035 制裁


「い…………生きて…………!?」


「死んでいる」


 カルナリアはフィンのことを言い、フィンはおそらくバールのことを言った。


「つかれた。一生ぶん働いた。もう何もしたくない。このまま大地とひとつになりたい。風になってずっと流れるのでもいい」


「………………」


 カルナリアの腰が抜けた。

 王女の尊厳を失いそうになったが、それはぎりぎりでこらえた。


 尻餅しりもちのまま土の上を這いずっていって、ぼろ布の上に身を投げ出す。


「ぐぇ……何をする」


 粗いがちくちくはしない布地の下に、はっきりと、人の体があった。

 頭と胸と腰がわかった。剣もあった。


 カルナリアは胸のところに頭を埋めて、額の痛みもかまわずぐりぐり押しつけた。


「うぅ、う、う、うぅぅぅ……!」


 涙があふれてきた。

 全部ぼろ布に垂れ流して、顔を押しつけ、さらに嗚咽おえつし続けた。


「あー、まったく、もう…………めんどくさいやつだな……」


 けだるげな声と共に、腕が出てきて、背中をさすってくれる。

 手以外の部分がどういう衣服なのかはわからない。どうでもよかった。


 しばらくさすられて、涙が収まり、気持ちも落ちついてきた。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ……」


「……本当に、めんどくさいやつを、買ってしまったな……」


 むくりと、ぼろ布が盛り上がった。

 身を起こしたのだ。


「あっちだ」


 手が、しがみつく場所を頭部に変えようと伸び上がったカルナリアのあごをとらえて、無理矢理横に向けた。


 ぞわぞわぞくぞくと鳥肌を立てつつも――強制的に見せられた先にあるに気がついて、ぎょっとした。


 渓流。その途中に突き出す、鋭い、細長い岩。

 先端がとがっており槍を思わせるそれの、上の方に染みついている――血痕けっこん

 荒事には素人のカルナリアでもわかるほどに明瞭な、茶褐色の、血のあと


 熊は、その槍のような岩の、根元のところにうずくまり、半身を渓流に洗われている。


「お前が、枝にぶつかって、ひっくり返って、落ちた。

 が追いかけてきたが――すべって、落ちて、に落ちて、死んだ」


「…………」


 理解した。


 確かに、先端に血や毛皮のついた細長い岩槍の、さらに上の山肌に、同じく血のついた、草木が不自然にかきわけられ踏みつぶされた痕跡が見える。


 巨大なものが、あそこを転がり落ちてきて、岩槍の上に落下し、致命傷を負って、絶命した……そう判断するしかないものだ。


 つまりは、自分は生きのびて。


 自分を守ってくれるフィン・シャンドレンも、ぎりぎりのところで逃げのびて、生き残ったのだ。


「よっ、よかったっ、よかったですっ、無事でっ、ぶじっ、みんなっ、ぶじでっ……!」


「やかましい」


 泣き崩れるカルナリアを、フィンは容赦なくさえぎった。


「怪我は。痛むところはあるか」


「……おでこが……他は、大丈夫です……」


「それならいい」


 また、ぼろ布は地べたに広がってしまった。


「大丈夫ですか!?」


「つかれた、と言っただろう。どうしてか、考えろ」


「むう……」


 自分は、枝に頭をぶつけて気絶した。

 転げ落ちたらしい。

 それが今ここにいるということは。


「……、ここまで運んでくださったのですか……!?」


「力を強くする道具は使い切った。女は弱いのだ。筋骨隆々たる男と同じことができるわけないだろう」


 フィンが自分を軽々と抱えて運べた理由がわかった。

 ここからはもう、そうしてもらえない。

 その原因は、自分。


「もうしわけありませんっ!」


 王女の誇りは脇にのけて、這いつくばって謝罪した。


 落ちるな、と警告されたのに。

 落ちたら命が無駄に散る、と言われたのに。


 まさにその通りに――自分たちを襲ってきた相手とはいえ――命がひとつ、散ってしまった。


 そもそも、自分がフィンに飛びつこうとして転げ落ちたのがすべての根源。


「結果的に、あの難所を一気に越えられたが――これも、二度とやらん。まったく……よりにもよってこの山のに出くわすとは……」


「もうしわけありませんっ!」


 カルナリアは低頭し続けた。


 フィンが駆け下りて、その勢いであのバールの鼻先に石を叩きつけ、引きつけてくれなければ、自分は食べられていたのだ。


 ――勢いが強すぎて、傷つけられたからこそ、熊はあそこまで執拗に追ってきたような気もするが……。


「熊というのは頭がいいからな。中途半端では、お前を引っいて、出血で動けなくなるようにしてから私を追う、という行動を取っていただろう」


 ひとりごとをぶつぶつ言っているような口調だが、まさに心の中を言い当てられて、また熊の爪も思い出して、カルナリアは戦慄した。


「まあ、こちらを食おうとしていたのだから、逃げられ、失敗したのもまたこの世の摂理というもの……あとは、だ」


 ぼろぼろが起き上がった。


「……お前では、無理だな。休んでいろ」


「何をなさるのですか」


「山では、獲物は、倒した者が権利を得る。そういう決まりだ。つまりあれの、金になる部分は、にしていい」


 解体、ということか。

 あるいは素材採集。


「つかれたが、採っておけばこの先で楽ができる。楽するために、やらなければならない……」


 これまで見たことのない頼りない動きで、ぼろぼろは熊の死骸に近づいていった。

 あの薬や色々な魔法具は、こうして入手し、交換したり換金したりして手に入れたということか。


 つまりある意味、ご主人さまの、本業。

 ということは、自分も……。


「……あ、あの、お手伝い……は……」


「やったこともなく腕力もなければ無理だ」


 相手にされなかった。


「それよりも、採ったものを持っていく袋を用意しろ。爪と牙だ。捨てることになってもいいもので。売れれば新しいものを手に入れられる。あと、その辺の蔓草つるくさも集めておけ。長いものを、たくさん」


「は、はい……!」


 背負ったままの自分の荷物袋から布を取り出し、はしを縛って、ものを入れて持ち運べるようにした。


 それから、木にからみついている、自分でも取れるところにある蔓草つるくさを引っ張って、レントの短剣で切り取る。


 そういうことをしている間に、フィンはバールの死骸のかたわらにかがみこんで、何かやり始めていた。


 座りこみ、ほぼ正三角形になっているぼろ布に隠れて、具体的な作業の様子は見えない。


 見えていたら、お姫様のカルナリアには厳しい光景が展開していたことだろう。

 水の色が変わり、どぶ、どぶ、どぶとが水中に落ちる音がした。フィンが手を洗っているらしい軽い水音もした。


「よし。来い」


 欲しいものを手に入れたらしいフィンが呼ぶ。


 もう死んでいると聞かされても、やはり自分を食おうとしてきた相手に近づくのにはかなりの勇気が必要だった。


 しかも、近づくにつれて、獣臭とはまた違う、生ぐさいが濃くなってくる。

 赤いもの、ぬめぬめしたものも見えてくる。

 水の色が変わっている。


「これを」


 よく洗ってあるが生々しい、根元にいくらか血の色も付着している牙と爪が石の上に並べられていた。


 カルナリアは顔を引きつらせつつ、それらを布に包みこむ。


「それから、蔓草つるくさしばって、持ち運べるようにしろ」


 どん、と大きなものが置かれた。


 長い爪が五本生えた――バールの、てのひら


 人でいえば手首のところで切断されている。

 カルナリアの顔面よりも大きい。


 切断してすぐ水につけ血抜きをしたのだろう、血なまぐささはそれほどではないが、あるにはあって、さらには生々しすぎる肉が切断面にしっかり残っていた。


「し、しばれ、って……!?」


「できないならいい。では、そこの水の中に沈めてあるを、つぶさないように軽く握って、血をできるだけ出してから、この袋に入れろ」


 代わりの仕事を言いつけられ、小さな袋を差し出された。

 これは知っている。薬を小分けしたあれだ。


 言われた「もの」は――赤黒い、生々しい、明らかに内臓である、弾力ある肉片だった。


(ひぃぃぃぃぃ…………!)


 カルナリアは悲鳴をあげたかったが、あげたところで何にもならないどころか、評価が下がるだけなので、耐えながら、きわめて冷たい水中のそれを、指示どおりにこわごわと握って血を出していった。


「それは、切り分けた心臓と、きもだ。干したものは貴族向けの薬として高く売れる。魔法の通りもいいらしく、魔法薬の原料にも使われる」


「………………!」


 自分に塗りこまれたものの原料を、こんなところで知ってしまった。

 あまり知りたくないものだった。


 カルナリアが内心で悲鳴をあげつつ言われたことをやっている間に、フィンは蔓草つるくさを使ってバールてのひらを巧みに縛り、ぶら下げて持ち運べるようにしていた。


「牙や爪は、磨いて、彫刻の材料にしたり、粉を薬にしたりもする。この手はいい形をしているので、専門の職人なら、上手く加工して、貴族向けの商品にしてくれるだろう」


 王宮のいたる所にあった工芸品の原材料およびその採集現場も、カルナリアは知ってしまった。

 もし戻ることができたとしても、今までと同じ目で見ることはできそうにない。


「毛皮と肉は、持っていくのは無理だ。ではこんなところか」


「はいぃぃ…………」


 それほどの時間はかかっていないはずだったが、カルナリアは何日も作業をし続けていたような疲労感をおぼえてへたりこんだ。


「ちょうどいい。に上がって、寝ろ」


 大きめの――カルナリアの体格ならちょうど横たわれるような、平らな表面をした岩があった。


 こけに覆われているそこに、言われるままによじのぼって、横になる。


 フードもかぶっているので直接肌が触れることはなく、すると想像以上にいい寝心地だった。

 すぐそこに生々しい死骸がある、ということさえなければ、このまま渓流の水音を聞きつつ昼寝してしまえそうな。


 ――油断していた。


 慣れない上にきついことをやらされて気疲れし、休めることにほっとしてしまった。

 指示された通りに横たわることも、何の抵抗もなかった。


 だから、フィンが触れてきたとき、反応できなかった。


 麗しい手には、指輪がはまっていた。

 魔力を感じた。


 その指に触れられた途端に、体がまったく動かなくなった。


「あ……!?」


 これは、だ。

 麻痺の魔法具。薬を塗りこまれた時の。

 こういうものだったのだ。


 理解したが、それだけ。

 もはや指一本動かせない。


「うあ…………あ…………あ?」


 今度は声もまともに出せなかった。

 呼吸はかろうじてできるが、かなり苦しい。吸い、吐くことに全力をこめなければ窒息しそう。


 カルナリアを麻痺させておいて、フィンはそのかたわらで何かやりはじめた。

 視界の端にかろうじて見える。

 黄ばんだふくらみをもった太い草を、平べったい石の上で、同じような石を使ってすりつぶしている。ぐちゅっという音がわずかに。


 そのすりつぶした、ねっとりとしたものが付着した石を近づけてきた。


「これが見つかってよかった。まあつらいことになるが、めんどくさいことを沢山させた、罰だと思え」


「あう…………!?」


 とてつもなくいやな予感がしたところへ、フィンの指が来て、まぶたを閉ざされた。


 そこに、石をこすりつけられた。


 付着していたねっとりしたものが、こぶのできている額から、閉じた右目の上を通り、右頬へ。


 その時はまだ、石のする感覚の方がいやだった。


 だが、少しして。


「……………………!!!!!」


 とてつもない引きつりと、かゆみが襲ってきた!




【後書き】

走らされ、はたらかされたご主人さまはご立腹。王女の顔面に起きた変化とは。次回、第36話「新しい顔」。

今話でもカルナリアのおでこにでっかいコブができた。映像化した場合、つくづく可愛い顔のままでいることが少ないヒロイン。彼女が美少女に戻る日はいつ来るのか。

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