029 飛翔
薄暗くなってきた山道を、ひたすら登る。
もう兵士の目を誤魔化す必要がないので、背負ってはくれない。
カルナリアは懸命に脚を動かした。
フィンは、カルナリアの後ろに回って、ついてくるかたち。
手助けしてくれることこそないが、転んだり踏み外すことのないよう、気を配ってくれていることは感じ取る。
――見覚えのある光景があらわれてきた。
渓流の音が穏やかになり、木々がなく空が見えている、ひらけた場所。
野宿にいい、川べり。
「……ふむ」
山に慣れているだろうフィンが、明らかにそこに気づき、夜を過ごす場所として興味を示した。
「あ…………」
カルナリアの足が固まった。
突然、動かなくなった。
フィンのぼろ布をつかんで引き止めようとして、ふいっとかわされた。
「どうした」
「そっ…………そこは…………そこはっ……!」
口も回らない。汗が噴き出る。息が苦しい。
前のご主人さまが殺されてしまった場所です。
いやです。ここだけはいやです。
そう言って何の問題もない。最初の時に、カルナリアからも、ランダルからも言ってある話だ。
だが言えない。言葉を発すること自体ができない。
言葉にすると、あれがまた起きてしまうような気がする。
あれを呼び寄せてしまうような気がする。
「ふむ。だめだな」
しかし、フィンの方から言ってきた。
「地形はいい。時間もちょうどいい。だが、人が死んだ場所だな。それもつい最近。血の跡、いやな気配。これはのんびりできそうにない」
「…………」
カルナリアは何も反応できず、荒い息をつくだけ。
「だがお前も、限界か――仕方ない」
使うか、とフィンは言った。
ぼろ布が高さを失う。しゃがみこんだ。
もぞもぞする。また中で何かやっている。
「入れ」
「………………はい」
カルナリアはぼろ布の端をめくった。
……外の面も、ぼろぼろの見た目と違って、それほど粗い手ざわりではなかった。
中のものは、相変わらず暗くて何も見えない。
人体があるのがわかった、それが限界。
カルナリアにも余裕がなく、好奇心が動くこともなく、温かなベッドを求めるようにすぐ闇の中に入りこんだ。
フィンの背中にへばりつく。
ぬくもりと人のにおいに、
「ああ…………もしかすると、ここか。お前の、前のご主人様たちが……」
フィンは察してくれたようだった。
カルナリアは無言でうなずいた。
頭を
それでさらに泣いてしまった。
「いいご主人様たちだったんだな」
「……はい…………とても…………いい……ぐすっ」
「祈っていくか?」
「…………ここで…………」
しゃくりあげながら、カルナリアは闇の中でレントとエリーレアに祈った。
(泣くのは、これで、最後にします。必ずこれを、レイマール兄様に届けて、この国を救います)
決意も新たにした。
「落ちついたら、先ほどのように、しがみつけ」
「はい…………もう、大丈夫です」
もそもそとだが、カルナリアはフィンの背中によじ登る。
登りを続けていたせいか、フィンの体は先ほどより熱い。汗ばんでもいる。
軽々と動き続けていたが、やはりこの人物も疲れはするのだ。
ということは、死んでしまうこともあり得るのだ。
今の自分が唯一頼れる、このひとがいなくなってしまったら。
カルナリアは強くしがみついた。
一方で、自分が今カラント王国の命運を握っているということなど一切わかっていないだろう、自称絶世の美女で自称剣士の、真なるなまけ者、本物のぐうたら怪人は。
「立つぞ」
カルナリアの態勢が整ったと見るや、すぐに立ち上がった。
周囲が「見える」ようになった。
夕闇が垂れ落ちてくる山の中。
あの川べりも木立の間にまだ見えている。
「……ふむ」
また、少し揺さぶられる。
「顔を私の頭にぶつけないように。脚を前に回して、足首を重ねろ。少しの間、お前の脚を持っていることができなくなるからな」
「は、はい……?」
言われたようにした。
何をするというのだろう。
「じっとしていろ」
足首に妙な感触。
――
「あの……!?」
「飛ぶぞ」
その場で数回、ジャンプされた。
小さな上下動だったが、ぶつけないように、という意味がよくわかった。
あごと頬が少し痛んだのでフードをずらしてフィンの頭部との間に入れる。
「いいか」
「はい、多分……」
何をするのか。何が起きるのか。
カルナリアは緊張に喉を鳴らした。
「では、行くぞ。舌を噛まないように。私もしばらく集中しなければならん。お前が落ちても助けられん」
「はい…………っ!?」
ぎょっとした。
魔力を感じた。
魔法具の発動。
これまで見てきたものとはまったく違う――大きな魔力!
下の方から感じた。
フィンにしがみついている自分よりも、もっと下。
恐らくフィンの、足――足首か、靴か。
一流の魔導師に匹敵する魔力が、フィンの体を駆け上がってきて、全身にみなぎった。
――カルナリアは、魔力を感じ取ることはできるが、どういう魔法なのかを判別することはできない。
だが知識はある。この状況、準備から推測もできる。
身体を強化し、すごく速く走れるようになるものではないか。
その予想は、半分的中し、もう半分は外れた。
フィンが動き出した。
「すごく」速く走りだした。
そこは的中した。
だが、外れた――「すごく」ではなかった、カルナリアの予想をはるかに超えていた!
(ひゃああああああああああああ!?)
「見えて」いる景色が、突然後ろへ消えていった。
体が置いて行かれそうになった。足首を縛られていなかったら、下半身が後ろに残り腕だけでフィンにしがみつくことになっていただろう。
飛ぶ。
山の木々が、岩が、現れたと思ったら一瞬で後方へ飛び去ってゆく。
高速移動。
いや、「超」高速移動。
平地であるかのように軽やかに疾走する、というのがカルナリアの想像していた「速い走り」だった。
まったく違った。
最も飛ばした時の馬車、最高の馬による全力の
あの場所から先はカルナリアも知らない――これまでと同じような曲がりくねった山道、だがフィンは、そこを一直線に駆け上がってゆく。
一歩ごとに景色が飛ぶ。
ひと踏みごとに体が宙に浮く。
あらゆるものがたちまち後方へ置き去りになる。
(うわ、うわ、うわ、うわ、うわあああああ!)
カルナリアが内心で絶叫するうちにも、木々の間を縫ってぐんぐん駆け上がっていって……。
(ちょっと! 待って! あれは! あんなの!)
崖、だった。
垂直ではないが、ほぼそれに近い急斜面をなす白っぽい岩肌が、横に長く広がっている。
……女子供でも時間さえかければ越えられる道なら、もっと交易に、あるいは軍の移動にも使われ、知られているはずだ。
これまでそうなっていない、地元の者しか知らない道であった理由がこれだった。
通れそうな場所は一ヵ所だけ。
崖が崩れて、大岩が重なり、階段のようになっているところがある。
だが階段と言っても、どの一段も人の背丈をはるかに超える段差がある。
それが何段も連なって天へと伸びている。
そこが道である証拠は、一段ごとに垂らされているロープと、岩にうがたれた足場とおぼしきくぼみだ。
山に慣れ、岩場を
馬に乗って通過など論外、武装した兵士でも装備の重みに難儀すること疑いなし。
カルナリアたちが無事にここまでたどりついていたとしても、一段を登るだけでもひどく体力を消耗し、途中のどこかの段の上で夜を過ごすことになったことだろう。
無論、滑り落ちたら何もかもおしまいだ。
その難所に、フィンは少しも速度を落とさず突進してゆく。
(まさか! 待って! うそ! まさかまさかまさか!)
あの「階段」を一足飛びに駆け上がるつもりか。
――違った。
フィンが向かうのは、崖そのものだった。
「ふんっ!」
気合いが発せられた。
この、動くことが嫌いと言っていたぐうたら怪人が、全力をこめた。
しがみついている肉体が、完全なる鋼となった。
(うきゃあああああああああああああああああああ!!!)
飛んだ。
飛び上がった。
飛翔した。
すさまじい衝撃がカルナリアを襲った。
歯と歯がぶつかりガチリと鳴った。
轟音と共に、世界の流れる向きが、横から縦に変化する。
カルナリアの体が浮いた。
体重がなくなった。飛翔の、頂点に達したのだ。
次の瞬間、また衝撃。
二歩目。垂直に近い崖の途中にある出っ張りを踏んで、また飛んでいた。
三歩目。もうカルナリアの頭は真っ白だ。
空が見えた。
崖の
浮遊感覚。上昇の頂点――だが、崖の縁まで少しだけ足りない。
「はあっ!」
また、気合いが飛んだ。
フィンが動いた――腕を伸ばした。
布の外に手を出して、崖の縁に指をかけ、吹きこんできた風、しがみついている体のものすごい張り、ぐわっとなる上昇感覚、周囲が急激に回転、最後の明るさの残る白い空とごつごつした岩肌に分割された世界の中をカルナリアはぐるぐる回って何もわからなくなり……。
「ぐえっ! ぎゃっ! おぶっ!」
何度か体を押し潰され、汚い声が勝手に漏れてしまった。
――気がつくと、上下がわかるようになっていた。
何も見えないが、自分は横倒しになっている。
体の左側が下、右側が上。
フィンの体も同じようになっている。
大きく息をついている。
どうやら、横向きに何度か転がったようだ。
「危なかった…………何とか間に合った。もうやらん」
心底いやそうな声を漏らすと、フィンがうごめいて、カルナリアの足首が自由になった。
腕も外される。
さらにうごめいて、フィンの体が離れていく。
しかしカルナリアは、手足が完全に硬直していて、しがみつくポーズのまましばらくブルブル震え続けた。
顔の上を布がなでて、視界が回復した。
フィンが移動して、カルナリアを置いていったのだ。
空は、うっすらと白色を残すのみ。薄暮。
風はひんやりしている。
カルナリアは目だけを動かした。
ぼろ布が、見たことのない形状になっていた。
地面に、べったり。
すなわち、フィンが恐らく、四つん這いか何かそれに近い姿勢。
「!」
いきなり、鋭い光が目に突き刺さってきた。
(星!?)
夜空に輝く星が、突如そこに出現したような。
赤く、小さく、鋭い光。
それが、見つめるうちに、薄れて、消えた。
その後には――足があった。
人間の足。
しっかりしたつくりの靴を履いている、女性の、足。
その足首に、複雑な模様を描いた足環がはめられていた。
輝いていたのはそれだったようだ。
(足!)
カルナリアは手に続いて、この怪人物の体の一部を見ることに成功した。
その手が、出てきた。
美しい手が、足環を外して、ぼろ布の中に消えた。
ぼろ布が持ち上がり始めた。――身を起こしたのだろう。
「あ…………う…………」
カルナリアも、ようやく硬直がゆるんできて、特にみっともない下半身のがに股状態を解消することができた。
「起きられるか」
「だいじょうぶ……です……」
自分の立場では、ご主人さまの手をわずらわせてはいけない。
そう思ってがんばったが。
ふとももが、膝が、ガクガクブルブルと笑い続けて、実にみっともない有様を見せてしまう。
振り向く。
すぐそこに崖のへりがあって、その向こうには何もなく、黒々とした山肌がはるか下の方に広がっていた。
見たものが頭によみがえる。
あの高さの崖を、飛び上がってきたのだ。
背筋が寒くなった。
「な…………何が…………どうなって……」
「ゆっくり休める場所がここにしかないからな。速く動けるようになる道具を使って、さっさと行こうとしたんだが――まあ、食えと言ったのは私だからな……少しだけ、飛距離が足りずに、死にかけた」
「死っ……!」
つまり……カルナリアの体重を読み違えて、わずかに届かなかったということだ。
それで手を伸ばして、指を引っかけてぎりぎり体を持ち上げ、崖の上に体を転がりこませた。
「何とか、効果が切れる前に登りきれた」
あの足環だろう。
魔法具。
あれと同じはたらきをするものを、カルナリアは知っている。
『流星』と名づけられている、各地へ派遣される使者が使う高速移動の魔法具だ。
選ばれた者のみが、きわめて重要な案件を伝達する時にのみ使用を許される、国が全面的に管理する秘宝。
カルナリアが知っている、この国の『流星』は緑色に輝くものだったが……いずれにせよ、個人が持っていて許されるものではない。
ということは、この人物は。
(どこかの国の、王族!?)
その疑いが濃厚になった相手が。
「さあ、ここからはお前の出番だ」
喜びを含んだ声音で言ってきた。
カルナリアは、今の自分はご主人さまのために働く奴隷だということをあらためて思い出した。
【後書き】
予想外の方法で、難所を一気に乗り越えた。死にかけたけど。とにかくこれで追っ手から逃れられたのか。次回、第30話「山小屋」。王女が再び料理に挑む。
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