073 特別室
自分のあずかり知らぬところで何がどう決められたのか、カルナリアはまったく違う場所へ連れていかれた。
逃げ道かもと目星をつけたが見張りがいたので断念した通路の、その先。
あの殺風景な学校――「養殖場」から一気に変わり、色鮮やか、装飾たっぷり、香が漂う華やかな建物の中に入った。
「養殖場」では赤い帯と美貌と絶品のスタイルが異彩を放っていたオティリーも、ここではたやすく埋没してしまうほどに、全てがきらびやかで美しく、そして官能的だ。
ここがいわゆる色街の表の顔、「人魚」たちが仕事をする場所なのだろう。
途中、人とはまったく会わない。
到る所に気配はあるのだが、自分たちと出くわさないように人払いされている様子。
もう「養殖場」に戻ることは二度となく、ミオたちに会うこともないのだろう。
ローツ村で「ぼろぼろさん」の所へ案内してくれた子供たちのことも思い出す。あの子たちとも二度と会えまい。
少し寂しく思う。
奥まった一室に入れられた。
「食事だ」
色々あって、もう昼になっていた。
ワゴンで運ばれてきたものが扉の外に置かれ、オティリーがそれを室内へ。
他人にカルナリアを見せないように徹底している。
オティリー自身が配膳し、向かい合っての昼食となった。
黒い粒の混じった灰色の生地で、肉や野菜などを甘辛く煮こんだものを包み、火を通して軽く焦げ目をつけた四角い包み焼き。
料理としては、ドルーの街で食べた屋台のあれと同じ。タランドン領の定番料理なのだろう。
だが出来は雲泥の差。
小さめのそれが、三つ。
生地だけでもすばらしく香ばしいところに、ナイフを入れると、内側の具が豊かな香りを立ちのぼらせる。最初のものは柔らかく火を通された鶏肉と野菜。次のものは魚肉を醤で焙ったもの。みっつ目のものからは、交易の中継地点として栄えるタランドンだからこそ手に入るのだろう、香辛料の香りが濃厚に立ちのぼった。
すべてが洗練されている。
久しぶりの、貴族向けの料理だ。
副菜が二品。上等なチーズ。焼きたての白いパン。果物。緑がかった飲み物はよく冷えていて、すっきり喉を通る。
どれもこれも、粗食が続いていた身にはもうどうしようもなく美味であり、視覚的にもきわめて美しい。カルナリアは遠慮なく胃を満足させた。
対面席で無言で手を動かすオティリーの所作もまた、十分に貴族として通用するものだった。
彼女が『稚魚』たちの教育係を務めているのも納得できるというもの。
(………………)
しかし。
食べ終えて――これもオティリーが片づけ、ワゴンを室外へ出すのを眺めつつ――舌とお腹は充分に満足したのだが、何かが物足りなく感じられて、幸せに浸りきれなかった。
次々と思い出す。ローツ村の「小屋」、峠の山小屋、ドルーの街の路上、ずぶ濡れになった後の「天幕」内での食事……いずれもエリーレアが生きていれば泣き崩れるだろう、嘆かわしい状況での粗末な食事。
だが、あれらの方が、ずっと深い満足感を与えてくれた。
このまま状況が推移し、自分の正体をあの謎の男が見抜いて、城に伝えられタランドン侯爵が出向いてきたら、もう二度とあのような食事をする機会はないだろう。
自分で作ったり、給仕して他人に差し出したりすることは、二度と経験できない。させてもらえるわけがない。
まして、自分が作ったものを、あのぼろぼろ怪人が布の中に吸いこんで、美味かったと言ってくれることなど……。
(また……会えるのでしょうか……)
あれほどに自分を助けてくれて、自分に優しくしてくれたのに、これでおしまい、このまま二度と会うことなくお別れでは、自分はひどい恩知らずということになってしまう。
「それで……これから、私は、何をさせられるのでしょう?」
嘆いていてもどうなるものではない。
気持ちを切り替えて訊ねる。
「そうだね、まずは、これから過ごすことになる部屋を支度させているから、そこへ行って、身の回りの世話をさせる『若魚』たちを選んでもらう」
「私が、ですか?」
「気に入った相手の方がいいだろ。お互いにいい影響を与えられると、こちらとしてもありがたいからね」
自分はここに長くいるつもりはないのだが、理屈としてはその通り。
このオティリーと共に寝起きなど絶対にごめんだ。
自分を見てくる目の奥にある、正体不明のどろりとしたものが、不気味すぎる。
「そのあと、日暮れ時になったら――『人魚』たちが『仕事』を始めるから、どういうことをするのか、見てもらうことになるね」
男が女を買う、客を取る。
その現場を見せられるということか。
よくわかっていないカルナリアは、少しだけ好奇心を抱いた。
「…………」
その表情を見抜かれたのだろうか、オティリーが言ってきた。
「その年で、何も知らないんだね。――名前の他に、隠していることはないかい?」
どろりとしたものが、表に出てきた。
瞬時に嫌悪の鳥肌が立った。
「実は、本当の名前があったり……本当の身分があったり……貴族の家で育った、じゃなくて貴族本人だったり……そういうのは、早めに言った方がいいよ……後からばれると、色々、良くないことになるからね……」
目つきも、声音も、それまでのきついものから、べたつくようなものになった。
まるで、カルナリアが王女であると自白することを待ち望んでいるような。
気味の悪さに、カルナリアは身を引く。
オティリーは元の場所から動かないが、どろりとしたものがさらにたっぷりにじんでくる。
わかってきた。
これは、悪意だ。
自分で鞭を振るったり危害を加えたいという、直接的なものではない。
馬鹿な小娘が何も知らないまま落とし穴にはまるのを見物するような、意地の悪い、きわめて下劣な感情。
だが、なぜ。
最初の時はこうではなかったのに。
「火傷」がはがれて素顔を知られてからだ。
その時から、このどろどろした悪意がオティリーに宿っている。
「……実は、王女様だったり…………ちょうどあんたぐらいの年齢の……第四王女、カルナリア姫だったりしないかい?」
「……まさか、恐れ多いです」
顔には出さず、声も震わせずにすんだ。
胸は大きくどきどきしていたが。
先にマノンが、自分をカルナリアとして売り出すと盛り上がった、あれを経験していたのが助けになった。
あれ抜きでいきなり言われたら、動揺し、暴露してしまっていたかもしれない。
「そうかい。まあそういうことにしておくよ」
「………………」
ここはムキになって否定した方がいいのかもしれないが――とにかく今のオティリーとはやりとり自体をしたくなくて、カルナリアは押し黙った。
そういえば、先ほどオティリーは、この不気味な目つきで、マノンが自分を逃がさないために強引に『あれ』をやってくる、と言っていた。
何をされるのか。
教えない方が面白いとも言っていた。
強い不安にとらわれる。
王女だとわかれば、その何かをやられずにすむのか。
少しして、部屋の準備ができたと連絡が来たので、連れ出された。
移動中に、マノンがやってきた。
カルナリアを他人に見せないために人払いをしているので、お付きの少女もついていない。
「話が通ったよ。来てくれる。お前が助手をやれってさ」
「ああ……!」
マノンが言い、オティリーが奇怪に身をくねらせた。
二人してカルナリアを見て、ニタリと笑った。
怖気が走った。
『あれ』というもののことか。
来てくれる、ということは人なのか。
カルナリアをここから逃げられなくする魔法を施す、魔導師では。
あるいは、正規の魔導師には許されない外法――フィンと自分もやられた呪いのような――を使う者か。
「誰か、いらっしゃるのですか?」
耐えられず、訊いた。
「ああ、このラーバイでも一番の人が、お前のために、来てくれるんだよ」
「一番って、何が一番なのですか?」
「会えばわかるよ。すぐ、大好きになるさ。そうだよねえ、オティリー?」
「ええ……間違いなく……ね…………ふふふ……」
二人の笑みが、さらにおぞましいものになった。
オティリーなど、頬を染めて、夢見る乙女のようになり――よだれを垂らしかけて、軽くすすった。元貴族令嬢にあるまじき態度だった。
(にっ、逃げなければ!)
カルナリアは即座に決意した。
ここまで色々積み重ねてきて、何とかこの場所で身を潜めていられる状況を手に入れたが、それを全て放り出す決断を一瞬で下した。
人が死ぬところを何度も見て、噴き出す血の臭いも知ってしまったが、そういうものとはまったく別種の、おぞましい未来が迫っている。その予感しかしない。
ビシッ!
鋭い音と衝撃と、胴体に走る痛み。
走り出そうとしたその瞬間、鞭に捕らえられたのだった。
オティリーだ。
その手から黒い革鞭が伸びて、カルナリアに巻きついている。
「はっ、離してくださいっ!」
「だめだよ、逃げようなんて。せっかくあの人が来てくださるのに、無礼じゃないか。カルナリア様のすることじゃないよ」
オティリーは鞭を引っ張り、カルナリアは抵抗してその場に座りこんだが、華奢な体の悲しさ、座った姿勢のままずるずると引きずられてしまった。
「あんたのための部屋に連れていって、ゆっくりさせようと思っていたのに、これじゃ、自由にはさせておけないねえ。悪いけど、陽が沈むまで、このままだ」
オティリーは何か合図を出した。
すぐに覆面をつけた男が二人、姿をあらわし、鞭で縛られたカルナリアを持ち上げ、足首も縄で縛ってしまった。
「やめて! やめなさいっ! 離しなさい!」
もちろん聞き入れてもらえるはずもなく、カルナリアは両手両脚を縛られた上でかつぎ上げられる。
運ばれていった先は、廊下のどん詰まり――と見えて、そこに立っていた男が何かをすると、横の壁が動き出し、開いていった。
そこに部屋があった。
「……ここが、あんたがこれから暮らす部屋だよ」
かなり広い。
落ちついた色合いの調度品が配置された、上品な雰囲気。
一見すると地味だが、王女たるカルナリアにはわかる、あらゆるものが上物なうえに、ところどころに鮮やかな花や飾り物が配置されていて目を楽しませてくれる。
ここをしつらえた者の美的感覚はなかなかのもの。
もちろん王宮の、かつての居宮には及ぶべくもないが、王宮を脱出して以来、カルナリアが滞在した中では最も良い部屋だ。
浴室や衣装部屋、控え部屋も付随しており、食事や色々なものを出し入れできる昇降口があるようで、完全にこの中だけで暮らせるようにできている。
ただし、唯一の扉は、室内からは開けられないようになっていた。
外にいる者が開いてくれない限り、この中から出ることはできない。
その意味で、ここは牢獄も同然だった。
そして、この部屋の主たるカルナリアは、縛られて、広い寝台の上に横たえられ。
……奇妙なことに、カルナリアひとりが使う部屋のはずなのに、寝台がもうひとつあった。
そちらの、もうひとつの寝台には――お付き兼監視の者が寝るためにしては、寝具がまったくなく、横長の枕だけが置いてあって。
横たわって大の字になった時に、両手、両足が来るだろう位置に、太いロープと鉄輪が置かれていた。
両手両足を拘束するための台……としか思えない。
全身がいやな汗で濡れた。
「約束通り、あんたのご主人様が見つかるまでは、ここにいていいからね」
オティリーはどろどろした顔つきのまま言った。
「もっとも、見つかった時にはもう、ここから出たくなくなっているだろうけどね。何しろここはとてもいい所だからねえ」
【後書き】
まずい、と思った瞬間に逃走に移れるくらいには、修羅場に慣れてきているカルナリア。しかし逃げられなかった。このあとやってくる「あの人」とは一体。次回、第74話「夜の姫」。性的な表現多大にあり。
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