010 襲撃

※レント視点に戻ります。





「川に沿って登れ……」


 渓流が流れており、道はおおむねそれに沿って山肌をつたい登ってゆく。


 水音がかすかに響く森の中を、レントは先頭に立って歩き続けた。


 この辺りはここ数日晴天が続いていたようで、足下が滑ることがなく、ありがたい。


 木の根のつくる階段を踏みしめ、あるいは太いそれをまたぎ越え、ある程度先に進んで様子を見てから、少し戻って続く二人を待ち、時には手を貸す。


 空を見上げた。

 太陽はしばらく前に西側の山肌に姿を隠してしまったが、樹冠越しに見える空の色はまだ変化していなかった。


 だがそれが、いよいよ変わりつつある。

 夕暮れが近い。


「…………これか」


 そこから少し登ると、道は上へ続くが、横合いにひらけた場所があらわれた。


「こちらへ」


 レントは道を外れてそちらへ他の二人を導いた。


 川べりだった。

 山を削って流れる渓流が、そこではゆったりと流れている。


 地面の傾斜はなだらかで、ほとんど水平のところすらある。


 ランダルが書いてくれた、野宿にいい川べりというのは恐らくここだ。


 岩と木の根が作る、いい具合のくぼみがあった。

 数人が横たわるには十分な広さがある。


 そこにレントはマントを敷いた。

 カルナリアとエリーレアを休ませると、周囲の様子を確かめに出ていく。


「今日は、ここで寝るのかしら?」

「恐らく、そうなるでしょう。……こんなの、本当に小さい頃以来ですわ」

「あら、エリーもそういうことしてたの? 初耳だわ」

「道に迷って、弟たちと……ですが、何度もやらかしている姫様には言われたくありません」

「ちょっと楽しみ」

「怖いですよ、番人が管理しているわけでもない、どんながいるかわかったものじゃない森の中なんて」

「けだもの! 見てみたいわあ」

「おやめください!」


 レントが戻ってきた。

 たっぷり葉がついた木の枝をかかえている。自分たちの姿を隠すのに使うつもりだ。


「とりあえず、増水はなさそうですし、危険な獣の水場というわけでもないようです。それらしい痕跡は見当たりませんでした。今日はここで休みます。火をくわけにはいきませんので、今のうちに色々すませておきましょう」

「……ぷっ。あはは」

「どうしました?」

「いえ、私たち、みんな、ひどい顔だと思って」


 レントは、ここ数日のカルナリアと同じように、目の周りに紫色のができていた。


 両頬がれているカルナリアに、エリーレアも転んだ時にぶつけたのか額にこぶができている。


「ランダル殿への迷惑料と、このマント代、情報代ということにいたしましょう」


「何ですか、あの無礼者は! すごく怖かったのですよ! いきなり、あんなこと……ううう……」


「エリーレア様、落ちついて下さい。荒事あらごとというのは、慣れていなければそのようにおびえてしまいます。悪い連中はそれを利用して相手をいいように支配するのです。慣れれば平気になります」


「レントは、慣れているの?」

 カルナリアが問うた。


「はい。ガイアス様につけられた当初は、毎日もっとひどい顔にされていました。魔導師の訓練を兼ねて治癒魔法をに使ってやるからと、容赦なく骨も折られて……我が従士に必要なのは敵を強さではなく敵に強さだ、痛みに慣れろ、襲われることに慣れろ、恐怖にすくむな、どれだけ打たれても体を動かし続けるようになれと……時には数人がかりで襲われて、ひたすら逃げ回る訓練も」


「ひどい」


「最初の日は何もわからないまま気絶しただけでしたが、そこからしばらくの間はつらかったですね。殴りかかってくる姿勢を取られただけでこちらの体が固まってしまう。握り拳を見ただけで怖くて何も考えられなくなり、どんな屈辱的な命令にも従ってしまいそうなくらい、やめてくれるなら何でもするという気分になってしまう……」


「……


 レントはカルナリアに向けて、頭を地面にめりこむほどに下げた。


「……ですがそれも、何日も繰り返されると、普通のことになり、対処できるようになり、時にはこれはかわせない仕方ない一発食らっておくか、というようなことも考えられるようになりました」


「人間って、すごいのね……」


「あの頃は恨むこともありましたが、あの訓練のおかげで、お二人をお守りする役目を仰せつけられるくらいにはなれました。ガイアス様は、人の能力をしぼり尽くし使い尽くす、最後まで厳しい主


 レントは目を閉じ祈りを捧げた。

 すでにこの世にいないだろう主への、鎮魂の祈り。


 ガイアスと親しくしていたカルナリアもすぐ合わせてくれて、エリーレアも従った。


 それから、三人そろって、渓流で顔を洗った。

 お互いの顔を見て、また笑い合った。


 くぼみに戻って、食事にする。

 火を使わずに食べられるものをランダルは分けてくれていた。ありがたくそれをいただく。


 空はいよいよ色を失い、周囲のものが見えづらくなってきた。


「二人は先にお休みください。明日は一日中この山を登り続けることになると思います。できるだけ体を休めてください。私は最後にもう一度回りを見てきます」


 レントはくぼみを出た。


 その体を風がかすめた。

 岩に鋭い音が鳴り、矢が跳ね飛ぶ。


「ちっ!」


 短弓に次の矢をつがえた男が、木陰から姿を現した。


 革鎧に簡易なメット、腰には剣。……平民兵士だ。


「なにやつ!」


 レントは短剣を抜き、身構えた。


 だがその反応は、相手に確信を与えるだけだった。


「大当たりだな。って、普通言わねえよ。お前ら、平民じゃねえな。お姫様は――俺の賞金は、か」


 姿を見せたのは、木陰からでは狙えなかったから。


 万全の位置取りから、弓矢が、王女のいるくぼみに向けられた。


「いるんだろ、十二歳の、賞金かかってる貴族のお姫様がよ。出てきな。でないと矢ぁ撃ちこむぜ。死体でも金は出るんだからな」


 はったりだ、とレントは即座に判断した。


 ランダルから聞いた、兵士たちへの指示は、「連れてくれば金が出る」だ。死体でもいいなどとは一切言われていない。

 平民の味方であることを建前にしているガルディス軍にとって、少女を殺した者に賞金を与えるというのはあり得ないことだ。


 また、少女狩りを命令したガルディスの本当の狙いは『王のカランティス・ファーラ』だ。カルナリアを殺してしまって『王のカランティス・ファーラ』のありかがわからなくなることをガルディスは最も恐れているはずだ。したがって、死体でも金は出るということは絶対にあり得ない。


 相手を観察し、周囲の気配をうかがう。

 ひとりきりだ。他の仲間がひそんでいる様子はない。

 仲間がいるなら初手の射撃が外れた時点で出てくるだろう。同時に複数でかかった方が有利なのは当たり前の話だからだ。


 賞金目当てで、仲間を連れずに独行してきたとレントは見た。


(こいつをどうにかすればいいだけだ。長柄ながえ武器を持っていないのも助かる)


 レントは――にへら、と笑った。


 下卑た笑みを満面に浮かべた。


 短剣を鞘にしまい、両手を開いてへらへらする。


「いやあ、兵隊さん、聞き違えじゃないですかね? 俺は、誰だって言ったんですぜ? 俺たちはただ、戦が怖くて逃げてるだけの、しがない行商人でして」


 動揺のかけらも見せない、安っぽい言い回しで言葉をつむぐ。


「へえ、そうかい」


 相手も笑う。ただし口元だけだ。弓の構えは崩さない。

 レントとの距離は十歩ほど。まだ弓が優位だ。


「戦から逃げてるにしちゃ、こんなとこで野宿たぁ不思議な話だなあ。この辺が戦になるわけでもねえんだから、近くの村に泊まりゃいいものを、いきなり山で野宿なんざ、よっぽどのでなきゃやらねえよ」


「いやいや、そんな難しいこと言われましてもねえ」


 レントは笑顔も態度も崩さない。

 この程度で動揺しぼろを出すようなら、ここまででとっくに挫折している。


「それにな、この道、俺みたいなこの辺の生まれでなきゃ知らねえんだわ。なんでこんなとこ登ろうなんて思ったのかねえ。誰かに教わんなきゃ、道があるとさえ気づかねえのになあ」


「いやあ、見たらわかりましたよぉ。私だってあちこち旅してるんですからねえ」


 相手がいら立ち、そろそろ矢を放とうかという気配になってきたのをレントはめざとく読みとる。


「まあ、出てこいっていうなら、出しますけどね……おーい、エリー、出てきてくれー。いやあ、何を勘違いしてるのかわかりませんけど、俺たちは二人きり、夫婦の行商人で、子供なんかいませんよ」


 木の枝の覆いの向こうから、女性が姿を見せる。


 エリーレア、ひとりだけだ。


 レントの声は聞こえていて、カルナリアはマントや荷物を盾にして身を隠していることだろう。


「へへ、美人でしょう? 自慢の妻なんですわ。こんな美人連れてたら、誰に何されるかわからんでしょう。だからこういうとこでひっそり寝起きするんでさ」


 レントは言いながら、兵士の注意がれた隙に、滑るように横に移動した。


「あ、おい、動くんじゃねえ!」


 兵士はレントに矢を向けたが、構わずレントは横移動し続ける。渓流を背にする。


「で、誰もいないこういうとこだと……いくら声出してもよくって……へへへ、そりゃあ、燃えるんですよ……わかるでしょ?」


 レントは下品きわまりなく言った。


 兵士の目が泳いだ。若く、欲望に満ちている。すぐに火が付く。


 エリーレアは生粋きっすいの貴族女性で、立っているだけでもシルエットは優美、夕暮れの淡い光の中では妖艶にすら見える。顔立ちは王女の侍女としてふさわしい美しさ。額にこぶができているが遠目ではよくわからない。


「おーい、エリー、兵隊さんがお望みだ。俺が言ったら、着てるもの、一枚ずつ脱いでくれ」


「なっ! ふ、ふざけないで!」


 エリーレアは怒鳴った――が。


 殺意と欲望むきだしの平民兵士を見て、憎み、恐れ、惑い、必要を理解して、気持ちが揺れ――ここは従うしかないのか、と受け入れた。


 見ているだけで伝わってくるその一連の心の変化は、男の欲望をどうしようもなく刺激する。


「ほら、一枚!」


 レントが言うと、エリーレアは上着の前止めをしぶしぶ外し始めた。

 唇を引き結び満面を羞恥に引きつらせて。


「お…………!」


 兵士の目が、矢をレントに向けつつも、そちらに動く。

 男には抗いがたい引力が、目を、意識を吸い寄せる。


 レントは静かにかがみこんで、川べりの手頃な石を手にした。


「あっ! てめえ!」


 兵士は怒鳴り、矢を放った。


 しかし半ば横を見ながらである。矢はあらぬ方へ飛んでいって水中に落ちた。


 レントは身をかがめた状態から突進した。

 相手まで七歩ほど。


 兵士は即座に弓を捨て腰の剣に手をやった。


 雑兵に支給される、いわゆるの剣ではあるが、レントの持つ短剣よりも当然ずっと長く、太く、威力が大きい。


 レントに武芸の心得はあるといっても、体格も武装も相手の方が上。相手は防具も身につけている。


 恐怖が湧き起こる。

 戦闘が恐ろしいわけではない。

 自分が傷ついて、王女を守り続けられなくなるのが恐ろしい。


 カルナリア王女は聡明そうめいで意志も強く体力もあることはよくわかっているが、だからといって世間知らずの女性ふたりだけでこの山を越えて、さらに敵の目を避けつつ隣国バルカニアまで逃げられるとは思えない。


 だから何としても、こちらは無事なまま、この兵士だけを片づけなければならない。


 レントは手にした石を投げた。


 相手に投げつけるのではない。上へ放った。

 ちょうど相手の頭上に降ってくるように。

 そして短剣を抜き、腰だめにかまえ、身を低くしたまま相手に向かう。


「う……!」


 兵士の目が上下に動いた。


 防具をつけているといっても、落ちてくる石は本能的に怖い。当たり所が悪ければ防具の上からでも肩ぐらいは折れるし、メット越しでも昏倒することもある。戦場で、投石による死傷者はかなり多いのだ。


 自分の命を捨てても相手を討つ、という覚悟が決まっていれば無視もできただろうが、賞金狙い、欲望優先で、逃げる獲物を一方的に狩るつもりだった者に、そんな覚悟があろうはずもない。


 兵士は、手甲をつけた左腕を頭上にかざして石を防ぎつつ、迫るレントに剣を振り下ろしてきた。


 中途半端だ。威力はない。訓練で、自分のような下位貴族などどうなっても知ったことかと容赦なく剣を振り下ろしてくる、高位貴族の騎士たちの攻撃に比べればこんなもの。


 レントは一瞬の足さばきで斬撃に空を切らせると、振り切ったその腕の上から短剣を相手の首に突き立てた。


 ――革鎧の首まわり、詰め襟状の部位に阻まれ、刃先がずれて、相手の頬に突き刺さった。

 レントが小柄でなければ上から首に突き入れることができたのだが、仕方がない。


 とっさに短剣を離し、相手の右腕をかかえこんで、ねじりつつ体重を乗せた。ひじを砕く。


「ぐあっ!」


 鈍い音と共に相手の剣が地面に転がった。


 左手でレントを殴ってきた。視界の隅で捉え、頭の一番硬い部分で受ける。衝撃と出血、しかしとらえた腕は離さない。


 足をかけて倒した。もがく相手に馬乗りになろうとする。しかし相手も暴れる。


 一度ひっくり返され、また回転して、何とか上をとり、完全に馬乗りになれた。

 膝で両肩を押さえれば、相手はもう何もできない。


 あとはこいつの頬に刺さったままの短剣で――。


「おい! ミルズ! 何やってんだ!」


 横から声がして、人が突っこんできた。


 兵士が、もうひとり。




【後書き】

何とか勝てた。そのはずだった。だが仲間が。一行は逃げのびることができるのか。

次回、第11話「闇」。残酷な描写あり。

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