015 ぼろぼろさん


※視点、カルナリアに戻ります。




 風が吹き、白い花びらがくるくると舞って、墓碑の根元にそっと降りていった。


 カルナリアはなおも墓地にたたずんでいたが、ランダルに戻るぞと言われて、従った。


(我が親衛騎士、忠実なる守り手、レント・サーディル・トラス・フメール。

 我が誠実なる侍従、我が友、我が姉、エリーレア・センダル・ファウ・アルーラン。

 さようなら。忘れません)


 心の中で、この村では誰も知ることのない彼らの本名を呼んだ。

 六位貴族のレントを、四位以上の呼び方で呼んだ。彼にはその資格が十分にあった。

 今の自分にできる、唯一のだった。


 ランダルがひそかに書いてくれた、忠臣という文字が、カルナリアをよみがえらせた。

 雷で打ちすえられたようだった。

 熱が体の奥底からふくれ上がってきた。


 

 彼らの忠誠。それは、誰に、何に向けられていたか。


 自分だ。

 国の未来そのものである『王のカランティス・ファーラ』を持ち、それを持って逃れようとする王女の自分だ。


 ならば、応えなければならない。

 悲しみ、うずくまっているのは、ここまで。


 人は、死ぬ。

 あんなにたやすく死んでしまう。


 自分のために死んでいった者が、レントとエリーレアだけではなく、ガイアス、騎士たち、侍女たち、王宮を守ろうと戦った者たち、名も知らぬ者たち……無数にいる。

 それぞれがみな、あんな風に、命を落としていった。


 どれだけ無念だっただろう。

 どれだけ生きたかっただろう。


 だからこそ、彼らの分まで、自分は生きなければならない。

 彼らの望みを果たし、彼らの望みに応えて、やりげなければならない。


 今の自分には意志しかないが、逆に言えば、意志がある。

王のカランティス・ファーラ』がある。

 これを二番目の兄レイマールへ届ける使命がある。


 人もいる。山の中、闇の中で、完全なひとりきりを知ったカルナリアにとって、今のこの村は人であふれているのも同然だ。


 ランダルは、村を最優先する立場なのでレントのように完全な信頼を寄せるわけにはいかないが、可能な限り良くしてくれようとはしている。


 それなら、自分が今するべきことは、彼の思惑に乗ることだ。


 彼は自分を、と言われる者のところへ行かせたいようだ。


 自分が貴族だと、それもかなりの高位貴族であると見抜いているはずのランダルがそう考えるのなら、それだけの理由があるはず。


 息子のランケン。

 あれは「目」で見るまでもなくすぐわかる、愚物ぐぶつだ。

 粗暴ではあるが、所詮は子供にすぎない。本当の才能を持つランダルや周りの大人たちが本気になれば、取り巻きごと叩き潰し、二度と狼藉ろうぜきをはたらけないようにしてやることはたやすい。そうしていないのは、彼らが村の未来の労働力であるからにすぎない。


 つまり、カルナリアを家に置くとランケンが手を出すから危ない、というのはただの口実なのだ。


 そういう口実を作って会わせたい相手。


 村長という立場にある者が、口実を作らなければならない存在とは。


 ランダルがレントとの話の中でわずかに漏らしたことを、カルナリアはしっかり聞き取り、記憶している。

 自分の村には、がいる、と。


「走れるか」

「……はい」


 体も脚も顔面も、あちこちがひどく痛むが、歩くのに支障はなかった。

 走っても大丈夫だろう。


「俺の家には置いておけん。こいつらと一緒に行け。山の中に、変わった人がいる。その人の所に行ってもらう。俺は後から色々持っていくから、そう伝えてくれ」


 村の子供たちをランダルは示した。


 自分のことが珍しいのだろう、子供たちは墓地からずっとまとわりついている。


 ランケンのような肉欲こそないが、無遠慮にじろじろ見てくるのは同じようなものだ。平民とはそういうものとわかってはいるが、少したじろいでしまう。


「色」は――それぞれあるが、残念ながら、飛び抜けて輝くものは見えなかった。


「この子はルナという。お前たち、ランケンたちに見つからないように、ルナをの所へ連れていってやれ。頼んだぞ」


 子供たちにとって、日常と異なる行動とは、すなわち大冒険。

 みな、一気に目を輝かせた。


「ルナ、こっち」


 とある家の陰で、脇を走る水路に入るよう言われた。


 子供がかがんで水の中を行くと、路上からは見えないらしい。

 裸足の子供たちに続いて、靴を濡らしつつカルナリアも身をかがめて続いた。もっと低くと言われて濡れた土に手をついた。痛みがはしったが悲鳴はこらえる。

 水はきわめて澄んでいて、冷たいが、傷だらけの手足にはむしろありがたかった。


 平民の子供たちに先導されて、王女が田舎の水路をい進む――王宮の者たちが見たら卒倒するでしょうね、と少しだけ愉快になり、切なくもなった。


「ランケン、あいつら、きらい」

「いばってるもんな」

「すぐ、もの、もってく」

「けとばされた」


 子供たちはきわめて協力的にカルナリアを導いてくれた。


 茂みに入り、子供目線でしか見えない狭い抜け道を、四つん這いで移動する。


 先導する年長の子が顔だけ出して、ランケンや子分たちに見つかっていないか、こっちに来ないか、警戒してくれる。


 畑が途切れ、山の斜面を、木陰を伝うようにして登っていった。


 途中から道に出た。

 そういうところを昨日通ったのでわかった。人が何度も通っている山道だ。


 もう村からは見えないのだろう、子供たちは堂々と姿をさらした。


 そうなると遠慮がなくなる。

 ぐいぐい寄ってくる。質問責めしてくる。


「ルナって、どこからきたの?」

「……ひがし。日の出る方」


 口調に気をつけて、言葉を慎重に選んで、答えた。

 ここで言ったことは確実に村中に拡散される。


「おやは?」

「わからない。たぶん、殺された。それでどれいにされたの。ご主人さまたちは、やさしかった……けど……死んじゃって……」


 本物の心痛と怒りがにじんだのだろう、子供たちは敏感に察した。


「ルナは、いくつなの?」

「…………十歳」


「少女狩り」のことがすでに伝わっているこの村で、正直に十二歳と言うのは論外だ。

 自分は小柄だし、まだ出るところは出ていないから、それでいけるのではないだろうか。


 しかし子供たちは、一様に困った顔をした。


「じゅっさい、かあ……」

ね」

「ぼろぼろさん、出てきてくれるかな」


「……十歳だと、なにか、まずいの?」


「あのね、ぼろぼろさんってね、おとながくると、どっかいっちゃうの」

「あたしたちだけでないと、出てきてくれないの」

「十一になったカマルがね、ぼろぼろさんのこと、親に言ったら、次からぼろぼろさん、カマルがいると出てきてくれなくなったの」


「その……ぼろぼろさんって、なんなの?」


 子供たちにとってはある種の憧れにして興味深い対象であるらしく、一気に言い立てはじめた。


「ぼろぼろさんは、ぼろぼろのひとだよ」

「おっきいひとだよ」

「女のひと」

「去年、村長さんが連れてきたんだ」

「山の中にいて、何もしないから、気にするなって」

なの!」


 幼い女の子が目を輝かせて言った。


「それ聞いたランケンたち、見に行ったけど、見つからなかったんだって」

「ほんとにいるのか、って言ってる大人もいるよ」

「ときどき、村の中うろうろしてるよ。ぼくたちにしかみえないけど」

「お兄ちゃんがね、ねつ出したとき、おくすりくれたの! すぐなおった!」


(……薬師くすし、かしら?)


 山に住むということは、山間部にしか生えない薬草を採集して薬を作る、そういう存在かもしれない。

 しかし子供にしか見えないとはどういうことか。


「もうすぐだよ」

「山へは子供だけで入っちゃいけないって言われてるけど、ぼろぼろさんのところは、どうしてか怖いのぜんぜん出ないから、時々遊びに行くんだ」

「ぼろぼろさん、いなくても、けがしたりすると来てくれるよ」

「でも、わざと怪我するのはだめなんだ。そういうのわかるみたい。ランケンがラッツ殴って、怪我人だぞーってわめいたけど、出て来なかった」

「うちのおばあちゃんが夜にいたいいたいって泣いてたら、呼んでなくても、来てくれたよ。おくすりだけ投げこんで、行っちゃったけど」


 それほど登ることもなく、ひらけた場所に出た。


 カルナリアにとってつらい、あの川べりに似ている。

 人が起居ききょできるところというのは、どうしても似たような地形になるのだろう。


 渓流がゆったり流れ、それなりに平坦になっているところに、丸木を組んで上から草の束をかぶせただけの、畑の端にある農具を置いておく小屋のようなものがあった。


「あれが、ぼろぼろさんのおうち」


「……え」


 人の住処とは、カルナリアにはとても思えなかった。


 少し横に、黒ずんだ同じようなもの――燃えた後の丸木があった。


「それ、前のおうち。ランケンが燃やしたの」


「…………」


「村長さんがおこってね、新しいの、ランケンたちに作らせたの。だからランケン、ぼろぼろさんのこと、すごくきらってて、ぜってーとっつかまえておかしてやるっていつも言ってる」


 早々に処分した方がいいのではないだろうかと、人の命の重さを知ったばかりなのに、カルナリアは思ってしまった。


「いるかな?」

「おーい、ぼろぼろさーん!」

「そんちょうさんから、おねがいされたのー!」

「村長さんのご用事ですー!」


 その「家」の中にはいないと、子供たちは最初からわかっているらしく、周囲に呼びかける。


 ……少し待ったが、誰も現れない。


「いないのかな」

「どうしよう」

「やっぱり、ルナがおっきいからかな」

「でも、いるかも」


 子供たちは奇妙な動作をし始めた。


 目を細める。額に手をかざす。鼻をつまみ寄り目にする。指を顔の前で左右に動かして何か呪文のようなものを唱える。指で輪を作ってその間からのぞく。

 とにかく目に何かしながら、四方八方を見回す。


「な……なにしてるの?」


「ぼろぼろさんはね、大人には見えないし、おれらでもあんまり見えないけど、こうしてると、時々、見えることあるんだ」


 それは、人間なのだろうか。


 カルナリアはいぶかしんだが、とりあえず同じように周囲を見回してみた。


 山の斜面。木々。梢。空。

 西に傾いた陽光で角度のついた影。それが浮かび上がらせる斜面の起伏。ところどころにある岩、木の根、くぼみ、灌木かんぼくの茂み、生え始めたばかりの草むら。


 似たような景色、似たような時間帯。

 どうしても昨日の惨劇がよみがえってしまい、息が詰まる。


 ここは違う、血の臭いはしない。

 田舎の子供たちの、土とちょっと野生的な臭いだけだ。


 自分に言い聞かせ、深呼吸してから、カルナリアはあらためて周囲に目をはしらせた。


「………………ん?」


 一度視線を素通りさせたのだが、何かが引っかかった。


 山の斜面、少し上の方。木と木の間の、背の高い枯れ草の茂み。

 そこら中にいくらでもあるもの。


 けれどもそこに――見つめても周囲と何の違いもないのだが、「目」が才能を「見る」時のように、通常の視覚とは別なものがカルナリアの感覚に伝わってきた。


 そこにがいる。

 もしくは、


「どうしたのー?」

「ああ、ええと、その、あの辺……」


 声をかけられて一瞬視線を外した。

 すると、次に見た時には、もう何も感じなくなっていた。


 ただ、そこにあったはずの茂みが、消失していた。


「…………え?」


 子供たちがそろってその方向を見る。


 だがカルナリアの感覚は、視界の隅の方にまた何かをとらえた。


 背の高い枯れ草の茂み。

 そこら中にあるのと同じ、しかし――間違いなく、先ほど上にあったそれだ。


 上の方にあったそれが、斜め前のところに――自分たちに近づいた位置に、いる。


 ごくりと、喉が鳴った。

 背筋が寒くなった。


「あの、あそこ……!」


 ルナは今度は視線を切らないように、見据え続けたまま指を差す。


「いたの!?」

「どこ!?」

「えー? 見えなーい」

「あっ、待って、なんか、わかったかも!」


 子供たちが盛り上がる。


 風が吹く。木々が揺れる。


 それになびいたように、枯れ草の茂みが、動いた。


 揺れ動くのではなく、明らかに、移動した。


 近づいてくる。


 まっしぐらにではなく、斜めに、回りこむように、じわじわと。


 子供たちは――気がついていない!

 同じ場所に目をこらし続けている。


 カルナリアは冷たい汗に濡れた。


 だが、悲鳴をあげる寸前で、理性で食い止めた。


 もしかすると、が、この茂みが、「ぼろぼろさん」なのでは。


 それなら――地元の、それなりに親しくしている子供たちが気がついていないのなら、自分も気がついていないふりをした方がいいのではないか。


 瞬時に判断して、恐怖に耐えながら、子供たちが見ているのと同じ方に顔を向け続けた。


 もう完全に、斜面から降りてきて、自分たちと同じ高さのところに立っている。


 高さは、ランダルの背丈ぐらいはあるだろうか。子供から見れば「おっきい」と言うのは当然。


 細長い円錐形えんすいけい。針葉樹のよう、ただし幹が見えることはなく地面まで枯れ草が覆っている。


(…………え!?)


 視界の隅にそれを捉えているカルナリアは、距離が近くなったせいか、それまでと違う感覚をおぼえた。


 反射的に首に、首輪に手が行く。


 そこにあるものと同じ。

 隠されているものから感じるのと同じ。


 すなわち………………


(こ、これ、この枯れ草――ぼろぼろ? これ、魔法がかかってる! そのせいでみんな、見えないんだわ!)


 魔法のことは貴族の教養としてひととおり教わっている。


 魔力について、魔法の原理、現存する魔法の種類について、それらの作用、魔法を付与した道具や魔法を発生させる道具についての知識、使用方法などなど。

 カルナリアはその過程で、自分には魔力はあるが魔法は使えず、魔力感知の能力だけがあると知らされていた。


 認識にんしき阻害そがいの魔法というものについても教えられていた。


 影ながら貴族を守る役目の者や、敵地に忍びこむ者などが使う、他人の目をごまかすもの。

 それを使ってくる相手に狙われる立場である王族には必須の知識として、念入りに教えこまれた。


 ……このぼろぼろは、その認識阻害魔法がかけられた布か何かではないだろうか?


 さらに近づいてくる。

 人間――だと思うのだが、ほとんど上下動をしない。地面を滑るように、じりじりと迫ってくる。


 すぐそこまで来た。

 もう間違いなかった。

 魔法が付与された布か何かだ。


 カルナリアはそれを、魔力を感じ取る能力で判別できているのであって、視覚でとらえているわけではなかった。


 自分にも魔法が作用していることもはっきりわかった。


 このぼろぼろは、周囲の木々や自分たちと同じように、地面に細長い影を落としている。

 それなのに、それをおかしいと考えることができない。

 その影はそこに何かがある証だ、と考えが進まない。

 どうでもいいこと、気にする必要のないこと。頭が勝手にそういうところに分類してしまう。


 気づいたのに感覚を修正できない気分の悪さ。

 いやな汗がさらににじむ。


 こんな所に隠れ住む、こんな魔法の道具を持っている者。

 何者なのか。


「あーーー!」


 いちばん幼い子供が、声を張り上げた。


ーーー!」


 明らかに見抜いた様子で、ぼろぼろさんを、指さした。





【後書き】

自分にだけ見える恐怖。迫り来るこれは一体何なのか。山中に巣くう謎の存在。次回、第16話「怪人」。

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