004 ビルヴァの街にて


 細い田舎道を、馬車が行く。


 雪が消えてからもうそれなりに経ち、周囲は春の黄緑色。


 馬車と言っても、貴族が使う箱馬車などではない。

 ほろすらついていない荷台を、老いた駄馬二頭で引いて、ゆっくりと進んでゆくものだ。


 その荷台には、数人の男女が座りこんでいる。

 歩くよりは少しだけ早い、という程度のこれでも、一応は街と街を結ぶ交通手段なのだった。


 そしてその者たちの雰囲気は、周囲の新緑、うららかな春の景色とはまったくかけ離れた、重苦しいものだ。


「もっと早く進めないのか?」


 荷台の男が御者の老人に不満をぶつけた。


「いい馬は、軍隊が持っていっちまったからねえ……お貴族さまを皆殺しにするから、これからは暮らしがよくなるって言ってたけど、さて、どうなるものか。がんばってくれてるこいつらに文句あるなら、あんた、返してくれるようにあの人たちに言ってくれるかね」


 言い返されて、男は押し黙った。


 世の中は大混乱に陥っていた。


 王太子ガルディスが、平民たちの支持を背景に突然王都を襲撃し、実の父である『麗夕れいゆう王』ダルタスを討ったのが三日前。


 ガルディス軍――王国南東の、ガルディスの領地から上ってきた平民兵士たちは、王宮を焼き、貴族の邸宅を片端から襲撃し、それに乗じた平民、貧民たちが群がり、王都は今や盗賊どもの狩り場も同然のありさまだという。


 当然、貴族は逃げ出す。

 貴族とつながりのある商人も逃げ出す。

 貴族のような暮らしをしていた金持ちも逃げ出す。


 王都から逃げる人の流れ、それに追いすがるガルディス配下の兵たち、必死に追跡を逃れようとする人々、逃げる者を狙って群がる獣も同然の貧民集団――。


 一方、逆に、貴族の領地で過酷な収奪を受け困窮していた人々が、ガルディスの配下に加わらんと無数に王都を目指しているともいう。


 ガルディスは、王都に腰をえることはせず、各地の貴族領へ攻めこむ準備を進めているそうだ。


 各地の貴族領がわも、領主が難を逃れていた場合はもちろん国を守るためという名目で、領主の安否が不明であっても領内を落ちつかせるためという理由で、とにかく兵を集め戦いの準備におおわらわだという。


 今、王国全体が嵐の只中にあった。


 だが、そんな騒ぎなど知らぬかのように、馬車はあきれるほどのんびりと進んでゆく。

 そのようにしか進めない。


 道の前方から、三十騎ほどの騎馬の集団が迫ってきた。

 武装している。治安維持を目的にした、貴族狩りを兼ねた平民兵士の一部隊だ。


 馬車はゆっくりと、可能な限り道の端に寄った。


「乗合馬車か」

「へえ。ミルグントから、ビルヴァへ。許可証はこちらで」

「貴族は乗せていないな?」

「へえ、おりません」

「貴族の馬車や、騎士などは見なかったか?」

「そんなの、どこにもおりませんでしたわい」

「そうか。見かけたらすぐ知らせるように。賞金が出るそうだぞ。それもすごい額だ」

「へえ……そりゃまた、えらいことですなあ」


 隊長は、視線を御者から荷台に向けた。

 客は八人。

 大半はいかにも平民の、それも大して金持ちでもない風体だが、フードをかぶって顔を見せていない者がふたりいる。


「そこのお前たち、顔を見せろ」

「ああ、はい、すみません」


 フードのふたりの、隣にいた男が慌てて言ってきた。


「私はレントと申します。ビルヴァにいる親戚のところへ行こうと。この二人は、妻のエリーと、まあ、その……でして」


 困り顔で言うレントという男は、少年を脱していない年齢に見えるが、妙に老けたような雰囲気もあって、妻がいると言われればそうかと納得はできた。


 そのレントは、身を乗り出してくると、声をひそめて隊長に言ってきた。


「妻は、その、子供ができたのですが、どうにも体調がすぐれない時期に入ってしまって……それで、世話をさせる奴隷を買おうとしたんですが、あいにく出産経験のある年配の女が売りに出ていなくって、仕方なく残ってたを買ったら、とにかく機嫌が悪くなって……別につもりじゃなかったんですが……わかってもらえると……」


 レントの情けない顔と情けない事情に、隊長は理解を示し苦笑しつつも、顔を隠したままでいることは許さなかった。


 二人は命じられてフードをとった。


 エリーという妻は、元はかなり美しいだろうに、顔色が悪く、頬がこけて、目つきがひどく悪かった。夫と隊長をまとめて見てくる視線には殺気すらこもっていた。


 その隣は、小柄な少女だった。

 首輪をしている。

 奴隷である。


 だが――。


「……な」


 奴隷を連れている者は珍しくもなく、隊長もそれ自体を気にすることはなかったが、少女の様子には眉をひそめた。


 少女の顔面は、左目の周りが紫色に腫れ上がり、頬には平手打ちの跡、唇もいびつで片側の端にはかさぶたがこびりついている。


 暴力を受けた、無惨な姿だった。


「いやあ、買ったはいいけど、人のもの盗もうとしやがって――でも今さら突っ返すこともできなくて、盗みはいけないって教えこむにはしかなくってですね」


「まあ、手癖てくせの悪いやつってのはどうしようもないが……気持ちはわかるが、ほどほどにな」


 相手が男の奴隷ならまだしも、年端もいかぬ少女とあって、隊長は同情の目を向けた。


「顔ぐらい洗ってやれ」


 水の入った革袋を分けてくれた。


 疑いはなくなったらしく、戦にまきこまれるなよと親切に言うと、そのまま去ってゆく。


 騎馬隊も、縦一列になって、馬車が脇にのけてどうにか作った隙間を一騎ずつ通り過ぎていった。


 馬車は再び、ゆっくりと動き出した。


「……私は、あなたを、許しませんからね」


 レントの妻が憎々しげにつぶやいて奴隷少女の顔を水で洗いはじめ、少女は傷にしみたのか小さくうめいた。


 他の客たちは、レントに同情半分非難半分の目を向けた。

 同時に、微妙に自分の荷物を奴隷少女から隠すように動かす。


 レントは決まり悪げな笑みを浮かべると、小さくなって荷台にうずくまった。




 夕刻、馬車はようやくビルヴァの街に着いた。


 三本の街道が交わるところにある、この辺りでは割と大きな街である。


 だが――だからこそ、ガルディスの手が伸びていた。


 街の中央広場には長い丸木が組み合わされて。

 このビルヴァの街を中心とした郡の長である貴族と、ビルヴァの町長とが、見せしめとしてつるされていた。


 死体の下では火が焚かれ、煙でいぶして、かつての支配者の末路を少しでも長く見せつけるようにされている。


 槍をかかえた平民兵士たちがその周囲に陣取って、自分たちがこの街の支配者であると露骨に示していた。


 馬車を降りた客たちは、兵士たちに目をつけられないよう、無惨な死体を見ないよう、顔をそむけ背を丸めて、急いでそれぞれの目的地へ散ってゆく。


 レントもまた、フードをかぶった女性ふたりを引き連れて、早足で路地に入って兵士の目から隠れた。

 狭い路地をつたい、別な街路に出て、宿屋を探す。


 幸い、暗くなる前に見つけることができた。


「貴族じゃないだろうね。いま、貴族なんか泊めたら、宿ごとあたしら火あぶりさね。やめておくれよ。絶対に貴族なんか泊めないからね」

「俺が貴族のツラに見えるってのかい、おばちゃん。こう見えても爺ちゃんの頃からずっと旅商人やってる、由緒正しき平民ってやつだぜ」

「まあ、それはそうだねえ。後ろのふたりは?」

「うちの奥さんと、こいつは奴隷な。どうだい?」

「うーん……まあ、そっちの子は、うん、問題ないね。でも奥さん、具合悪そうだね。病気じゃないのかい。今は面倒だから、そういうのは勘弁しておくれよ。医者どころか、薬だって兵隊に押さえられてまともに買えやしないんだからね」

「まあ、その、病気じゃないからさ。子供がさ……今二ヶ月目ぐらいなんだ」

「おやまあ、そりゃあ……こんな時だけど、おめでたいことだねえ。そうかい、きつい頃だねえ。あたしも三人産んでるから苦労はわかるよ。そりゃここまで来るのも大変だっただろ。ゆっくりしていきな」

「すまねえな。食事は俺が運んで、部屋で食うから。少しずつしか食べられないんで……果物があるとありがたいんだが」

「ああ、まかせときな」


 貴族基準ではお世辞にもきれいとは言えない部屋に入り、扉にきちんと鍵がかかることを確認してから、レントは態度を変えて二人にうやうやしく頭を下げた。


「では、お二人はここでお休みください。私は食事を持ってきた後、外に出て情報を集めてきます。もしかするとあのおかみさんが様子を見に来るかもしれません。そのときは、エリーレア様は横になり、は、少し頭が弱い風に、何もわからないとだけ繰り返してくださいませ」


 レントは指示を出すと、すぐに部屋を出ていった。


 残されたエリーレアは、憎悪の顔つきで扉をにらみつけた。


「あの男……絶対に、、許しません。姫様をこのような目に……このようなお顔に……!」


「いいのよ、エリー」


 少しくぐもった声でカルナリアは言った。

 口の中が切れており、しゃべるたびに痛むのだ。


「私のためにしてくれたことだもの……美しすぎるから、ですって。うふふ」


 そう、レントは、どう装わせても汚しても奴隷には見えない、気品ある美少女であるカルナリアを、殴りつけ、顔をらして、ひどい面にしたのだ。


「だからといって! 姫様を! 見た時は、あまりのことに、死ぬかと! あんな! 何度も!」

「静かに。ここ、壁はそんなに厚くないわよ」

「ああもう、これだから庶民の建物は!」

「あんまり怒らないで。あなた、どんどんひどい顔になってきてるわよ。わたくし――じゃない、私の代わりに怒ってくれるのはうれしいけれど、体にも心にも良くないわ」

「そうおっしゃられましても……姫様のお顔に傷を! 王族に手をかけるなど! 絶対に!」

「姫様はやめてって言ってるでしょ。今の私はルナ。リアじゃなくて、あなたたち夫婦に買われた奴隷の、ルナよ。人のいるところで呼び間違えたら大変なことになるのだから、いい加減慣れてちょうだい」

「は、はい……」

「それに、荒事あらごとのことはよくわからないけれど、多分、うまくやってくれているわ。痛いけど、歯も、鼻も、傷ついていないもの。騎士の人たちが訓練の後、こんな風になっていたけど、魔法で治さなくても、冷やしていたら数日で元通りになっていたし……ああ、治っちゃいけないわね。もう一度やってもらわなくちゃ」

「そんな!」

「おかげで、ここまで捕まらずにすんでいるのよ。私たちだけだったり、ついているのが大きな体の騎士さんだったりしたら、今頃とっくに兵士たちに囲まれて、と同じにされているわ」

「うぐっ……!」


 いぶされていた死体を思い出してしまい、エリーレアは吐き気をこらえて口を押さえた。


 レントと一緒に宿のおかみさんが食事を持ってきたが、エリーレアのその様子はまさに悪阻つわりに苦しんでいるようで、何一つ疑う様子はなく、同情してお湯を多めにサービスすらしてくれた。


「それでは、行って参ります。朝まで戻らないかもしれませんが、必ず戻りますので、それまでここでお体を休め、次の移動に備えてください」


 レントは、エリーレアが騎士ガイアスに持たされていた財布から、必要だからと金貨数枚と宝石をひとつ持ち出して、薄暗くなった街へ出て行った。


「……あの男、本当に信用できるのですか? あのまま持ち逃げするのでは?」

「その気なら、全部持っていくんじゃないかしら? それに、何よりもを奪っていくでしょう?」


 カルナリアは服の襟元から小箱をわずかにのぞかせた。

『王の《カランティス・》ファーラ』が入っていた箱。


「そうですね…………でも……」

「腹を立てるのは仕方ないわ。でも疑うのは、もういい加減にやめましょう。今のわたくしたちは、彼に頼る以外のことはできないのだから、疑ったところで気分が悪くなるだけよ。しっかり食べて、早めに休みましょう。いつ逃げ出すことになってもいいようにしておくのが、わたくしたちの役目よ」

「その…………姫様、いえ、ルナは、よく、あれをあんなに……食べられますね……寝床も……」

「ああ、腕も食材もよくないけど、頑張ってるとは思うわよ。あれはあれで貴重な経験だったわ。それにわたくし、どこででも寝られるし」

「うらやましいです……どうしても、喉を通らず……あの腐りかけた野菜のどろっとしたのは……肉も臭くて……うう……」

「果物は大丈夫でしょう。パンも、水で流しこみなさい。お腹に入れてしまえば何とかなるわよ。とにかく体力を保たないと、追いかけられた時に走ることもできなくなってしまうわ」

「……レントが、二人になったようです……」

「わたくし、彼と案外気が合うのかも」

「やめてください、どうか」


 カルナリアはエリーレアをからかい、ころころと笑った。


 しかし、少しでも間が空くと、重たい沈黙が落ちてしまう。


「……お母様……」


 カルナリアは、死んだと伝えられる父王や他の王族たち、あの夜に消息が伝わってこなかった生みの母である第三王妃フェルミレナのことを思い。


 エリーレアもまた、両親や兄、故郷の親しい人々を思った。

 この瞬間にも彼女の故郷に平民兵士軍が攻めこんでいるかもしれない。彼女の父親が領主をつとめるアルーラン領は王国の北東部にあり、西へ向かっている身では、逃げこむことも安否を確かめることもできない。


 この数日間でもう涙を流すことはなくなっていたが、二人は沈痛な面持ちのまま身を寄せ合い、お互いの体温に救われながら横になった。


 レントが戻るまでは起きていようと思ったが、疲労はたまっており、寝心地がいいとは決して言えない寝台の上で、吸いこまれるように眠りに落ちていった。


 ――明け方。


 ドアを叩く音で二人は目覚めた。


「おい、開けてくれ。ぉ」


 乱暴なレントの声に、二人は顔を見合わせ、異変を察知した。


 誰かいる。

 同宿者か、もしかしたら兵士か、とにかく、礼儀正しい態度をしてみせるわけにはいかない誰かが、声の聞こえるところにいる。

 移動の間にレントから少しずつ心得を教えられ、そのくらいのことは推察できるようになっていた。


「コホン。あー、はい、はい、待ってね、今、開けるから」


 エリーレアが――妻なのだから当然、返事をする。


「どうしたのよ。こんな時に、朝帰り? 覚悟はできてるんでしょうね」

「あー、うん、すまん、でも、まあ、そこはなあ」


 カルナリアが錠を外して扉を開いた。……そのついでに扉の影に身を隠した。


 レントが――顔が赤らんで、目はどろんと濁り、少し酒臭く、フラフラと部屋に転がりこんでくる。


 そしてその後ろから。


「なるほど、いい女だ」


 ぬっ、と。

 ひげもじゃの男が――剣を帯びている、たくましい体つきの男が、姿を見せた。




【後書き】

何とか追跡の目を逃れてひと息ついた王女一行。しかし現れたこの人物は何者か。

次回、第5話「山賊」。

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