085 悲願達成


「さて」


 びくんびくんしているファラを放り捨てて、セルイはあらためてカルナリアに向いた。


「ご挨拶の後は、朝食を共にしつつ、これからのお話をさせていただくつもりだったのですが……部屋がこの有様では、どうしたものですかね」


 話がしたいというのはカルナリアの方も同じだった。


(どうしてわたくしを城へ連れてきたのか、『王のカランティス・ファーラ』はどこにあるのか、それをつきとめなければいけません)


 それを知っているのは間違いなくこのセルイだろう。


 だからこそ、下がりなさい、あなたの顔など見たくありませんと追い払うことができない。


 セルイの方も、カルナリアがそういう心持ちでいることを見抜いているからこそ、朝食を持ち出して、カルナリアの側からどうしたいのか言わせようとしている気配が濃厚だ。


 王宮の大人たちの、お互い笑顔ではあるけれども火花の散るようなやりとりを何度か見たことがあった。


 自分が当事者になってみると――精神がものすごい勢いで削られる。

 めんどくさい、という言葉が頭の中に何度も明滅する。

 こういう世界から逃れたいという気持ちがわかってしまう。


 しかし自分は、めんどくさいで放り出すわけにはいかない。

 沢山の命を、思いを、願いを、決意を、背負っているのだから。


「そうですね……わたくしといたしましては」


「……なんですか?」


 部屋の外から、セルイの部下らしい者が滑りこんできて、カルナリアの言葉はさえぎられた。


 報告を耳打ちされたセルイは、少し思案すると、カルナリアに向かってにっこり笑った。


 仇敵の首魁しゅかいというべき相手ではあるが、非の打ち所のない美男子でもある。

 それはそれで、カルナリアも評価はした。憎い相手だから評価を下げるというのは正しいことではない。


「タランドン侯爵閣下が私をお呼びだそうです。先ほどの轟音と激しい煙について説明しろ、と。いかがです、私と一緒に面会におもむくというのは?」


「!」


 タランドン侯爵に会うのは、カルナリアの逃避行の当面の目的だった。

 そのためにレントはタランドン領を目指して山越えに挑み、カルナリアもフィンを誘導してここまで逃れて来て、ラーバイでも侯爵に会えさえすればという希望にすがり続けてきた。


 会わせてくれるというのなら、否やはない…………が。


「……何を企んでいるのです?」


「企むも何も。はもうほとんど達成できていますので、あなたが同行しようと、拒もうと、どちらでもいいのですよ」


「………………」


 絶対に何か罠がある。

 それはわかるのに、どういうものかがまったくわからない。


 タランドン侯爵ジネールとは顔見知りだ。

 父王と少年時代からの友人でもある人物で、王都に上がってくるたびに食事会や夜会で同席し、自分が幼い頃には膝の上に乗せてもらって、西国の話を色々聞かせてもらったこともある。

 このセルイなどよりもずっと親しい、「じい」だ。


 だからこそ、奴隷を装っていても、顔を見てもらうことさえできれば、自分が第四王女だとすぐわかってくれるはず、と確信していたのだが……。


 今はもう、顔の偽装もないし、首輪もない。

 ならば自分を見間違えることはないはずだし、これまでの価値観通りなら自分を敬ってくれるはず、庇護ひごしてくれるはず。


 問題は――侯爵がそういう人物であるということを、セルイが把握していないはずはない、というところだ。


 セルイは、侯爵のもとに自分を落ちつかせたいのか。

 そうする理由は何か。

王のカランティス・ファーラ』を手にしているのなら、どうしてそんな真似をする必要があるのか。


 全然わからない。

 情報が少なすぎる。

 自分の年齢では理解できていないことも沢山あるだろう。


 かといって、訊ねたところで、まともな答えをよこしてくれるはずもない。

 参謀、謀臣と呼ばれるこの手の人間は、吐き出す言葉にいくらでも虚実を織り交ぜてくるのだから。


「いかがですか?」


「…………面会がかなうのでしたら、同行させていただきたく存じます」


 美男子が、それはもう輝くばかりの笑みを見せた。


「大変名誉なことでございます」


 王妹おうまい呼ばわりしたり「あなた」と呼んできたり、自分をまったく敬っていないことを示した後に、どれほど美しい顔で言われても、なにひとつ心に響くことはない。


 だがこの相手の場合、自分が不快に思うことも計算に組みこんでいるだろうという恐ろしさがある。


「では――いえ、ではギリアが何をするかわかりませんね。、あなたのマントを貸してあげてください」


「………………」


 カルナリアの「常識」からすれば、これほどの立場の者が、壁際に控えているような『小者』の名前を知っていることなどありえない。


 しかしセルイはそれを当たり前のように口にした。


 言われたレンカも、進み出てきて、まとっていた認識阻害の布を脱いで、差し出してきた。

 マントを脱いであらわれた衣服は、動きやすいもので、あの猫背の男と同じようにあちこちに魔法具を忍ばせていた。剣は両方の腰の左右に携えている。聞かされた話の通り、男か女か、どちらともつかない体つき。


「着ろ」


 フィンのあれこれを思い出しても、自分の命綱であろうマントを、殺したい相手に使わせるために差し出す。

 その屈辱すら抑えさせるほどに、このセルイ、ひいてはガルディスがこの者たちの心をつかんでいるということだった。


 何かの勝負において負けた気がする中で、カルナリアは渡された魔法のマントを身にまとった。





 部屋を出ると、他の部屋の扉がいくつか並ぶ通路を経て、屋外に出た。

 自分がいたのは、タランドン城の中ではあるが、中央城館ではなく、離れのひとつだったようだ。


 タランドン侯爵としては、国王弑逆しいぎゃくの大罪を犯した者の使者を、賓客ひんきゃくとして扱うつもりはないということのようだ。


 さらには、他の貴族と接触するような勝手な動きをさせないために、人の出入りを監視できる離れに押しこんで隔離しているのだろう。


 少し雲が多いがおおむね晴れで、城館の向こう側にある朝日に照らされて、あらゆる建物の輪郭が輝いている。


 城館へ向かう道の到る所に、仰々しい甲冑をきらめかせる屈強な騎士が立っていて、美しい庭園の風景を台無しにしていた。


 騎士には二種類いて、片方はセルイの部下たちだろう、離れを守るかたちで身構え、もう片方は紋章を身につけたタランドンの騎士、今にも離れに攻めこまんばかりの態勢。


 セルイの部下たちは固まってついてこようとしたが、セルイは止めて、自分たち数人だけで行くと告げた。


 侯爵の使いであろう、城のお仕着せをまとった侍従らしき男性が先導して、庭園を横切る、屋根をかけた渡り廊下を歩いてゆく。


 カルナリアは、認識阻害の魔法がかかったフードつきマントに身を包んで、セルイに続いて歩いてゆく。


(やはり、ついてくるのですね……)


 すぐ後ろにファラともう一人の男性魔導師、さらにその後ろにギリアが付き従ってきた。

 有能な魔導師を身辺に置くことには何の不思議もないのだが、先ほどの強烈すぎる経験があるだけに、いつ背後から襲われてもおかしくないと、カルナリアの警戒心はどうしてもそちらに向いてしまう。


 このマントには認識阻害だけなく攻撃魔法を防ぐ効果もあることを先ほど目の前で見ている。ゆえに万が一の時の守りと思い、頼りにすら感じた。


 ……だから、到る所に立っている城の者や騎士たちが、セルイ一行を不快そうににらんでいることには気づいたが、自分を認識してということに気づけなかった。


 これまで通りの価値観の中にいる彼らには、第四王女の存在はきわめて重要なことだというのに。


 ――庭園から、巨大な城館へ入った。


 前に訪れたことがある建物で、あちこちの西方風装飾には見覚えがあり、カルナリアの警戒心はがれた。


「ところで、あなたの護衛についておられた方について、おうかがいしたいのですが」


 幅は広いが人払いがされているようでまったく無人の廊下を歩きながら、セルイが言ってきた。


「……何を聞きたいのですか」


「『剣聖』どのの話は我々も耳にしてはおりましたが、この国に入っていたとは知りませんでした。どのようにして伝手を作り、護衛として雇うことができたのですか?」


「伝手など……何もありませんよ」


 あの怪人と同行することになったのは、本当に、完全に、ただの偶然。


 自分の護衛ではない。

 自分の方が、彼女の奴隷。

 自分は彼女に所有されている。


 …………それが真実なのだが……。


「なるほど。まあいいでしょう。あなた自身が知らなくても何の不思議もありませんからね」


 案の定、信じてもらえなかった。


 逆の立場で自分が聞いても信じられないだろうから仕方ない。


「ですが、あなたは『剣聖』どのと連絡を取る方法をご存知だ。そうではありませんか?」


「窓から顔を出して、大声で叫ぶとか……街の中を目立つように歩き回っていれば、向こうが見つけてくれるかもしれません」


 愉快そうに笑われた。


 冗談でも何でもなく、今のカルナリアに思いつく手段はそれくらいしかなかったのだが、これも理解されなかった。


「私は、『剣聖』どのとぜひお会いしたいのです」


「……会って、どうするつもりですか」


「あなたが無事タランドン城に入り、侯爵閣下と面会することにより、あなたの逃亡は終了し、彼女の護衛任務は達成されたと言っていいでしょう」


 自分たちの全面的敗北のはずなのに、どこまでも朗らかに、優雅にセルイは言った。


 その笑みに、意地悪いものがあらわれた。


「しかし、流浪の剣士の方にどのような報酬を約束したにせよ、にそれを支払う力はないはずです」


「…………」


「つまりは侯爵閣下か誰かに頼るしかない。それならば私が引き受けて、その上であらためて『剣聖』どのと契約を結びたいのですよ」


「それは……………………」


「そうでしょうか? あなたに一切危害を加えず、我々に何の利益もないのにこの城へ連れてきたのは、いわば誠意を見せるためなのです。当面の任務が完了した剣士に、新たな仕事の依頼をすることは、無茶な話ではないと思いますが」


 セルイは重要な情報を与えてくれたが――カルナリアが考えたのは、彼が推測しただろうこととはまったく違っていた。


(あのひとは、わたくしの護衛ではないのですから、報酬も何も…………それに、戦に巻きこまれるのをめんどくさいと散々言っていたのですから、どんな報酬を提示されたところで、仕事を引き受けるどころか逃げ出すと思うのですけど…………あのひとにめんどくさい仕事を頼もうとは、なんて無茶な……)


「無茶な」とはそういう意味であった。


(そもそも、あのひとは、わたくしのことを自分の所有物だと思っていますから――それで、取り戻しに、ラーバイのあの店までは来てくれましたが…………このお城に入りこむのはさすがに無理でしょうから、あきらめて、去ってしまうのでは?)


 そちらの想像に気持ちが沈んだ。




「こちらでお待ちを」


 控え室で留められ、少しして、入室の許可が出た。


 正式の謁見室ではなく、無数にある小部屋のひとつ。

 小部屋といっても十数人が余裕で入れる広さはあるが。


 扉をくぐる際にかすかな魔力を感じた。

 セルイの背後の魔導師たちが小さくうめき、あるいは一瞬足を止める。

 魔法関係の、防御や検査や色々なものが張り巡らされていたのだろう。


 部屋の中央に、背もたれの高い椅子にかけて、壮年の男性が待ち受けていた。


 たくましい体格。

 白いひげをたくわえた雄偉な風貌。

 あふれるほどの武人の才。


 背後に控える騎士や魔導師も、才能あふれるものばかり。


 ここタランドン城の主。

 カルナリアが駆け抜けてきた広大な領を統べる者。

 この国の西方国境を支え続けてきた一族の後継者。


 タランドン侯爵。

 ジネール・フォウサル・ファス・タランドン。


(ああ、ジネールです……追われ、逃げまどう日々も、これで終わりなのですね……!)


 カルナリアは深く安堵した。

 侯爵の目の前で、自分が殺されるような目に遭うことはないだろう。

 ここは、安全だ。

 安全だ。


 侯爵は、いかにも不機嫌そうに片肘をつきじろりとセルイを見た。


「おはようございます、侯爵閣下。早速ですが、先ほどの激しい爆発について説明をさせていただきたく存じます……が、その前に」


「何だ」


 腹に響く声音。殺意とは違うが身がすくむ。

 自分が知っている「じい」は、もっと明るい、豪快な雰囲気の人物だった。

 王宮でカルナリア王女と会う時には決して使わなかった声、見せなかった顔だろう。


「お人払いをお願いいたしたく。無論、こちらも後ろの者はすべて引かせます」


「またか」


「きわめて重要なお話ゆえ」


「貴様と顔つきあわせるのはもううんざりだ。どちらも二人のみを残す。それでいいな」


「はい」


 侯爵は、筆頭騎士だろう壮漢ときわめて魔力に秀でた魔導師を残し、他の者には退室するよう命じた。


 セルイは、ファラと、カルナリアを残した。


「…………なんだ、そやつは」


 侯爵は、騎士ではない者がこの場に残ったことにいぶかしげ。


 認識阻害の魔法は、何らかの仕掛けもしくは魔導師の事前準備により、通用しないのだろう。そのことには何の不思議もなかった。


「心の準備をお願いいたします。昨日お話いたしました、にございます」


「なにっ!? 何だと………………!?」


「……久方ぶりですね……」


 カルナリアは自分からフードを外した。


 タランドン侯爵ジネールが、カルナリアを見た。


 表情が、わずかの間に、めまぐるしく変わった。


 最初は目をまんまるにした。


 次いで、いぶかしむように眉を寄せた。


 王宮での姿とはまるで違う装いを、顔つきを、食い入るように見られた。


 それからとうとう、完全に、納得した。


「カルナリア様!」


 侯爵は雷鳴のように叫び、椅子から飛び出した。


 床にゴツッと激しい音を立てて膝をつき、右手を左肩に当てる貴族の礼をとる。


「控えよ! 第四王女殿下、カルナリア様にあらせられるぞ!」


 叱咤は、背後の部下たちへのもの。

 騎士も魔導師も即座に侯爵にならった。


 カルナリアの胸に熱いものが湧いてきた。

 熱く、切なく、悲しいもの――これまで直視しないようにしてきたものが、あふれ出てきた。


「……父たる国王陛下を失い、母とも、兄、姉たちとも生き別れとなり、頼りになる者たちも全て失い、この身ひとつで、どうにかここまで逃げのびて参りました。今やこの通りの、何も持たぬ哀れな娘にございます。どうか侯爵閣下のお慈悲をもって、わたくしをお守りくださいますようお願いいたします」


 言葉を紡ぐうちに、失ったものの多さ、大切さ、今の自分のみじめさ、安堵感などが胸にこみ上げてきて、目頭が熱くなり、大粒のしずくが頬を伝い落ちた。


「お顔をお上げください! 前のように、ジネールと、じいとお呼び下さい、王女殿下、いえ姫様!」


 侯爵の目も感涙に深く潤んだ。


「ジ……ジネール…………じい……!」


 名を呼ぶと、もうそこからはカルナリアは嗚咽おえつすることしかできなくなって。


 大柄な侯爵が床を進んでくると、カルナリアの小さな手を包みこんでくれた。


「もう大丈夫です、この城に参られたからには、もう大丈夫ですぞ!」


 真摯しんしで温かい声音は、王宮で幼いカルナリアをあやしてくれたじいの、そのままで。


 カルナリアはもう感情を抑えることができずに号泣しはじめ、侯爵もまたむせび泣きに溺れた。


 背後の筆頭騎士も涙ぐんでいた。



 自分の背後で、セルイが、神妙にしつつも抑えきれない歓喜に口元を歪めていたことには、カルナリアはまったく気づくことができなかった。



 ――感情の噴出が一段落したと見たタイミングで、優男が言ってきた。


「先ほどの激しい爆発と煙は、王女殿下を奪わんとする者、『剣聖』を名乗る、フィン・シャンドレンなる者のしわざであります」





【後書き】

ついに救われた。目的地に着いた。頼れる相手の元に逃げこめた。逃亡の日々はこれで終わり……………………か? セルイの笑みはどういうことか。次回、第86話「転落」。

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