
漏れ出る声には、地獄の噴煙が混じっていた。
「いや、かなり頑張ったんだぞ。そもそも人前で顔を出して色々しゃべるというのがもうとてもめんどくさくて――」
「わーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
カルナリアは破裂した。
助けてもらえた歓喜が反転し、失望と悔しさと分類不可能の負の感情に埋め尽くされて爆発した。
ぐうたら者が、わざわざ自分のために、めんどくさいことをたくさんやって、大立ち回りを演じてくれたのだと思っていたのに!
結局のところ、いつも通り、できるだけ楽をして、何とかうまくやったというだけだった!
しかもその過程で、自分以外の者には顔を見せて!
自分以外の全員が、フィンの素顔に魅せられて!
はったりだらけの活躍を見て盛り上がって!
自分だけが何一つ見せてもらえないままで!
「きらい! きらいです! ごしゅじんさまなんか、だいっきらい!」
わめき散らし、動かせるものを片端からフィンに投げつけた。
「ううむ。何が悪かったのだ?」
「わかんないのがきらいです! だいっきらい! やあああああああああ! うわあああああああああああああああん!」
「……外に出てくる。用があれば呼べ」
フィンは、するりと逃げ出していった。
ぼろ布のせいでその表情も感情も何もわからないのがさらに屈辱だった。
誰もいなくなった部屋の、寝台の上で、カルナリアはなおも泣きじゃくり、むちゃくちゃにじたばたし続けた。
【後書き】
情熱的かつ派手なプロポーズに感動し結婚したら、実はあれは借金して見栄を張ってやったものだったと知らされた新妻の気持ち。
ただカルナリアはわかっていない。フィン・シャンドレンとは楽をするためにならいくらでも嘘をつく人物だということを。真実が、自分の知らない所で明かされる。次回、第97話「演出家たちの話」。
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