011 闇


 レントの血の気が引いた。


 組み敷いている相手の兵士もぎょっとしていた。

 勝手に後をつけてきた、ということのようだ。


 仲間がやられていると見てとり、新しい兵士はすぐ剣を抜いて襲いかかってきた。


 レントは、多分ミルズという名前だろう兵士の目を指で突くと、転がって逃れ、ついでにミルズの剣を拾い上げた。


「貴族か。賞金は山分けだぞ、ミルズ。いや、俺が捕まえれば俺のもんか。少しは分けてやるからな」


 新しい兵士は、レントおよび背後のエリーレアを見て、状況を理解したらしく、ニヤついて剣を構え直した。


「でめぇ、うま、どうじだぁ……」

「つないどいたよ。ちょっとくらい大丈夫だろ」

「ばがが……まぁいぃ、ぶっごろじでやる、ごいづ……」


 ミルズが起き上がる。右腕をぶら下げ、片目は真っ赤。眼球を潰すことはできなかった。

 頬に刺さったレントの短剣を左手で抜いて、口からだらだら血を流しつつ、残る目を殺意にぎらつかせる。


 レントは剣を構える。そのこめかみを鮮血がつたい落ちる。

 それ以上に冷たい汗が噴き出す。


 これが騎士ガイアスはじめ親衛騎士なら、雑兵がふたりであっても鎧袖がいしゅう一触いっしょく、大剣の一振りでまとめて首を飛ばせるのだが。


 レントでは、兵士ひとりを相手にするのがせいぜいだ。


 兵士たちも、小柄なレントを脅威と感じている様子はない。


 相手が二人でも、逃げ回るだけならできる。


 しかし、レントが手強い、あるいは面倒だと判断され、仲間を呼ばれたら、エリーレアとカルナリアの足では、山を越える前に捕まってしまう。


 だから、二人とも、ここで倒してしまわなければならない。


 やれるか。

 いや、やらなければ。


 だが相手も素人ではなかった。

 激昂しているミルズも、その辺のチンピラのようにしゃにむに突っこんでくるような真似はしなかった。


 左右に分かれて、同時にレントに襲いかかってくる。

 訓練を受けた者の、連携の取れた動き。


(神よ、良き風を私に!)


 レントは風神ナオラルに祈りつつタイミングをはかった。


 相手が二人になってなすすべを失い立ちつくしている、そう見せかけて、左右から刃が届くその一瞬前に、ミルズへ体ごと剣を突き出す。


 リーチ差で、こちらの剣が先に当たるはず。

 刺さるとは思っていない。肩の防具で防がれるだろう。だがそれでいい。ミルズの動きを一瞬止めることさえできれば、動かせない右腕のほうへ回りこんで、もう一人に対する盾にできる。


「ぐべっ!」


 だがミルズは、レントを刺すことしか考えていなかったのか、まったくかわそうとしなかった。


 雄叫びをあげるミルズの口に深々と剣がめりこみ、後頭部まで突き抜けた。


「……え!?」


 剣に一気に重みがかかった。

 とっさに手を放したが、勢いのままにミルズの体がぶつかってくる。

 レントの肩に短剣が突き刺さる。


 体をずらしミルズの体を横に投げようとしたが。


 背中に熱が来た。


 熱いものがレントの体を貫き、腹から剣先が突き出た。


「やったぜ!」


 兵士の声がすぐ背後で。


 レントはひじ打ちを放った。

 当たった。鈍い音。


 兵士がよろめく。その手に剣はない。握っていた剣はレントの体を貫いている。


 ミルズが倒れる。もう死んでいる。


 レントも、服がみるみる血で濡れてゆく。


 いけない。相手はまだ無事だ。倒さなければ。


「あああああああああ!」


 甲高い絶叫。

 エリーレア。


 大きめの石をかかえて飛びついてきた。


(だめだっ、だめですっ!)


 エリーレアは、無手でふらつく兵士の頭に石を叩きつけた。


 硬い音、メットがへこみ兵士がよろめく。


 だが兵士は、すでに予備の武器である短剣を手にしていた。

 相手が誰かもわかっていないだろう状態で、受けた訓練のままに、それを突き出した。


 刃は、エリーレアの胸に吸いこまれた。


「あ…………?」


 きょとんとするエリーレア。

 次の瞬間、咳きこみ、口から鮮血を噴いた。

 肺が傷ついた、鮮やかすぎる色の血。

 致命傷だった。


「くっ!」


 どのような感情が彼女を突き動かしたのか、エリーレアは憤怒の表情となり、手にしたままの大きな石をもう一度、相手の顔面に叩きつけた。

 ベキッと、色々なものが砕ける音がした。


「うおおおお!」


 レントはえた。


 肩に刺さっている短剣を抜く。


 エリーレアが、しゃがみこむように倒れた。


 顔面を砕かれた兵士も倒れ、石が地面に落ちる。

 だが、まだ動いている。もがいている。


 レントは駆け寄り――そのつもりだったのに、なぜか、のろのろとしか動けない。経験したことのない体の重さに襲われる。動け、体。こいつにとどめを刺さなければ。


 しかし目が霞む、力が抜ける、あと一歩なのに……!


「痛いのは慣れる、怖いのも慣れる、慣れる、慣れる、ひとは、慣れる……!」


 エリーレアではない女性の声がした。


 聞こえてきてはならない声が聞こえた。


 カルナリア王女。


 目をいっぱいにむいて、手足をどうしようもなく震わせて、エリーレアと同じように大きな石をかかえて、そこにいた。


「い……いけませんっ!」


 体に力がみなぎった。


 王女に、そんな真似をさせてはならない。

 この方に、人を殺すようなことは。

 それをさせないために自分がいる。


 レントは王女の前に移動し、直接は見せないように背中で隠して、短剣で兵士にとどめを刺した。


(よし、やれた……よかった……カルナリア様のお手を、汚させては、ならない……)


 体にこれまで以上の重みがかかってきて、抗うことができず、顔面から崩れ落ちて、兵士の体か何かにぶつかり、斜めに倒れた。


 ――そして。


「エリー! レント! お願い! 起きて! 目を開けて!」


 泣き声が聞こえる。


 守らなければならないお方の声だ。


 美しい方だ。

 泣き顔も可愛らしい。


「ひめ……」


「レント!」


「ごぶじ……ですか……」


「しゃべらないで! 血が! エリーも! いやあ! 起きて! いやよ! だめ! 守ってくれるんでしょう!?」


 ああ、そうか……自分は、ここまでなのだ……。


「もうしわけ……どうか……おゆるし……」


 王女をひとりにしてしまう。

 何という失態。

 何という無様。

 守ると誓ったのに、果たせなかったことを、恥じる。


 自分を揺さぶる華奢な姿、その手に血をつけてしまっていること、その美しい顔面に自分が作った紫色のあざを、心から詫びる。


 任務を果たせなくなってしまったことを、王女に、騎士ガイアスに、エリーレアに、国王陛下に、詫びる。


 もう会えないことを、両親に、兄弟たちに、詫びる。


 そして、祈る。


「どうか……ごぶじで……おにげ……西へ……」


 祈りと共に、告げる。

 最後の希望を。


「むらへ…………ランダル……かれに……」


 頼む。

 ランダル・ファスタル・ローツ。

 姫を頼む。

 頼む。

 頼む。

 頼む。

 どうか、


 守ってくれ。

 守ってくれ。

 この方を、守ってくれ。


 姫様を、王女殿下を、カルナリア様を、王家を、カラント王国を……どうか……。


「………………」


 王女がさらに何か言っている。叫んでいる。泣いている。


 だが聞こえなくなってゆく。

 遠くなってゆく。


(どうか、神よ、良き風を、この方に…………どうか…………)


 祈りと共に、レントの意識は闇へ落ちていった。


 空からすべての色が失われ、世界も闇に埋まった。



 闇の中に、少女のすすり泣きだけが響いていた。






【後書き】

最後の守り手が失われた。王女だけが残される。次回、第12話「王女の『目』」。

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