ex02 受難の日

※視点、時系列、すべて変わります。

 歓楽街、ラーバイで働く者のエピソード。





(やれやれ、貴族の方々ってのは……)


 エンゾは内心であきれつつも、表情も態度もまったく動かさずに、うやうやしく頭を下げてその夜の客を迎えた。


 案内人に連れられて入ってきた貴族の男は、仮面をつけて、一応はどこの誰かわからないように装っている。


 しかしこの店に何度も通ってきている上に、最初の頃は素顔で遊女をはべらせてもいたので、その正体はエンゾだけでなく店の全員がよく知っていた。


 もちろん、そんなことは一切うかがわせない。

 この歓楽街ラーバイは、どんな客でも、その要望に全力で応え、楽しい思いだけを味わわせて帰宅させるのだ。

 そうであってこそ、また次も来て、大金を落としてくれるのだから。


「こちらでございます」


 客と会話をするのは案内人だけで、エンゾは最初から最後まで一切口を開くことはない。


 影となって、案内人と客の背後に付き従い――。


 華やかきわまりない店内から、本来は客が踏み入ることのない、店の裏側へ移動して。


 店の者が利用する通路の、とあるところの壁板を外してあらわれる秘密の通路へ身を沈める。


 そこからはしばらく、先導する案内人のわずかな灯火以外に光源はないまま、暗い通路を移動し続けた。


 薄暗がりの中で、客の鼻息が荒くなってゆくことに気づいてしまいうんざりしつつも、いつものことなので流す。

 そういうことが気になるようでは、ここでの働きはとてもつとまらない。


「こちらでお待ちくださいませ」


 貴族に対する振る舞い方をわきまえた案内人が、優雅に一礼し支度にかかる。


 場所は、天井の低い――どころか、立つこともできないほどの、狭いスペースだ。

 客は、車輪のついた台に仰向けに横たわり、自分の手で床を押し、そこへ入りこんでゆく。床面には粗い布がびっしり敷かれていて車輪の音はほとんどしない。


 案内人が、空間のサイズに合わせた、様々な小物、水やお湯や布やらを乗せた車輪つきのワゴンを差し入れた。


「『流れる先』は、いかがなさいましょうか?」


 案内人の言うそれは、男性の欲望がほとばしった先を処理する者、という意味だ。


 この高さのない場所では、を使うことはほぼ不可能なので、口唇奉仕に長けた者かどうかという話になる。


「頼む」


 客が言うと、すぐ伝えられて――年齢や容貌により客を取るのが難しくなった者が手配される。じきに現れるだろう。


「では…………始めてよろしいでしょうか?」

「ああ」


 鼻息荒く言う客の言葉を受けて、エンゾは魔法を行使した。


『透過』。


 この低い場所の、天井にあたる板一面に施す。


 その結果、天井板は――客が手を触れれば、その向こうにあるものが「見える」ようになる。


 天井板の向こう、それは……。


「おおっ!」


 客が歓喜の声をあげた。

 エンゾも、まあ少しは、わからないでもなかった。


 女の子。

 成人前、十代前半の、少女たち。


 この歓楽街ラーバイで、店に出て客を取り客を楽しませるにはまだ到っていない、裏で修行中の女の子だ。


 その女の子たちが、踊りの稽古をしている部屋だった。


 年配の講師と楽師が壁際で声をあげ音楽を奏で、それに合わせて少女たちが体を動かす。

 みなそろいの、ひらひらした衣服で。


 それを、『透過』により、真下から見る。


 少女たちのスカートの中身が、色々な動作をする際の下半身が、生の脚が、下着が、すべて見える。


 遅れてきた少女が入ってくる。

「表」の雑用のための野暮ったいお仕着せを、ここにいるのはみな女性なので一切ためらわずに脱いで、踊りの稽古のための服に着替える――その様子を、真下から、すべて見ることができる。


「お、お、お、おお、おおお……!」


 完全に無防備なアングルが次々と『客』に提供される。


 何も気づかないままに、厳しい稽古の合間に座りこむ少女がいる――透けて見える床板に、スカートの中の下着を触れさせて、まるいお尻をたわませて。


 その真下に、客は車輪付きの台を転がし、素早く移動する。


「はふぅっ、ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ!」


 客の鼻息が荒くなってきたところで、エンゾは音を立てずに退出した。


『透過』の魔法は、一定時間を過ぎたところで切れるようになっているので問題ない。


 舞踊が上達しなければまともに食事も与えられなくなる立場である少女たちは、ひたすら稽古に励むばかりで、踏みしめている床の下から自分の下半身を見ている客がいるなどとは想像もしていないだろう。


 床に魔法がかかっていると気づく者がいれば――他の女の子とは違うに進むことになる。


 このラーバイは、歓楽街だが、タランドン領が抱える忍び組『うてな』の養成所でもあるのだ。


『透過』に気づく、すなわち魔法の素質を持っている子ならば、そちらの教育を施し、魔法を使える娼婦あるいは女忍びという貴重な人材に育て上げるべきだった。


「…………どうぞ」


 身をかがめた、フードで顔を隠している女性に道を譲った。


 あの狭い空間に這って入りこみ、少女たちの真下からのアングルに興奮している客の『水の流れ』……すなわち欲望を吸い出す役目の者だ。


(命令すれば侍女たちにどんなことでもさせられるけど、だからこそ、命令されてじゃない、素のままの女の子のあられもない姿を見て興奮する…………お貴族様って、恵まれすぎて、歪んじまうのかねえ)


 内心であきれつつも、ラーバイではこの手の依頼は山ほどあって、自分も含めた男の欲望とはまあそういうものなのだろうと納得はしていた。


 そういった欲望に応える技能が自分にはある。

 だからこそこのラーバイに飼われて、ラーバイで生きている。


 エンゾは魔導師としては優秀で、だからこそ単純な発情や精力回復ではない、貴族相手の変わった依頼を受けることが多かった。


 貴族の屋敷へ出向いて、侍女たちが着替える部屋の隣から壁に『透過』をかけるなどありふれたこと。


 妻に発情魔法を施し、自分ではない若い男と激しく燃える姿をのぞき見したい――夫には知られていないと思っているからこその、遠慮のない姿を見たいという夫の要求に応えたこともあった。


 表向きは禁止されている呪法、すなわち精神操作魔法を求める客は多い。

 変わったところでは老夫婦から「お互いが、出会った頃のように見える」魔法を求められたことがある。一夜を過ごしたふたりは幸せそうだった。


 これはもう公然の秘密だが、タランドン侯爵の三男は胸がふくらみ始める寸前ぐらいの少女が大好きで、ラーバイでもいつもそういう相手を求め、満足できなければ市内をうろついて探し、さらって、好き放題するという外道だった。

 しかし客は客、それも金払いに関してはすばらしい上客なので、エンゾも彼のために魔法を使ったことがある。

 翌朝、心が死んでうつろな目をした少女たちの体の傷を治すついでに精神操作魔法を施し、いやなことを忘れさせたのは間違っていないと今でも思う。


 とにかく、エンゾは歓楽街で、おおむね楽しくやれている。


 エンゾ自身、女性への欲求は強い方である。

 いや、強すぎて、魔導師養成所にいた頃に魅力的な同僚を襲って返り討ちに遭い、放逐ほうちくされ、首まわりに線を刻まれた犯罪奴隷に落とされた身だ。ギリアというあの異民族の女は今頃どうしているだろう。


 ラーバイ、いや『うてな』に確保されていなかったら、魔法を使えないように頭の中をいじられた上でその辺の路上に放り出されていただろうから、今の境遇には感謝しかない。


 欲望を発散していい相手もあてがってもらった。

 自分の監視役も兼ねている『うてな』の女忍びだが、体の相性は素晴らしく、文句は何一つない。向こうも楽しんでくれているということもわかる。時々、任務を超えた情を意識する時もある。

 彼女との楽しい時間を思えば、客の変態的な要求に応えて魔法を使うことくらいどうということもない。


「さて、次は……」


 エンゾは特定の店に所属しているわけではない。

 仕事場はこの歓楽街ラーバイ全域。


 華やかではないところにも沢山仕事はある。

 むしろそういうものの方が多い。


 場末ばすえの、安い遊女しかいないような店の裏側に回り――だらりと立っているように見える男に顔を見せる。

 酔っている、気の抜けたような声で挨拶され、扉を開けてもらい、その中へ踏みこんだ。


 ちなみに、顔見知りではない者がやってきてもこの男は決して扉を開けてくれない。

 無理矢理開けようとすれば、この男が実はとてつもない手練れであることを思い知る結果となる。


 顔見知りではない者が踏みこむと命を落とすようになっている通路をゆき、これも守りの者がいる奥の扉を開けてもらい、あらわれた階段を下りてゆく。


 石壁に囲まれた空間に来た。

 ローブ姿がみっつ、たたずんでいる。

 いずれも中央の巨大な水晶玉を向いている。


「代わるぞ」

「おう」


 ひとつのローブ姿が動き、場所を空けた。


 エンゾは他のローブ姿と同じように水晶玉に向き、自分の魔力を注ぎこみ始めた。


「異常は?」

「特になし。ただ、東の連中らしいのが増えてきた。城に王太子の使者が来てるんで、それに関連してだろう。潜入に気をつけろと上から言われている」

「…………わかった」


 水晶玉と魔力をつなげたエンゾが目を閉じると、まぶたの裏に、このラーバイという中洲全体が浮かび上がってきた。


 ここは「まなこの間」。

 ラーバイを囲む外壁に施された魔力監視結界、その維持と管理を行う重要施設なのだ。


 歓楽街である以上、色々な者が入ってくる。

 いちいち所持品を検査するようなことはできないが――この結界により、魔導師、あるいは魔法具の存在を感知することができる。


 強力な魔導師や強い力を持つ魔法具を持った者が入ってきた場合、即座に警報が発せられ、あちこちに配置された『うてな』の戦闘員たちに知らせがはしる。

 もちろんそうした者が普通に一夜の楽しみを求めることもあるだろうから、いちいちとがめたりはしないが、その客はひそかに監視され続けることになる。


 ラーバイに所属する魔導師は、特に仕事がなければここへ来て、水晶玉に魔力を供給し、監視の手伝いをするのが決まりだ。


 水晶玉と魔力をつなげ、視界と感覚を共有すると、ラーバイ全体が自分の体であるかのように感じられ――それが楽しくもある。


 高位貴族や力ある魔導師が何をやっているのかがリアルタイムで伝わってくる、のぞき見の楽しさもある。


 外部には絶対に漏らしてはならないが、変態の三男と違い、妻一筋の謹厳実直で知られるタランドン侯爵の次男が時々やってきて、店の女相手に一晩で必ず三発以上放ち時には代わりの女性まで求める絶倫ぶりを発揮することなど、この部屋に出入りする者の間では有名すぎる話だ。


 そして、また――。


「…………『リューズの尻』亭! 赤!」


 ラーバイ内で起きた不祥事も、自分の体の中で痛みが発生したように感じられる。

 殺意、激怒、恐怖、出血、死などのきわめて強い感情や現象をそのように感じる。

 客が、ついた女性の首を絞めているところを、知らせを受けた店の者がぎりぎりで止めたと後に報告が来た。


 しばらくその『まなこの間』で過ごした後、エンゾは別な者に場所を譲り、外に出た。


 もうすっかり夜も更けて空には星々、しかしラーバイの街路は明るく、そぞろ歩く酔客もそこかしこに見える。


 だがすぐそこに暗がりはあり、暗がりの中には様々な思惑を持つ者がうごめくのも歓楽街というもの。


 エンゾは、その暗がりをすみかとする者たちの、ねぐらに入りこんでゆき、彼らが使う魔法具の点検、整備、魔力充填を行う。


 その間にもあちこちの店でトラブルがあり、あるいは外部からの不穏なはたらきかけもあり――。


「…………ふあ~~~~あ」


 空が白んできて、エンゾは大きなあくびをした。


 もうじきラーバイも自分と同じように眠りにつく。


 今日も、色々あるにはあったが、おおむね無事にすんだ。


 エンゾは自分の部屋に戻り、食事を用意して待ってくれていた女と短いが濃厚な一戦を交えてから眠りについた。


「!!!」


 叩き起こされた。


 体を通る魔力を感じて目が覚めたのだ。

 まだ昼前だ。


まなこの間』からの魔力警報が頭の中に響いた。


(警告! 警告! 『検索』が使われた! 外から『検索』が使われた!)


『検索』とは、魔法関連のありとあらゆるものの所在を暴き出す魔法である。


 魔力を持った人間、魔法具、魔法をかけた道具、仕掛け……それを使われると、あらゆる魔法的な防御が白日の下にさらされてしまう。


 無論、それを防ぎ、隠す手段はあり、このラーバイでもきちんと施されてはいるが――。


 事前の連絡なしに使った時点で、どんな理由があろうとそいつは「敵」だ。


(ぶっ殺せ!)


 魔導師にとって、何の断りもなしに『検索』を使われるというのは、ケンカを売られたどころか、宣戦布告も同然のこと。


 エンゾも激怒した。

 恐らく、才能だけはある、若くてもの知らずなやつだろう。

 面白いからやってみた、程度でやるやつは時々出てくる。

 そういうやつに思い知らせてやるのも自分たちの役目だ。


 服を着て飛び出した。

『検索』の魔力は、発した場所から円を描いて広がるので、発した者の居場所を特定するのはたやすい。


 ラーバイの外だ。

『台』の者を護衛につけて、エンゾは棍棒を手に突っ走った。


 橋をふたつほど渡った先の、広場に駆けこんだ。


「『検索』使いやがった馬鹿野郎はどこだ!?」


 怒鳴り、探す。

 自分の格好でラーバイの者とわかってもらえるので、周囲の者もあれこれ教えてくれる。


 だが、その話にエンゾは愕然とした。


「『流星』…………だと!?」


 緑色にまばゆく輝くものを足首につけた者たちが降りてきたとのこと。


『流星伝令』のことなら当然知っている。

 だが――。


「まず二人、その後から七人!?」


 聞かされたことが理解できなかった。

 あり得ないことだった。

 ひとりが降りてくるだけでも滅多にないことなのに、合計で九人も。


 そしてそのあり得ない輝きが――視界に入った。


「!!!!!!」


『流星』を装着した者たちが、すぐ近くの建物の屋根の上にいる!


 地面にいる誰かと戦っている気配があった。


 エンゾは迷った。介入すべきか。魔導師である自分は、近づくだけでも相手に勘づかれ、攻撃されかねない。


 戦闘は不得手なので戸惑ったことが、結果的に自分を救った。


 閃光がはしり、轟音がして、破壊音に続いて建物が崩壊してゆく音が聞こえてきた。


「な…………!」


 落ちついてから現場に向かったエンゾは、信じがたいものをいくつも見た。


 壊れた建物。落ちた橋。

 欄干らんかんが、きれいに、斜めに切断された跡が残っていた。

 どうすればこんなことができるのか、自分が使える魔法をどう応用しても思いつかない。


 危険すぎる。


 そして、こんなことのできる者たちがこのタランドンの街に現れたとなると――ラーバイの守りを固めなければ。


 急いで戻った。


「結界を解くぞ!」


 エンゾが伝えた情報により、魔導師たちの長が決定を下した。


『検索』を使ったのは『流星』で飛んできた者で間違いないだろう。

 どう考えてもラーバイ、いや『うてな』にとって友好的な相手ではない。すなわちこの国全体の忍び組織、『風』。


 その者に『検索』を使われたとあっては、ラーバイの守りすべてを知られ、監視結界も把握された可能性が高い。


 腕のいい魔導師ならば、感じ取った結界を分析し自分の魔力を重ねて欺瞞ぎまんすることで、監視者たちに気づかれずに侵入することが可能だ。

 それを防ぐためには、把握されてしまった結界を一度解いて、あらためて張り直す必要があった。


 大仕事となる。その間は、それぞれの出入り口に魔導師を配置して感知するしかない。

 こんな事態を招いた、『検索』を使った魔導師は、必ず殺すと誰もが誓った。


 新たな魔法を長たち腕利きの魔導師が組み上げる間、エンゾはラーバイ中を駆け回って、あちこちに設置されている防御用、監視用の魔法具をチェックし、場合によっては新しいものと取り替え、魔法の構築方法を変えていった。


 普段ならひとつやるだけでも一日仕事となることを、連続で、急かされて、手抜きはできず…………エンゾは昼過ぎに魔力が枯渇して気絶した。


 目を覚ますと『台』の医務室だった。夕方になっていた。

 医師にクソまずい魔力回復薬を無理矢理口に流しこまれ、それで目覚めたのだった。最悪の気分。

 隣の寝台にも同じように気絶した魔導師が横たわっている。

 さらにもうひとり運ばれてきたついでに、長からの、復活したならこれとこれをやれという指示を伝えられ肩を落とす。


 この過剰労働のすべては、『検索』を使ったやつのせい。


「ぶっ殺す……!」


 すでにラーバイは門を開き、営みを始めている。

 表向きは何も変化はない。

 客はもちろんラーバイで働く者たちの大半も、異変が起きていることは知らないままだ。


 だからエンゾにも、いつも通り、変態行為のために魔法を使ってほしいという依頼が持ちこまれてくる。前から予約している、貴族の客とあっては、こちらの都合でキャンセルするわけにもいかない。ラーバイで何かがあったという情報を漏らすことになってしまう。


 エンゾはその夜も、限界まで魔法を使い、心身すべてを酷使し続けた。


 女のところにも戻れないまま、仮眠室で意識を飛ばし、昼前に目覚めると――。


『台』の戦闘員たちがみな、冷え冷えとした殺気を宿していた。

 ピリピリしているどころではない、下手に声をかけたら即座に殺されそうな、危険すぎる気配。


「な、何があったんだ?」


「情報屋と、城と、あちこちから知らせが入った。都から第四王女が逃げてきて、タランドンに入ったらしい。『風』の手練れがそれを追ってきた。『剣聖』と呼ばれている人斬りも現れた。実際、外に怪しいやつらがうろついている。こちらの者がもう何人もやられてる。やつら、ここに攻めこんでくるかもしれん」


「冗談じゃない! どうしてだ!? 侯爵さまはガルディス王子と敵対したわけじゃないんだろう? なんでここが襲われる!?」


「わからん! やつらに訊いてこい! とにかく魔導師は全員、戦闘を前提にして待機してろ!」


「ひぃっ……!」


 エンゾは魔法に関しては自信があるが、戦闘の経験はない。


 相手がこちらを殺そうとしてくる、というのは想像するだけで恐ろしく、血の気が引く。


 同じように青い顔をしている魔導師たちと、詰め所でささやきあった。


「くそっ、タランドン領なら、戦に引っぱり出されることはないと思ってたのに……!」

「あの『検索』も、攻めこんでくる下準備だったのかもな」

「ここを襲ってどうするんだよ、女ほしいなら普通に金出せばいいのに」

「女じゃなく、『台』を潰したいんじゃないのか?」

「じゃあ俺たちも狙われるってことか?」

「やめてくれ、死神ザグル退散!」

「来るなら……暗くなってからだよな、普通に考えて」

「だからやめてくれって!」


 鬱々とした、重苦しい時間を過ごすうちに、外から呼ばれた。


(まさか、外へ偵察に出ろなんてことじゃないよな……?)


 あの破壊された建物、崩れる轟音をまじまじと思い出し背筋が寒くなった。


 ――違った。


 こんな時だが、情報屋たちの長、『ひとつ星』本人の紹介で、重要な人物がラーバイに入ってくる。

 その人物についてくれとのこと。


 その人物は敵ではなく、さらわれた自分の奴隷を買い戻すのが目的だと聞かされた。


 それだけなら時々あること。情報屋の長からの紹介というのは珍しいが。


 ただ、その人物について『検索』はもちろんあらゆる詮索をしてはならない、貴族として扱ってほしいと口添えされていた。――貴族なら武器の持ちこみも自由、つまりは身体検査のたぐいをするなということだろう。


 これは異例の要求だ。


 だが、紹介してきた人物が人物なので、『台』はその要求を受け入れることにした。もちろん情報屋が脅されていないか、精神操作などを受けていないかは入念に確認した上でのことだ。


 相手は『目よけ』こと認識阻害の魔法がかかった布を使っているそうなので、その所在を見抜ける魔導師をつける必要がある。

 そこでエンゾが呼ばれたのだった。


 上役から事情を聞いてエンゾは胸をなで下ろした。


 売られた者の身内が押しかけてきただけなら、多少のトラブルが起きても、都から来た『風』の連中と殺し合いをするよりずっとましだ。


 そう思って気楽に出向いたのに――。


(な、なんだよこれ!?)


 船着き場に、強面こわもてがそろっていた。


 各店の用心棒の中でも腕利きの者が何人も集められており、迫力がものすごい。


 それとは別に、一見強そうには見えず、強面たちの取り巻きのような顔をしている者たち――仕事柄エンゾは知っている、『台』の実力者たちも、ひそかに集められていた。


 このラーバイで最強の面子だ。


(だ、誰が来るっていうんだ!?)


 まるで今から敵の来襲を迎え討つかのような状況で――舟が一艘、西陽に輝く水面を走って、静かに滑りこんできた。


 いつもの、荷物を運びこんでくる素朴な舟。漕いでいるのはいつもの荷運び人。積んでいるのはいつもの、新鮮な果物を積んだ籠。すべて見慣れたもの。用心棒たちはまったく警戒しない。


 だが――客が乗っていた。


 舳先へさきに……恐らく、座っている。


 ぼろぼろの布のかたまりのようだが――エンゾには、その人物を「見る」ことができなかった。


 魔力を感じるので輪郭がわかるが、目をこらしても、そこにいると頭が理解してくれないのだ。


(認識阻害だ。こいつだな)


(警告! 魔法具持ち! 複数の魔法具持ち! きわめて強力! 危険!)


 エンゾの頭の中に強い通達が届く。

 しくも、新しい結界の動作確認ができた。


「お客様、ようこそラーバイへ」


 エンゾは率先して声をかけた。

 それによって、その人物に気づいていなかった用心棒たちがぎょっとした。


 舳先へさきの、頭から布をかぶって円錐形になっているその人物が、舟が岸に触れるなり、ふわりと飛びあがって、着地した。


 割と背が高い。もちろん布の分もあるが、細長い円錐形となったその形は、少なくとも小柄な人物のものではない。


「『ひとつ星』という人物から、紹介されて、来た…………よろしく頼む」


 けだるげな、低い――女の声がしたので驚いた。


 どこから外を見ているのだろうか。

 自分を強面たちが囲んでいることはわかるだろうに、まったく動揺している気配がない。


(客人。許可済み)


 エンゾが念じて連絡すると、警報は止まった。


 頬に傷のある、用心棒たちの代表が進み出た。


「俺はこいつらのまとめ役で、コームという。『剣聖』フィン・シャンドレン殿でよろしいか」


「!」


 エンゾは仰天した。

 名前だけは知っている。『死神の剣ザグレス』という、聞くだに恐ろしい剣を持つ、人斬り。

 その剣はとてつもない魔法具でもあるそうなのだが、抜いたところを見た者がおらず、従って詳細は伝わっていない。――見た者はみな斬り殺されているからだ。

 東の国の人物だと聞いていたが、タランドンに来ていたのか。そういえばそんな話を先ほど耳にした。


「私の持ち物である、ルナという女の子を返してもらいにきた」


「ああ、か……な。わかった。今は『人魚楼』というところにいる。案内しよう。もうすぐ開店だから、急いだ方がいいな」


 コームは相手への信頼の証として、武器を持っていない背中を見せて、先に立って歩き始めた。


 フィン、という円錐形の女性が後をついていく。足が見えないので地面の上を滑っているようだ。


 用心棒たちが半ば囲むようにして追随し、忍びたちが気配を感じさせずに移動する。


 みな――恐ろしいほどに、緊張していた。


(そんなにすごいのか、この女?)


 武芸の心得のないエンゾにはよくわからない。


 ただ、『目よけ』の布の中に、いくつもの魔法具を持っていることは知覚できた。そのどれかが『死神の剣ザグレス』なのだろう。


「コームだ。マノン婆さんを呼んでくれ」


 ラーバイ三大店のひとつ、『人魚楼』の裏口でコームは声をかけ事情を伝えた。


 だが、返事が来ない。

 扉が開かれないまま時間だけが経つ。


「婆さん、なにグズグズしてやがるんだ? 手放すのが惜しくて隠そうとしてるんじゃないだろうな」


「その場合、押し入っても構わないのか?」


 フィンがいきなり言った。

 周囲に緊張が走った。


「いや、それは、俺たちの立場的に困る。ぶっ壊して突入する場合でも、俺たちがやるから、お客人は何もしないでほしい」


「わかった。その方がこちらも楽でいい」


 その後、コームだけ呼ばれて中に入ってゆき――戻ってこないまま時間が経ち、陽が沈み、ラーバイが開門してしまった。


 暗くなった中、にぎやかな声が波のように広がってくる。


 待たされているフィンという女は、いらだちは示さなかったが、逆に驚くほどに身動きしない。

 本当に人なのか、樹木か何かではないかと疑いたくなるほどだ。


 そのせいで周囲の用心棒たちも弛緩してきた。

 エンゾも、円錐形の中身を魔力や魔法具の位置から推測できないかと、あれこれ感覚を集中させて時間を過ごした。


「…………む?」


 妙な気配を感じた。

 魔力。何かの魔法が行使されたような。


「何だ、これは!?」


 桃色の、もやのようにエンゾには見えた。


 自分だけが仰天して、周囲の者たちはほとんど反応しない。

 魔導師にしかわからないものだ。


 たちこめてきたから逃れるどころか、気がついた時にはもう周囲がに包まれており――。


「う……!?」


 体の変調をおぼえた。

 下半身に。みなぎって。熱が。欲望が。

 異常だ。


「ま、魔法だ! 攻撃されている!」


 叫んだが、周囲の用心棒たちはすでに前かがみになり獣のうめきを上げ始めていた。


 忍びの者たちは、即座に姿を消し、あるいは何かの薬を飲みこんだ。さすがの反応である。


 エンゾも周囲に防御の魔法幕を張り巡らせ風魔法で吹き散らそうとしたが、魔法のもやなので風では飛ばず、すでに吸いこんでしまったせいか、体のうずきは収まらなかった。病でも傷でもないので治癒魔法も通用しない。


 どうするかさらに考えるよりも、強烈な欲求に支配された。


 脳裏にいつもの女を思い浮かべたが、それよりも先に、すぐそこに女性がいることを本能が伝えてくる。


 ぼろぼろの布で姿は見えないが、間違いなく、いい女だ。すばらしい体をしている。その布の中には最高のものがある。そのはずだ。


 客人だぞと理性がぎりぎりで叫びつつも、体のうずきに耐えられず近づいたエンゾは、しかし、ぎょっとした。


 いない。


 あのぼろ布円錐が、消えていた。


 人魚楼の扉がわずかに動いていた。


 エンゾが目を離した瞬間に、建物の中に勝手に入っていったのだろう。


「は、入った! 勝手に!」


 それだけで男たちはみな理解した。


 この建物の中には大勢の女性がいる。

 着飾った美女たちが、男を受け入れ熱い夜を過ごすために待っている。


「おおおおっ! 客人! 勝手な真似をするんじゃねえ!」


 都合のいい名目を怒鳴りながら、用心棒たちは扉をぶち破って、暗い屋外から明るい女の園に突入していった。


「エンゾ!」


 忍びに名を呼ばれ、ぎりぎりで理性を取り戻す。

 周囲から女性がいなくなったおかげだ。


「敵の攻撃だ! 魔法の、煙みたいなのがそこら中に立ちこめてる! 媚薬をまかれたと思え! 敵が侵入してくるぞ、警報を!」


 エンゾは指示を出すと、船着き場へ戻っていった。


 彼もラーバイの人間である。ここは自分の居場所であり、自分の女がいて、自分の役目がある。


 戦闘は不得手だが、守る力があるのだから、発揮するべきだった。

 全身を襲う男の欲望が、昂揚感となってエンゾを突き動かしていた。


 船着き場で、物理的な侵入を防ぐ防御魔法を張り巡らせようとした。


「…………魔導師か」


 人語をしゃべる獣だと思った。

 ほとんど地べたに這いつくばっていた。

 ひどい猫背の男だった。


 フード付きマントに身を包んでいるが――その布が『目よけ』だった。


(敵だ!)


 理解し叫ぼうとした次の瞬間、エンゾの意識は消えて、大きな水音がひとつした。






【後書き】

フィンも出てくるし本編扱いでもいいかもと思いましたが、時系列がずれすぎているのと、ラーバイの変わった商売も描いてみたくて、番外編としました。

次回は本編に戻って、第81話「とらわれの王女」。残酷な表現あり。



※この番外編についての閑話あれこれ


なぜカルナリアの首輪の中のものが、ラーバイの魔導師に感知されていなかったのか。『5』が検索を使ったせいで、ラーバイの探知結界が解除され、その間にカルナリアはラーバイへ運びこまれ、その後で結界が張られ『風』の七人が侵入できなくなったという、玉突き事故も同然の展開です。七人は泣いていい。


カルナリアは下働きだけをさせられ、偽装が特別室送りとなりましたが、数日過ごしていれば音楽や舞踊の「授業」を受けさせられ、さらに魔力を感知できるので今回のような「商売」に気づいて、忍び養成の方へ回されていた可能性はきわめて高いものでした。数ヶ月後、そこには忍者の技能を身につけた王女が! これはこれで一本物語が書けそうです。


士郎正宗「攻殻機動隊」の原作マンガに、バトーというキャラが、外出しようとしたら同僚からひとこと「半ドア」と言われる……自分の車が半ドアに、つまり誰かが手をつけた可能性があるということで、その後は車をほぼ全分解して、爆発物や盗聴器、発信器などがつけられていないか調べる大仕事になった……というシーンがあり、それがこの回のモチーフとなりました。


今回、エンゾや魔導師たちが通信のようなことをしていますが、念話という便利な魔法はこの世界にはなく、魔力の強弱によるモールス信号のようなやり方で、決まった符号をやりとりして意思疎通をしているものです。当然、ラーバイに常駐してそれなりの期間学習しないと会得できません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る