081 とらわれの王女

※カルナリア視点に戻ります。





「………………?」


 カルナリアは目覚めた。


 やわらかなマットレス。上質のシーツ。かけ布。いい香りと淡い光。


 朝だ。

 貴族にふさわしい寝室にいる。

 だが見覚えはない。


「!」


 即座に、自分の体を確かめた。


 最後の記憶。

 危険すぎる瞳に吸いこまれ、美しすぎる手に触れられ、言語に絶する感覚をおぼえ、とてつもない熱波に襲われ――恐らくそのまま気絶してしまった。


(………………………………です…………!)


 父王にも母妃たちにも顔向けできなくなるようなことはされていない……はず。


 まだ妖しい感覚の余韻は濃厚に残っているが、ひとまず安堵する。

 あの桃色のもやもない。


 夜着をきちんと身につけていた。

『学校』の、「稚魚」たちのものではない、上等な布地。

 誰かが着せてくれたのだろうが――。


 ……首輪は、なかった。


(どこ!?)


 外されたままだとすれば、あの小箱の中に、他のものと一緒に。

 小箱はどこに。

 カルナリアは『王のカランティス・ファーラ』の魔力を探して目をこらした。


 ここは、あの「特別室」ではない。

 窓がある。開いている。風が薄いカーテンを揺らしつつ入りこんでくる。差しこむ陽光の角度は浅い。朝の、日の出少し後。


 ――水の音がしない。

 ということは、ラーバイではない?


「……起きたか」


「ひゃ!?」


 ぶっきらぼうな声がした。


 女性の声ではあるが――カルナリアが切望する、あのな響きではなかった。


『夜の姫』だったら最悪だが、それでもなかった。


 フードをかぶりマントを身につけた女性が、壁に寄りかかって腕組みしている。

 最初からそこにいて、気配を殺していたようだ。


 これまで見てきたラーバイの女性たちとはまったく違う。


(魔導師!)


 魔力が体内で動いていることから、カルナリアはすぐに察した。

 ラーバイで雇われている者だろうか。


 その女性からは、親愛の情は一切感じない。

 いや、もっと危険な――。


「!」


 カルナリアの血の気が引いた。

 この感覚は知っていた。


 


 そして――フードの下から、相手の目が見えた。

 それによってカルナリアには見えた。


 彼女の「色」。


 とてつもなく悪い色。

 どんな残忍なこともできるし、やってきただろう者の色。


 ここまで何度も、何度も、目にしてきた――あの色……。


 


「ヒッ!」


 カルナリアは総毛立ち、激しく周囲を見回した。

 逃げ道、助け、救い、援助、護衛、守り、何か、誰か……!


「…………!」


 寝台のかたわらに、がいた。


 布にくるまった、きわめて背の低い、あるいは小柄な……。


「……え!?」


 見えているのに、そこにいると認識できない。

 しかしカルナリアには存在がわかる。

 それはつまり……!


 認識阻害の布!


(も、もしかして!?)


 一瞬、あの怪人が、何度か見たべたりと広がった状態――へたばるか、寝転がるかしているところを期待してしまった。


 だが――凝視したが、違う。

 ぼろぼろの布ではない。ちゃんとしたマントだ。


「…………なにっ!?」


 魔導師の女が反応した。


「お前…………見えるのか。なるほど。やはり王女となるとなのだな」


「あ……!」


 うかつだった。

 あの食堂ではうまくやれたのに。


「自分が気づいていることを、相手に気づかせない」というフィンの教えを、守れなかった。


 これで、相手が油断してくれることはなくなってしまった……!


 寝台脇の布が、見抜かれたとわかったためか、するすると動き出した。


 少し離れてから、上に伸びる。


 立ち上がったようだ。


 それでもあまり大きくない。

 中にいるのは、小柄な人物のようだ。


(………………!)


 カルナリアの恐怖はさらに強まった。


 あの七人の中の、小柄な存在を、自分は知っている。


 声を知っている。目を知っている。剣技を、強さを、血の臭いを、よく知っている。


「……それが、か。第四王女カルナリア」


 カルナリアは完全に凍りついた。


 その声は、間違いなく、あの子供のものだった。


「今度は逃がさない。


 フードを少しだけ上げた。

 こちらも、目が見えた。

 殺意にぎらついていた。


「悪い色」どころではない、目に見えるほど濃厚な殺気。


 飛んできて貴族の首を飛ばした時と同じように、その気になれば、次の瞬間にはたやすくカルナリアの首をはねるのは間違いない。

 いや、一瞬で首を飛ばしてくれるならむしろ優しい。死ぬに死ねないように、体中を切り刻んでゆくのではないだろうか。

 それを平気でやる相手が、今の今まで、自分のかたわらにいた。


「ひ、ひ、ひぃっ……!」


 尻で後ずさり――この子供ほど危険ではなさそうな、女魔導師の方を見る。


「直接会うのは初めてね、王女様」


 女魔導師は少しだけ語調を緩めて、フードを外した。


 豊かな髪が波打ってあふれ出た。


 美女だ。


 南方の血が入っているのか、南方人そのものか、色の濃い肌。

 獰猛どうもうな目。

 牙が生えていそうな猛々しい口元。

 きわめて野生的で、それでいて魅力にあふれていて。


 しかし――とてつもない殺意に満ちていた。


 子供の方がまだましなほどの凄まじい憎悪が、美女の全身から立ちのぼっている。


 救いになるどころか、こちらの方が危険な相手だと本能でわかってしまう。


(どうして!?)


 この者たちはガルディスの配下の者で、貴族を倒すという使命感を抱いているのだろうことは疑いない。

 これまで沢山人を殺してきて、殺すことに何のためらいも持っていないことも間違いない。


 だが、それにしても、今向けられている殺意は尋常ではなかった。


 職業的なものではなく、まるでカルナリア自身がこの二人にとっての仇敵きゅうてきであるかのような――怨念を感じる。


「…………王女が起きた。そう伝えて」


 女魔導師は、カルナリアへの憎しみの視線を外さないまま、手で壁を叩いて、そう言った。


 壁だと思っていたところは、大きな扉だった。

 扉の向こうに誰かがいたようだ。


「どっ、どこですかっ、ここはっ、あなたたちはっ!?」


「……ここは、城よ。


 女魔導師は冷ややかに言った。


「私たちは、ガルディスめいで動く者。任務は、第四王女カルナリアの捕縛、もしくは殺害と、国宝『王のカランティス・ファーラ』の


「っ!」


 やはり。

 これまでは推測だけだったが、はっきりした。

 ガルディスが派遣してきた、追跡者。


「今のお前は、我々の捕虜」


「…………!」


 冷厳な事実に、カルナリアは真っ白になった。


 終わったのか。


 ラーバイの、あの部屋で気絶してしまった後、フィンが来てくれたはずだが――この者たちにやられてしまったのか。


 そして自分は捕縛され城へ――このあと見せしめに処刑されるのかもしれない、ドルーの街で見たように……。


王のカランティス・ファーラ』も、今頃ガルディスの元へ『流星』で運ばれて…………もう、取り戻す方法はない……。


(何もかも…………おしまい…………なのですか……)


 ――王女とはいえ、普通の子供だったなら絶望しただろう。


(…………いいえっ!)


 しかしカルナリアは、普通ではなかった。


 王女のままでは絶対に得ることのなかった経験も、たっぷり積み重ねていた。


(悪い人たちは、暴力をちらつかせて、想像させて怖がらせ、相手を言いなりにしようとする……でしたね、レント?)


 わずかの間とはいえ、様々なことを教わった。

 それが今、カルナリアが絶望に落ちきらない命綱となっている。


(想像で怖がってはいけません……今、わたくしは無事なのです……何もされていません!)


 そう、そこが一筋の道。


(この二人はわたくしを殺したいようですが、そうしていないどころか、こうして服を着せて、ちゃんとした部屋に寝かせて、目覚めるまで待ってくれていたのですから…………殴りつけたり牢屋に入れたりとたっぷりいたぶった上で平民たちの前で処刑するのではなく――何か、わたくし、王族としてのわたくしを利用したいことがあるのではないでしょうか?)


 考える。

 考える。


(『王のカランティス・ファーラ』だって、今は見当たりませんが、持ち去られてしまったと決まったわけではありません!)


 見ているもの、聞いたこと――確かなことと想像しただけのことを分けて、考える。


(そうです…………ガルディスの部下なら、タランドン城に入るはずです! わたくしを殺すつもりがないにしても、『王のカランティス・ファーラ』ともども、『流星』で王都へ運んでいけばいいのに……どうして、ガルディスの味方についたというわけでもないお城に、わたくしを運んできたのでしょう?)


 そこに道が、希望がありそうだ。


 カルナリアは、自分を守るために命を落としてきた者たちを思いつつ、自分にできる唯一のことである思索を、ひたすらに続ける。


 ――考えることとは別に、何としても確認しておかなければならないことがある。


「やあああああああっ! 助けてくださいっ、ご主人さまっ!」


 いきなり、できる限りの大声で、叫んだ。


 次の瞬間、あの大きなぼろぼろが傍らに現れてくれるのではないかと夢想しつつ。


「うるせえっ!」


 子供が飛びかかってきた。


 一瞬で押し倒され、ひっくり返され、どこをどうされたのか激痛がはしって、声を出すどころではなくなった。


「ぐえっ!」


「ご主人さまぁ!? お前、王女だろ。いちばん偉い貴族さまだろ!? それが何言ってんだ? 奴隷の真似してんじゃねえ! ざけんな!」


 女魔導師も、近寄ってきて、苦悶するカルナリアをのぞきこんできた。


「……つくづく、貴族ってやつは……望めば助けてもらえると思ってる甘ったれね。ここから声が届くとでも? それとも何らかの、を呼ぶ方法があるのかしら? 素直に言った方が、つらい目にあわなくてすむわよ」


 あいつというのが誰のことか、すぐにわかった。


 つまり――フィンは、殺されていない!


 自分を殺したがっている相手に押さえつけられ身動きできない、絶体絶命の状況だが、カルナリアの胸に強い希望が湧いた。


「……わかりやすいわね。目が生き返ったわ」


?」


 背後の子供の、シンプルな一言は――カルナリアのどこかの骨を折り、その苦痛で心を折るという、ふたつの意味をこめていた。


 それがわかってしまったカルナリアは、次の瞬間襲うであろう激烈な苦痛にそなえて歯を食いしばる。


(あのひとが無事だというのなら、わたくしは、耐えてみせます!)


「そうねえ……王女という生き物が、一枚ずつ爪をはがされ、指を折られていって、どこまで耐えられるものか、見てみたくもあるけれど……」


 女魔導師は蒼白になりながらも覚悟を決めたカルナリアを、いたぶる目つきで見下ろした。


「……ねえ王女さま、知ってる? 私も、この子も、あんたたちお貴族様に、爪をはがされるどころじゃないこと、やられてるのよ」


「…………」


 女魔導師が、マントの前を開いた。


 すばらしく豊かな体。

 褐色の肌を大胆に露出させている、卑猥一歩手前の衣装。

 その肌にも衣装にも、異民族の魔法紋様らしいものが大量に刻まれている……が。


 魅惑そのものの胸のふくらみから、カルナリアの視線はいやおうなく上へ動いた。


 女の、首。


 ――をつけていた。


 複雑な紋様が記された、魔法具でもあるものだが、首輪は首輪だ。

 この国でそれは……。


「奴隷……!?」


「ええ」


 女魔導師は、カルナリアに見せつけつつ、首輪を外した。


「なっ!」


 カルナリアの目は真ん丸になった。

 同時に血の気が引いた。


 犯罪者を示す赤い線、どころではない。

 濃厚な赤黒い「文字列」が――焼き印で一文字ずつ刻まれたのだろう――女の首をぐるりと取り巻いていた。


『貴族殺しの重犯罪者』という意味の文言。


 殺人犯どころではない、この国があり続ける限り絶対に日の当たる場所には出ることのできない存在。


 だからこそ、国をひっくり返そうというガルディスの下につき――沢山の人を殺してきたのか。


 恐れつつもわずかにいきどおりをおぼえたことを敏感に察したのか、女魔導師は笑みをさらに凶悪に深めた。


「同じ師匠についていた貴族のガキどもがね、年下で平民でミーグ族の私の方が優秀なんで、生意気だと襲ってきたのよ。

 家族が編んでくれた大事な装束を全部破られて、ご先祖様が残してくれた魔術具粉々にされて、殴られて、犯されて。

 その上で、誘惑した私が悪いってことで、を一文字ずつ焼きこまれてね。

 死ぬ寸前で、ガルディス様が助けてくださった。

 傷を治して、任務を与えてくださって、誇りを取り戻すことができた。

 私はあの方のために戦う。

 あの方の作る新しい国のために、自分の全てを捧げる」


「…………」


 カルナリアは何も言えなくなった。


 相手の悲惨な境遇を聞かされたからといって、カルナリアの恨み、怒りが消えるわけではない。

 自分が悲惨な目にあったからといって、赤の他人を悲惨な目にあわせていいという道理もない。


 だが、この相手に自分の怒りも理屈も一切通用しない、ということは理解できた。

 どうやっても、反逆を罪と思わせることも自分の味方につけることも不可能だ。


「…………フッ」


 女魔導師はカルナリアを見下ろし、愚弄ぐろうの笑いを漏らした。


 悠然と首輪をつけ直し、豊かな胸の前で腕を組む。


 その胸――ではなく腕に、カルナリアは気を引かれた。


 魔導師は体内に魔力を宿し、動かすことで魔法を行使する。今も相手の体内を魔力が動いていることがカルナリアにはわかる。


 しかし、その動きが、彼女の右腕のところだけ、おかしい。

 見た目は左腕と変わらないのに、魔力の流れが違う。そちらにだけ何らかの魔法具をつけているのか、あるいはその――。


「……ああ……『目よけ』を見破れるのだから、も、わかるのね」


 女魔導師はカルナリアの視線からすぐに察したようで、右腕を伸ばし――。


 凄まじい殺気をぶつけてきた。


「ヒッ!?」


「お前の――お前の飼い犬の――のせいで、この腕も、……!」


「…………?」


 何のことかまったくわからない。


 カルナリアがきょとんとしたせいで、相手はさらに激昂した。


 右腕に魔力が集まる。炎が上がる。手首から先が火の玉に。


 背後の子供が素早く寝台から逃れて距離を取る。


「その憎たらしい顔を、本当に焼き潰してから、お前の心臓をあのひとに捧げる」


「ヒィッ!?」


「待って」


 子供が止めてくれた。


 だがもちろん、カルナリアを助けてくれるつもりではなく――。


「目玉が破裂して何も見えなくなる前に、こっちも、見せておきたいものがあるから」







【後書き】

自分の知らないところで何が起き、誰がどうなったのか。まるでわからないまま憎しみと殺意を浴びせられるカルナリア。まずひとりの恨みを浴びせられた後、次に聞かされるのは、見せられるのは。反乱軍の者たちは何を経験してそちら側に立ったのか、世間知らずのお姫さまは地獄を知る。次回、第82話「怨嗟おんさ」。残酷な表現あり。


※「えんさ」が正しい読みとされていますが、「おんさ」でも間違いではなく、「怨念」や「呪怨」という言葉が好きなので、作者は「おんさ」派ということで。

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