026 ぐうたら哲学
※カルナリア視点に戻ります。
とびぬけて「悪い色」をした猫背の男と犬を引く三人が、ランダルを取り囲んだところは見えた。
そこで山中から煙が上がり始めた。
時間的にも場所的にも、山道を登っていったランケンのやったことだろう。
侵入禁止の魔法を解除したから、手をつけられるようになって、腹いせに放火したのだ。
騒然となった。
ランダルが犬を連れた者たちに押さえつけられ、猫背の男が村に駆けこみ、続いて兵士たちが一斉に村の中に突入してゆく。
「ありがたい。行くぞ」
フィンが動き出し、黒煙を呆然と見上げていたカルナリアは慌てて続いた。
「あの、あれは……」
「あの子供が、小屋に火をつけたんだろう。前にもやられた」
フィンの口ぶりには、少しの怒りもあらわれていなかった。
「残っているのは村のものだけだから、私たちに損はない。それにあれは多分、少し仕掛けをしておいた、そのせいだろう」
「しかけ……どんなことを?」
「柱や屋根を、壊しやすいようにしておいた。すぐ
振り向くと確かに、黒煙がさらに太くなっていた。
壊しやすいようにとは具体的にどのようなことか、カルナリアにはまったくわからないが、あの煙の増大ぶりから見て実際にそうなったのだろう。
村からは、突入した兵士たちが村人を襲っているのか、泣きわめく声や悲鳴が聞こえてくる。
小屋が燃え始めたことで、自分たちが痕跡を消して逃げ出したと判断したのだろう。だから村に隠れていないか探している。
ランダルや村人たち、子供たちが心配だったが、どうすることもできない。
自分はここにいて、村にはいないのだから、それほどひどいことはされるまいと、みなの無事を祈るしかできなかった。
フィンと一緒に村と反対方向へ移動し続け、あるところで、小川を越えて、道に出た。
路上には馬や大勢の人の足跡が色濃く残っている。
山沿いに曲がった先なので、もうローツ村は見えなかった。
向こうからもこちらは見えないはずだ。
「走れるか」
「……はい」
身をかがめて道のないところを動き続けるよりはずっとましで、カルナリアはぼろぼろと並ぶようにして小走りで移動した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
――つくづく、レントは自分を甘やかしてくれていたのだなと実感する。
逃避行の間、レントはよく歩き、あるいは走っていたが、カルナリアが自分の足を動かすことはほとんどしなくてすむように配慮してくれていた。
エリーレアも、カルナリアが歩くくらいならと自分が積極的に動き回ってくれた。
それに気づいてしまったことも切ない。
気がついても、もう感謝を伝えることができないのだ。
あの村で眠る二人に、あらためて心で礼を言った。
「……これから、どちらへ?」
「山越えはできるか?」
「…………!」
胸が弾み、即答できなかった。
望んだ通りの展開。
希望へと続く道。
「……できるだけ、ついていきます」
「この道をずっと行くのは楽だが、先にはもっと多くの兵士がいるだろうし、ひらかれていて、隠れ住む場所に乏しい。
だがこの先に、地元の者しか知らない、この山を越えて向こう側の土地へ通じる道がある」
「………………」
知っている。
痛いほどによく、いや本当に痛く、知っている。
自分の涙や血がその山道には染みこんでいる。
「そこを行って、追いかけてくる連中から逃れようと思っているが、山を登るからお前にはきつい――」
「足手まといにはなりません」
カルナリアは走りながら宣言した。
「絶対に」
「そうか」
フィンは言うと――。
いきなり、止まった。
「息を整えろ。この先に、人がいる」
「…………」
水筒から水を飲んだ。
言われた通り、かなり切れていた息を落ちつかせる。
日頃から体を動かすようにはしていたし、それなりに走ったり歩き続けることもできるつもりではあったのだが。
現実はこういうもので、非情だ。
一方で、フィンは呼吸ひとつ乱している様子がなかった。
あれほど普段は身動きしないのに、不公平だと思う。
「ご主人さまは、足、速いのですね」
面倒くさがりのくせに、という皮肉をこめた。
「めんどくさいことは、とにかくさっさとすませた方が、その分のんびりできるからな」
大まじめに返答された。
「三日かかる旅路も、速く動いて一日で到着すれば、二日も休める。
身の回りのことも、金かせぎも、全てそうだ。
薬も、作るのに何日もかかろうとも、一度作っておけば、軽くて持ち運ぶのが楽だしいい金になるし感謝してもらえる。つまり楽ができる。
剣にしても、向かいあってから何合、何十合も斬りあい疲れ果てるよりも、相手が気づかないうちに後ろから最初の一撃で首をはねれば、身も心も楽でいられる。
めんどくさいことは最小限ですませて、できるだけ楽でいたいのだ」
「………………」
とんでもないぐうたら哲学だった。
考えるだけなら確かに理想だが、実行しようとするのはまともな人間のやることではない。
実現できるのは、もっとまともではない。
(ああ、この人は、まともじゃないんだ)
変わり者、という枠を超えたところにいる存在なのだと、カルナリアは理解した。
その真のぐうたら者が、そろそろと移動し始めた。
道の先に、あの「まきつき岩」が見えていた。
カルナリアの胸が痛む。
道から山へ入っていく、あの場所。
三人で踏みこみ、一人で這い下りてきた場所。
今はもう、何人、何十人も通ったせいで、はっきりした踏み分け道となっているその横道へ入るところに――人がいた。
馬が一頭と、兵士が二人。
村に来たあの部隊の一部が、山道にも気づいて、入りこんでいるようだ。馬はその隊長のものだろう。
「この国では、兵士は、六人一組か?」
「確か、そうだったと思います。六人で一班、班が四つで小隊、小隊四つで中隊。小隊長は馬に乗って部下を見回しながら移動するけど、騎兵とは違って、戦う時は降りて……と、前に見かけた兵隊さんは、そんな感じでした」
奴隷の知識としてはおかしいのではと途中で気づいて、それっぽい理由をつけた。
カルナリアは他人の「色」を見るのが好きで、輝いている者がその才に見合った結果を出す「答え合わせ」が大好きで、なのでそれが割とよく見られる軍営に潜りこんだり訓練の様子を見学したりすることは多かった。
だから普通の貴族令嬢よりは軍事についての知識がある。
幸い、この国の者ではないフィンは、その知識が不自然だということには気がつかなかったようだ。
「なるほど。ならば、あそこにいる二人以外の四人か、もう一班ついて十人が、あの先に入っているということになるな」
兵士が死んだことは伝えてあるのだから、やってきた軍の者が、その現場を確かめに行くことに不思議はない。
だがそれは、あの山道を行けば間違いなくその兵士たちと出くわすということでもある。
先ほどのランケンのような、周囲に一切気を配らない
木陰や茂みに隠れたところで、フィンはともかく、カルナリアが見つかってしまう可能性は高かった。
そもそもそれ以前に、分岐点にいる二人の目すらごまかせるかどうか。
(……もしかして!?)
フィン・シャンドレンは、ものすごい腕前の剣士だという。
ならばあの見張りの二人を、斬り倒して――山道で出会う兵士たちも、片端から斬って、斬って、死体の山を作りつつ先へ進むのではないだろうか!?
それなら確かに、見とがめられることはなく山越えの道を進める。
追われることもなく、楽だ。
だが、そのために、大勢の命を奪うのは……。
(………………)
首に手をやった。
この『
(これを守るためなら、反乱軍の兵士の命など――)
……どうしても、そう思うことができなかった。
自分たちを襲ったあの兵士たちについても。
浅ましい欲望から、自分たちのか細い希望の道を
死んでよかったとは思えない。
運ばれてきた兵士の遺体を前にした、母親の
あの時のカルナリアにはレントとエリーレアの姿しか見えていなかったが、記憶には残っている。
――自分は王女、王族、人の上に立つ者。
必要があれば他者に死を命じなければならない。
自分の決定、発言ひとつで人が沢山死ぬこともある。
それをよく知った上でなお「決定」するのが、人の上に立つということ。
その重さを背負うのが、貴族であるということ……。
そういった心得は、お
カルナリアは、そういう決断をする時が来ても、それはいいことだと自分をごまかすことだけはできそうになかった。
どれだけ死んでもかまわない、いっぱい死んでも仕方ない、これは国のために必要なことなのだから。
――そう心から思う自分を鏡で見たならば、ものすごい「悪い色」、二度と見たくない汚らしい色に染まっていることだろう。
そもそも、そのように、平民がいくら死んでもかまわないと思う貴族がたくさんいたからこそ、今回の反乱が起きたのだ。
そういう考えそのものが、人の命を奪う根幹――。
「まあ、何とかなるか」
思いにはまりこんでいたカルナリアに、フィンがぼそっと言った。
あれこれ考えこんでいる間に、ぼろ布が揺れ動き始めていた。
円錐形の中で、もぞもぞと、何かやっていたらしい。
「お前は私のものだ。したがって、お前を持っていくのは、私の義務だ。わかるな」
「…………はあ…………はい、わかります……が……?」
「声を出すなよ」
円錐形のぼろ布が、突如、変形した。
伸び上がり、大きく広がって、カルナリアを飲みこんだ。
【後書き】
最小限の労力で最大限の効果。誰もが望むそれを実行する、真のぐうたら者がここに。
一方で思い悩むカルナリア。試行錯誤は若者の義務。しかしそんなものを無視するぐうたら者は、一体何をしようというのか。次回、第27話「おんぶ」。タイトルでネタバレ。
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