028 熊出没注意


(見破られた!?)


 馬はしきりに首を振り、ブルルルと声を漏らし地面を蹴った。


「ようし、ようし、落ちつけ、悪いがエサはまだだ、もうちょっとだけ待ってくれな、隊長たちが戻ってきて村についたらたっぷりやるからな」


 兵士はその首に手をかけ、穏やかに話しかけてなだめる。


 どうやら警報を発したというわけではないようだ。


 しかし認識阻害が効いているのかどうかはわからない。

 こちらに気づいているが気にしていないだけかもしれない。


 フィンはさすがに馬に近づくことはせず、早めに道を外れて、馬と兵士を遠巻きに迂回しつつ山道に近づいていった。


 あの道に入った。


 カルナリアは息をついた。

 かなり呼吸を忘れていた。


「……動物にも一応は効くが、ごまかせるのは見た目だけだからな。音とにおいで気づかれることが多い」


 山に入りこんで、木々と岩の間を曲がりくねる小道を登ってゆき、兵士も馬も見えなくなってから、フィンがぼそっと答えを教えてくれた。

 もうしゃべっていいということのようだ。


「犬を気にしていたのも、それでしたか」


「薬のにおいはぎつけられやすい。だから常に風下を取り、何度か流れを渡ったが……どこまでごまかせるか。めんどくさいことはしたくないが、犬が来た時は剣を使うしかない」


「……さっきの兵士のひと、斬っちゃうのかと思ってました」


「人を斬るととにかくめんどくさいぞ。何かされたわけでもないのにそんなことするか。怖いことを言うな」


 剣士であるというのに、カルナリアの方が悪党のように言われてしまった。


「それよりも――暗くなる前に、どこまで登れるか、だな」


「っ!」


 カルナリアはうめいた。

 胸を突き刺されたような気持ちに襲われる。


 この先に、宿があることをカルナリアは知っている。


 知ってしまっている。


 フィンはカルナリアの気持ちに気づくわけもなく、その体を背負ったまま、山道をスイスイと登ってゆく。


 その地形、道の状態、途中の石や木の根、ひとつひとつが記憶にある。

 レントに手助けしてもらったところをフィンがまたぎ越える。

 エリーレアに押してもらったところを軽々と登る。

 渓流の音が聞こえてくる方向も響きも全て同じだ。


 近づいてくる。

 が、近づいてきてしまう。

 時間帯もあの時とほとんど同じ。


 フィンがあそこで夜を過ごすと決めたなら。

 自分は耐えられるだろうか。


「……む」


 だがその前に、フィンが歩みを止めた。


 鋭い音が聞こえてきた。


 下の方から。

 笛の音だ。


 恐らく、先ほどの兵士。

 村の異変を知り、山に入った者たちに緊急事態発生を知らせたのだろう。


「まずいな」


 ここまでは他の兵士たちを見ていない。

 ということはもっと上にいる。

 それが今の笛で戻ってきてしまう。


 フィンが素早く周囲に目をはしらせた――首の動きでカルナリアにもそれとわかる。隠れ場所を探している。


 山道を外れ、かなり大きな岩の陰に移動した。


 そこでかがみこむ。周囲には丈の高い草が生え、細い木も何本か枝を広げている。認識阻害の布をかぶりじっとしていればまず見つからないだろう。


「来たぞ」


 カルナリアにも「見え」た。

 山道の上、木々の合間に、動くもの。

 降りてくる。一列になって、ぞろぞろと。十人ほど。


 しかし。


「……まずい。

「!」


 その中に、村の入り口に来ていたのと同じ風体ふうていの、犬を綱で引いている男がひとり混ざっていた。


 元々は四頭いたのを、一頭こちらの探索に回していたのだろう。


 あの犬は、カルナリアのにおいをしっかり認識しているはずだ。

 自分が寝転がっていた場所があり、この道を這い下りてもいるのだから。


「降りろ」


 これまでと違う緊迫した声音でフィンが言った。


 カルナリアの足が地面についた。

 腕も離した。


 フィンとの接続が切れたらしく、周囲が「見え」なくなる。

 完全な闇になってしまった中、すぐそこにある女性の体がもぞもぞする。お尻だろう大きな丸いものに一度押された。荷物を下ろしたようだ。


「今はこちらが風下だが、あいつらが通り過ぎれば、当然、気づかれる」


 闇の中で、剣が角度を変えたのがわかった。


 ついにこの謎の人物の、剣の腕前が見られるのか。


「気づかれたら、からな。驚いて動いたり叫んだりしないように」

「……吠える…………ああ、鳴き真似、ですか」


 この怪人がそれを得意としていることは知っている。


「同時に、犬が苦手な獣の臭いをく」


 薬の袋かびんを開けたらしく、かすかな獣臭がした。


 戦うつもりはないようだ。

 相手が十人以上なのでそれが正解だが――少しだけ残念ではあった。


 だがとにかく、「その瞬間」を逃さないようにしようとカルナリアは思った。


 吠える、撒く――その時にはこのぼろ布をめくりあげるか外に出るかするはず。そうすれば光が入る。フィンの顔が見える。この人物の「色」を確かめられるはず……。


「………………」


 じっと待つうちに、人の気配はいよいよ近づいてきた。


 平地の道と違って曲がりくねっているので、声がすぐ上から聞こえてきても、一度遠ざかり、また近づいてくる。心臓に悪い。


 だがもう間違いなく、すぐそこに来た。

 男たちの荒い息づかい、足音、身につけている装備が立てるカチャカチャした金属音――それらが、水平から、下の方に移動してきた。


 隠れている岩の、直下にさしかかる。


「この道、もしかしたら、明日、また、登らされるのか?」

「今度は、盾、置いてきていいっすかね」

「何もなかったんだからさあ、俺たち抜きでもいいよな」

「うるさいぞお前ら!」


 隊長だろう男が怒鳴り、口をつぐんだ連中がぞろぞろと通過してゆく。


「おーい!」


 下から声がした。馬をなだめていた兵士だ。

 見に行った同僚から村の異変を聞かされ、笛だけではなく本人も急いで登ってきたのだろう。


「何があった!」

「ローツ村が燃えてまーす! また本隊は村に突入! 村人たちを片端から捕まえている模様ーっ!」

「なにっ!」

「略奪か!? くそっ、早く行かねえと全部とられちまう!」

「メシ! 女!」


 兵士たちは色めきたった。

 下山する足を速める。


 ローツ村の人々の無事をあらためてカルナリアは祈りつつ――これなら気づかれずにすむかも、と自分自身の幸運も祈った。


 フィンの動きと顔を見られる機会を失うのがちょっとだけ残念……。


「…………


 冷ややかな男の声が、ひとことだけで兵士たち全員の動きを止めた。


 犬の、低く危険なうなり声がした。


「止まれ。何かいる」


「盾持ち、前へ! 弓、かまえ!」

 隊長が即座に叫んだ。


(気づかれた!)


 カルナリアの心臓が跳ねた、次の瞬間。


 バッ。


 風まく音と共に、突然、世界がつやのある緑色に染まった。

 視界がそれ一色になる。

 波打っている緑色。

 大きく広げられた布……だ。


「ウガアアアアァァァァァァァァァァァ!」


 咆哮ほうこう


 鋭く高い狼の声を想像していたカルナリアは、想像と違う、濁った大音量の怒号に耳をぶっ叩かれた。


 続いて、山が騒ぎ始めた。

 メキメキ。地面が揺れるような。足の下で何かが動く。


 動き、傾き、倒れてゆく――木!


「うわああああっ!」

「まずい! バールだ!」

「ギャウッ!」


 最後の悲鳴は犬のものだった。


「引けっ、引けえええ! 逃げろぉぉぉ!」


 兵士たちは慌てふためき、いっせいに逃げ下っていった。

 さらに二本ほど木が倒れていった。


 カルナリアを闇が包みこんだ。

 ふわりと、風が動く。

 布がかぶさってきたのだ。


「………………」


「よし。行くぞ」


 何か言われたようだが、耳がジンジンしてよく聞こえない。

 すごすぎる声だった。


 腰のところに腕を巻かれた。


 麻痺している体は、文字通りの荷物として、持ち上げられた。


 何も見えないし体も固まった状態のまま、上方へ移動した。横へ移動した。運ばれた。


 山道の、少しだけ平坦になっているところで下ろされると、ようやくカルナリアの手足は動きを取り戻し、耳鳴りも治まってきた。


 一度フィンが横に移動し、カルナリアを布の外へ出した。


 影の濃い、夕暮れの森の空気に包まれる。


「う…………」


 カルナリアはよろめきながらも立ち上がり、深呼吸し、体をほぐした。


 水をもらって、飲んだ。


「怪我はないな」


「は、はい……大丈夫です…………けど…………いったい、何が…………」


バールはわかるか」


「はい、ことが…………っと、お話の、そういうのを、聞いたことあります……」


 王宮で剥製はくせいとして飾られているものを見て、その牙や爪やなどにべたべた触って遊んだことがあると言いそうになって、何とかごまかした。


 毛皮に包まれた大きな体と鋭い牙、爪を持つ四足獣。

 尾が短く丸いものと、長く伸びて毒針をそなえ自在に動かせるものがいて、カラント国内には毒針持ちは生息していないと教わった。


「それに見せかけた。実際に、この山の中にいるものでもあるし」


 理解できてきた。


 視界を埋めた突然の緑色――あれは、ぼろ布の内側、「透過」の魔法がかかっている面だ。

 あんな色だったのだ。


 フィンはあの瞬間、ぼろ布のを大きく宙に広げた。

 枯れ草色の大きなもの。瞬間的には大きな毛皮にも見えるだろう。

 そこへ、咆哮ほうこう

 兵士たちの勇気も魂も一瞬で吹っ飛ばす、凄まじいもの。

 においも撒いて、犬を怖じ気づかせた。


「…………木は?」


「倒れそうだったので、倒した」


 奇術も同然のやり口だった。


 ぼろ布を跳ね上げ、叫び、木を倒す。

 それらのタイミングが合致して、兵士たちにはまさにバールが木をなぎ倒して襲いかかってきたように見えたことだろう。


「これで、次に登ってくる時は慎重になる。下手に犬も放てまい。かなり時間が稼げるぞ。楽ができる」


 フィンの声に喜びの感情が乗った。


(……顔、見損ねました……)


 突然の緑色と咆哮で麻痺してしまい、振り向くことができなかった。

 それができていれば、顔も体もさらしたフィンがそこにいたはずだったのに。


「さあ、登るぞ」

「はい……」


 いよいよ、空の色がなくなってきた。


 このままだと、で休むことになりそうだ。





【後書き】

「ベアー」ではなく「バール」。この世界のものは地球の熊とはちょっと違う。次回、第29話「飛翔」。カルナリアは未知の世界へ。

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