095 舞台裏の話



「ええと、私は…………家と家の間の、狭い所の奥へ逃げこんだのですが、ちょっと広いところに出てしまい、そこにいた子供たちに――かなり汚れた、悪いことをしている子供たちに捕まってしまい……」


 カルナリアは、フィンと引き離されてからのことを語って聞かせた。


 ずっと長い間離れていたような気がしたが、わずか三日前の話なのだ。


 浮浪児たちに捕まえられ、身ぐるみはがれてから、運ばれて、ラーバイへ。

 そこで買われて、「人魚」になる子供たちと一緒にされた。


「人魚? ああ、遊女のことか。あの店ではそう言うのだな」

「そちらが一般的な表現なんですね。そういえば結局、具体的に教わることはなかったのですが、あそこは男が女を買う街、男と女が街だと言われました。まぐわうとは子作りをすることなのですよね。それがどうして遊びになるのでしょう?」

「ふむ」


 フィンの手がカルナリアの鼻をつまんだ。


「にゃにしゅるんれしゅか」


「お前は、十歳だったな」

「…………すみません、本当は、十二歳です」


 正直に言うことにした。

 この地では十二歳の少女狩りは行われていないのだし、フィンに嘘をつき続けることがどうにもいやだった。


「やっぱりか。私は正しかったのだな。なるほど。それで色々つながった」

「え、十二歳だと、何かあるのですか?」

「後で話す。……それでお前は、十二歳だが、、まぐわうということの意味を知らないのだな」

「夜にやることで、子供を作る行為だということは知っています。大人になったらいつかはするものだとも」

「ふうむ…………そうだな…………どうするか……まあいい、その話は後だ。機会があれば説明しよう」

「はい」

「それで、その店に買われてからは?」


 知らない女の子たちと一緒に寝起きさせられて、とても不安だったけど、あのときの甲高い吠え声が聞こえて、勇気づけられた。


「ああ、聞こえていたか」

「はい、しっかり聞こえました!」

「外には出られなかったのだな」

「……?」

「吠え返してくれれば、どこにいるかすぐわかったのだが」

「え……いや、でも、私は、あんな声は出せません」

「上手い下手ではない。お前の声だとわかれば問題なかった。返事がないか耳を澄ませていたんだぞ」

「………………」


 セルイに、フィンと連絡を取る方法として「窓から大声で叫べば」と言った――あれが大正解だったとは!


(い、いえ、あの『学校』でそんな真似をしたら、罰せられていたかもしれませんから仕方ないのです!)


 その言い訳で自分を納得させた。

 自分が勇気を出し獣のように叫べていれば、その後の出来事の大半を回避できていたというのは、つらすぎる結論なので認めることはできなかった。


「そ、それで………………次の日は……ちょっと失敗して、手を叩かれたり、ごはんの食べ方を練習させられたりしましたが……朝ごはんの後、台所で、料理作りの手伝いをさせられて……その時、かまどに顔を近づけたら、顔のが、はがれてしまったんです」

「ああ、なるほど。まあ、無理矢理はがされたのでなくてよかった」


 フィンの手が、右目から頬にかけて撫でてきた。


 うっとりすると同時に、『夜の姫』にも同じように撫でられたことを思い出し、鳥肌が立った。

 恐怖でもあり、陶酔でもある。またあの神秘の瞳を見てしまったら、自分は一切抵抗できずに全て吸いこまれ、戻れない世界へ連れていかれてしまうだろう。

 二度と、絶対に、会ってはならない。


 あの超危険人物のこと、あの人物がやってくる前のオティリーたちとの話は――いくらフィンにでも、言えなかった。


「はがれたら、その、私の顔が、いいからと、特別に教育するって、豪華な部屋に連れていかれて………………そこで、、怖い、目に遭わされて…………頭がぐるぐるして、途中からおぼえていないのですが……気絶してしまったみたいです……」


 嘘ではない。

 オティリーが怖かったのは本当のこと。

 桃色のもやに包まれ、異様な感覚を味わい、『夜の姫』に戦慄し陶酔し心が吸いこまれるという妙な経験をし、頭の中身がぐるぐるして気絶したことも、嘘ではない。


「でもその時、ご主人さまの声が聞こえたような気がしたのですけれど……いらしてくださったのですか?」

「ああ…………そうだな、後で、私の方の事情を話す時に説明しよう。、色々あったんだ」

「ぜひともお願いします」

「それで、その後は?」


「目が覚めると……タランドンの、お城の中だったみたいです。どこなのかはよくわかりません」


 ガルディスのふところがたなたるセルイに捕まっており、ギリアとレンカの怨念をぶつけられ、殺されかけ、タランドン侯爵に面会し、これまでの希望がついえて絶望し、処刑されてもいいというどん底の気分に入りこんだ――それらのこともまた、フィンには言えない。


 嘘はつきたくないが、自分が本物の第四王女であり、『王のカランティス・ファーラ』を第二王子レイマールに届けるという目的を持っているということは、まだ明かすわけにはいかない。


 ガルディスの手下に狙われるどころか、今ではタランドン侯爵も狙ってくる側に回っている。この土地すべてが敵になったも同然。

 それをフィンが知れば、めんどくさいと『王のカランティス・ファーラ』を手放してしまう可能性は高いし、王女を連れ歩くという面倒を避けて、去ってしまう可能性はこれまでよりさらに高い。


 今、このひとに去られてしまったら、今度こそ自分はおしまいだ。

 永遠に立ち直れる気がしない。


 だから、城で目覚めてからのことはほとんど割愛した。


「お城で、私は、ご主人さまをおびき出すエサとして使われて、たくさんの人の前に引っ張り出されて…………鞭を……本当に、痛くて…………助けてくださって、ありがとうございました……お薬も…………来てくださらなかったら、死んでいました……!」


 しゃべっているうちに、鞭打たれた時の痛みと恐怖と、助けてくれたのがフィンだったという深い安堵がよみがえってきて、大粒の涙があふれてきた。


 しばらくフィンにしがみついて泣き、頭や背中を撫でて、あやしてもらい――。


「では、私の方の話をしよう」


 フィンがそう言い出した。






「矢に縫い止められて、お前が逃げたすぐ後に、奥の手を使った。まあ仕掛けは簡単で、貯めこんである魔力を解放するだけの魔法具なんだが――それをばらまいて、させた」

「…………」


 城で、ギリアに焼き殺されかけたあれと似たようなものなのだろう。

 あの経験をしたので、今ではありありと想像できる。

 轟音や建物の破砕音も理由がわかった。


「威力がありすぎるのと――そういうものがあると知られて、真似されて、こちらに向けて使われるととてもめんどくさいことになるから、できるだけ使いたくなかったんだが、あの時はそれ以外ではどうしようもなかったからな。

 結果、次の矢を吹っ飛ばせたのはいいが、橋が落ち建物も壊れてしまった。襲ってきた連中がどうなったかは知らん」


「そうだったんですね……」


「動けるようになって、すぐお前を追いかけたかったんだが、衛兵や役人たちが駆けつけてきてな。

 こちらは襲われた被害者だとはいえ、犯人たちはその場にいないし、橋や建物が壊れているし、捕まって事情を訊かれるのはきわめてめんどくさい。衛兵の詰所にとどめられているところにまたあいつらが襲ってくるかもしれない。だからその場を離れるしかなかった」


「もしかして、布に穴が開いてしまったから、隠れていられなくなってしまったのですか?」


「いや、それは大丈夫だ」


 フィンの指が、布の真ん中辺りからのぞいて、小さく動いた。そこに穴が開いている。


「こんな真似をすれば効果が破れるが、そのままならそれほど問題はない。普通の糸で補修できないのが厄介だが。この街には直せる者がいるらしいので、手配してもらっている」


 手配してもらっている、という言い方からすると協力者がいる。

 この屋敷の持ち主でもあるのだろう。

 誰なのか気になったが――それはこのあと出てくるだろう。


「だが、姿を隠せると言っても、あの狭い路地や橋ばかりの街並みでは、いたる所に衛兵が詰めかけている中を動くのはさすがに無理で……最初に着地したあの広場に戻って、座っていた」


「………………」


 自分がラーバイへ連れこまれて怖い思いをしていた間に、駆け回ってくれるでもなくそんなのんびりした真似を。カルナリアの目が細まる。


「さすがになまけていたわけではないぞ。人の流れを見て、を探していたんだ」


「かおやく?」


「街の実力者だ。役人ではなく、その相手に話を通せば街での活動が楽になるという本当の実力者。そういう相手を見つけて、協力を頼んだ。ドルーの城で何が起きたのかを教えることで対価にした」


「そういうことができるのですか?」


「情報も、売り物になる。何が起きたのかを先に知ることで、有利に立ち回ることができる者は多いからな。そういう相手に情報を売り、あるいは買う者たちがいる。私が接触したのもそういう相手で――対価を払って、お前の行方を探してもらった。よく知らない街を私ひとりで探し回るよりも効率的だ。実際、ラーバイという所にいるとすぐつかんできてくれた」


「それなら……助けに来てくださっても……」


「そう簡単に入りこめるところじゃなかった。島みたいなもので、侵入できる場所は限られていて、どこも厳しく警戒されている。腕の立つ用心棒や魔導師が沢山いる。客として入るだけなら簡単だが、店の裏側に入って、買われた女の子を返せという話をするには、それなりの紹介なり伝手がなければまず無理だった」


 先ほど廊下で見た、川向こうのラーバイの立地を思い出した。

 確かに、城に侵入しカルナリアをかかえて逃げ出すのと同じくらいの難易度だろう。

『流星』は、すぐあの七人がやってくるから使うわけにはいかないし。


「でも、ええと、逃げた奴隷を取り返すのは正しいことなのではなかったですか? 衛兵さんとか、役人さまが、味方についてくれるのでは?」


 ランダルに教わったことを思い出しつつ言った。


「その場合は、こちらの素性を明かさなければならない上に、ああいう所の連中は大抵役人とつながっているからな、売り物になりそうなお前を逃がさないために、私の方を店に難癖つける悪者にしてきただろう。

 また実際、私は橋を落とし家を壊し騒ぎを起こした関係者でもあるから、まずそちらの取り調べ、その後で合法的にお前を取り返すためのやりとり……何日もかかるだろうし、その間お前がどうされるかわかったものではなかった」


「…………」


 何日も――あの『夜の姫』に何日も触れられ続けていたら、自分は今頃か。


「さらには、あの手の店は悪いやつらともつながっているから、私を追ってきたあの七人にもすぐ話が行くだろうということも想像できた」


 確かに、ラーバイの周囲を怪しい猫背の男と子供がうろついているという話はカルナリアの耳にも入ってきたのだ。実際に様子を見に来たフィンが、彼らを目撃し、警戒したとしても文句は言えない。


「それで、正攻法はあきらめ、情報屋から紹介してもらうように話をつけて、しかしだからといってすぐ入れてもらえるわけでもなく、丸一日待たされた。吠え声でお前を探したのはその夜だ」


「ああ…………」


「向こうもこちらを疑って、色々裏取りもしたのだろう、入れてもらえたのは、次の日の、日暮れ近くになってようやくだった」


「…………」


 カルナリアが『特別室』に入れられ、『夜の姫』の話を聞かされて戦慄していた頃だ……そう、マノンに変なぼろ布をかぶった客が来たという話が伝えられた、あの時……。


「だが、お前を手放したくないからか、店の側は渋って、なかなか会ってくれなくてな」


 マノンが『夜の姫』を呼び、カルナリアをとして、ここから離れたくないと言わせるように目論んだ――あれと合致する。道理で、フィンが来たと聞いてから時間がかかったわけだった。マノンへの怒りが湧いた。


「このままでははぐらかされて終わると思って、こちらが見えていないのを利用して、強引に入りこんだ。もうここまで来れば、お前のいるところに忍びこんで逃げることもできるかと思ってな」


「………………」


 現実にどうなったかはともかく、その話だけで胸が熱いものに満たされた。

 まさに、自分が夢見ていた通りだ。


「だが、その…………まあ………………何とも、になってなあ」


「……っ!」


 あの、桃色のもや

 フィンも、あの時の自分と同じようになったのか!?


 体が異様に熱くなって、じんじんして、誰かにしがみつきたくなり、さわりたくなり、さわられたくなり、頭がぐつぐつ沸騰するみたいになって、誰でもいいからとにかく人肌が欲しくなった――このひとが、あんな風に?


 少なくともこの人物に呪いが効くことは実証されている。

 ならば、間違いない。

 フィンも、のだ。

 だからこそ、初めて聞く、言いづらそうな、恥ずかしがっているような声音を漏らしている。


「ごくっ」


 カルナリアの喉が動いた。


 自分と同じようになっていたのなら……このぼろ布の中の、豊かな体を、どのようにうずかせ、どのように身悶えしていたのだろう?

 耐えられなくなって、フラフラと誰かに……ということがあったのだろうか?


「周りもみなで――進むのに難儀した」


 フィンの言葉は、何とか平静を保っているが、その裏で色々なことがありそれを隠している感じが濃厚に漂っていた。


 自分が枕にしているフィンのふとももも、落ちつかなく揺れ動く。こんな動きは初めてだ。


 カルナリアの胸がやたらと高鳴り、体がおかしな具合に熱くなった。


 詮索したくてたまらなかったが、それをすると、カルナリアの方も詮索され――あの少女四人とオティリーに弄ばれた上で『夜の姫』に魂を奪われかけたことを白状することになってしまうかもしれない。

 なので、体の変調をおぼえつつも、口をつぐんでいるしかない。


「それでも何とか、お前のいる部屋を見つけて、入りこむことはできたんだが――」


 それまで以上に、フィンが言いづらそうにした。


「あっ、あのっ、あれはっ、っ……!」


 カルナリアも顔が燃えた。


 そうだ、自分が話した時はどこを省略して語るかで頭がいっぱいだったので忘れていたが、思い返してみると、『夜の姫』に捕まった――湯上がりまるはだかの自分が、うすもの一枚をまとったきりのほとんど全裸の美女に捕らえられているところにフィンが踏みこんできたことに……!


 どういうつもりだ、というあの声は、『夜の姫』を止めようとしてくれたのだろう。


 ということは、姿をはっきり目撃されてしまったことになる……!


 だからこそこんなに言いづらそうに。

 言葉に困って。

 カルナリアを傷つけないように配慮してくれて。


 ――だが、次の言葉、聞かされた展開は、想像とはまったく違うものだった。


「そこで、あの連中が襲ってきたんだ。あの七人。猫背の男や、子供や、魔導師の女、弓矢を持ったやつなんかが」


「…………えええっ!?」


「あいつらはあいつらでお前の所在をかぎつけたらしく――私が見つからないのでお前をと思ったようで、別なところから入りこんできていて……私がお前の所に着いた、まさにその時に、襲ってきた」


 彼らは、ガルディス配下の凄腕ぞろいだ。

 何らかの手を使ってラーバイへ入りこんだことに不思議はなかった。


 そうだ、ファラが言っていた、自分が連れてこられた時には全身血まみれだったと……!


「私が入ったことは気づかれなかったが、そいつらの侵入はさすがに店の用心棒たちも気がついて、駆けつけてきて……になった」


「…………!」


「室内で何人もの首が飛ぶひどい状態の中で、気絶していたお前は、魔導師の女にさらわれてしまって。

 その女は片腕を切られていたんだが、それでも魔法で壁を壊して、飛んで逃げていって、追うことができなかった」


「そ…………それは…………」


 魔導師というのはギリアで間違いないだろう。

 右腕を切り落とされ、無理矢理つなげていた理由もわかった。

 大乱戦の中で切断されたのか。


 恐怖の鳥肌がびっしりと立つ。

 気絶した自分の周囲で、そんな凄絶な戦闘が発生していたのか。

 自分の素肌に、人の血潮が大量に降り注いだのか。


 血みどろの自分が、ファラの所に運びこまれ、そこからタランドン城のあの離れへ、という流れだったのか。


「あの連中も、用心棒たちも、大勢死んで、本当にひどい有様だった」


(それで……ですか!)


 ギリアやレンカが激怒していた理由がようやくわかった。

 言っていたことの意味も。


 仲間がやられて、怒っていたのだ。


 仲間を失ったから、その原因と言えるフィンおよびカルナリアに、個人的怨恨をぶつけてきたのだ。


ではありませんか! しかも完全に筋違いの!)


 ギリアとレンカに、カルナリアは内心で罵声を浴びせた。


 あの猫背の男や、凄腕の射手は、その後一度も姿を見なかったところからして、そこで死んだのだろう。

 そういえばレンカが何人かの名前を、失ったものとして口にしていた……。


「その後、死体や、生き残っていた者たちが運び出され……私はとりあえず、お前のその首輪や色々なものは見つけて回収したが、それからどうしたものか、途方に暮れていた」


「………………」


「すると、店の主や、私を紹介してくれた情報屋などが、顔をそろえてやってきてな。

 まず、今回のことのを教えてくれた」


「裏の事情……?」


「猫背のやつやあいつらは、ここタランドン領の、領主である侯爵の、連中だったんだ」


「………………え?」


 いや、あれはガルディス配下の――と言いそうになってぎりぎりで抑える。


「侯爵の三男、ユルリーシュというのは、十二歳ぐらいの女の子にしか興味を持たないやつだそうでな」


「あ、さっき、私が十二歳だと話がつながると言っていたのは……」


「そういうことだ。いつもあのラーバイという所で、その年代の女の子を求めては、それはもうひどいことをしていたそうだ。しかし領主の息子ということでみな文句も言えなかった。

 そいつに、お前といういい感じの新人が入ったという話が伝わり、何としても確保しろと命令した。ちょうどそこに、私を追ってきたあの七人がいた。悪党同士が手を組んで、三男が自分の従者として七人を店に連れてきたらしい」


「…………」


 ギリアやレンカたちはガルディス直属の者で貴族をひどく憎んでいると本人から直接聞かされたカルナリアには、色々おかしいとわかるが、指摘するわけにもいかず、困惑し続けた。


 あるいは、セルイが、自分たちのしたこと全てをその三男に押しつけてごまかすことにしたのだろうか。あの顔がいいだけのネチネチ男ならそのくらいはやりそうだ。


「それで店を散々に荒らされて、彼らは怒って、何かしら仕返ししてやりたいと、私に協力を持ちかけてきた。

 三男が狙う、とても可愛い奴隷であるお前を、目の前でかっさらってやれば痛快だろう、と」


「…………それで、お城へ乗りこんで来られたのですか」


 カルナリアの目はじっとり細くなる。


 フィンは、城のバルコニーに現れた時には、ぼろ布をまとっていなかったという。

 大勢に、その素顔をさらして、立ち回りを演じたと。


 何があったのか。どういうつもりだったのか。


「いや、さすがにいきなりそういうわけにはいかなかった。

 その前に、色々準備をさせられた。

 まず、城の連中の目を引きつけるために、私のこの布を貸し出すことになった。私といえばこの布というのは、手配書に書かれるくらいに知られているからな。

 軽業や剣舞をやっている子供たち、三人が組んで中に入って、私の背丈ぐらいに見せかけてな――」


 カルナリアが耳にした、フィンシャンドレン参上うんぬんの甲高い声とやたら調子のいい口上は、やはり本人ではなかったのだ。


 広場に下りた自分に魔法薬を塗ってくれたのも、その子供たちだろう。謎がひとつ解けた。


「私は、――服や装身具は、ラーバイというところにはいくらでもあって、貸してもらえた」


「…………」


 ぼろ布なしということは、素顔を出して……。

 貴族令嬢のようにということは、化粧をし、髪も整え、華麗な衣装を身につけて?


 カルナリアの目尻が険しくつり上がった。


「……みなさま、を?」


「まあ、ほとんどは、のようになった」


『若魚』四人の、夢見るような瞳。

 きらきらと輝く、フィンを崇拝し、敬愛し――いや、を抱いていることが疑いようのない、熱いまなざし。


 カルナリアの目はさらに剣呑なものになった。


「そういう準備をしている間に、街に、私に向けて、城に出頭しろという布告が出された。

 私に賞金をかけた者は、当然、私がきわめて美しいということも広めているから、その話を聞いたタランドン家の者たちが、私をものにしようと動いたのだろう。実際、どういう罪で呼び出されるのかはまったく触れられていなかった。おおっぴらには言えない理由なのだろうということだ。まあどこにでもいる助平すけべ貴族だな。よくあることだ」


(ジネールも、他の者たちも――三男は除きますが――あの家の者たちは、そういう卑劣な真似をする人たちではないのですが……)


 濡れ衣だが、晴らす方法はカルナリアにはなかった。


「しかしそのおかげで、逆に、そんな風に呼び出されるのはどういうやつだ、見てみたいと、街の人たちが盛り上がってな。城の者たちはその騒ぎの方に気を取られて、私たちは疑われることなく城に入ることができた」


「…………私たち?」


「従者がいないのはおかしいから、私と一緒に、生き残った用心棒たちもついてきた。やり返したい、あいつらは自分たちがる、と」


 そしてフィンいわく、カルナリアがバルコニーに引き出された時には、タランドン侯爵を中心とした貴賓席の、後ろの方にまぎれこんでいたのだという。


 広場の方で、軽業少女たちがぼろ布をかぶって目を引きつけた、その隙にカルナリアを奪って逃げるつもりだったと。


(えっ……じゃ、じゃあ………………素顔をさらして、のですか!?)


 思い出す。

 ジネールの姿を見た途端にカルナリアの目は機能を停止していた。

 あらゆるものが適当に描かれた絵画のようにしか感じられなくなっていた。

 だから――後ろの席にいた女性の顔も「色」も見えなかったのだ……!


(私のバカ! うかつ! おろか! 千載一遇せんざいいちぐうの機会をぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!)


「だが、向こうもやはり並の相手ではなく、こちらの狙いを見抜いたのか、鞭を振るう役目を凄腕にやらせてきた」


 ギリアだ、とあの殺意と共に思い出す。


「魔導師でもある女で、お前をさらっていったやつだ。周囲に仲間も潜ませて、ものすごく警戒していた。だから――すまない、お前を実際に鞭打つ、本当に当てる、その瞬間を狙う以外に、まったく隙がなかった」


「う………………っ………………!」


 あの時の恐怖と、痛みを超えた衝撃を思い出してカルナリアはうめいた。

 もう治っているはずなのに背中に激痛がよみがえる。


 さらには、あの場に連れ出され縛られるまでの、暗澹あんたんとした、自分がカルナリア王女であることを拒否するような精神状態も。


 その最悪の精神状態を、ある意味でよみがえらせてくれたのはギリアだ。

 あの凄絶な殺気だ。


 あれほどに自分たちを憎んでいる魔導師は――それから?


「それで…………その、魔導師のひとは……のですか?」


 フィンの手が、カルナリアの目を覆った。

 あやすように、枕にしているふとももごと、ゆったりと揺すられた。


 同じようなことをファラにやられたことも思い出し、ふわっと体が浮き上がるような心地をおぼえた。

 だがファラよりも、この手の方が、何倍も、何十倍も、はるかに、比べようもなく、気持ちいい。


「それは…………できた隙に、共に来た用心棒たちが――まあ、子供は知らなくていいことだ」


 これまで何度も、死体におびえ、怖がるところを示してきたから、配慮してくれたのだろう、優しい声音でフィンは言った。


「お前にひどいことをした報いは受けさせた、とだけ言っておく。

 あの女は、もう現れることはないよ」




【後書き】

「色々あった」という実に便利な言葉。

全てを語ることはしなかったカルナリア。だからフィンの語ることについても詮索できない。この怪人の語ることはどこまでが真実なのか。うそつき同士の語り合いはいよいよ佳境へ。次回、第96話「がっかり」。

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