072 訊問



「なんてこった……」


 マノンが白髪頭を揺らした。


 室内にはマノン、オティリー、それに呼ばれてきたコームも。

 それに向かい合って、カルナリア。


 カルナリアは強く緊張していた。


 偽装が失われてしまってマノンたちの態度が変わったこともあるが――。


 この部屋の壁に魔力を感じるからだ。


 恐らく、『透過』。

 こちらから見るとただの壁だが、向こうからこちらが丸見えになっている。


 誰かが自分たちをこっそり見ている。

 声も聞かれていることだろう。


 食堂と同じ対応が必要。

 すなわち、気づいていると気づかれてはならない。


「本物の王女様と言われても、俺は信じるぜ」

 コームが言った。


 カルナリアは、「火傷」がはがれ落ちた後、他の偽装も疑われて、顔だけではなく髪や体も徹底的に洗われ、逃避行がはじまって以来最も清潔な、すなわち磨き上げられた状態にされている。

 それを見てしばらく硬直した後の、彼の評価だった。


「どういうことなのか、説明してもらえるかい」


 卓の上には、板に乗せられた「火傷」がある。


 熱を浴びたせいだろう、一度溶けて、それがまた少し固まって、鏡で見た時と色や形が変わっていた。


「名前はわかりませんけれど、草をすりつぶした汁を塗られて……するとそういう風になりました」


「どうしてそんなことをしたんだい」


「……そのままでは、すぐ悪いやつらに目をつけられてしまうからと……醜くすれば、さらおうとする人が減るから……たまたま、その草があったので……」


「なるほどねえ。気持ちはよくわかる。最初からだったら――コーム、お前ならいくら出す?」


「金貨百」


「ああ、それでも安いくらいだ。この歳でこうなんだから、成長すれば、どんな貴族だって、王族だって客にできるよ!」


 マノンは欲にぎらつく目でカルナリアを見た。

 顔だけは優しげに笑っているのできわめておぞましい。


「変なやつらがこの子を追っているのも、本当の顔を知っているからと考えれば、つじつまは合うね」


「ああ。どこかの貴族が目をつけて、人を雇って追いかけてきても何もおかしくねえ。侯爵の三男あたり、やりそうだ」


と話をして、この子を守る態勢をととのえる必要があるね。他の店にも気をつけないと」


 やはり、コームたち荒くれ男だけではない、この場所を守る別な存在がいる。認識阻害の布を使うような者たちが。


「それで、だ。方針変更だ。ルナ、あんたは特別扱いはしないで、稚魚どもにまぎれさせるつもりだったが、それは無理だ。目立ちすぎるし、馬鹿な稚魚どもに傷でもつけられたら大損だ。

 だから、他の稚魚どもとは分けて、特別に教育することにする。

 オティリー、あんたを『養殖場』の赤帯から、この子の専属教師にする」


「あたしが、ですか?」


「あんたでなきゃ駄目だよ。この子には、普通の客なんか取らせない。この子は貴族専門、それも高位貴族だけを相手にする、特別な『人魚』になってもらう。

 そのための教育が必要で、それができるのは、ここではあんただ。わかるだろう?」


 マノンのその言葉で、首輪をつけているオティリーは、やはり元は貴族令嬢だったとはっきりした。


「わかりました。では、部屋と、世話係も『若魚』から数人選んでいいでしょうか」


「まかせるよ。それからコーム、ガキどもが奪ったというルナの持ち物、できるだけ回収してくるように」


「実は、もう全部ある。アルーラン家の身分証を見た時に、こいつはもしかしてと思って、店に聞いて、あいつらが売ったものを全部集めておいた」


「でかした。さすがだね。ルナ、聞いた通りだよ、あんたのものはちゃんと戻ってくるからね」


 機嫌を取るためなのは見え透いているが、レントの短剣やあの小箱などを返してもらえるのなら、それは嬉しいことだった。


 そして、今の自分に高い価値を見出したのなら――カルナリアは訊ねた。


「ありがとうございます。でも…………私のご主人さまは、どうしておられるのでしょう」


 今なら、自分を痛めつけることはできないし、怒鳴ることすら控える、まして自分の機嫌を損ねることはできる限り避けようとするはず。


 マノンの白い眉がぴくりと動いた。


 ちらりとコームを見る。コームは首を振って否定の仕草。


「見つからなかった」


 マノンの笑みが深くなった。


「ルナ、やっぱり、ご主人さまのところへ戻りたいかい? ここで、いい部屋で寝起きして、美味いものを食べて、きれいなものを身につけて、ゆったり、心地よく過ごしたくはないかい?」


 猫なで声で示される条件に、どこかの者なら飛びつきそうだなと思いつつも――。


「私は、ご主人さまのものですから……そう決まっていますので、戻してもらえないと、私も、ご主人さまも、罰を受けてしまいます」


「それはその通りだね。奴隷は、主人の所に戻らないと」


 意外にもマノンは、あっさりそう認めた。


「ただね…………街で騒ぎがあったんだろう? 橋が落ちて、いくつもの家が壊れて、死人も出たって話だよ。あんたのご主人様は、ご無事かどうかわからないよ。だから、それがはっきりするまでは、ここにいるべきだね。あんたのその可愛すぎる顔で、ひとりで外に出てご主人様を探すなんてとんでもない」


(やっぱり、そう来ましたか……)


「ルナ」の主人が見つかるまではという言質を取り、実際はまったく探さないで、ごまかすつもりだろう。


 また一方で、カルナリアひとりで、道もろくにわからない、あの七人が待ち受けているタランドンの街に出るなど論外――ここから解放されてしまったらむしろ困るというのも事実だった。


 つまり、カルナリアにとって望ましいのは、マノンやこの場所が求める『人魚』などにはならないまま、ここに居座り続けて、救出を待つこと。


 自分がここにいることを知れば、あのぼろぼろ怪人が、何とかしてここにやってきて、奇妙奇天烈な方法であの七人の襲撃をかわしつつ脱出させてくれるはずだ。


 ……たぶん。


 めんどくさい、とあきらめて去ってしまうかもしれなかったが……。


(あの状況から逃げのびて、吠え声でご自分の無事をわたくしに知らせてくださったのですから、わたくしを助けてくださるつもりは……きっと、あるはずです!)


 カルナリアはそこに全賭けした。


「わかりました。ご主人さまを探してくださるのでしたら、見つかるまでは、待ちます」


「そうかいそうかい。それならまあ、ゆっくり待つといいよ。その間に、うちの子たちに色々教えてやってくれると助かるよ」


 狙い通りになったと思ってか、マノンは孫をあやす祖母のように穏やかに言ってきた。


 自分をさらい、勝手に売り物にしようとしているくせにと、少しばかり腹立たしくなる。


 また、これだけでは足りない、このままでは非力な自分は閉じこめられるだけだという予測も容易についた。


 そこで、カルナリアは危険な賭けに踏み切った。


「それともうひとつ…………フィン・シャンドレンという方を、探していただきたいと思います」


「フィン? そういや前にも言っていたね」


「このタランドンにおられるはずです。ご主人さまは、その方を頼ってここに来たので……」


 ぼろぼろ怪人に助けてもらうには、自分がここにいることを知らせなければならない。

 そのための賭け。


 心臓が高鳴る。さあどうなる。


 ――部屋の外で何かが動いた。


 ノックされ、マノンとコームが呼ばれた。


 フィンの名前に、『透過』の壁向こうにいた誰かが反応したのだろう。


 やはり知っている者がいた。


 賞金をかけられているおたずね者として知っているのなら、カルナリアを利用して、おびき寄せて捕らえようと考えるかもしれない。


 その場合でも、カルナリアがここにいるということが確実にフィンに伝わる。


 ドルー城襲撃犯の名前だということでタランドン侯爵に通報するのならば、侯爵に近づけるということでカルナリアとしてはむしろ望むところ。偽装がはがれた今なら、顔を見せるだけで侯爵には第四王女だとわかってもらえるのだから、城の関係者に引き渡されたところで堂々と本当の名を告げればいい。その後で、ここまで自分を守ってくれた恩人ですと、フィンの保護をお願いする。


 あの七人がどう動くかはわからないが、少なくともここでただ襲撃におびえているだけよりはましだ。


(最悪は、あのひとがものすごく憎まれていて、関わりがあるというだけでわたくしが殺されることですが……あのひとの情報を得たいでしょうし、わたくしを何とかしてここで育てたいという欲もあるでしょうから、そうはならないはず……)


「…………」


 一方でカルナリアは、先ほどからずっとこちらを見つめ続けているオティリーが気になった。


 監視役としてこの場に居残っているのだから、見てくるのは当然なのだが――。


 この女性をそれほど知っているわけではないが、どうにも様子がおかしかった。


 視線に、妙な感情が乗っている。


 憎しみ、怒り、うらやみ、同情、感心……そのどれでもない、好意でも悪意でもない、カルナリアでは分類できない、しかし異常なほどに強い感情。


 強い感情ということだけはわかるのに、どういうものかがわからない。

 そういう相手と二人きりというのは、きわめて居心地が悪かった。


「……あの……オティリーさん」


「何だい」


「あなたは、どうして、ここに……?」


 きらきらした首輪を見ながら訊ねた。


 オティリーは暗い笑みを口元に浮かべた。


「あたしの家は五位の、郡主だったんだけど、それほど豊かな土地でもなくて、いつもカツカツでね。

 数年前に、ひどい不作になって、税を取ったら飢え死にする者が出るって状況で、父親の一存で税を下げてその分は借金で埋めた。来年の収穫を担保にね。

 そしたら次の年はもっとひどい凶作で――破綻、没落、娘のあたしはラーバイに売られた」


「そんな……困った人たちのためにしたことなのに……」


「いい風が吹かないとそんなもんさ。よくある話だよ」


 確かに、カルナリアがまだ物事をよくわかっていない頃、やたらと寒い年があり、今年は不作だとか飢饉が起きかねないとか大人たちが言い合っていたのをおぼえている。


「ここで働いて、お金を貯めて自分を買い戻せば、元の土地に戻れるんですよね?」


「一応は、そういう理屈になってるね。でもあたしの借金はひとりで稼いでどうなる額じゃないし――あのババアは、あたしが客を取れるうちは手放すわけがないし…………それに」


 そこでオティリーの顔つきが、あの理解できない感情にどろりと濁った。


 表情としては暗い笑みのままである。

 だがその目に、どろどろの何かがあらわれている。


「悪い色」ではない。それはわかる。

 しかし、悪くないのに、気味が悪い。理解できない。それがさらに気持ち悪い。


「……あたしの予想では、あのババア、あんたを逃がさないために、強引にをやってくるね」


「あれ、とは何ですか」


「その時になればわかるさ。教えない方があたしとしては面白い」


「痛いことですか。逃げる気を起こさないように――傷をつけずに痛みだけ与えるやり方が色々あるとは聞いたことがあります」


「それならあたしだってできる。ひじのくぼみに指先をねじこんだり、足首をかかえて引っ張りながらねじったり、ね。そういうのがお望みなら、やってあげてもいいんだけど」


「お断りします」


「安心しな、そういう痛いのじゃないよ。ふふふ……」


 どろりとしたものをたたえながら、オティリーはほくそ笑んだ。


 カルナリアの背筋に冷たいものがはしった。

 ここまで何度も危機に陥ってきたが、今が実は、最も危うい状況なのではないだろうかという予感がした。


 マノンが戻ってきた。

 コームではない、別な男を連れている。


 布を頭に巻き、目だけを出していた。

 その目は強い光を宿している。

 顔はわからないが、きわめて強い「武」の才能と、悪い色が見えた。

 あの七人とよく似た色合い。

 同じような残酷なことをやる人間なのだろう。


 ゆったりして見える――あちこちに色々なものを隠し持っていそうな衣服。


「お前に……訊ねる…………全てに、はい、と答えろ……」


 しわがれた、老人のような声がした。

 本当に老人なのかどうかはわからない。

 だが逆らうことを許さない強い圧力を受けた。


 相手の衣服の内側に、魔力を感じた。

 この人物は魔法具をたずさえており、それが作動し始めた。

 どういう効果のあるものなのか。一切嘘をつけなくするようなものか。魔力が及んでくる感じはしないが……。


「お前の名前は、リア、だな」

「はい」


 どう判断されたかはまったくわからず、胸がいやな動悸を打つ。


「フィン・シャンドレンという人物の、知り合いだな」

「……ご主人さまが、会おうとしていただけで……」

「返事は、はい、だけでいい。本当ではなくてもいい。とにかく、はいとだけ答えろ」

「はい……」


「フィン・シャンドレンに、直接会ったことがあるな」

「はい」

「顔を見たことがあるな」

「はい」


 魔法具の魔力に変化は感じられない。


「フィン・シャンドレンというのは、男だな」

「……はい」

「使う武器は、剣だな」

「はい」

「人を斬ったのを見たことがあるか」

「はい」

「魔法を使うか」

「はい」

「この街にいるのだな」

「はい」


 はい、とだけ答えればいいので楽ではあったが――これは恐らく、真偽を判別する魔法具を使っているのだろう。

 事実と違うことを言えば反応する。

 それを使いつつ、二択で答えられる単純な質問を重ねることによって、正しい情報をはっきりさせる訊問方法だ。


 なので、答えることは楽だが、その結果はきわめて危険。

 しかしはいと返事するだけなので、抗うのも難しい。色々ごまかす返答ができない。

 相手も、自分の返答とそこからわかることをどう感じているのか、こちらを見つめてくる目にまったく変化がなく、わからない。


 ……フィンが、自分の顔をかたくなに見せようとしなかったし、自分のことも全然教えてくれなかったのは、こういう時のためかと、心から納得した。


「お前の名は、ルナだな」

「……はい」


 質問が、こちらの身上しんじょうに向いてきた。

 先ほどはリアだなと訊ねたのに、今度はこう。

 どちらの名前が真実かを判定するつもりだろう。


(カルナリアの愛称でリア。一部を取ってルナ。どちらも本当の名前であり本当の名前ではないのですが、どうなるのでしょう……)


 自分について訊かれるのは、むしろ望むところだった。


 本当の名前はカルナリア、十二歳、実は王女と自分で言い出すよりも、ここでそのように判定してもらう方が信じてもらいやすい。


 王女とわかれば、タランドン侯爵へすぐに連絡が行くだろう。


「お前は、十歳だな」

「はい」

「お前は、十一歳だな」

「はい」

「お前は、十二歳だな」

「はい」


 魔法具は違う反応を示したはずだが、男の目にはやはり一切の変化が現れないまま、十五歳まで問われ続けた。


「お前は、貴族だな」

「はい」

「お前は、平民だな」

「はい」

「お前は、奴隷だな」

「はい」


(王族ですけれど、あのひとの奴隷……どう判定されるのでしょう?)


「お前の主人の名は、レントだな」

「はい」

「お前の名は、エリーレアだな」

「……はい」


 お前はカルナリアだなと訊いてくれれば話は早いのにと、もどかしく感じる。


「……よし、ここまで」


 訊問が切り上げられると、カルナリアは息をついて体をゆるめた。


「何かわかりましたか?」


 部屋を出ようとする男に、マノンが下手に出て訊ねる。この男はずっと上の立場の人物であるようだ。


「色々と。この娘、外に出すわけにはいかなくなった。詳しくは後で知らせる。休ませておけ」


 男の言葉にカルナリアはぞっとしたが――安心もした。

 殺されることはなくなった。

 それならまだ望みはある。


 問題は、フィンの扱いだが……。


 フィンの名前を聞いて動いたのだろうあの男に、殺意、敵意のようなものは感じなかった。

「フィン・シャンドレンだと! ぶっ殺す!」……というような遺恨は、とりあえずなさそうだ。

 目先の賞金に食いつくほど、このラーバイという場所が金に困っている感じもしない。


 それなら、自分の正体を見抜いてくれれば、それに関係する者として、フィンのことも尊重してくれる可能性が高い。


(これで、大丈夫なはずです! うまくいきました!)


 ――内心で勝ち誇るカルナリアを、マノンとオティリーが、邪気たっぷりの笑みを浮かべて見つめていた。





【後書き】

自分が王女であることをわかってもらえれば救われるのは当然と思っているカルナリア。本当にそうだろうか。その浅い認識がもたらすものは。

次回、第73話「特別室」。

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