016 怪人


「むう」


 と、謎の――認識阻害魔法をかけられたものに身を隠している人物は、うなるように、うめくように、声を発した。


 カルナリアには、男か女か判別できなかった。


 男の高い声にも、女の低い声にも聞こえた。


「わああああ!」

「いたああああ!」

「ぼろぼろさぁぁぁぁん!」


 子供たちがいっせいに群がっていった。


 そこにいると確信した瞬間から、見えるようになった様子。


 認識阻害の魔法というのは、気づかれたらそこで破れると教わっていた。これも、その事例なのだろう。


 子供たちは次から次へと、飛びついていく。


 しかし――ぼろぼろは、逃げた。


 ほんのわずかな動きで、避けた。


 すい、すいと、ちょっとだけ後退し、斜めに下がり、回転し――飛びつこうとする子供たちの無秩序な動きを、最小限の動きでかわし続けた。


 子供たちはまるでぼろぼろが消えたように感じるようで、頭から突っこんで転んだりたたらを踏んだりした後、きょとんとしている。


(すごい………………!)


 カルナリアは目を見張った。

 ぼろぼろの、中にいるだろう人物の動きは、とてつもないものだった。


 手を使う、相手の足を引っかける、などのこともせず。

 ぼろ布の円錐形を保ったまま、前後左右への移動だけですべてをかわしてしまう。

 相手が子供とはいえ、複数相手にこんなことができるものなのか。

 舞踊、あるいは武芸の達人。とてつもない技量の持ち主。


 ――だが、それよりも。


(うそ…………!)


 カルナリアは全身に冷水を浴びたようになった。


 

 相手の「色」が、何も見えない。

 どんな人にも見えていたものが、見えない。


 魔法の布のせいだろう、と頭ではわかる。


 しかし、これまでずっと、あらゆる相手について見えていたものが見えないという事態は、カルナリアにとてつもない恐怖をもたらした。


 これは、人間ではなく、伝説として聞いた、地面から魔力を補充しつついつまでも動き続ける魔導人形なのではないか。そんなことすら頭に浮かんだ。


「うわあああああああああ!」

「どこいったあぁぁぁ!?」

「いたああああ!」

「いくぞおおぉぉぉぉ!」

「うっきゃああああああ!」


 ひとたび楽しいと思うと止まることを知らない子供たちが、地面を滑って後方へ逃れたぼろぼろに、悲鳴も同然の絶叫をあげつつ、さらに飛びついてゆく。


 ぼろぼろはさらにスルスルと逃げ続け――地面に、何かを落としていった。


「わああああ!」

「なにこれ! なにこれ!」

「みせてみせてみせてえええええ!」


 子供たちはそれに群がり、追撃が途絶える。


 木を削って作った何かのようだ。

 ちらりと見えた。

 整った五角の星。正三角形。二等辺三角形。正方形。

 ――カルナリアが幼い頃、王宮でおもちゃとして与えられた、幾何学的に優れているらしい積木。それによく似ていた。


 自然の中で、直線というのは特殊なものだ。

 それで構成される整った形というのは、人間の目を強く引きつける。


 子供たち全員がそれに飛びついていった。


 ひとりだけ、動かない子供がいる。

 カルナリア。


 ぼろぼろが斜め後ろに来た。


 明らかに、他の子供と振る舞いがまったく違う自分に注目している。


「あ、あの…………」


 自分が分水嶺ぶんすいれいに立っていることをカルナリアは自覚した。


 ここでの選択次第で、この先の運命が大きく――いや、とてつもなく、変わる。

 その確信で、肌が異様にぴりぴりした。


「あ、あの、わたし…………ランダルさま――村長さんに…………ひとばん、ぼろぼろさんというひとに、めんどうを見てもらえって……村長さんの子供の、ランケンっていう人が、あぶないからって……前のご主人さま、死んじゃって……」


 貴族ならまず名を名乗り事情を整理して語るものだが、それではいけない。だらしなく、無教養に振る舞わなければと、カルナリアは全力でもの言いを口にした。


 ランダルにはあっさり奴隷ではないと見抜かれてしまったが、この相手はどうだろう。


「むう…………」


 また、性別判定のできない声が漏れた。


 自分の偽装を見抜いたのか、そうでないのか。

 まったくわからない。


 突然、ふわっと、が宙に浮いた。

 カルナリアは目を見張った。


 浮いたこと自体は錯覚だが、そう思わせる身ごなしで、一気に飛びすさったのだ。


 子供の相手をする動きではなかった。

 別な何かを警戒したような。


「おーい」


 遠くから野太い声がした。

 ランダルだ。

 本人が山道を登ってきた。

 荷物を背負った奴隷たちも連れていた。


 そういえば、後から行くと言っていた。


 ぼろぼろは山の斜面にまぎれてしまった。

 カルナリアには居場所がわかるが、ランダルたちには見えないだろう。

 一度視線を切ってしまった子供たちも、見失ったようだ。


「よーし、お前ら、よくやった」


 ランダルは、まず任務を達成した子供たちをほめ、それからカルナリアに向いた。


「会えたか。よかったな」


 子供たちの様子や木ぎれで判断したようだ。


「あー、俺だ、村長のランダルだ」


 全然違う方へ顔を向けつつ、告げる。


「すまないが、頼みたいことがある。このルナは、うちの村で行き倒れた夫婦の、持ち物の奴隷だ。このままだと馬鹿な男どもにひどい目に遭わされそうでな。安全な引き取り先が決まるまで、少しの間だけ、面倒を見てもらえないだろうか?」


 ランダルは運んできた荷物を「小屋」の前に並べさせた。


「この子の分の、寝床用の毛布や着替えや食器や、色々いりそうなものだ。食べ物も多めに持ってきた。どうか、頼む」


 ランダルは、まったく的外れの方向にではあるが、深く礼をした。


 誠意に満ちた態度。

 そこに嘘やごまかしは感じられない。


「お、おねがいします!」


 カルナリアも一緒になって、ランダルと同じ方を向いて懇願こんがんした。


 子供たちがまた周囲を見回している。


 少し待ったが、反応はない。


 だがランダルは、安堵の息をついた。


「ここで追い返されないなら、大丈夫だ」


「こ、こうげき、されるのですか?」


「いや、獣が吠える。多分物まねだろうが、本物のような威嚇いかくの声が山の中から響く。それが聞こえたらもうどれだけ待ってもだめだ。山の奥へ行ってしまうんだろう、何日も出て来なくなる」


「…………」


「不安だろうが、ここに残っていてくれ。今は俺たちがいるから姿を隠しているが、暗くなる前には出てきてくれるだろう。女だし、悪いようにはしないはずだ」


「……どういう、、なのですか?」


 人間か、という意味も含めて訊ねた。


「去年、俺が油断して角狼ツノオオカミの群れに襲われた時、助けてもらったんだ。すごいだ」


「……おんなのひとで………………剣士?」


「ああ。本当にすごかった。一人で旅ができるということは、それだけ腕が立つということだ」


 子供たちをかわす動きをすでに見ているカルナリアには、納得いく話ではあった。

 あの身ごなし、足さばきは、カルナリアが才能あると見抜いた騎士たちの動きに匹敵するか、それ以上。


「お礼をすると村に招いたら、気に入ってくれたようで、住んでもいいかと聞かれたので許可した。家でも何でも、望んでくれたらいくらでも応えるつもりだったんだが、ここの、でいいらしくてな。冬もここで越したようだ。あまり人と関わりたくないようで、顔はもちろん、声を聞いた者すらほとんどいない。俺も、顔は見せてもらっていない」


「あの子が、すごくきれいだといってましたけど……」


「外で、具合が悪くなって倒れた時、助けてもらう際に、下から顔が見えたそうだ。だが腹痛で苦しんでいた最中だ、本当のところはわからんよ。見せたくないというのだから、こちらから見ようとはしないでいる。見たがるやつも止めている。それでずっとここにいてくれている」


「おくすり、くれるって……」


「剣士だと言っていたが、薬師としてもかなりのものだと思う。時々くれる薬は街で買うものよりずっと効く。草だけでなく獣の肝を元にしたものをもらったこともある。山奥で、獣を退治してるんじゃないかと見ている。それができる力や知識があるということだ」


 ランダルは傷つきれ上がり歪んでいるカルナリアの顔を痛ましげに見下ろした。


「……は、荷物の中に入れてあるからな」


 子供たちに聞かれないよう、小声で言った。

 治してもらえということだろう。


「時々様子を見に来る。俺か、こいつらをよこす。他のやつだったら隠れていた方がいい。こんなこと言わなきゃならんのが情けないが、うちのバカ息子に気をつけろよ」


 話は終わりとばかりに、ランダルはカルナリアを置いて、子供たちを呼び集めた。


「よーし、ガキども、楽しんだか? ぼろぼろさん、見えたか?  怪我してないか? お前らの仕事は終わりだ、帰るぞ、ほらついてこい」


 見たことのない笑顔をして、幼い者をかつぎあげて肩車してやった。そういえばカルナリアを鞍の前に乗せた時も嬉しそうだった。子供好きなのかもしれない。実の子供があんな風であるだけに、余計に。


 荷物を置いたふたりの奴隷も、カルナリアを心配するように振り向きつつも、子供たちの最後尾について、引き上げていった。


「…………」


 ぽつんと、カルナリアだけが残された。


 一人きり。


「う…………」


 人の気配が遠ざかると、また息が詰まる心地に襲われる。


 昨日の今頃は、まだレントもエリーレアも生きていたのだ。


 でも、もういない。


 今、いるのは、自分と――。


「…………ひあっ!!」


 が、背後に立っていた。


 隠れていたのが、出てきたようだ。


 音も気配もなかった。悲鳴を上げた後になって、カルナリアの全身に鳥肌が立ち、背中を冷気が駆け抜けた。


「ひっ、わっ、ごっ、ごめんなさいっ、おどろいて……!」


 気がついたので、認識阻害魔法の効果は破れ、目でも認識できるようになっている。


 至近距離で見るとわかった。

 間違いなくこれは、布だ。

 大きなぼろ布を頭からかぶっている。

 この布に魔法がかけられている。


 魔法を付与したマント、外套がいとう、盾などは、王宮では普通に使われていた。

 それを作る技能を持った魔導師が王宮には沢山集められ、騎士たちが先を争って入手し装備している。王女たるカルナリアは、それらの中でも最上のものに囲まれていた。


 だがそれらは当然ながら、とても貴重であり、高価だ。

 高い価値にふさわしい、美しい布や見事なつくりの防具に、大抵は自らが貴族でもある魔導師が高い報酬を取って付与するものだ。


 こんなぼろ布に魔法を施すなど聞いたこともない。

 そんな真似をする魔導師など聞いたことがない。


 とはいえ、現実として、そういうものが目の前にある。

 それを使っている者が目の前にいる。


 ……見られている。

 見下ろされている。


 カルナリアはとてつもなく居心地悪くなって、うつむいた。


 王女なら相手から目をそむけるなどしてはいけないが、奴隷ならむしろその方が自然なはずだという計算もあった。


「お前…………私が、な……」


 声がかけられた。


 ぞわっとした。


 気力に欠けた、けだるげな、低い、間延びした声音だったが。

 間違いなく、女性の声だと、ようやくわかった。


「え、ええと、その………………はい」


 ランダルから聞いたことが本当だとしたら、この人物は剣士で、剣士というのは相手を観察する能力にきわめて長けている。


 先ほどからの一連のカルナリアの動作や反応で、自分が認識阻害の魔法を見破ることができるということは、とっくに見抜かれているだろう。

 つまりここでごまかすのは心証を悪くするだけ。


「すっ、すみませんっ、ごめんなさいっ!」


「……あぁ…………まあ、時々、魔導師じゃなくても、そういうのがいるんだ…………子供には多い…………それはいい…………いいんだが……」


 謎の女性は、円錐状のぼろ布をまったく動かさないまま、カルナリアにはよく聞き取れない小声で、ぶつぶつとしゃべり続けた。


「問題は………………………村長め…………………………狙いが………………まったく…………………………………………ああ、


 最後の一言は、割とはっきりと聞こえた。



 ――それが、カルナリアがこの先無数に耳にすることになる「めんどくさい」の、初回だった。




【後書き】

運命の出会い……のはずなのだが、全然それっぽくない。何がなんだかわからない。この怪人物はカルナリアをどう扱うのか。次回、第17話「露天風呂」。やや性的な描写あり。

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