017 露天風呂
「子供は、苦手だ」
《ぼろぼろ》は、一切動かずにつぶやいた。
「動き回る。言うことをきかない。小さい。弱い。時々、見つけられてしまう」
それにしては結構遊んでやっていたように見えましたけど、あの木ぎれもちゃんと人数分ありましたよね……というつっこみはもちろん口にしない。
「ええと…………わたしは…………そういうご迷惑は、おかけしないと、思うのですけれど……」
じろりと見られた――ような気がした。
《ぼろぼろ》はやっぱりまったく動いていないのだが。
視線が、立ちつくす自分の全身を
「おっ、お願いしますっ、村だと、こわいひとたちに、おそわれそうで……たすけてください!」
演技の必要はあまりなかった。
実際に恐怖をおぼえていたからだ――ランケンではなく、目の前の怪人に対して、ではあるが。
「むう」
また、怪人はうなった。
「先にものを置いていかれたし……私はとても耳がいいからな……お前が襲われている声を聞きながら昼寝というのもやりづらい」
「じゃ、じゃあ……!?」
「ルナ、だったな」
「はい、ルナです!」
「私は、めんどくさいことがきらいだ。動くのもきらいだ。できる限り、何もしたくない」
「…………」
どう反応すればいいのだろう。冗談だろうか。本気だったらそれは人としてどうなのだろう。
「だから、お前に手間をかけることも、できるだけしたくない」
「はい」
「言いつけられたことは、できるな」
「はい、ちゃんと、はたらきます!」
このぼろぼろが自分のご主人様。
ランダルの教えを元に、そう思い定めて、じっと見上げて、指示を待つ姿勢を保った。
――自分がこういった、状況に合った振る舞いをすぐに学び実践できることで、レントが心から安堵していたのを思い出す。むしろエリーレアの方が適応力に乏しく、危うくて、レントはもちろん、実はカルナリアもひやひやしていた。
わずか数日前なのに、色々なことが起こりすぎて、もう懐かしくすら感じる記憶。
「じゃあ――これを」
ぼろぼろが動いた。
円錐形のぼろ布にも合わせ目があって、そこから、ニュッと、細いものが突き出された。
細い木の枝、いや、草の
それが一本。
茎が出てきただけで、それを持つ手はまったく見えない。
どうしろとも言わない。
めんどくさいことがきらい、動くのもきらい。
言葉を発することすらめんどくさいと全身で伝えてくるような、対応に困る態度だった。
迷ったが、カルナリアはおずおずと手を伸ばした。
「ええと……」
引っ張っていいのだろう、握って引くと、さらに残りの部分が出てきて――糸のように細くなった先端に、こちらは本当の糸が結びつけられていて。
糸といっても、
それが、ずるずるとぼろ布の中から出てきて。
人の背丈ほどの長さになって、ようやく、本当の先端があらわれた。
「…………え?」
釣り竿。
要するに形状としてはそういうものだ。
手で持つしっかりした茎。先端から垂れる糸。まさに釣り竿。
お
しかしこれは、その時見たものと比べても、糸はやたらと太く……そしてその先にぶら下がっていたものは――。
「……!」
反応するのを、カルナリアはぎりぎりでこらえた。
ありえないものが、ぼろ布の中から出てきた。
サイコロ。
黒い、半透明な――やや大きめの、正六面体。
角は丸められている。
つやのある、赤みがかった黒色。
金属ではなく、弾力がありそうな――樹脂のようなもの。
面の中央を貫いて、手指の長さほどの金属の串が二本、十字のかたちに刺さっていた。
串の刺さったサイコロが、釣り糸の先についている。
それだけなら、魚の
カルナリアには、尋常ではないものが見えていた。
魔力だ。
すなわち。
(これ、魔法具!)
――魔法とは基本的に貴族のものだ。
魔法というのはきわめて便利かつ危険なものであり、魔法を使えるというのは貴重な才能なので、使い手は貴族が囲いこむ、あるいは貴族そのものになる。
カラント王国の草創期には、魔導師がそのまま領主となり統一王国内で高位貴族となった事例が数多く存在する。
その
そして、魔法を使う才能がなくても使える――魔法を発揮する道具、あるいは魔法を付与された道具である「魔法具」も同様に、きわめて貴重かつ高価なので、貴族でなければまず所有することができない。
裕福な平民が大枚はたいて手に入れても、生意気だ、ふさわしくない、増長していると貴族に収奪されるのがこの国では当たり前。
身分としては貴族でも最下級で暮らしぶりは平民と変わらない村長のランダルも、魔力が関わるものなど何ひとつ持っていなかった。家にもなかった。
村全体でも、レントとエリーレアの葬儀を行ってくれた老神官の持つ杖に、きわめて微細なものを感じただけだ。
なのに――こんな山の中で、ぼろ布に強い魔力を感じただけでも仰天したのに、まさかこんな、無造作に、魔法具が出てくるなんて!
そう、串の刺さったそのサイコロは、まぎれもなく、魔法具だった。
濃厚な魔力の動きをカルナリアは感じ取った。
出てきた瞬間は黒かったそれが、みるみる、赤黒く――赤へと、変化しつつある。
魔力により、発熱している。
「それを、あそこへ。あの岩にくぼみがある。そこに垂らせ」
ぼろぼろは指示して、動いた。
いわゆる、あごで示すというような、ちょっとした動作。
そこまで微動だにしなかったのもあって、わずかな動きでも何かを指し示したということがわかり、カルナリアはその先を目で追って――。
ゆるやかに流れる渓流をさえぎるように突き出ている、幅広い大岩があった。
言われたからには、今の自分の立場では、行くしかなかった。
謎の魔法具をつけた釣り竿を手に、カルナリアは移動する。
「あ…………!」
幅は広いが高さはない、ほとんど地面に埋まっている大岩に登り、流れに近づくと。
確かに、くぼみがあった。
不自然なものだった。
岩を、そこだけ丸くえぐりとったようになっていた。
川の水は、岩肌の上を撫でて、わずかにそこへ流れこみ、反対側にあるこれもわずかな隙間から下流へ流れ出てゆく。
(これ………………お風呂!?)
王宮で、景勝地で、名所で、様々な風呂を経験している王女カルナリアだからこそすぐにわかった。
これは、人ひとりが身を沈めるにちょうどいい大きさに作られた――湯船だ。
そして、「釣り竿」の先についた魔法具は、熱を放っている。
魔力の流れで察することができた。
このサイコロは、魔力を注がれると発熱する魔法具だ。
刺した串は、魔法具に接触させると周囲の魔力を吸い取って流しこむ、魔力供給用の特殊な素材だ。
これを、このくぼみに垂らせというのがぼろぼろの指示。
つまり……。
カルナリアは、「釣り竿」の先の魔法具を「湯船」に沈めた。
ジュワッと音がした。
沈めて、水中に没してゆくと、赤くなっていたサイコロは、少し赤みを失い黒ずんで――しかし赤みを完全に失うことはなく。
水にも含まれている魔力を供給され続け、くぼみの中の水を温めているということがカルナリアにはわかった。
恐らく、串を抜けば、発熱は収まる。
今は二本しか刺していないが、もう一本刺せば、もっと強く発熱するのではないか。
煮炊きにも便利に使えるだろう。
だが、問題は――。
(こんな魔法具、見たことない! 何なの、これ、なに、あの人!?)
そう、こんな魔法具があるということを、王女の自分が――魔法や魔法具についてこの国最高の知識を教えられてきたはずのカルナリアが、知らないということだった。
熱を発し、炎を起こせるものなら色々ある。
直接見て、触って、使ってみたこともある。
指先ほどの小さな火を起こすだけのものから、金属精錬に使う高熱を発するもの、小さな砦ぐらいなら丸ごと焼いてしまえる軍事用のものまで。
だがこんな、じわじわと発熱し続ける上に調節もできるというものは、見たことも聞いたことも、教わったこともなかった。
王女の自分が知らない。
つまり、この国の魔法技術ではない。
異国のもの。
まだ伝わってきていない、きわめて高度なもの!
そんなとんでもない代物を持っている、野に住む、剣士……。
釣り糸を垂らす姿勢のまま、カルナリアは鳥肌に包まれた。
(何なの、誰なの、あの人は……!)
ランダルは知っていたのだろうか。
いや、彼はきわめて才能ある人物だが、魔法関連の才は見えなかった。
知らないと考えるべきだろう。
これは、彼の想定を超えた事態。
彼が想像している以上に、「ぼろぼろさん」は、とんでもない存在だということだ。
釣り竿の先のサイコロは、カルナリアの困惑など一切知らぬげに、赤らみ続けている。
「……まったく、めんどくさいやつをよこして……」
いきなり耳元で言われて、カルナリアは硬直した。
《ぼろぼろ》が、そこにいた。
相変わらずの円錐形。だが高さが半分ほどになっており、その分広がりが大きくなっている。かがみこんでいるのだろうか。
《ぼろぼろ》が持ってきたのか、岩の上に、それまでは存在していなかった厚手の布――丸められた、無地の
これまで感じたことのない、奇妙な戦慄がカルナリアの心身を貫いた。
自分が何かをするのではない、自分に何かをされる。その予感。
「湯舟」は、ほどよい湯気を立ちのぼらせるようになっていた。
「……脱げ」
「ぬげ?」
理解が及ばなかった。
しかしぼろぼろは繰り返さなかった。
動くこともしなかった。
一度言ったのだからそれで終了という意志をカルナリアは感じ取る。
直感ではあるが、どれだけ待っても、繰り返すことはしないだろう。
知識と記憶と推測と期待とが、組み合わさった。
このくぼみに熱源を入れて温めたのは、風呂。
脱げというのは、風呂に入れということ。
湯気の様子から見て、おおむねいい感じに温まっている。
このぼろぼろは、薬師でもあるとランダルから聞いた。
薬代のこともランダルは言っていた。
つまり、全身に負った様々な傷を、体を洗った後で、治療してくれるということではないのだろうか?
理解が及び、カルナリアは――着ているものを脱ぎ始めた。
逃避行の最初にレントに告げた通り、自分で着替えができる。
沢山の「色」を見るために、勉強部屋から抜け出し使用人たちの服に着替えて待機部屋にまぎれこむ、異国の使者の控えの間に忍びこんで同じ衣装を身につける、というようなことをたびたびやるうちに身についた、王女にあるまじき技術。
すぐに全裸になった。
恥ずかしいと感じることはなかった。
王女の生活というのは、入浴も着替えも、常に他人の目のあるところでするものだ。人に脱がされ裸身を見られるなど毎日のこと、当たり前のこと。
むしろ、着ているものがランダルの家の古着で、下着も粗末であるという、そちらの方を恥ずかしく感じた。
体のいたるところに
(……もしかして、この感覚は、奴隷としてはおかしいのでは?)
気がついた時には、もう最後の下着をおろしたところだった。
ランダルに見抜かれたように、この《ぼろぼろ》にも自分の正体を見抜かれてしまうかも。
(いえ、命令に従うのは、奴隷なら当然のはず……)
まるはだかのまま様子をうかがったが、《ぼろぼろ》はまったく変化せず、何の気配も感じさせず、岩から生えている植物のようで。
周囲は心地よい西日と山林と渓流と、涼しい風と水音と緑色ばかりで……。
警戒心は、風の爽快感と、すぐそこにある
とぷん。
少女は、湯気を立てるくぼみに裸身を滑りこませる。
「はああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
王女として許されない、だらしない、しかし心地よさをきわめた声が長々と漏れた。
漏らすしかなかった。
何日も、濡らした布で体を
全身傷ついた。痛い目にも遭った。悲しい思いをし、絶望し、闇に落ちた。
それらすべてが、
「ふはあぁぁぁぁぁぁぁぁ…………♪」
ほどよく体がおさまるくぼみ。
全身をぬくもりに包まれる心地よさ。
とろけ、悦楽にうめき、四肢をゆるめきった。
お尻が滑り、頭頂部まで湯に沈んだ。
慌ててかき回した後のお湯は、淡く濁っていた。
逃避行を始めてから積み重なった、全ての汚れだった。
首輪はまだつけている。
だが、絶対になくしてはいけないそれすらも外してしまいたいほどの快美感。
「ああぁぁぁぁ…………♪」
どれほど、この温かい幸せにひたっていたのか――。
「そろそろ、あがれ」
けだるげな、ぶしつけな声がかけられて。
持ち上げられたのか、いきなり体が上方へ移動して、先ほど見た厚手の
うつ伏せ。
背中、お尻が丸出し。首輪の合わせ目が背骨の上に。
あちこち、傷ついていたところが痛む。
「まったく、めんどくさい。さっさとすませるぞ」
首輪の少し上、後頭部――延髄だろうか、そこに触れられる。
次の瞬間、全身が麻痺した。
苦痛はなく、しかしすべてが動かなくなった。
眼球すら動かせず、そこまで見ていた視線のまま、まぶたも固まって涙が大量に湧いてきた。
「塗るぞ……」
けだるげな声に続いて、まったく動けない、濡れたままのカルナリアの裸身に、ぬるぬるした感触が広がり始めた。
【後書き】
怪人に何をされるのか。一応は女性らしい。なので身の危険はない――はず。しかし……。
次回、第18話「陵辱的治療」。映像化してはいけないシーンがいっぱい。
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