084 ふところがたな
カルナリアの耳を轟音が叩き、肌を熱波が襲い、上下がわからなくなった。
急斜面を転がり落ちた時のことがよみがえる。
あの時は、
「あ…………」
カルナリアは、床の上で横になり丸くなっている自分を見出した。
自分と危険すぎる相手の間に、魔法の布につつまれた姿があった。
(ご主人さまっ!)
一瞬、全身が歓喜に燃えあがった――が、違う。
レンカだった。
彼、いや彼女、どちらで呼んでも正しく、同時に間違っている存在が、小さな体でかばってくれていた。
魔法の布が、くすぶり、煙を上げている。
「ギリア! ばか! やめろ! こいつを殺すのはここじゃない! そのくらいわかれよ!」
マントの中から怒鳴る声。
突然、熱気が急速に流れ出ていった。
きわめて強力な風の魔法。
熱気に換わって、音を立てて外の風が吹きこんできた。
カルナリアはおそるおそる、頭を守っていた腕を解く。
くすぶるマントの中から顔を出したレンカ。
その向こうに――。
「うぐぐ、ぐぐ、ぐ、ぐ、ぐぎぃ……!」
ギリアが、まだカルナリアをにらんで牙を剥いていた。
血走った目をした彼女の右腕を、ファラがかかえこんでいた。
笑みのない、真剣な顔。
「はい、おしまい。今はここまで。これ以上やると、せっかく確保した王女が役に立つ前に死んじゃうし、くっつけたこの右手、落ちつく前に、腐っちゃうよ?」
「ぐぅっ…………! ううぅっ…………殺させろ……私の手で、あいつを、殺す…………殺させろぉ……!」
カルナリアは逃避ぎみに理解した。
ギリアの右腕は、一度切断されたものを、魔法で無理矢理接続したものなのだ。
それも、昔の話ではなく、つい最近。
だから体内の魔力の流れが奇妙だった。
いずれは普通の傷が治るのと同じように「本当に」くっつくはず。
しかしそれまでは、骨が折れた時と同じかそれ以上にがっちり固定しておかなければならないはず――だが、強引に魔力を通し、肉体操作の要領でつなぎ続けることで、かろうじて元の腕と同じように動かすことができている状態のようだ。
無理をすれば、ファラの言う通りに、腐るか、外れるかしてしまうのだろう。
それよりとにかく、この危険すぎる相手から少しでも離れる必要があった。
しかし――周囲に目をやり、総毛立った。
盾にできそうな寝台は、いくつかの破片と燃えかすを残して、消滅している。
着替えが置いてあった台もすでに存在していない。
どれほどの魔力が炸裂したというのか。
ファラが防いだのだろう、部屋の壁や天井は何ともないのに、動かせるものがすべて消え失せていて、カルナリアが使えそうなものは何もなかった。
そして自分を守ってくれたレンカは――ギリアと同じくらい、自分を殺したがっている相手だ。
……それでも。
「ま…………守ってくださって……ありがとうございます……」
言っておかなければならないことだった。
フィンとの初対面の時、薬を塗られたことに礼を言ったのと同じで、されて当然守られて当然という態度でいることは、自分の誇りにかけて、してはならなかった。
言われたレンカは、眉間に深いしわを寄せた。
喜んだわけではないが、怒りとも違う。
困惑したようだ。
「……お前、全然貴族らしくないな」
「よく言われます」
そう言ってきた王宮の人々は、ほとんどが既にこの世にはいないだろうが……。
お礼をしてから後ずさるカルナリアに、レンカはほとんど同じ距離を保って追随してきた。
ギリアから自分を守り続けてくれるようだ。
「……勘違いするな。お前を守ってるんじゃない。オレたちの心を守ってるんだ」
「心?」
「お前に簡単に死なれたら、お前のせいで死んだ仲間の仇が討てないし、ワタシの憎しみをぶつける先もなくなってしまう」
「…………」
自分のせいでと言われても、カルナリアには相変わらずまったく思い当たるふしがない。
「ね、ギリアちゃん、私が防いでなかったら、王女は粉々、レンカちゃんも消し炭、部屋も建物もぶっ壊れて侯爵大激怒、いいこと何にもなくって、ガルディス様に迷惑かけるだけだったんだよ? そこわかって。殺すなと言ってるんじゃないんだから。ここで殺すなっていうだけなんだから。後で好きなだけ殺させてあげるから。ごめんなんて言わなくていいから、とにかく今は、落ちついて」
ファラの説得が――カルナリアにとってはろくでもない内容だが――徐々に届いてきたか、ギリアは目から大粒の涙を流しながらも、魔力を抑え、体の力もゆるめていった。
「もう…………大丈夫…………でも、そいつを、私の視界に入れないようにして……次、笑われたら、今度こそ自分を抑えられないから…………」
「うん、わかった。じゃ、外に出て、うちの鬼上司呼んできて。王女の支度ができたっすって伝えて、ついでに今のでここの連中が超警戒してるだろうから守りの確認と補強、そして鬼上司たちの護衛頼むよ。リトナー君ひとりで頑張ってるだろうから」
「わかった」
ギリアは宣言通り、カルナリアに背を向け
自分が鏡を見て微笑んだせいで、ここまでのことが起きたのかと、あらためてカルナリアは戦慄する。
それほどに憎まれる、何を自分がしたというのか。
「………………あー怖かった」
扉が閉まると、ファラが肩を落とした。
「いやー、魔法ならともかく、体術使われてたら私じゃどうにもならなかったよ。私、魔法は天才で体と性格は最高だけど『数付き』との直接戦闘はさすがにねえ。魔導師なのにあんなに動けるギリアちゃんがおかしいんだけど」
言いながらカルナリアに近づいてくる。
「こ、今度は何をするつもりですか?」
「いやあ、時間切れ。いたずらしてる時間、なくなっちゃった。ほら立って。ちゃんとさせとかないと、私が鬼上司に絞められるっす。本当の意味で。首を。きゅっと」
ファラは実際、おかしな真似はせず、おびえるカルナリアを立たせると服の乱れを直し、髪ももう一度
安堵する。
「…………と見せかけて!」
背後から、胸を掴まれた。
「ひゃあっ!?」
服の上から、指先が布地に埋まった。
一発でふくらみの先端をとらえられる。
「ん~~、いいねえ、これだねえ、この反応と悲鳴と指の感触! んふふ、こりこりこり~~、ここだね、ここがいいんだね!」
「ひっ、ひゃっ、やっ、やめっ、やめなさいっ! やめて!」
強い刺激、とてつもないくすぐったさ、耐えがたい感覚。
しかし指は離れてくれず、暴れても逃れることもできず。
頭を振り回したが頭突きにもならず、豊かなものにぽよぽよと受け止められるだけ。
もがいているのに、指は的確に先端をとらえ、刺激し続けて。
その動きは実に巧みで。
頭がおかしくなりそうなくすぐったさの奥から、変な感覚が芽生え始めた。
「ひぃぃっ! 助けてぇっ!」
殺意を向けられた時は耐えたのに、これには誇りも何もかも放り捨て、救いを求めてしまう。
自分の尊厳がかかっていた。
「あー、そいつを近づけた時点で、お前の負け。オレは近づかないことに決めている。そいつの首をはねるなら喜んでやるけど、今はそういう命令は出ていない。それにそいつを斬ったら、ワタシの剣がいやなものに汚染される気がする」
「むっふっふー、わかってるねえレンカちゃん。本当にいじってみたいのは君のビンカンなとこなのさ! でも許してくれないから、代わりに王女さまのかわいいつぼみをこうしてこうしてこんな風に!」
自分を心底から怨み死んでほしいと思っている相手の前で、ついにカルナリアは屈服した声を漏らしてしまいそうになり――。
「はい、おーしまいっ!」
突然解放された。
「え…………?」
わけがわからないまま、今度こそ服と髪を整え、ひととおり確認してからファラは離れていった。
服の中で強くじんじんするものを忌まわしく感じつつ、カルナリアは立ちつくす。
「うんうん、いい顔色になった! さっきまでは人形みたいだったからね。偉い人に会うのにそれじゃまずいっしょ」
確かに、殺気を向けられ実際に殺されかけていたカルナリアは、血の気が引き手足も冷え切っていた。
それが今では全身燃えるようになり、肌は血色を取り戻している…………が!
「ほっ、他にっ、やりようはなかったのですか!」
「あってもやらない。楽しい方がいいもーん♪」
「……こいつが来た時、みんながげんなりしていた理由がよくわかった」
ぼそっとつぶやいたレンカに、心から同意できた。
殺されかけていたのに、今なら友人になれる気すらした。
共通の敵を持つというのは人と人とを強くつなげるものなのである。
「さて………………はい全員控えおろう! 鬼上司のお出ましなるぞ!」
ファラが言うなり、扉がノックされた。
「どうぞ」
答えるとファラは扉の脇に移動し、かしこまる。
その動作は意外に優雅だった。
レンカも、腰を落としスルスルと壁際に下がってゆく。
貴人を迎える時の態度だ。
扉が開いた。
美しい青年が立っていた。
「………………」
カルナリアはもちろん、その相手を知っていた。
言葉を交わしたこともあった。
セルイ・ファスタル・ラダーローン。
ガルディスの
ガルディスのところで見かけたファラがここにいる時点で、彼がいることにそれほどの驚きはなかった。
「色」はすばらしいの一言。一国の宰相の器。歴史に名を残し得る人物。――今後の状況次第ではただの反逆者で終わるかもしれないが。
セルイの背後には、護衛だろう体格のいい男性と、魔導師の男性が従っている。これもきわめて優秀な者たちだ。
部屋の外にはギリアの姿がちらりと見えた。入ってくることなく警護の任務につくようだ。
「お久しぶりです、カルナリア様」
完璧な貴族の礼を、青年はしてみせた。
「久しぶりですね、ラダーローン卿」
カルナリアも王族としての返礼をした。
礼儀は保ったが、鋭く相手をにらみつける。
このセルイは、ガルディスが反乱計画を立てるに際して、かなり大きな役割を果たしたはず。
すなわち、カルナリアにとっての敵そのもの。
父王の仇、母や他の兄姉たちの仇、騎士たちの、レントの、エリーレアの、命を落とした人々全員の仇敵と言っていい。
「顔色はとても良いですね。助け出した時には血まみれだったと聞いていましたが、大事には到らなかったようでなによりです」
「ここはタランドン城だと聞きました。そこにあなたが、なぜ?」
「今回のガルディス陛下の義挙に際して、タランドン領の動静はきわめて重要……ならば、侯爵閣下との交渉のために私が派遣されることに、何の不思議もありますまい」
若者は片膝をついていたところから、勝手に立ち上がった。
「…………!」
許可を出していないのに、と一瞬カルナリアは驚き、腹立ちをおぼえる。
しかし相手はそれどころか、近づいて、カルナリアを見下ろしてきた。
カルナリアを王女として扱うつもりはない――少なくともこれまでのような、王族相手の態度を取るつもりはないという意思表示だった。
「それにしても王妹殿下、よくぞここまでご無事で。他の王族たちは、ことごとく討たれるか捕らえられるかしたというのに、最も幼いあなたがここまで逃れてきたというのは、実に驚くべきことです」
「!」
父王の死を聞いた時の衝撃がよみがえり、かっとなった。
自分を
「あなた」呼ばわりも腹が立った。
「………………!」
今のカルナリアは完全な徒手空拳。
あのローツ村では心のよすがとなった『
この小さな体ひとつきり。
しかし、だからこそ、弱々しいところを見せてはならなかった。
油断すれば喉に食いついて反乱の罪をつぐなわせてやる。その気概を腹にこめてセルイをにらむ。
「……」
セルイは、火を噴くようなカルナリアの凝視を、たやすく受け止め笑みを深めた。
国王を討ち国を丸ごとひっくり返そうと企てた人物である。
何の力もない小娘に睨まれた程度で動揺するはずもなかった。
「ファラ。上出来です。きちんとできましたね」
カルナリアを完全に無視して横を向く。
これも無礼そのもの、かつ挑発だ。カルナリアが激発すれば、無力な小娘の吠え声をこの場の全員で
「は、はいっ! がんばったっす!」
「ですが、この部屋はどうしたことですか? どうして、こんなに空っぽなのですか?」
「はいっ、それはっ、ギリアちゃんが、いえ『5』と呼ばれている魔導師が、にっくき王女を前にしてつい暴走したせいっす! 私はそれを止めました! この通り部屋自体には傷をつけず人も無事に保ち、家具だけはどうしようもなかったので外へ放り出したっす!」
ファラは、それまでのめちゃくちゃな人物とは別人のように、直立不動で、汗をだらだら流している。
「なるほど。それはよくやりました。ですが私は伝えておいたはずですよ。王妹殿下と共に朝食をとりたいと。この部屋で、どうしろというのですか?」
「それはっ! 今から! 私が! 全力で! 『復元』か『取り寄せ』でっ!」
「今の、この城内で、そんな上級魔法を使って、あなたが魔力を枯渇させてどうするのですか。状況を考えなさいといつも言っているでしょう?」
「ひゃいっ!」
「…………なるほど」
カルナリアは、横から口を突っこんだ。
「ファラ、あなたが何度も言っていた、鬼上司、という意味がわかりました。普段からそんな風にネチネチと意地悪く脅してくるのですね。あなたの苦労に同情します」
「わあっ! なし! それなし! ひどいっ!」
「ほう。無視されたことへの意趣返しですか。私に罵声を浴びせるわけではないけれども、間接的に私への嫌味をたっぷり含ませていますね。いいでしょう、乗ってあげましょう。ファラ、後でじっくりお話を聞かせていただきますよ」
「うっきゃあああああっ! いやああっ、ネチネチ長時間言葉なぶりはいやああっ! いっそのこと体を求めてくれるなら喜んで応じるのに! 自分の価値もおっぱいも一切認めてもらえないまま精神ばかり削られるくらいなら剣聖さんに素手で立ち向かう方がましぃぃっ!」
「あらゆる意味で、聞き捨てならないことばかりですね」
セルイの手がファラの顔に伸びた。
メガネごと顔面を鷲づかみにし――魔力による筋力強化の気配なしに、素のままで、めりっと音をさせて指を食いこませた。優男の見かけによらず力はかなり強いようだ。
「グエーッ」
断末魔の悲鳴はあまりにも醜く、聞くに
(剣聖さんって、あのひとのことでしょうか?)
カルナリアは聞き逃さなかったが、訊ねることもできかねた。
【後書き】
現れた敵の首魁。ガルディスに一矢報いるためには、この相手をまずどうにかしなければならないが、徒手空拳の小娘はどう立ち向かう。そしてファラお前は少し黙れ。次回、第85話「悲願達成」。
セルイは、最初期プロットから設定していたボスキャラ。ようやく登場。腹黒王子様。作中何人も登場する男性キャラの中では彼が一番の美形です。
最初は『1』の上司として、フィンがカルナリアをかっさらって逃げた直後に報告を受けて追撃を指令していました。その隣に四天王みたいにファラや『6』、『2』などが並んでいるというベタベタな場面でした。
レンカの一人称、英語なら全部「I」でしょう。本人は、男のオレという言い方をしたらその次には女のワタシと交互に言う習慣になっています。また今は本人にまったくその気がありませんが、訓練は受けていますので、やろうと思えば礼儀正しく振る舞うこともできます。
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