027 おんぶ



「!!」


 食べられた、とカルナリアは思った。


 ぼろぼろの怪物に襲われ、飲みこまれた。

 何も見えなくなった。

 食べられてしまった。


 ……布をかぶせられたのだ、と理解するまで少しかかった。


 何も見えない。

 だが目の前に何かがある。人の体。


「しっかりつかまれ」


 布越しではない、フィンの肉声がした。


 これは、背中だ。

 かがみこんでいるフィンの、背中。


 つまりは、ぼろ布の中、あの円錐形の中。


 固まっていたカルナリアは息をつく。


 かぶさってきた布地の、裏面というか内側の面は、ぼろぼろの外側とはまったく違って、なめらかだった。

 最上級の布地を色々手にしてきた王女のカルナリアでも似たものが思い出せない、不思議な素材。


 触れた手の平には、こちらも布か革かよくわからない手ざわりの衣服と、その下の肉体が感じられた。

 カルナリアが荷物を詰めこんだあの背負い袋を、体の前側に回したようだ。もぞもぞしていたのはそれだろう。


 求められていることがようやくわかって、カルナリアは手を滑らせて、肩から首へ進み、腕を前に伸ばして、背中にしがみついた。


 鎧、あるいは金属製の防具類は身につけていない。


 髪はつややかで長く、まとめられたものが右肩の前へ流されているようだ。


 間違いなく、人だった。

 ここはぼろ布の中で、そこには人がいた。

 、女の人がいた。


 奇妙な安堵がカルナリアを包む。


「もっとしっかり」


 すぐそこから、肉声が聞こえてくる。

 唇を動かして発する、低い声が。

 カルナリアはなぜか鳥肌を立て、身震いした。


「あの……これは……」

「持っていくと言っただろう。して、運ぶ」

「背負う、ということですか」

「そうとも言う」


 最初からそう言ってほしかった。


「こ、これで、どうでしょうか」


 カルナリアは腕に力をこめ、背中に密着した。


 しっかりした体つきだった。だが驚くほどに柔らかい。とすら感じる。正直言って気持ちいい。

 衣服越しでもこの気持ち良さなら、直接触れたらどれほどの感触だろう。


「よし。それでいい」


 腰に回した脚をかかえられ、重さを確かめるように少し揺さぶられる。


(あ……これ……)


 わずかに甘い、人肌のにおいがした。

 頭がふわりとなる。

 昨夜、自分を包みこんだものだった。


 あの抱擁ほうようは、本当に、この人がしてくれたのだ。


「お…………重く…………ないですか…………」


 胸の高鳴りをごまかすために、声が上ずりそうになるのを抑えつつ訊ねる。


「問題ない。もっと食え」


 甘い感情のかけらもない、淡々とした返答をされた。


 立ち上がった。


 なめらかな動き。少なくともカルナリアの体重が負担になっている力みは感じられない。

 だがその一瞬、に感じられていた体が、堅くなった。

 最上さいじょうの筋肉とはそのようであるという話だけは聞いたことがあったが……。


「……?」


 体とは別な、硬いものがあった。


 フィンは当然衣服を着用しており、どうやらスカートではなく今のカルナリアと同じ、動きやすいズボン姿のようで。

 前後逆にして持っている背負い袋、他にも服のあちこちにポケットがあり何かが入っており、腰にはいくつもの小物入れをさげているようだが。

 それらとはまったく別に、この空間に、異質なものがある。


 細長い、少しだけ湾曲した――立った体に沿うように上下に伸びている――。


(剣!?)


 かなりの長剣だった。


 腰に帯びているのではなく、ひもで肩にかけて持ち歩いているらしい。


 フィンが剣士だというのなら、これが、彼女の武器。

 本当に剣を持っていたのだ。

 ただ、魔力はまったく感じない。あれだけ魔法具を持っている人物なので、その得物えものも何らかの魔法剣、魔法付与のなされたものだと思っていたのに。


「触るなよ」


 カルナリアが気にしているのを察したか、注意された。


「もしまずいことになったら、荷物とお前を捨てて、で戦うのだからな。動かせるようにしておかないと、すべておしまいだ」


「は、はい」


 フィンが、自分を守るために、戦う。

 その光景が頭に浮かび、胸が弾んだ。


 ――しかし。


「あ、あの…………前…………見えるんですか?」


 そう――飲みこまれてから、しがみつき、立ち上がるに到ったここまで、ぼろ布の中はずっと暗黒。


 ぼろぼろに見えていながら案外しっかりした布地は、光をまったく通さず、したがってカルナリアは、まだフィンの顔を見ることができていないし、フィンの髪の色も衣服の色も、長剣の意匠もわかっていない。


 子供たちの突進をかわし、ランダルはじめ大人の接近に気がついて身を隠してしまうのだから、どこかに隙間があり外を見ているはずなのだが。

 今の所、円錐の空間内に、光はひとすじも入ってきていなかった。


「ああ……見えているから、気にするな。お前はいいというまで声を出さないようにしていればいい。急な動きをするかもしれないが、うめき声も漏らさないように」


「……はい」


 所有物の身では、そう返事するしかなく、あらためてフィンにしがみつき、肩越しに顔をくっつけた。


 その、次の瞬間だった。


「!!!!!!!」


 驚きすぎて、逆に悲鳴をあげずにすんだ。


 


 周囲のすべてが。


 まるで、ぼろ布が一瞬で消え失せたかのように。


(魔法!)


 正確には魔法具のはたらき。


 ぼろ布だ。

 魔法具でもあるこの大きな布が、何らかの操作で、魔法を発動させた。


 かけられているのは、認識阻害の魔法だけではなかったのだ。


 恐らく、「透過」の魔法。

 布、あるいは壁など、かけたものの向こう側を見えるようにする魔法だ。


 その作用は一方通行。向こうのものはこちらに見えるが、向こうからこちらを見ても、布や壁そのままにしか見えない。触ってもその素材のままだ。


 人が会談している様子を隣の部屋からのぞき見したい。犯罪者の取り調べにそうと知られずに立ち会いたい。そういった目的のある部屋の壁に施されることが多い。

 当然、見られる側は気持ちのいいものではなく、の原因になりがちで、場合によっては戦争にすらつながりかねないため、使用は強く制限されている。


 それが、布地に。


 恐らく、表のぼろぼろ面には認識阻害、裏というか内側のこちらには透過の魔法をかけてあるのだろう。


 認識阻害をぼろ布にかけるだけでもおかしいのに、さらに透過の魔法をこの面積の布にかけて、持ち歩かせるなど、どこの国のどんな魔導師にどれだけ金を積んでやらせたというのか。


 それはともかく――少なくとも、布地の合わせ目もわからないほどすっぽり布をかぶっていたのに、フィンがあのように正確にひらひらと動き回れた理由はわかった。


 全て「見えて」いたのだ。


「暗いままだが、心配しなくていい」


「……はい」


 フィンは、カルナリアにも「見えて」いることに気づいていないようだった。


 顔も「色」もまだわからないが、カルナリアはこの人物についてひとつだけは確認できた。


(この方は、魔導師ではありませんね……)


 しがみついているこの体の内側に、魔力を宿し、動かしている様子はなかった。


 侵入防止の魔法を、魔法紋様の刺繍つき下着で無効化していたように、身につけている何かでこの「透過」の効力を得ているのだろう。

 それを、魔力を感じる能力のあるカルナリアが、いわばしている状態。


 フィンは、カルナリアが闇の中にいると思っている。


 ――周囲が「見えて」いるといっても、自分の肉眼で見ているわけではない。


 布地が魔力に変換して流しこんでくる情報を、接続した者の頭の中で映像としている。

「透過」とはそういうものだ。

 本当の外光がそのまま届いているわけではない。それは「透明化」であり、その場合はこちらの姿も反対側に見えてしまう。


 したがって、ぼろ布の外、周囲の光景はすべて「見えて」いるというのに――。


 ぼろ布の内部、この空間内のものは、肉眼では、まったく認識できないままだった。


 そのせいで、フィンの頭部がすぐそこにあるというのに、やはり顔も、「色」も見えない。

 どういう人間なのか、見きわめることがまだできない。


「行くぞ。ここからは、絶対に声を出すな」


 はい、と答える代わりにしがみつく腕に力をこめて返事とした。


 それでいい、と、かかえられているふとももを軽く叩かれた。


 動き出す。

 道を、堂々と歩いてゆく。


 カルナリアは緊張する。

 息が詰まる。


 道の先にいるのは、あの時の連中とほとんど同じ装備の、しかも数も同じ二人の平民兵士。

 否応なく恐怖と喪失感がよみがえってしまう。


 その兵士が、こちらを向いていた。

 ローツ村から上がる黒煙に気づいたのだろう。

 何か言い合う。山道の方を見る。またこちらを見る。そのたびにカルナリアの心臓が跳ねる。

 火事か、村だぞ、何か起きた、どうする、隊長に伝えるか、何が起きたか確認するのが先だろ。そんなことを言い合っている様子。


 そしてその想像通りに――。


 村の様子を確認するためだろう、兵士の片方が走り出した。


 こちらに向かってきた。


 カルナリアの心臓が炸裂した。


「………………!」


 思わず目を閉じフィンにしがみつく。


 だが「透過」の魔力視界は、まぶたを閉ざしても「見え」続けることに変わりはなく。


 ――道の端で立ち止まった自分たちに気づくことなく、兵士はすぐ横を走り去っていった。


「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」


 乱れた息を必死で整える。


 フィンはカルナリアが落ちつくまで少し待ってくれた。


 再び動き出す。


 もうひとりの兵士は、不安そうに村と山道とを見回している。

 これもまた、近づいてくる自分たちに気づいた様子はない。


 だが。


(…………、認識阻害は効くのでしょうか!?)


 木につながれていた馬が、突然首をあげ、いなないた。




【後書き】

ようやくぼろ布の中身が。しかしまだ何も見えない。この奇怪なご主人さまの顔を見る日はいつ来るのか。そしてカルナリアはフィン・シャンドレンの「剣」を見た。これがどれほどのものなのかをいつ知ることになるのか。

次回、第28話「熊出没注意」。

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